238.思考の整理学 外山滋比古

もちろん例外はあるけれども、一般に、学校教育を受けた期間が長ければ長いほど、自力飛翔の能力は低下する。グライダーでうまく飛べるのに、危ない飛行機になりたくないのは当り前であろ

 

こどもというものは実に創造的である。たいていのこどもは労せずして

であり、小発明家である。ところが、学校で知識を与えられるにつれて、散文的になり、人まねがうまくなる。昔の芸術家が学校教育を警戒したのは、たんなる感情論ではなかったと思われる。飛行機を作ろうとしているのに、グライダー学校にいつまでもグズグズしていてはいけないのははっきりして

 

いまでも、プロの棋士たちの間に、中学校までが義務教育になっているのがじゃまだとはっきり言う人がいる。いちばん頭の発達の速い時期に、学校でグライダー訓練なんかさせられてはものにならない、というのである

 

それに比べると、いまの学校は、教える側が積極的でありすぎる。親切でありすぎる。何が何でも教えてしまおうとする。それが見えているだけに、学習者は、ただじっとして口さえあけていれば、ほしいものを口へはこんでもらえるといった依存心を育てる。学校が熱心になればなるほど、また、知識を与えるのに有能であればあるほど、学習者を受身にする。本当の教育には失敗するという皮肉なことに

 

夜考えることと、朝考えることとは、同じ人間でも、かなり違っているのではないか、ということを何年か前に気づいた。朝の考えは夜の考えとはなぜ同じではないのか。考えてみると、おもしろい問題で

 

簡単なことだから、朝飯前なのではなく、朝の食事の前にするために、本来は、決して簡単でもなんでもないことが、さっさとできてしまい、いかにも簡単そうに見える。知らない人間が、それを朝飯前と呼んだというのではあるまいか。どんなことでも、朝飯前にすれば、さっさと片付く。朝の頭はそれだけ能率が

 

それに対して、自分の着想でなくてもよい。おもしろいと思って注意して集めた知識、考えがいくつかあるとする。これをそのままノートに眠らせておくならば、いくら多くのことを知っていても、その人はただのもの知りでしかない。 〝知のエディターシップ〟、言いかえると、頭の中のカクテルを作るには、自分自身がどれくらい独創的であるかはさして問題ではない。もっている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となるのである。  方々へ書いたものを集めて本にし、短篇小説をまとめて短篇集をつくりあげることはごく普通に行なわれているのに、既存の知識を編集によって、新しい、それまでとはまったく違った価値のあるものにする〝知の

が技法としても、充分自覚されていないのは不思議である。  

 

中立的に機能する。  第二次的創造というのは、触媒的創造のことになる。

 

一般に、ものを考えるにも、この触媒説はたいへん参考になる。新しいことを考えるのに、すべて自分の頭から絞り出せると思ってはならない。無から有を生ずるような思考などめったにおこるものではない。すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが

 

 

235.孤独のチカラ 齋藤孝

孤独によってしか効率や生産性を高められないのが勉強や読書といった行為である。

そのつかの間の孤独にも耐えられないと、テレビやラジオ、好きな音楽などを流しっぱなしにして、ながらで気を紛らわすことになり、得るものは少ない。

 

できればエネルギーのある若い時期にこそ、ぐっと溜め込んでいく孤独を知ってほしい。

 

自分を徹底的に磨く、勝負をかける。その時期に、自ら進んで孤独になる。これは、孤独の技法をいうべきものだ。

群れて成功した人はいない。単独者になれるかどうかが問われる。

人は孤独なときこそチカラを伸ばすことができる。

人としての強さは、単独者のなれるかどうかに尽きる。

いい仕事をする、人生を豊かにする。そうした手応えがほしければ、いわゆる「つき合い」を断ることを、人生のある時期に自ら設定することも必要。


本以外の娯楽が極端に増えている現代、本を読むということを技にできていない人が実に多い。読書をしている人としていない人とでは、十年、二十年経ったときに人間としての魅力が全く違ってきてしまう。

 

小学生は家族の中で暖かく包まれている存在だ。さすがに孤独のチカラを磨くには早すぎる。本は読むべきだが、毎日を楽しくお祭りのように過ごす時期だ。

 

人間にとってスピードは一種の快楽だ。

フッサールが説いた「意識は常に何かについての意識である」という志向性、ジェームズが強調した「意識の流れ」などを見ても、意識というものは、いつも向かう方向を求めている。意識が流れ込んでいく先に、常に自己とともに体があるという実感がほしい。

