226.プリニウス ヤマザキマリ とり・みき

3.動物というのは生まれた時から自分自身の性質に自覚を持っているものだ。あるものは走力を、あるものは泳力を、そしてあるものは飛翔力を。だが人間だけが教育に頼らなくては何一つ知ることもできない。

だからこそ私は他の動物に対して恥ずかしくないように生きようと決めたのだ。人間の特性である知性をできる限り磨こうと。自然にも他の動物と同様に受け入れてもらうためにな。

 

猛々しいライオンですら彼ら同士で無意味に闘ったりはしない。しかし人間は大抵の禍は仲間同士で引き起こされる。

 

人間ほど悲観したり辛さを感じている生き物も他にはいない。

 

象は人間の女性にまで恋心を抱く。自分よりも弱い動物に対しては温和で害を与えるようなことなど決してない。
なのに人間はただですら同種族感で殺し合い自分たちより弱い生き物も殺す。いっそ人間の奴隷なんかよりも象のほうがよほど信頼ができる。

4.バカバカしい。精神の腐った生き物たちの腐った世界。虚栄心、自己欺瞞、富と権力への欲望。それらがどれだけ多くの人々を破滅に招き、責め苦の中に落としてきたというのだ。

懲りずにもう何世紀も何十世紀も同じ過ちを繰り返し続けているのはどうかしている。

 

6.人間が寄り集まった場所を離れると地球はこんなに面白い。地球は興味深い事象や自然現象に満ち満ちています。書物からは得られない驚きと不思議で溢れている。

 

人間のことにしか興味がない人間はろくでもないものにしかならん。

 

7.この世で一番おせっかいな生き物と言ったら人間だよ。

225.具体と抽象 細谷 功

抽象化とは、このような「デフォルメ」です。特徴あるものを大げさに表現する代わりに、その他の特徴は一切無視してしまう大胆さが必要といえます。

 

抽象化とは複数の事象の間に法則を見つける「パターン認識」の能力ともいえます。身の回りのものにパターンを見つけ、それに名前をつけ、法則として複数場面に活用する。これが抽象化による人間の知能のすごさといってよいでしょう。

 

第2章で、抽象化の代表例として「デフォルメされた似顔絵」をあげましたが、いわば図解は、「世の中の事象の関係性」の「とぎすまされた似顔絵」といってもいいでしょう。目や鼻や口は「同じ形」で表現され、それらの「相対的関係性」(大小関係や位置関係)のみを表現したものが図解です。

 

徹底的に抽象度を高めた学問の代表が数学と哲学です。ざっくり言ってしまえば、抽象化の対象を論理の世界だけで説明するもの、つまり純粋に理論的なものが数学です。これに対して、対象が人間の思考や感情など、理論や論理だけでは説明がつかないものが哲学ということになるでしょう。

 

ただし、「頭の使いどころ」は「高度な抽象概念の操作」という点で一致していますから、同時に数学者であり哲学者として一流の仕事を残している人(デカルトパスカルライプニッツなど)が多いのも十分うなずけます。

 

一般に斬新な製品や、革新的な仕組みを作り上げるためには「多数の意見を聞く」ことは適しません。多数の意見はそれぞれの具体レベルに引きずられて、どうしても「いまの延長」の議論しかできなくするからです。逆に、「いまあるものを改善していく」場面では、なるべく多数の人から多数の意見を吸い上げることが必要になります。

 

抽象度が上がれば上がるほど、本質的な課題に迫っていくので、そう簡単に変化はしないものです。「本質をとらえる」という言い方がありますが、これもいかに表面事象から抽象度の高いメッセージを導き出すかということを示しています。

 

人に仕事を頼んだり頼まれたりするときにも、その人の好む「自由度の大きさ」を考慮する必要があります。

 

「こんな感じで適当にやっといて」と言われて、「いい加減な『丸投げ』だ」と不快に思う人は、具体レベルのみの世界に生きる「低い自由度を好む人」です。こういうタイプの人に、自由度の高い仕事の依頼をしたあとに、「 たとえば こんな形で」と具体的なイメージの例を伝えてしまうと、それを「たとえば」にならず、文字どおり「そのまま」やってしまいます。「たとえば」によって抽象度を下げて上位の概念を伝えようとしている意図が、まったく伝わらないからです。

 

逆に、自由度の高い依頼をチャンスととらえ、「好きなようにやっていいんですね?」とやる気になる人が、「具体 抽象」の往復の世界に生きる「高い自由度を好む人」です。

 

まさに本書の「ピラミッド」の形状が示すとおり、抽象の世界は極めれば極めるほど結論はシンプルになっていきます。

 

「人間は考える 葦 である」の言葉を残した数学者であり哲学者であったパスカルは、友人に出した手紙の最後に、「今日は時間がなかったために、このように長い手紙になってしまったことをお許しください」と書きました。これは「具体の世界のみ」に生きる人には理解できない言葉ではないでしょうか。どこまで「単純化」することができるか、これが抽象の世界のすべてです。

 

複雑な事象を徹底的にシンプルに表現することが「美」であるという点が、具体の世界でいう、たとえば「自然が織りなす複雑な景色の美しさ」とは決定的に異なるポイントでしょう。

 

ネット上の主張でも「◯◯は××だ」と「言い切る」のは、そこで「抽象レベルの方向性」を示しているだけで、「(具体レベルの)すべてがそうだ」と言っているわけではありません。ところが具体レベルのみでとらえる人は、それに対する例外事項をあげはじめて「反論」します。これは、まったくレベルがかみ合っていない議論といえます(次の図)。

 

斬新に見えるアイデアも、ほとんどは既存のアイデアの組み合わせであるとよく言われますが、アナロジーとはいわば「遠くからアイデアを借りてくる」ための手法といえます。

 

アナロジーとは、「抽象レベルのまね」です。具体レベルのまねは単なるパクリでも、抽象レベルでまねすれば「斬新なアイデア」となります。ここで重要になるのが、第5章で述べた「関係性」や「構造」の共通性に着目することです。

 

特許で守れるのは、抽象度が低い、直接的に類似性のあるもののみです。逆に抽象度が高いもの(関係性や構造)であれば、合法的に「盗み放題」です。大抵の人はそれが「盗み」であることにすら気づきません(次の図)。

 

抽象化して話せる人は、「要するに何なのか?」をまとめて話すことができます。膨大な情報を目にしても、つねにそれらの個別事象の間から「構造」を抽出し、なんらかの「メッセージ」を読み取ろうとすることを考えるからです。

 

ルールや理論、法則は、大抵の場合は具体的に起こっている事象の「後追い」の知識だったはずです。ところが、一度固定化された抽象度の高い知識(ルールや法則等)は固定観念となって人間の前に立ちはだかり、むしろそれに合わない現実のほうが間違いで、後付けだったはずの理論やルールに現実を合わせようとするのは完全な本末転倒といえます(前の図)。

 

