206.紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男 野崎幸助

腹八分目で質素な食事が健康には一番。ですから、お付き合いを別にすれば高級レストランや料亭で食事をしたいと思うことさえありませ

 

余談ですが、大晦日紅白歌合戦も見たことがありません。そんな暇があったら、仕事やエッチをしているほうが断然楽しい。これが私の生き方です。

 

あれは特別背任という罪ですから、批判されるのは当然のことですが、1億だろうが2億だろうが大差ないという気持ちが彼にはあったように感じます。同じように株取引で巨額のお金を運用している者にとっても1億、2億という単位は単なる数字でしかない感覚になります。実際に価値がないと言っているのではありません。そういう感覚でないと、大きな株取引などできませんよ、私が言いたかったのはそのようなニュアンスだったの

 

もう少し、日本社会の特異性について、持論を述べさせていただきます。  資本主義社会では、労働者よりも圧倒的に資本家のほうが富を蓄積することができます。要するに金が金を生むのですから、資本家が儲かるシステムであることに誰も異論はないと思います。ただ、資本家は自分たちが儲けていることを表沙汰にしたくないのです。 「投資にはリスクがあるから大変だ」  こう言って、資本家は自分たちの立場が盤石ではないことを強調し、労働者側もそれを真に受けて、リスクが高いから労働者のままでいいと考える。  これが日本社会の特異性ではないでしょう

 

「金持ちは偉い」「オレはお前よりも金を持っているからオレの勝ちだ」  中国ではこのような拝金主義が 蔓延 しているようですが、私は金持ちが偉いと言いたいわけではありません。ただ、金を持っているほうがより富めるというのは、紛れもない真実であることを指摘したいのです。 「金持ちケンカせず」というのも当たり前のことであり

 

「儲かってますか?」 「ボチボチでんな」  知人と挨拶を交わすとき、グッチ先輩は頭を搔きながらぼそぼそと答えるのが常でした。儲かっている者に対して羨望と嫉妬心を持つのが人間の 性 であることを熟知していたからで、儲かっていても決して本当のことを言ってはならない……。これもグッチ先輩から教わった金言

 

しかし、マルサが見当はずれの査察をしたとあっては面子が潰れます。この辺りの事情は中小企業の社長さんたちはご存知のことでしょう。マルサまでいかなくとも、定期的に税務調査に来る税務署員に対して、たとえ不満があっても修正申告に応じることはよくあります。彼らだって手ぶらで帰れ

ので、見解の相違ということにして手土産代わりにいくばくかの金額を納めるのです。こうすれば双方が丸く収まるという現実があり

 

弁護士という職業は決して聖職ではなく、彼らはソロバンを片手にした商売人だと思ったほうがいいのです。だいたい、優秀と言われる弁護士は複数の大手企業の顧問弁護士として報酬を得ており、よほどのことがない限り庶民の訴訟なんぞに関わることはないのです。  頭が下がるほど懇切丁寧な弁護士さんがいることは認めますが、それは本当に少数であると私は断言でき

 

 

205.なぜ日本人は落合博満が嫌いか? テリー 伊藤

なぜ日本人は、そんなに落合が嫌いなのだろう。

それは、日本人が落合の凄さを評価できるほど、大人になっていないからではないだろうか

 

そして、そういう国のなかで、落合だけが、どんなに嫌われても、勝利だけを唯一の目的として、わが道を進んでいる。

 

群れず、はしゃがず、黙って信念を貫いていく。 媚びず、言い訳せず、不気味なほど寡黙に勝負して、勝つ。 そこには、古き良き日本人が持っていたパワーがある。同時に、日本人がいまだかつて持ち得なかった新しい価値観がある。

 

それを私は「落合力」と呼ぶ。

 

生まれついての巨人ファンであり、長嶋茂雄信者なのだが、ある日、気がついてしまったのだ。この落合力こそが、いまの日本人にはもっとも必要な力だということに。  そして私は、来る日も来る日も落合について考えつづけている。  いまこそ、日本人は落合博満に注目するべきだ。落合監督から日本人が生き抜く力を学ぶべきだ。それが私の叫び