体というものを一つの持ち運び可能な寺院としてみなすことをすすめたい。

もし床の間に置かれたツボのように立つことができるならば、それだけで私達は自分が体と分かちがたく結びついている感覚を覚えて、この世界を祝福できる。

現代日本に蔓延する、ただひたすら孤独を排除しようとする傾向を私はとても残念。

キルケゴールは「孤独とは生命の要求である」と書いた。


実力を飛躍的に伸ばすには、潜る期間を3ヶ月なり半年なり、ある程度まとめて取ることだ。その間に何をするかというのを決めておき、一気にやってしまうといい。そんなふうに集中してことをなす。すると、他の人と成長が違うはずだ。

自分は息をしている存在に過ぎないと思うところまで行けば悟りが開ける。これはゼンの考え方にとても近い。そもそも禅とは典型的な孤独の技法なのである。

愛の孤独こそ人間の感情の豊かさをじっくり味わう時間である。友人から見放されたときは仕事をするのもいい。恋人に見放されたときは?感情の世界に浸る。浸り切る。コレが精神を耕す王道だ。

私にとって孤独のイメージは、自分が偉人たちと地下水脈でつながっている喜びでもある。ゲーテが堀り、太宰治が掘った、壮大な文化や芸術の水脈。この地下水脈は流れがとてもいい。

しかし、一人でいるときにずっと音楽を聞いてメールをしてばかりいるのでは、精神を堀り下げていくことは不可能だ。日々、「ま、いいか」と横にスライドして逃げていくようなもので、平行移動では永久に地下水脈にはたどり着けないのである。

自分は「単独者か」といまでも私は自問自答する。それに「イエス」と答えられる限り、孤独は恐れるものではない。自分を磨き、豊かにしてくれるかけがえのないひとときを与えてくれるからだ。

 

 

234.これからを稼ごう 仮想通貨と未来のお金の話 堀江貴文 大石哲之

先見の明を自慢したいわけではない。お金の本質を正しく理解して、真っ当にビジネスをしていれば、自ずと確立できる普通の考え方だ。なのに当時から、正しく理解している人があまりにも少なかったのは、不思議でならなかった。

 

ダークウェブとは IPアドレスを匿名化する技術Torなどにより構成されたインターネットで公開されているウェブのことをダークウェブという。接続には通常のブラウザではなく、特別のソフトウェアを使用する必要がある。Googleなどの検索エンジンはこれらの情報を表示しない(表示できない)。誤解を恐れずに言うと「裏インターネット」。麻薬や武器の売買を行うサイトがあるなど、何でもありの状況になっている。

 

2年ほど前から僕はよく話しているが、 今の世の中は完全な「金余り」が起きて

 

リーマンショック以降、各国中央銀行通貨供給量(マネタリーベース※)を増やし続けている。その目的は、法定通貨の価値を下げて相対的に物価を上昇させること、つまりインフレによる経済成長

 

しかし、個人の体感として、金余りを感じている人は限られるだろう。  財務省発表の2016年度の企業の内部留保は約406兆円と過去最高を記録した。大増刷したお金は、個人ではなく、企業の内部留保に回って

 

もちろん、なかには問題になるような投資先もあるだろうが、世の中には、とにかく儲かりそうな金融商品や、ビッグマネーをある程度、放り込める分野がないかを探している人々が常に存在している。ましてや、この金余りの世の中

 

彼らの目に、ビットコインやその他のアルトコインなど、投機的な側面

 

持っていて、資金を吸収しやすい仮想通貨のシステムはどう映ったのか。  言わずもがなだ。仮想通貨がここまで暴騰したのは、彼らが巨額の資金を投入したということに他なら

 

日本銀行が発行する1万円札は、日本という国が、その価値を保証しているという信用があるからニーズがある。金塊だって、ゴールドに価値があると信用している人が多いから、その値打ちが生まれる。  仮想通貨が持つ信用力とは何か。それは数学的なテクノロジーによる

 

だ。  そして、このテクノロジーによる保証は、意外と強力だった。  僕にとって、テクノロジーは国家や誰だか知らない偉い人なんかより、よっぽど信用できるものだ。「黒田バズーカ※」なんて呼ばれている日銀総裁の一言で、円相場が大幅な値動きをするように、法定通貨だって不安定で、けっこういいかげんなものだったりする。  誰しもがグローバル経済を肌で感じることができる今の時代、一国の法定通貨の概念だけに縛られて生きていくことは、得策ではない。  お金は大切なものだ。だが、特別視する必要はない。

 