美術を考えてもわかるでしょう。写実的な作品はわかりやすいので、「理解されない」ことはあまりありませんが、抽象画はそうはいきません。他の芸術においても、「抽象的なメッセージ」を持った作品は、往々にして「賛否両論」になります。この場合、「否」の大部分の人は「理解できない」というのが、その作品を否定する理由といえます。

 

人間はどんなに具体的なことしか見ていないように見える人でも、動物からしたら「めちゃくちゃ抽象的」な言葉を操っています。これが「マジックミラー」の怖いところで、自分がその世界に足を踏み入れてしまえば、そのレベルの抽象概念が自然で不可欠なものになります。ところが前述したとおり、抽象と具体は相対的なものなので、さらに上の抽象の世界があるはずです。その、自分には理解できないレベルの抽象を前にすると、私たちは「わからない」と批判の対象にしてしまうのです。

 

「抽象的でわからない」と言うのは、「小金持ちが大金持ちを笑う」ようなものです。人間は一人残らず抽象概念の 塊 なのですが、自分の理解レベルより上位の抽象度で語られると、突然不快になるという性質を持っているようです。

 

高い抽象レベルの視点を持っている人ほど、一見異なる事象が「同じ」に見え、抽象度が低い視点の人ほどすべてが「違って」見えます。したがって抽象化して考える

 

多種多様な経験を積むことはもちろんですが、本を読んだり映画を見たり、芸術を鑑賞することによって実際には経験したことのないことを疑似経験することで、視野を広げることができます。そうすれば、「一見異なるものの共通点を探す」ことができるようになり、やがてそれは無意識の癖のようになっていきます。

 

具体レベルでだけ数学をとらえれば「直接何の役にも立たない」ように見えますが、抽象レベルで見れば数学の「考え方」はどんな職業の人にも毎日必ず役に立つはずなのです。

 

国語も同様です。日常生活で言語として使うだけなら、「日常英会話」と同様、単語と慣用表現などの「日常日本語会話」だけ学べばよいのです。それをわざわざ膨大な時間をかけて、難解な長文を要約したり、自分の考えをまとめたりする練習をするのは、抽象と具体の往復運動という頭の体操のためなのです。そこが「国語」という教科が、単に「英語」と同列の「日本語」ではない決定的な違いといえます。

 

「大学における『一般教養』の教育が役に立つのか?」という議論も同様です。具体レベルで見れば、「哲学」や「古典」を学んでも「実践的でない」のは明白です。一般教養というのは「一般」教養というぐらいで一般性や抽象度の高い内容であり、これをさまざまな形で「具体化」できるかどうかは、抽象概念をどれだけ理解し、操れるかにかかっています。

 

きっと動物の親子は「学校教育」に血道をあげる人間たちを見てこう思っていることでしょう。 「教科書なんか読んでいる間に、エサを 捕る実践訓練をすればいいのに」と。

 

 

224.一瞬で自己肯定を上げる瞑想法 綿本 彰

今この瞬間 ないもの に意識が向かうと、心の中に不足感が芽生え、何となく苦しい気持ちになってきます。逆に、今この瞬間 あるもの に意識を向け、それを受け入れることができれば、不思議なくらい心が満たされ、穏やかになってき

 

瞑想とは、そういった過去や未来の煩わしいことを心の中から追い出し、何かを貪ることをやめ、今この瞬間、目の前にある感覚をただ受け取ることです。  私たちの心は、今この瞬間 ないもの に向かうと、何かが不足しているという感覚に陥って落ち着かなくなり、逆に あるもの を意識すると穏やかで満たされやすくなります。これが瞑想のエッセンスです。

 

瞑想とは、そういった過去や未来の煩わしいことを心の中から追い出し、何かを貪ることをやめ、今この瞬間、目の前にある感覚をただ受け取ることです。  私たちの心は、今この瞬間 ないもの に向かうと、何かが不足しているという感覚に陥って落ち着かなくなり、逆に あるもの を意識すると穏やかで満たされやすくなります。これが瞑想のエッセンスです。

 

心と体が最高のパフォーマンスを発揮するのをただ見守っている境地がZONE。その精神状態こそが瞑想と呼ばれる状態なの

 

そういった境地に脳のコンディションを持っていくには、単純に集中しようと努力するのではなく、心を無にするための物事の捉え方、ありのままを受け入れるための考え方が不可欠になります。そしてそのプロセスを通して、ありのままの自分を肯定する力「自己肯定力」が育まれていくの

 

息を数える「 数息 法」や、妙薬(万能薬)のイメージを使った「 軟酥 の法」など、宗派や師によってはさまざまな瞑想テクニックを使うこともありますが、基本的にはただひたすら瞑想するだけ。目の前のものを、ありのまま観るだけ。それが禅の根幹にある教えです。

 

また、禅には立禅や動禅など、 日々の生活をすべて瞑想として捉え、ありのまま観るよう修行を行います。 そういった

 

つまり、どちらのタイプのヨガもそのゴールは瞑想にあって、 ヨガとは瞑想そのもの、あるいはそれを深めるための方法論である といえます。 Q  瞑想で宇宙とつながれるのですか?

 

まずは感覚的なお話をすると、 瞑想が深まって心が空っぽになったとき、私たちはあらゆるものとつながった感覚を得ます。 自分と自分以外のものとの境界線がなくなり、一切のしがらみから解放されて自由になった感覚です。

 

自分という感覚や認識を作り出しているのは脳の働きですから、当然それが止まると、自分という感覚がなくなります。自己感覚がなくなっても、私たちは何かを知覚することができるのですが、それが瞑想と呼ばれる状態です。    あとは、その感覚をどう表現するかの問題 で、心が空っぽになったという人もいれば、宇宙とつながったと表現する人もいるし、人は生まれたときから宇宙とつながっていて、その感覚を取り戻しただけと哲学的に語り出す人もいます。   私も学術的なお話をする際には、そういった

 

傷つきにくくなり、だから誰かを恨みにくくなり、他者肯定への芽も育みやすくなります。ありのままの自分を肯定することができれば、ありのままの他者を肯定しやすくなり、ひいてはありのままのすべてを肯定しやすくなるの

 

それは、 死ぬまで自分自身との付き合いが続くということです。そんな自分といい付き合いができるようになれば、どれほど生きるということが楽になるでしょうか。 そういった、生きる上でのあらゆるスタートラインになるのが、「ありのままの自分を認めてあげること」なのです。

 

例えば、悲しい出来事があって、それを大切な人に打ち明けたとします。ところが、その人は自分の悲しいという気持ちにまったく共感してくれず、逆に「そんなことくらいでクヨクヨすんなよ」と言われたら、どんな気持ちになりますか? それこそが悲しい出来事ですよね? 「つらかったね」「大変だったね」と、まず自分の気持ちを認めてほしいですよね。正しいとか間違いとかではなく、まず自分の味方でいてほしいですよね。  だからまず、 自分が自分の味方でいてあげることが大切です。

 

な気持ちでいる自分を、自分自身が受け止めてあげることが大切なの

 

私は、今、悲しい。それでいいじゃないですか。その悲しみを消そうとする前に、他でもない自分が自分の味方でいてあげましょう。誰かに気持ちを伝えたら楽になるように、その気持ちを理解してくれる人がいたら救われるように、自分が今どういう気持ちであるか、他でもない自分自身が気づいてあげ、肯定してあげましょう。不思議なくらい気持ちが楽になります。一瞬で自己肯定感が高まります。だからじっくりと時間を掛けて自分の気持ちを聞いてあげて、そして認めてあげましょ

 

東洋では、その身体感覚こそが、イライラやクヨクヨの正体ですよと教えているのです。試しに、 眉間を少しも緊張させることなく、喉や首や肩を完全にリラックスさせ、呼吸をゆったりしながらイライラしてみてください。  無理ですよね?

