220.凡人を達人に変える77の心得 野村 克也

人が成長するには、まず基本を身につけることが必要だ。そして、基本を身につけるには、そのための正しい方法がある。これを省いて、器用にものごとを進める癖がつくと、その人の成長はどこかで必ず

 

つまり、世の中にあるほとんどの仕事の本質は、「単純作業の繰り返しの集積」なので

 

あなたが何らかの分野のプロフェッショナルを目指すなら、仕事の中にどんな単純作業が含まれているかを分析し、その一つひとつを底上げする

をすべきだろ

 

はじめのうちは単なるものまねでいい。目に見える部分をとことん真似してみる。次に、なぜ、その人がその方法を採用しているのかを深く考えてみる。そこで何らかの発見があるだろう。この発見を手がかりに、自分なりの創意工夫を重ねていくことで、最後に「自分だけの型」を手に入れることができるの

 

しかし、基本的には、ほめられるうちは半人前と考えた方がいい。  私がよく使う言葉に、「人間は、無視・賞賛・非難という段階で試されている」というものがある。   これは人材育成の原理原則である。

 

レベルがあまりにも低い状態の時は「無視」される。  ちょっと可能性が出てきた時は「賞賛」される。  組織を支える存在になった時は「非難」さ

 

ものごとというのは、自分自身も含め、常に変わっていくものである。自分の視点だけしか持っていない人は、その変化についていくことができない。相手や環境の変化に対する視点を持たない人は、たとえ、一時的に

 

を残せても、長期的に結果を残すことはできない。  つまり、「変化を見る目」が重要なの

 

本番に望む前は、このような結果を得たいとイメージしてもいい。しかし、いざ本番では、目の前のことだけに力を注ぐ。このように思考することで欲から解き放たれ、ある程度、プレッシャーを抑えることができるはず

 

外見で個性を強調する根本には、自己顕示欲がある。では、この自己顕示欲はどこから出てくるのか? それは自分に対する自信のなさからである。それを外見の個性で補おうというわけだ。  仕事をしっかりしている自信がある人はそんなことをする必要はない。誰から見ても清潔感のある髪型や服装をしていればいいだけ

 

打率3割のバッターと打率2割5分のバッターの差は、100打席でわずかヒット5本である。このわずかな差が、選手の評価を大きく左右する。  一流といわれる人と、二流、三流で終わってしまう人の差は、実はわずかしかないの

 

しかし、指導者である以上、コツを言葉で伝える最大限の努力をしていかなければならない。では、言葉による表現力を磨くにはどうしたらいい

 

それには、本をたくさん読むのが一番だ。  私は現役引退後、本格的に本を読みはじめた。その頃の私は、自分の頭の中にある野球理論をうまく言葉で表現できなかった。このことが原因で、評論活動で壁にぶつかり、円形脱毛症になるほど苦しん

 

そんな時、師とあおぐ評論家の草柳大蔵さんに『活学』(安岡正篤著)を読むことをすすめられ、本を読むことに目覚めた。これにより、もともと口ベタだった私が評論活動の場を広げられ、監督してある程度の実績をあげられたの

 

監督就任直後、私はよく「野球の本質を見つめてみろ」と選手たちに説いた。「野球は意外性のスポーツというじゃないか。強いチームが必ず弱いチームに勝つわけではない。だから、シーズンに入る前、識者たちがするペナントレース予想はたいてい当たらないだろう」こんな風に選手たちを諭した。  これにより、選手は自分たちがおかれている状況を正しく認識できる。この認識から新しい取り組みが生まれ、チームの力になるので

 

いずれにしても、「自信をつけさせることが仕事」という意識を指導の真ん中においておけば、どんなアプローチにせよ、効果は徐々に出てくるものだ。 「人を育てる」とは、「自信を育てる」ことで

 

指導は、「人間教育」と「技術面への助言」から構成される。  人間教育と技術面への助言は、根底でつながっている。  人間教育をすることで、選手は自ら学ぶ意欲を高め、他者の視点からものごとを考えられるようになる。これにより、技術面へのアドバイスをした時に、自分自身で多くの「気づき」が得られるように

 

もし、あなたの部下が、いくら指導をしても成長しないのだとしたら、

 

教育が足りないのだ。  技術面への助言と並行して人間教育に力を入れるか、技術指導の前にまずは人間教育を進めるべきだろう。 「人間的成長なくして、技術的進歩なし」である。  言うまでもないことだが、リーダーは人間教育をするのだから、自らを律し、正義感で貫かれていなければなら

 

最終的に、強いチームづくりの原動力となるのは、個々のメンバーである。  そして、個々のメンバーの可能性を引き出し、成長を高めるためには、「心の部分からのアプローチ」が大切になる。  心が変われば態度が変わる。

 

態度が変われば行動が変わる。  行動が変われば習慣が変わる。  習慣が変われば人格が変わる。  人格が変われば運命が変わる。  運命が変われば人生が変わる。  これはヒンズー教の教えで、私が人生で感銘を受けた言葉の一つである。  指導者は、目に見える行動の部分にばかり目がいってしまうが、それでは意味がないのだ。  行動を変える