僕にとって、テクノロジーは国家や誰だか知らない偉い人なんかより、よっぽど信用できるものだ。「黒田バズーカ※」なんて呼ばれている日銀総裁の一言で、円相場が大幅な値動きをするように、法定通貨だって不安定で、けっこういいかげんなものだったりする。  誰しもがグローバル経済を肌で感じることができる今の時代、一国の法定通貨の概念だけに縛られて生きていくことは、得策ではない。  お金は大切なものだ。だが、特別視する必要はない。

 

ほかには、NEM(XEM)、イーサリアム(ETH)、あとは自分がアドバイザーを務めている取引所Zaifトークンを持っている。いずれもごく少額だし、積極投資をしているわけではない。また、僕が持っているからといって、そのコインに将来性があるとは思わないでほしい。

 

多くの人は、最大の中央集権というと国を思い浮かべると思う。  特に日本人は、国家に対して根拠なく絶大な信頼を寄せているが、世の中には国を信じていない人たちも大勢いる。  以前、僕はインドネシアの奥地の村を訪れたのだが、そこで村人に「あなたはインドネシア人ですか?」と尋ねたら、「何それ?」と真顔で聞かれたことがある。そもそも国という概念自体がない人だっているの

 

日本だろうとアメリカだろうと、 国なんていうものは、案外信じられないものだ。 僕が言うと、ちょっと説得力を持って聞いてもらえると思うのだが。  

 

僕たちは日本円という、世界的に見ても、非常に強力とされる通貨のもとに暮らしている。 国の借金はものすごい額になっているが、幸いにして政情は安定しているし、軍事クーデターが起きるリスクもない。今から1年後、いきなり日本銀行券が紙くずになる可能性は限りなく低いだろう。  だが、世界を少し見渡してみれば、そんな国は珍しい部類に入る。  自国通貨を持っていても米ドルやユーロの方が価値を持つ国は数え切れ

 

POINT カウンターパーティーリスク 金融用語としては、デリバティブ契約が相手の倒産などにより債務不履行になることをいう。もう少し語義を広げて「相手によるリスク」という形で使うことが多い。円・ドル・銀行預金などは、倒産や国家破産など、自分の責任でない事柄でお金を失うリスクがある(カウンターパーティーリスクあり)。カウンターパーティーリスクがないものは現物資産(ゴールドや、絵画)であり、ビットコインもそれに含まれると考えられて

 

大きい。  歴史的にも自国の通貨を信用していない中国人は、資産を安心して持てる方法を常に探している。中国では土地の所有権も政府のものだ。一般の人が購入できるのは、建物とその土地を 70 年間使用できる権利だけ。日本でいえば借地権しか購入できない。だから中国人が日本の土地に投資をするのは、合理的な行動

 

ノード P2Pネットワークを構成するコンピュータのことをノードという。一般の利用者から見るといわゆるサーバのようなものだが、サーバという用語はクライアント=サーバシステムであることを指すため、P2Pの場合はノードという言葉で使い分けをしている。

 

本来的に自由競争であり、既得権益層が存在しなかったインターネットの世界は、気がつけばどの業界よりも、寡占化が進んでい

 

確かにICOは未整備の荒れ地だ。大半は詐欺だろうし、投資家の

 

も、既存の株式市場以上に投機的だ。  でも、僕はこの荒れ地に、 世界を一変させる新たなゲームチェンジャーが誕生する可能性を見て

 

ビットコインは終わったが、ブロックチェーン技術は有用だ」  最近、特にエスタブリッシュメント層からよく聞かれる言説だが、この裏付けになっている存在のひとつが、リップルだといえるだろ

 

だが、正直なところ、僕は今ひとつピンときていない。はっきり言えば、その存在意義がわからない。  だって、海外送金も、ビットコインで済むんじゃないだろうか。  ビットコインイーサリアムは、対法定通貨レートでのボラティリティは高いものの、全世界で同じ価値を持つに至った。  もう少し使い勝手の良いウォレットや付随するサービスが生まれれば、一般的にも通用するようになるのは時間の問題

 

リップルがここまでの人気を博した背景には、 権威に対しての無自覚な「安心感」というものがあると思う。 「大企業が認めている仮想通貨」という安心感もそうだし、リップルが既存の国家や通貨、銀行と共存する存在、つまり、通貨発行や金融システムという、国の既得権益を脅かさない存在というのも、安心感に繫

 