 

体をトータルにリラックスさせながら、イライラすることはできません。クヨクヨすることはできません。ネガティブ感情のみならず、感情や気分の正体は、身体的な変化、そしてその身体感覚そのものなのです。だから、 その変化や感覚を消し去れば、イライラやクヨクヨを継続できなくなるのです。

 

そしてできれば(ここが大事)、 怒りを引き起こしている原因の方ではなく、自分が怒っていること、あるいはその身体感覚の方に意識を向け、それを肯定するようにしましょう。  私は、今、本当に頭にきている。私は、今、怒っている。自分の怒りと向き合い、その気持ちを肯定し続けていると、怒りはトーンダウンし、さらに肯定を続けると跡形もなく消滅していくから本当に不思議です。そうなれば、落ち着いてそのパワーを建設的に使えるようになるのです。   怒りが湧き起こったら、その怒りを鎮めようとせず、まずしっかり認めること。 怒りの肯定。ぜひ日々の生活にお役立てください。 怒っている自分を、まず、認めてあげよう

 

ネガティブ感情に限らず、この皮膚の内側の世界には「肯定すると消えるもの」がたくさんあります。疲れもそのうちの一つです。

 

そして、もしそれが本当にできたなら、実に面白いことに、ほとんどの疲れは消えます。断言します。疲れを肯定すると一瞬で疲れは消えるのです。  逆にいうと、 多くの人は疲れに対してネガティブな印象を持っていて、そんな疲れを邪魔物扱いする

 

自分だけのわがままは通用しない。それが社会の法則です。だから私たちは、 社会生活を円滑に営むために、自分の気持ちや感情、欲求を抑圧することを覚えます。 覚えるといっても、無意識に呼吸を抑制することによって、本能的に自分を抑え始めるの

 

ヨガや瞑想のマスターたちが、呼吸を使って自分の心をコントロールするのと同じテクニックを使い、でもその制御の方向は正反対でネガティブ。つまり自分の心に抑制をかけるために呼吸を抑制し、育っていくの

 

それが「その人がそう感じたことを尊重する」こと

 

その人が、その作品に対して「面白くない」と感じたことを肯定するのです。言い換えると、自分との「感じ方の違い」を認めるのです。ここが大事です。   この「違い」を認める力こそが、他者を認める最大のカギとなり

 

正しいとか間違いとかではなく、今この瞬間、自分とは違う感性のその人が、今そういう状態でいるという事実を受け入れるのです。「なぜ受け入れなきゃいけないの?」とか、「受け入れたくない」とかではなく、 少なくとも受け入れることができたとき、他でもない私たち自身の気持ちがとても穏やかになります。そして当然のことながら、気持ちを受け止めてもらえた相手も穏やかでいられます。  その人は、今、そうで

 

このすてきな言葉を、いつでも心の中で唱えられるようにしておきましょう。

 

でも、 心の中で誰かを縛り付けることで、実際に縛り付けられるのは自分自身の心。 自分の心の自由を奪い、行動範囲を狭めてしまっているのです。なぜなら、その人のことが気になるあまり、自由に楽しいことを考えたり、気持ちを切り替えて目の前の業務に集中したりということが、できなくなっているわけです

 

その人が、そういう人であること、今そういう気持ちでいることを認めること。でも考えに迎合することではないということ。その人を許せたとき、結局は自分がそのことから解放される というお話をしてきまし

 

なのに私たちは、あの人はあんなに美しいのに、この人はこんなに早く仕事ができるのに、その人はそんなに友達が多いのにと、誰かと自分を比較して、勝手に劣等感に 苛まれ、自分の能力や役割に不満を持ち、自分にとってもチームにとってもストレスフルな状態を作り出してしまうのです。   ありのままの自分を肯定すること。それは、自分の個性をしっかりと見極め、自分の守備範囲をはっきりと悟り、そしてその役割をただまっとうしようとすること。

 

だから主役である必要はないと思うのです。狭い視野でもって自分の評価だけを考えず、より広い視野で桃太郎の劇が素晴らしいものになるよう、「木その一」は「木その一」をただまっとうする。 自分にはこれしかできない、でも自分にはこれはできる、というものをただまっとうすること。それが結果として、自分のハッピーにつながり、自分を含む全体のハッピーにつながっていくのだと思います。

 

「今自分がいる場所で、今持っているものを使って、できることをやりなさい」  これはアメリカの第二十六代大統領である、セオドア・ルーズベルトの名言です。今自分ができることをやれるという幸せ。担えるものがあるという喜び。 今自分が置かれた境遇を肯定し、その場所で自分ができることを尽くすということ。  ついつい私たちは、自分の持っていないものに意識を奪われ、持っている人をねたみ、持っていないことに自己嫌悪を抱きがちな生き物です。でも、そんな発想では幸せな気持ちで生きにくいし、何より桃太郎の劇が進まないのは残念過ぎます。社会(人が二人以上いる世界)が回らないの

 

今自分がどこにいるか確かめなさい。そこで自分に何ができて、何ができないかを見極めなさい。その上でできることをまっとうしなさい、と。  こんな私にできること。それがある喜びを感じ、それをただまっとうする。  その境地こそが、ありのままの自分を肯定することだと私は思っています。 広い視野

 

その答えはズバリ、楽しくはないけれどハッピーです。浮き沈みなく平坦ですが、すごくすごくハッピーです。なぜなら一切の不満、不愉快がないのです

 

多くの方は、特に不満はないけれど、どこか満たされないという感覚を持ったことがあると思いますが、 そういった「何かが足りない」という

 

た不足感さえもないわけです。 そんな境地を、私たちの日常的な感覚で表現するならば、好きな人に抱きついてもう他に何もいらないと感じるとき。あるいは、南国で心地良いそよ風と照りつける太陽の抱擁を受けながら喜びに浸っているような

 

一切の拒絶がなく、不満がなく、否定がないというのはそういう境地なのです。ドラッグに頼る必要も、長年欲しかったものを手に入れる必要もなく、不足感のない状態がずっと続く。少なくとも瞑想が深まった境地とはそういう状態です。序章の終わりのあたりで触れましたが、それが科学的にも証明され始めてい