 

個人の成績という欲にこだわっている者は、大きな成果を出すことはできない。  個人の成績という欲から離れた者が、大きな成果を出すので

 

プロ野球選手だからといって、  野球のことだけ考えていればいいというのではない。  このことが私の考えの根本にいつもある。  将来のことを考え、今から準備すること。  自分自身の人間性を磨くこと。  他者との関係をよりよく努力をすること。

 

こういった視点が抜け落ちると、人生は必ずどこかで行き詰まる。これは、ビジネスマンもまったく同じことがいえると

 

価値観や哲学がない人間に、よい仕事ができるわけがない。  なぜなら、価値観や哲学があるからこそ、プロフェッショナルの仕事ができるからで

 

さきほどあげた「人は何のために生まれてくると思う?」という問いの答えを見つけることは、容易ではないが、これを見つけることで、現在の仕事が充実し、さらに人生そのものが充実していくので

 

選手時代の私を客観的に見て、才能にあふれていたとはとても思えないが、探求心だけは人一倍だったと自負する。  そして、探求心によって、野球の奥深さを知り、野球を通して人間や社会の本質を学ぶことで、人間として成長できた。  このような、「何かひとつの道」を見つけることは、人生を有意義におくるために欠かせない要素のように

 

加藤は、カメラの前で、ぼろぼろのノートを何冊も取り出した。そこには、私がミーティングで話した「読書は博学なる人をつくり、会話は機敏なる人をつくり、筆記は確実なる人をつくる」「人生とは『人間の求める幸福への努力』である」といったことが細かい字でびっしりとメモされていた。  そのノートを彼は、選手の指導に役立てているという。  このようなシーンに出くわす度、私がやってきたことは間違っていなかったな、少しは人を残すことに貢献できたかなと

 

で評論していただけのことである。  現役時代、師と仰ぐ評論家の草柳大蔵さんに、陰となることの多い

 

という役割についてグチをこぼしたことがある。草柳さんは、「よい仕事をしていれば必ず見てくれている人がいる。世の中には目利きがたくさんいる」と励ましてくれた。  この草柳さんの言葉を、ヤクルトの監督要請の時ほど実感したことはない。  この私

 

では、風格がどこから生まれるのかといえば、その人の内面からである。風格がある人が少なくなっているということは、日本人全般の精神が幼くなっている証拠ともいえる。今の日本では、「若い」ということが褒め言葉

 

なっているが、精神年齢が「幼い」から「若い」とも

 

若いと言われてはしゃいでいるようでは、いつまでたっても、人の心を掴む存在にはなれないだろう。  重視すべきは、見た目の若さを保つ努力よりも、心を磨いて風格を備える努力なの

 

組織から離れた時、人は孤独になるが、そこで立ち止まっていては、何もはじまらない。次の場でも、自分らしい人生がおくれるよう、前向きに孤独をとらえる姿勢も大切なのだ。  仕事に全力投球し、いい仕事をしていれば、必ず見ている人はいるもの

 

これに対して、現役引退後、指導者として長く活躍している人のほとんどは、人間的に魅力のある方々ばかりである。人間性が他者との縁をつくり、信頼につながっていくの

 

人間性を磨くことが大事だ、と考えた野球監督は私だけではない。  代表的なのは、王貞治長嶋茂雄のいる巨人軍を率いて、9連覇を達成した川上哲治さんである。川上さんは、細かい指導はコーチ陣に任せ、本人は人間教育に力を入れたことで知ら

 

そのため指導は、人間教育、社会教育をはじめ、生活面、礼儀作法の細かい部分にも及んだ。王、長嶋も特別扱いされず厳しい指導を受け

 

人間性を磨くことが、大きな成果、大きな充実を得るための一番の近道なの

 

そこで、私は、南海に来たばかりの江本に対して、「どうせ勝てるようになるんだから、はじめからエース番号をつけておけ」と南海のエース番号 16 番を渡した。それによって、3つの信のうち、見せかけではあるが、「信頼」を得られたように

 

人生は、一度きりしかない。だから、できる限り、楽しい時間をつくり、充実した日々を過ごすことが大切である。  ただ、私が考える「楽しい」というのは、みんなとわいわい騒ぐ、はめを外して遊ぶといったことではない。  自分がこれだ、と感じるものを見つけ、それに自分がもっているすべての力を注ぎ、その結果得られた充実感が「楽しい」ということではないかと考える。  その「楽しい」の対象が私の場合、野球だった。

 

「人のためになってこそ人間、他の人があってこその自分」  これは、充実した人生をおくるのに欠かせない考え方だ。  他の人のためにどう生きるか、他の人にどれだけ感謝して生きられるかが、その人の人生の充実度を大きく左右する。  これは、簡単そうで難しいことでも

 

 好きなことを突き詰める人生は理想的だな。

好きだからこそ時間、人生をかけて研究できる。

人間教育大事。こういう監督のもとで教育された選手とそうでない選手では、現役時代でもその後の人生にも大きな差が出るんだろうな。