銀行が仮想通貨を発行する理由とは何だろう。おそらく「とりあえずやっておきますか……」みたいな話だ。  仮想通貨が話題になっている。お金のデジタル化の流れは止められそうもない。やらないと文句言われそうだ。でも、失敗はしたくない──。担当の銀行員の心境はこんなところだと

 

テザー問題とは、預け入れられた米ドル以上のUSDTが発行されているのではないかというもの。CFTC(米商品先物取引委員会)から調査を受けるなど、不安が広がっている。過去にはビットコインの価格が下がると、USDTが突如大量に発行されてビットコインを買い支える動きが観測されている。もしUSDTが水増し発行されたものだとすれば、ビットコインの価格は実力以上に支えられていたということになる。

 

仮想通貨やブロックチェーン関連のビジネスは、日本がフィンテックで世界に勝てる正真正銘のラストチャンスだ。 テクノロジーと金融の融合において、日本は致命的に後れを取っている。

 

日本でキャッシュレス化が遅れた理由は,飲食店の責任もあると思う。  現金支払いのみの飲食店は、クレジット決済だと数%のカード会社への手数料が発生するのを理由として挙げるが、現金を扱う管理コストを考えてみた方がいい。売上とレジのお金が合わず、レジがなかなか締められないなんていうことは日常茶飯事だ。  かたくなに現金払いにこだわる理由なんて、僕には経営者の脱税目的ぐらいしか思いつかない。

 

法律とは不思議なものだ。国や為政者が徹底して規制を行っても、必ずどこかに抜け道、バグのようなものが生じる。  ビットコインやFXは、その運営者たちが法的に刺されるリスクがないかを精緻に見極めながら、慎重かつ大胆に突破を試みてきた結果だと

 

取引所などの仲介機関を経ず、直接相手とコインの交換取引を行うことができるプロトコルをアトミックスワップと呼ぶ。例えばBTCとLTCを交換するなどの取引を行うことができる。普通であれば、どちらかが先にコインを送り、もう一方を送り返してもらうといった方法が必要だが、それだと相手に持ち逃げされてしまう。アトミックスワップでは暗号の仕掛けにより、相手の持ち逃げを不可能にしつつ相対で交換が可能となる。

 

マクロの動きとして、僕らは技術革新に抗えないということを理解しているはずだ。便利な携帯電話ができれば、最初は「こんなもの!」と、抵抗があっても、いずれみんな使い始める。   テクノロジーは常に優越するのだ。 テクノロジーの持つ力をもってすれば、国家の通貨発行権ぐらいは、当然将来的にはなきものになるだろ

 

何度でも繰り返そう。規制は決して技術に対抗でき

守る側の方

遅い。  だから、僕は新しい方に張るの

 

トラブルで裁判件数が急増したことを憂慮したのが、〝大岡裁き〟で知られる大岡越前守忠相※ だった。治安維持の観点からも、米価を安定させないといけない。さて、そのためにはどうするべきか。  彼が慧眼の持ち主だったといえるのは、 価格の安定のためには市場の流動性が何よりも重要だという、マーケットの仕組みをよくわかっていた点

 

仮想通貨も、8年ほど前に先進性に気づいた人たちが参入して、今は国家予算クラスの巨大な経済圏を回しているのだ。規制に潰されないで本当によかった。それに前にも述べているように、発生した以上は、もう規制の

ないので、仮想通貨市場はこのまま成長していくだろ

 

テクノロジーの進化により、C2Cで人々が充分暮らせるようになってきた。これからは徴税というものが、根本的に難しい時代が到来すると予測して

 

しかしこうしたサービスもまた、ブロックチェーンの技術と同様だ。世に現れてしまったものは、もうどうにもならない。利用する人たちの成熟スピードに合わせて、法規制にとらわれることなく、態様を自在に変え、進化していく。

 

ペイジ氏は「もう必死に働かなくていい」「働かなくても富はある」ことを、世界の人々のほとんどが認識できていないのに不満のようだった。  何かやることがないと、何かを生産し続けていないと「不幸になる」と思い込んでいる。仕事をしていないと、満足できなくっているのが、現代人だ。さらには、働いていないと金は得られないという常識にとらわれている。

 

テクノロジーは人間から何かを奪ったりはしない。金も仕事も、奪うのは人間の思考だ。  お金はもうすでに大量に有り余っていて、人が働く必要は急速に消えつつある。テクノロジーは、その真実を明らかにしているの

 

重ねて言うが、お金の価値は下がっている。今後も下がっていくだろう。

 

そんな社会で、豊かになれる人は、どんな人だろうか?  答えはひとつ。 お金との交換ができない独自の価値基準 を持っている人だ。 お

 