 

ありのままを観ている人は、楽しくはないけれど、とてもハッピー。  ですから、ぜひ安心してその境地を、ともに目指していきましょう。

 

たちの心のベクトルは普段と180度逆に向かいます。  もらう方から、尽くす方へと逆転するのです。そしてそのときにこそ、最大限の能力が発揮されるということを、改めて痛感した経験でし

 

先を急いでばかりでは、今、目の前に広がっているせっかくの景色を見損ねてしまいます。 また、スマホの画面をスワイプさせながら、過ぎた景色ばかり振り返っていても、今、目の前にあるすてきな景色に気づくことはできません。  

 

その感情を引き起こしている対象の方ではなく、まず自分の気持ちに意識を向け、その味方でいてあげてください。それこそが自己肯定の第一歩なのです。  そして、 そこがはじめの一歩となってゆっくりと自己肯定感が育まれていき、ありのままを認めるのが上手になり、今、目の前にあるものに

 

 

223.はじめての家づくり 新築ローコスト住宅 大満足な家づくり

新築ローコスト住宅=本体工事費1000万円~2300万円の家

 

・スマートドア ヴェナート

・すまい給付金の申請

・外構費用を抑える

行政書士の費用が高い。

地鎮祭上棟式のご祝儀が高い。

・地盤改良に80万円。

・業者選びが大切

222.トップアスリートが実践 人生が変わる最高の呼吸法 パトリック・マキューン、桜田直美

起きているときも寝ているときも、慢性的に口呼吸をしている人は、疲労感、集中力や生産性の低下、不機嫌などの症状があるといわれている[5]。口呼吸は、質の高い生活にも、効果的なエクササイズにもつながらないということがよくわかるだろ

 

またカトリンは、先住民の子供は入植した白人の子供よりも、かなり病気が少ないということにも気がついた。彼は1882年に『口を閉じて長生きする(Shut Your Mouth and Save Your Life)』というそのものズバリのタイトルの本を出し、そのなかで次のように言っている。 「荒野に暮らす貧しい先住民の女性は、授乳が終わると、眠りに就こうと

 

赤ん坊の唇をつまんで口を閉じる。そのようすを見た私は思った。 『これはすばらしい育児だ! このような母親は、皇帝の乳母に雇うべきで

 

どうやら100年たっても、事情はそれほど変わっていないようだ。  むしろ、口呼吸がさらに広まったほどだ。ヨギ・ラマチャラカは同書の最後に、 「文明人がよくかかる病気の多くは、間違いなくこの口呼吸の習慣が原因になっている」  とまとめて

 

自分が鼻呼吸で眠っているかどうかは、朝起きたときの口の中の状態でわかる。自然な感じで湿っていたら、きちんと鼻呼吸をしている証拠だ。口呼吸で寝ていると、起きたときに口の中がカラカラに乾いて

 

有名な気功と太極拳のマスターであるクリス・ペイによると、中国に伝わる「気」という考え方の核は呼吸だという。 「一般的に、呼吸には3つのレベルがある。第1のレベルは、隣の人に聞こえないぐらい静かに呼吸すること。第2のレベルは、自分にも聞こえないぐらい静かに呼吸すること。そして第3のレベルは、自分でも 感じない ぐらい静かに呼吸することだ[1]」

 

走っているときに、呼吸を完全にコントロールできるかどうかが重要になる。  このとき口を閉じたまま走るのは苦しいと感じるなら、それはペースが速すぎるということ

 

このとおり、簡単なものだ。あるいは、市販されている炭酸水を飲むという方法もある。炭酸水を飲むなら、炭酸水でない普通の水も十分に飲むことを忘れないように。1日に必要な水分量を守るようにしよう。尿の色を見れば、水分が足りているかどうかがわかるだろう。色が濃すぎるなら水分が足りず、1日を通してずっと透明なら水分が多すぎるということ

 

だが、ときにはたったそれだけで、試合の結果が大きく変わることもある。スポーツの敗戦は、スキルや体力の不足よりも、自分自身の思考が原因であることが多い。たいていのアスリートは、実力が出せなかった試合をふり返り、「気持ちが入っていなかった」というような説明をする。「フロー」の状態になるために精神を鍛えるのは、肉体を鍛えるのと同じくらい大切なのだ。アスリートなら誰でも知っていることだが、たった1つの思考が、目の前のタスクを遂行する妨げになることも

 

現代に生きる私たちは、SNSを使って人と交流したり、ゲームをしたり、ネットサーフィンをしたりする時間が増えているために、集中力の持続時間が短くなっている。

 

ジャーナリストのニック・ビルトンとのインタビューで、子供はアップル製品が気に入っているのかと尋ねられると、ジョブズは「うちの子供は使ってないよ。わが家では子供に与えるテクノロジーを制限しているんだ[5]」と答えた。  ジョブズの同業者で、同じ考えの人はたくさんいる。自分の子供

 

ネットやゲームの時間を厳しく制限しているのだ。やりすぎの影響を知りすぎるほど知っているからだろう。ネットやゲームの中毒のような状態になると、現実の世界から切り離されてしまう。人との交流が少なくなり、頭ばかりが活発に動いている状態だ。  過活動の状態にある脳は、集中力も生産性も下がる傾向がある。それに加えて、ストレスが大きくなり、抑うつ状態になりやすい。そういったことは、すべて精神疾患の原因になり、全体的な生活の質を低下させる。  精神をコントロールし、落ち着かせる能力はとてつもなく重要

 

彼の成功の秘密は何か? ギグス本人によると、長く現役を続けられた理由は「セルフ・アウェアネス(自己を正しく認識すること)」だという。 「自分に集中することはとても大切だ。たとえ1日に1時間のストレッチと瞑想だけでもかまわない[6]」と、ギグス

 

どんなスポーツでも、直感的にプレーするには完全にゾーンに入る必要がある。正しい動きが自然に生まれ、競技と選手が1つになる状態

 

大きな変化や成功を実現した人は、みな直感的な知性にアクセスできた。何の訓練もせずにできる人もいれば、訓練が必要な人もいる。直感的な知性の持ち主として、まず思い浮かぶのはスティーヴ・ジョブズだろう。伝記を書いたウォルター・アイザックソンとのインタビューで、ジョブズはインド人の直感について話している。インドでは、合理的な分析に頼る欧米とは違い、直感で物事を決めることが多いという[

 

それは、瞑想の利点が科学的に証明されるようになってきたからだ。精神を落ち着かせると、ストレスが高まるような状況でも、不安がなくなり、集中力が増す。

 

戦争、ビジネス、スポーツ、または家庭生活でさえ、静かで、落ち着いて、集中力の高い精神は、いつでも優れた判断力を見せる。ストレスの高い状況で正しい行動を選びたいなら、100パーセントの集中力を維持することが不可欠だ。  最近まで、

 

自分の精神の動きを観察するのは、とてもポジティブな行為だ。いかに精神が活発に動いているか自覚できるだろう。この気づきが、じゃまになる思考の罠から解放され、集中力を向上させる第一歩に

 

一度立ち止まり、自分の思考をじっくり観察してみると、同じことばかり考えていることに気づくはずだ。ただし思考の内容を分析する必要はないし、批判する必要もない。そんなことをすると、じゃまな思考がさらに増えるだけだ。分析したところで、頭の中の声は絶対に静かにはならない。それに、そもそも考えすぎること自体が問題なのだ。

 

このぐるぐる回る思考から抜け出すには(つまり、自分の頭から抜け出して現実を生きるには)、頭の中の声を黙らせる方法を身につけなければなら

 

それには1日に何度か、自分の思考を意識的に観察するといい。これを習慣にすると、自分の精神という強力なツールをコントロールできるようになる。  頭の中がすっきり片づいているかどうかは、人生の質に大きな影響を与える。精神が落ち着いていれば夜ぐっすり眠れるし、気分の変動が少なく、健康になる。逆にじゃまな思考が頭の中を占領していると、せっかくの能力を発揮できなくなる。ネガティブ思考に頭の中を占領されているときは、自分の思考の観察が重要になる。

 

この簡単な質問をするだけで、もっと人生を自覚的に生きられるようになる。思考の観察を続けていれば、やがて無益な思考にエネルギーを浪費

ことも少なくなっていくだろう。頭の中がすっきりし、体がリラックスして、人生も生きやすくなる。そして自分の周りで起きていることに、もっと敏感に気づくように

精神を静かにしようと思っても、最初のうちは、いつもの思考が数秒

頭に入ってくるかもしれない。だが、それはそういうものだと思って受け入れよう。これまで何年もかけて築いてきた思考のクセなのだから、そう簡単には消えてくれないのが普通だ。教育、宗教、社会、人間関係、仕事など、これまでの人生で受けたあらゆる影響が重なり合い、あなたの思考ができあがっている。つまり、悪い習慣を身につけてしまったの

 

瞑想を始めたばかりのころは、余計なことを考えてしまってもイライラしてはいけない。それは仕方のないことなのだ。それでも多くの人が、すぐに効果が出ないという理由で瞑想を簡単にあきらめて

 

瞑想中は、自分の思考を自覚することがいちばんの目標だ。  自分の思考を観察し、「今、ここ」だけに意識を集中する。思考が浮かんでは消えることもあるだろう。それが人間というものだ。余計なことを考えていることに気づいたら、そのたびに呼吸に意識を集中するか、または体の内部に意識を集中

その3つとは、「呼吸を軽くすること」「体の内部と一体になること」「『今、ここ』に集中すること」だ。この3つのテクニックのおかげで、

の質が向上し、無駄な思考がなくなり、直感的な知性を活用できるようになったうえ、仕事で創造性を発揮できるようになっ

 

定期的に瞑想を行っていると、頭の中の声が減っていくのに気づくだろう。過去のことをくよくよ悩まず、未来の心配もしない。精神が明晰

目の前の瞬間に集中

瞑想を始めて 15 年の間で、私は何度か「高貴な静寂」を経験した。高貴な静寂とは、 10 日間、朝5時に起きて夜8時に寝るまで、ずっと瞑想していることだ。  その間は、車のキーも、パソコンも、電話もいっさい触らない。高貴な静寂の間は、舌も精神も静寂が求められる。つまり、話さず、考えないということだ。そして 10 日間が終わると、精神は静かで落ち着き、 剃刀 のように研ぎ澄まされて

 

瞑想の初心者なら、たとえ 10 分でもいいのでとにかくやってみよう。毎日 10 分、自分の呼吸に集中するのを習慣にすれば、人生が大きく変わるのを実感できる。2週間、つねに自分の呼吸を意識するようにしてみよ

 

ここで大切なのは、瞑想の時間を長くすることではなく、普段の生活で呼吸を意識する回数を増やすこと

 

自分の内部に意識を集中するには、思考の呪縛を離れ、人体という奇跡と一体になる必要がある。人間の体を動かしている知性は、頭の中にある知性よりもずっと優秀

 

人体には偉大な自然の知性が宿っていて、私たちの誰もがその知性にアクセスできる。ただ無駄な思考にじゃまをさせなければいいだけだ。終わりのない思考から抜け出し、体の内部に意識を向ければ、そこにある静けさと知性を活用することが

 

呼吸を意識し、体の内側に神経を集中すれば、目の前の瞬間と一体になることができる。

 

過去の出来事、心配事、「もし〜だったら」という思考にばかりとらわれていたら、現実の人生を生きることはできないだろう。 「今、ここ」に意識を集中する簡単な方法は、周りの環境と一体になることだ。

 

具体的には、五感を使って周りを感じ取る。見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、味、匂いだ。観念的に捉えるのではなく、五感で物理的に感じるのだ。

 

筋肉がすべてリラックスしたようすを具体的に知りたかったら、チーターが全力で走る姿を見るといい。足の筋肉から完全に力が抜け、まるで流れるように駆け抜けていく。  チーターがあんなに速く走れるのは、体にまったく力が入っていないから

 

次に走るときは、頭をいっさい使わず、体だけで走ってみよう。走っている間は、頭がなくなったつもりになるのだ。そして頭以外のすべての細胞を使って走る。体の動きと一体になり、走るという行為と一体になる。  動きながら筋肉を完全にリラックスさせると、ゾーンに入ることができる。  日常で思考にじゃまをされない瞬間が増えるほど、試合でゾーンに入るのが簡単になる。

 

太りすぎの人は、たいてい呼吸法も間違っている。たとえば、慢性的な呼吸過多、ため息が多い、口呼吸で胸呼吸といった状態になっている。一般的に、余分な体重が増えると呼吸が荒くなる。運動時だけでなく、安静時でもそうだ。

 

血液が酸性に傾く原因は、加工食品や体を酸化させる食品を食べたときだ。すると「呼吸量の増加」「膨満感」「倦怠感」「体重増加」などにつながる。

 

アルカリ性に傾き、pH値が7・45以上になる。  このことから、呼吸過多と体重増加の関係について、1つの仮説が考えられる。  アルカリ性に傾いた体を元に戻すために、酸化するような食品を体が求めるということだ。したがって、正しい呼吸と、正しい食生活を両立すれば、血液のpH値を正常に保つことができるだろう。

 

一般に体をアルカリ性にする食べ物が健康にいいといわれている。たとえば果物や野菜だ。逆に、動物性タンパク質、穀類、加工食品は、体を酸性にするのであまり食べてはいけない。とはいえ、何が体にいい食べ物かは、たいていの人は知っている。問題は、加工食品や甘いものの誘惑に勝てないということだ。

 