その意味で僕は、「社会にとって役に立たないこと」を、どんどんやっ

方がいいと思う。社会にとって役立つことは、機械に置き換えられるからだ。  今、役に立っている人は、仕事を失うという皮肉な現象が続出する。でもそれはネガティブな変化ではない。「貢献」「お役立ち」の概念が、刷新されようとしているの

 

役に立たないことをしている人に価値が生まれ、仕事が集中する。ダイナミックな価値のパラダイムシフトが起きている。この変化を、受け入れてほしい。  例えば元陸上選手のウサイン・ボルトは、人類最速のスプリンターだ。しかし彼のしていることが、社会に役立っているかというと疑問だろう。100メートルの距離を、世界一速く走れるだけのジャマイカ人だ。労働価値

 

けれど、彼がフィールドを雷光のように駆け抜ける姿には、何億人もの人々が感動した。そして彼と、彼の周辺に、巨大な資本投資がなされた。  足の速さで人類1位になる。本質的には役に立たない能力で、ボルトは巨万の価値を生み出したの

 

ベストセラーとなった『サピエンス全史』には、「人間はかつて穀物の家畜だった」といった記述があるが、実に言い得て妙だ。  狩猟採集生活をしていた頃、人々は喜び勇んで、狩りに取り組んでいたはずだ。しかし農耕生活を始めたことで、生きるために、嫌でも畑を耕さなければならなくなった。

 

人々は集団=家族で暮らし、土地に根を張って生きていく選択を強いられた。その果てに、住む地域を移動したり、仕事を選ぶ自由を失ってしまった。  

 

人はもっともっと、楽しく仕事して、生きられるはずだ。  僕自身は、仕事中は笑ったりふざけたりするタイプではないが「楽しいこと、面白いことをやろう」という意識は、常に持っている。  仕事のプロセスで壁に行き当たり、つまらないトラブルを持ち込まれ、

 

することもある。けれど壁を乗り越えたり、トラブルに対処する作業までを楽しんでいる。 自分で選んだ仕事だから、誰にも責任転嫁し

 

大切なのは「他人の時間」に生かされるのではなく、「自分の時間」を生きる意識

 

本文内でも述べたように、中央集権型の社会システムは、耐用年数が尽きかけている。運営方法自体、今の時代に無駄が多すぎるのではないか。教育も、インフラも、徴税も、全部そうだ。  テクノロジーがあれば、ほとんどは最適化できる。  もう、これまでのシステムはいらないのだ。  システムを移行していく段階でも、いろいろな軋轢やトラブルはあるだろう。それらをいかに解決していくのかが、僕たち人間の知恵の使いどころ

 

お金がなくて不安だとか、資産を少しでも残したいとか、そんな小さな悩みにとらわれていると、〝これから〟を見失うだろう。  社会実験を、楽しもう。  テクノロジーを信じよう。  未来は決して悪くない。バラ色とまでは言わないけれど、ディストピアでもない。すべては、あなたの理解と気持ち次第 

 

233.パソコン1代で年収1000万円稼ぐ人の法則 平賀正彦

正しい姿勢でいると自然と腹に力が入ります。そして、余計な力を使わずとも身体が本来持つ能力を発揮できます。身体がブレず安定して、それが精神の安定にも繋がります。

 

アメリカの研究論文には、大卒男性の場合、左利きは右利きに比べて給料が26%高いというデータがあったり、東大生の20%は左利き(全人口に対する左利きの割合は10%程度なので、その2倍)だと言われています。

 

15分の瞑想は2時間の睡眠に匹敵する。

 

日頃付き合う人たちの平均年収が、自分の年収になる。

232.アド・アストラ スキピオとハンニバル

1.

強いってのはいい、強者は弱者から何もかも奪い取れる。金も土地も女も、誇りでさえも。だけどたった一つ手に入らないものがある。それは弱者に残された最後の武器。持たざる者の狂気だ。

 

3.

勝利の女神は慎重なものを愛す」

ローマの格言

「運命は臆病者の味方をしない」

ギリシャの格言

 

4.

所詮民衆なんてものは馬鹿の集まりでしかない。

 

8.

頂を前に歩みを止め引き返すことは進むことより辛く苦しい。それを臆病と罵るものは決して天を掴むことなどできん。

 

絶望は臆病者を猛者に変えます。

 

9.

群衆とは愚かしいものだ・・・昨日までの恐怖を忘れ今日は馬鹿騒ぎ・・・戦争は未だおわってはいないのだぞ・・・ 
ファビウス