それは疑似高地トレーニングの効果だ。1957年以来、科学の世界では、標高の高い場所にいる動物は体重が軽くなるということが確認されている。人間でも、シェルパなど高地に暮らす民族は、低地の民族に比べてスリムになる傾向がある[1]。

 

ストレスがたまると過食になるというのは、よく知られた現象だ[7]。食べ物には、気を紛らわせたり、寂しさを慰めたり、怒りを静めたりする働きがある。

 

この他、魚や青野菜、ダークチョコレート、赤ワイン(1日にグラス1杯が適量)、ザクロジュース、緑茶、紅茶、オートミールにも、一酸化窒素を生成する働きがある。  逆に量を減らしたほうがいい食品は、肉と加工食品

 

から 50 年前は、生活も仕事も今とはまったく異なり、そして喘息患者もはるかに少なかった。そのころのライフスタイルをふり返ってみると、自然な食品を食べ、競争のストレスも少なく、家の中は風通しがよく、たいていの人が肉体労働に従事してい

 

・口から吸った空気はフィルター機能を持つ鼻を通っていないので、空気中の汚染物質や、細菌、バクテリアがそのまま肺に入る[ 12] ・吸った空気を適正な温度と湿度にするのは、口よりも鼻のほうがずっと得意だ[ 13] ・鼻の穴よりも口のほうが大きいので、口呼吸では呼吸量が多くなり、大量の二酸化炭素が吐き出される(二酸化炭素には気道を

 

・鼻呼吸と違い、口呼吸では一酸化窒素の利点を活用することができない[ 14](一酸化窒素には肺を守る働きが

 

社会人類学でも、人間の社会的ランクや役割は顔で決まると考えられている。つまり、美しさは表面だけの話ではないということだ。  アリストテレスも、「美はどんな言葉よりも効果のある推薦状だ」と言っている。  口呼吸の

 

 

221.アベノミクスによろしく 明石順平

①金融緩和→食べ物の量を増やすこと。 ②財政政策→食欲を増やして食べさせること。 ③規制緩和→体質改善して消化・吸収を良くする

 

こうやって、信用創造などを経て実際に市中に供給されたお金を「マネーストック」というんだ。会社や個人が持っている預金等を全部合わせたものだよ。信用創造によってお金が増えるから、マネーストックは当然マネタリーベースより断然

 

マネタリーベースがお金の 素 で、それを使って作り出されたのが

ストックということか。マネーストックが増えれば、みんなが持っているお金が増えるということだから、物価が上がるということ

 

なお、GDPというのは、非常に簡単に言うと、国内でみんなが儲けたお金を全部合計したもの

よ。これがその国の経済規模を示すんだ。そして、名目GDPというのは、物価の上昇を考慮しない、金額そのままの数値を

 

そうだね。このように、物価が上がれば景気が良くなるという考えを持つ経済学者を「リフレ派」っていうんだ。リフレっていうのは「リフレーション( 再膨張)」の略だよ。このリフレ派の代表的な学者として、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンという人がいる。金融緩和はこの人の考え方に基づいていると言ってもいい

 

①マネタリーベースとは日銀が供給する通貨のこと。より具体的に言うと、「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」の合計値。異次元の金融緩和はこのうち「日銀当座預金」のお金を増やしていく政策。日銀当座預金とは日銀が民間銀行のお金を預かる口座。日銀は民間銀行から国債を大量に買い取り、その代金を日銀当座預金に入れて

 

マネーストックとは世の中に出回っているお金の総量で、個人や企業、

保有している現金・預金を全部合計したもの。日銀当座預金を増やしても、それが貸し出しに回らなければ、このマネーストックは増えない。マネーストックが増えないと、物価も上がら

 

そのとおり。そして、クルーグマンの言うことに従えば、日本はスタグフレーション状態に陥っていたと言える。物価の伸びに賃金が全然追いついていないんだから。なお、スタグフレーションというのは、経済が停滞しているのに物価だけ上がってしまうという最悪の状態のことを

 

第3章まとめ ①2014年度の実質民間最終消費支出はリーマンショック時( 2008年度)を超える下落率を記録した。 ②戦後初の「2年度連続で実質民間最終消費支出が下がる」という現象が起きた。 ③2015年度の実質民間最終消費支出は、アベノミクス開始前( 2012

)を下回った( 消費がアベノミクス前より冷えた)。 ④2015年度の実質GDPは2013年度を下回った( 3年分の成長率が1年分の成長率を下回った)。 ⑤暦年実質GDPにおいて、同じ3年間で比較した場合、アベノミクス民主党政権時代の約3分の1しか実質GDPを伸ばすことができなかっ

 

第4章まとめ ①GDPが改定され、数字が大きくかさ上げされた。その要因は、「2008SNA対応によるもの」と「その他」。 ②「その他」のかさ上げ額は、アベノミクス以降だけが桁違いに突出している。アベノミクス以前の「その他」かさ上げ額は平均するとむしろ

 

であり、特に1990年代が大きくマイナスになっている。 ③改定によって、アベノミクス失敗を象徴する5つの現象のうち4つが消失。そして、2016年度の名目GDPは史上最高額を記録。 ④「2008SNA対応」を隠れ蓑 にして、それと全然関係ない「その他」の部分でかさ上げ額を調整し、歴史の書き換えに等しい改定がされた疑いが

 

マネタリーベースを前例のない異常なペースで増加させるものだ。つまり、円がとてもたくさん民間銀行に供給される。そして、たくさん供給されるほど円の価値は下がると予想される。だから、円安が進む。円安になると、外国の投資家からすれば、日本株がお買い得になる。例えば、1ドル 80 円だったら、8000円の株を1株買うのに100ドル必要だ。ところが、1ドル100円だったら、8000円の株を買うのに 80 ドルで済むことに

ドルも安くなったことになるね。そうか、円安というのは、外国

からすれば、株が安売りされているのと同じなんだ

そう。そもそも労働組合のない会社が多数を占めているから、物価を無理やり上げたところで、労働者からの賃上げの圧力がかかってくるわけじゃない。そういう観点からしても、リフレ派の「物価を上げれば賃金も勝手に上がる」という思い込みは大間違いだったと言うべきだろう。 太  

て、そもそも賃金が上がりにくい環境なんだね。 モ  うん。ちなみに、欧米だと労働組合は企業別ではなく、産業別に存在している。そして、物価が上がればそれに合わせて賃金も上がる「物価スライド制」が定められているところもある。日本はそういった仕組みがない。

うん。ちなみに、欧米だと労働組合は企業別ではなく、産業別に存在している。そして、物価が上がればそれに合わせて賃金も上がる「物価スライド制」が定められているところもある。日本はそういった仕組みがない。

 

第5章まとめ ①雇用改善は、生産年齢人口減少、医療・福祉分野の大幅な需要拡大、雇用構造の変化( 非正規雇用の増大)によるもので、民主党政権時代から続いていた傾向。アベノミクスは無関係。 ②株価の上昇は、日銀( 異次元の金融緩和、ETF爆買い)とGPIF( 年金資金

)によるもので、実体経済を反映していない。公的資金投入をやめると暴落は必至。 ③円安の恩恵を一番受けた製造業ですら、実質賃金は大きく下落。 ④賃上げ2%を達成できたのは、全労働者のわずか5%程度。労働組合組織率が低いことも影響して、そもそも日本は賃金が上がりにくい構造になって

これ、自民党の支持母体が経団連だから出てきた法案だよね。 モ  そう。自民党は経営者側からの視点しかないのだろうね。これが

なら違うよ。なぜなら民進党の支持母体は連合、つまり労働組合だからね。つまり、自民党民進党には、「使用者側政党」対「労働者側政党」という対立軸が

 

第6章まとめ ①残業代ゼロ法案とは「高度プロフェッショナル制度の導入」と「企画業務型裁量労働制の拡大」の2つからなるもの。 ②「高度プロフェッショナル制度」は、当初こそ年収1075万円以上の人を対象としている。しかし改正が繰り返され、最終的に経団連の目標である「年収400万円以上」が対象とされる可能性が高い。 ③「企画業務型裁量労働制」は、何か企画して業務を管理する人や、法人相手の営業マンが対象となる。対象者は、実労働時間に関係なく、

 

決められた時間働いたと「みなされる」。その結果、残業しても残業したことにならない。最大の問題点は、年収要件がないこと。例えば年収200万円の人も対象になってしまう。 ④残業代ゼロ法案は、労働者の健康を害するだけではなく、経済にも悪影響を与えるもの。経済発展のためにはむしろ

 

価格が下がると利回りが上がり、価格が上がると利回りが下がるのね。国債の価格と利回りは真逆に動くということか。どういう時に国債の価格が下がる

国の借金返済能力が危うくなった時だ。国債を買っても本当に償還されるかどうかわからなくなるので、人気がなくなり、価格が下がる。そして、その分利回りは上昇する。 太  ハイリスク・ハイリターンになるということか。

 

そう。国債の償還期限は最短6カ月から最長 40 年まであるけど、償還前に現金が必要になることはあるからね。そして、流通市場における新発 10 年国債の利回りが「長期金利」と呼ばれて、代表的な金利の指標になっている。この長期金利が、日銀が民間銀行にお金を貸す際の金利なんかにも影響する。長期金利が上下すれば、だいたいそれに合わせて貸出金利も上下する。

 

中央銀行国債の直接引き受けをさせてはいけない」というのは人類が学んだ貴重な教訓なんだ。だから、だいたいどこの国でも中央銀行は政府から独立していて、国債の直接引き受けをしないようにして

 

うん。ここで太平洋戦争後に日本がどうやって借金を返したか簡単に説明しよう。政府は一定額以上の預金を引き出せなくする預金封鎖を行った。 太  預金をあらかじめ引き出していた人は難を逃れたわけね。 モ  いや、違う。預金封鎖と一緒に新円切替を行った。預金した人だけが新円と切り替えることができ、旧円は無効になった。こうすると、預金せざるを得ない。新円をもらう方法は預金しかないからね。そうやって預金させたところで、持っている資産に合わせて最低 25%、最高 90%の財産税をかけて税金を取った。それを膨れ上がった借金の返済に充てたんだ。これは当時

 

していたインフレを抑えるためという大義名分で実行された。ただ、これでも返しきれたわけではない。結局その後も進行したインフレの方が大きく影響して、借金をどうにか返すことができ

 

日銀が金融緩和をやめる、つまり国債の買い入れをやめると、国債が暴落する可能性がある。 ②国債が暴落すると、円と株も暴落する可能性がある。 ③国債が暴落すると長期金利が上昇し、国の借金返済が余計に困難になる。

上記①~③の事態を避けるため、このまま金融緩和を続けたとしても、どこかで円の信用が失われ、円が暴落する可能性が

 

 

220.凡人を達人に変える77の心得 野村 克也

人が成長するには、まず基本を身につけることが必要だ。そして、基本を身につけるには、そのための正しい方法がある。これを省いて、器用にものごとを進める癖がつくと、その人の成長はどこかで必ず

 

つまり、世の中にあるほとんどの仕事の本質は、「単純作業の繰り返しの集積」なので

 

あなたが何らかの分野のプロフェッショナルを目指すなら、仕事の中にどんな単純作業が含まれているかを分析し、その一つひとつを底上げする

をすべきだろ

 

はじめのうちは単なるものまねでいい。目に見える部分をとことん真似してみる。次に、なぜ、その人がその方法を採用しているのかを深く考えてみる。そこで何らかの発見があるだろう。この発見を手がかりに、自分なりの創意工夫を重ねていくことで、最後に「自分だけの型」を手に入れることができるの

 

しかし、基本的には、ほめられるうちは半人前と考えた方がいい。  私がよく使う言葉に、「人間は、無視・賞賛・非難という段階で試されている」というものがある。   これは人材育成の原理原則である。

 

レベルがあまりにも低い状態の時は「無視」される。  ちょっと可能性が出てきた時は「賞賛」される。  組織を支える存在になった時は「非難」さ

 

ものごとというのは、自分自身も含め、常に変わっていくものである。自分の視点だけしか持っていない人は、その変化についていくことができない。相手や環境の変化に対する視点を持たない人は、たとえ、一時的に

 

を残せても、長期的に結果を残すことはできない。  つまり、「変化を見る目」が重要なの

 

本番に望む前は、このような結果を得たいとイメージしてもいい。しかし、いざ本番では、目の前のことだけに力を注ぐ。このように思考することで欲から解き放たれ、ある程度、プレッシャーを抑えることができるはず

 

外見で個性を強調する根本には、自己顕示欲がある。では、この自己顕示欲はどこから出てくるのか? それは自分に対する自信のなさからである。それを外見の個性で補おうというわけだ。  仕事をしっかりしている自信がある人はそんなことをする必要はない。誰から見ても清潔感のある髪型や服装をしていればいいだけ

 

打率3割のバッターと打率2割5分のバッターの差は、100打席でわずかヒット5本である。このわずかな差が、選手の評価を大きく左右する。  一流といわれる人と、二流、三流で終わってしまう人の差は、実はわずかしかないの

 

しかし、指導者である以上、コツを言葉で伝える最大限の努力をしていかなければならない。では、言葉による表現力を磨くにはどうしたらいい

 

それには、本をたくさん読むのが一番だ。  私は現役引退後、本格的に本を読みはじめた。その頃の私は、自分の頭の中にある野球理論をうまく言葉で表現できなかった。このことが原因で、評論活動で壁にぶつかり、円形脱毛症になるほど苦しん

 

そんな時、師とあおぐ評論家の草柳大蔵さんに『活学』(安岡正篤著)を読むことをすすめられ、本を読むことに目覚めた。これにより、もともと口ベタだった私が評論活動の場を広げられ、監督してある程度の実績をあげられたの

 

監督就任直後、私はよく「野球の本質を見つめてみろ」と選手たちに説いた。「野球は意外性のスポーツというじゃないか。強いチームが必ず弱いチームに勝つわけではない。だから、シーズンに入る前、識者たちがするペナントレース予想はたいてい当たらないだろう」こんな風に選手たちを諭した。  これにより、選手は自分たちがおかれている状況を正しく認識できる。この認識から新しい取り組みが生まれ、チームの力になるので

 

いずれにしても、「自信をつけさせることが仕事」という意識を指導の真ん中においておけば、どんなアプローチにせよ、効果は徐々に出てくるものだ。 「人を育てる」とは、「自信を育てる」ことで

 

指導は、「人間教育」と「技術面への助言」から構成される。  人間教育と技術面への助言は、根底でつながっている。  人間教育をすることで、選手は自ら学ぶ意欲を高め、他者の視点からものごとを考えられるようになる。これにより、技術面へのアドバイスをした時に、自分自身で多くの「気づき」が得られるように

 

もし、あなたの部下が、いくら指導をしても成長しないのだとしたら、

 

教育が足りないのだ。  技術面への助言と並行して人間教育に力を入れるか、技術指導の前にまずは人間教育を進めるべきだろう。 「人間的成長なくして、技術的進歩なし」である。  言うまでもないことだが、リーダーは人間教育をするのだから、自らを律し、正義感で貫かれていなければなら

 

最終的に、強いチームづくりの原動力となるのは、個々のメンバーである。  そして、個々のメンバーの可能性を引き出し、成長を高めるためには、「心の部分からのアプローチ」が大切になる。  心が変われば態度が変わる。

 

態度が変われば行動が変わる。  行動が変われば習慣が変わる。  習慣が変われば人格が変わる。  人格が変われば運命が変わる。  運命が変われば人生が変わる。  これはヒンズー教の教えで、私が人生で感銘を受けた言葉の一つである。  指導者は、目に見える行動の部分にばかり目がいってしまうが、それでは意味がないのだ。  行動を変える

 

個人の成績という欲にこだわっている者は、大きな成果を出すことはできない。  個人の成績という欲から離れた者が、大きな成果を出すので

 

プロ野球選手だからといって、  野球のことだけ考えていればいいというのではない。  このことが私の考えの根本にいつもある。  将来のことを考え、今から準備すること。  自分自身の人間性を磨くこと。  他者との関係をよりよく努力をすること。

 

こういった視点が抜け落ちると、人生は必ずどこかで行き詰まる。これは、ビジネスマンもまったく同じことがいえると

 

価値観や哲学がない人間に、よい仕事ができるわけがない。  なぜなら、価値観や哲学があるからこそ、プロフェッショナルの仕事ができるからで

 

さきほどあげた「人は何のために生まれてくると思う?」という問いの答えを見つけることは、容易ではないが、これを見つけることで、現在の仕事が充実し、さらに人生そのものが充実していくので

 

選手時代の私を客観的に見て、才能にあふれていたとはとても思えないが、探求心だけは人一倍だったと自負する。  そして、探求心によって、野球の奥深さを知り、野球を通して人間や社会の本質を学ぶことで、人間として成長できた。  このような、「何かひとつの道」を見つけることは、人生を有意義におくるために欠かせない要素のように

 

加藤は、カメラの前で、ぼろぼろのノートを何冊も取り出した。そこには、私がミーティングで話した「読書は博学なる人をつくり、会話は機敏なる人をつくり、筆記は確実なる人をつくる」「人生とは『人間の求める幸福への努力』である」といったことが細かい字でびっしりとメモされていた。  そのノートを彼は、選手の指導に役立てているという。  このようなシーンに出くわす度、私がやってきたことは間違っていなかったな、少しは人を残すことに貢献できたかなと

 

で評論していただけのことである。  現役時代、師と仰ぐ評論家の草柳大蔵さんに、陰となることの多い

 

という役割についてグチをこぼしたことがある。草柳さんは、「よい仕事をしていれば必ず見てくれている人がいる。世の中には目利きがたくさんいる」と励ましてくれた。  この草柳さんの言葉を、ヤクルトの監督要請の時ほど実感したことはない。  この私

 

では、風格がどこから生まれるのかといえば、その人の内面からである。風格がある人が少なくなっているということは、日本人全般の精神が幼くなっている証拠ともいえる。今の日本では、「若い」ということが褒め言葉

 

なっているが、精神年齢が「幼い」から「若い」とも

 

若いと言われてはしゃいでいるようでは、いつまでたっても、人の心を掴む存在にはなれないだろう。  重視すべきは、見た目の若さを保つ努力よりも、心を磨いて風格を備える努力なの

 

組織から離れた時、人は孤独になるが、そこで立ち止まっていては、何もはじまらない。次の場でも、自分らしい人生がおくれるよう、前向きに孤独をとらえる姿勢も大切なのだ。  仕事に全力投球し、いい仕事をしていれば、必ず見ている人はいるもの

 

これに対して、現役引退後、指導者として長く活躍している人のほとんどは、人間的に魅力のある方々ばかりである。人間性が他者との縁をつくり、信頼につながっていくの

 

人間性を磨くことが大事だ、と考えた野球監督は私だけではない。  代表的なのは、王貞治長嶋茂雄のいる巨人軍を率いて、9連覇を達成した川上哲治さんである。川上さんは、細かい指導はコーチ陣に任せ、本人は人間教育に力を入れたことで知ら

 

そのため指導は、人間教育、社会教育をはじめ、生活面、礼儀作法の細かい部分にも及んだ。王、長嶋も特別扱いされず厳しい指導を受け

 

人間性を磨くことが、大きな成果、大きな充実を得るための一番の近道なの

 

そこで、私は、南海に来たばかりの江本に対して、「どうせ勝てるようになるんだから、はじめからエース番号をつけておけ」と南海のエース番号 16 番を渡した。それによって、3つの信のうち、見せかけではあるが、「信頼」を得られたように

 

人生は、一度きりしかない。だから、できる限り、楽しい時間をつくり、充実した日々を過ごすことが大切である。  ただ、私が考える「楽しい」というのは、みんなとわいわい騒ぐ、はめを外して遊ぶといったことではない。  自分がこれだ、と感じるものを見つけ、それに自分がもっているすべての力を注ぎ、その結果得られた充実感が「楽しい」ということではないかと考える。  その「楽しい」の対象が私の場合、野球だった。

 

「人のためになってこそ人間、他の人があってこその自分」  これは、充実した人生をおくるのに欠かせない考え方だ。  他の人のためにどう生きるか、他の人にどれだけ感謝して生きられるかが、その人の人生の充実度を大きく左右する。  これは、簡単そうで難しいことでも

 

 好きなことを突き詰める人生は理想的だな。

好きだからこそ時間、人生をかけて研究できる。

人間教育大事。こういう監督のもとで教育された選手とそうでない選手では、現役時代でもその後の人生にも大きな差が出るんだろうな。