 

「いまこそ、落合博満に注目して見なければ、私たちは大きな悔いを残すことになる」 「いま、この日本の 閉塞感を打破するための答えを示しているのは落合監督だ」  私は完全に、そう気づいてしまったのだ。

 

それは、日本人が「わかりやすいもの」ばかりを求めるようになったからだ。親切に説明してくれるものは理解し、高く評価もするけれど、説明がないものを自分の想像力や努力で理解しようとしなくなっているの

 

説明過多に慣れすぎて幼稚化している日本人は、だからこそ、寡黙な落合監督に目を向けるべきなの

 

ビートたけしと落合には、もうひとつ共通点がある。それは、いつでも

冷めているということだ。常に自分を客観的な目で見ることができるの

 

どんなときでも、みんなと一緒にその場に入り込んでしまうことがない。いつも「第三者的視点」を持っているのだ。  だからこそ、彼らは、そこに起きている状況や本質を瞬時に読みとることができる。そうして、ビートたけしは、その場を一瞬のうちに自分のものにしてしまうことができるし、落合は涼しい顔をして逆転サヨナラホームランを打てる。だれもが「え!?」と驚くような采配を静かに実行して勝ってしまうの

 

それは、 落合は嫌われることを恐れないからだ。これは、日本人にとって、もっとも難しいことで

 

たとえ、みんなに嫌われても、自分の信念や理想を貫いて生きること。それをずっと実行してきたのが落合博満という人間であり、嫌われることを恐れて自己主張もできないのが日本の国民性なの

 

落合だって、何も好き好んで人に嫌われようとしているわけではない。人の顔色を気にすることなく、自分の信念のもとに目標に向かって突き進ん

いるだけだ。

 

しかし、日本人は「協調性が大事」とか「みんなの意見をよく聞こう」といって周りの様子をうかがってばかりで、自分1人では何もできなくなっていったのだ。  そして、落合がたった1人で名球会を拒否したのは、まさに、嫌われることを恐れずに自分が信じた行動をとることができるからで

 

それでも落合監督は、その言葉どおりの結果を何度も示して見せた。それは落合監督が「常識」とか「固定観念」などという

 

「指導者とは、教えるのが仕事じゃない。見るのが仕事だ」  落合監督はそう言っている。「見て、判断する」「見て、決断する」のが、監督の仕事なの

 

いまここで起こっている状況や、その状況に気をとられている人たちに自分を同化させるというメンタリティーをこの人は持ち合わせていない。まるで他人事のように冷めた目でこの場を見きわめ、きわめて客観的な視点で先の先まで読んでいる。  その常人とは思えないような予見性が落合の言葉のもとになっているのだ。

 

落合監督が、批判も非難も 罵声 も、すべてのリスクを背負うことも 厭わずに「勝つことしか考えない」と言っている。その生きざまこそドラマチックなのだ。 「勝つこと以外に俺が生きる道はない」と思い定めて、365日、そのために生きている男のドラマ。これ以上のドラマがどこにあるものか。  その「本物」のおもしろさに気づこうともせずに、「さあ、私を楽しませてよ。私にサービスしてよ」と寝そべっているような日本人は、この先、何ひとつ自分で生きる喜びを見つけられないということを思い知るべきなのである。

 

落合は、かつての日本人が持っていたはずの力を1人だけ失うことなく持ちつづけている。同時に、いままでの日本人が持っていなかった力もまた落合は持っている。  この力を私たちが身につければ、この国を活力に満ちた国にすることができるはずだ。だからこそ、いま、日本人にいちばん必要なのは「落合力」なので

 

情報はいくらでも 溢れかえっているから、みんな情報収集能力は高くなったかもしれないけれど、独創性や創造力は低下する一方。それが、日本が二流国家に成り下がっている大きな理由のひとつなのだ。

 

どんなに非難されても自分が正しいと思うことを実行し、嫌われても筋をとおし、誤解されても言い訳せず、ひたすら野球の理想を追求する。  そこには、不気味で底知れぬパワーがふつふつと沸いている。愛想笑いの代わりに決断力を、過剰な説明の代わりに実行力を、予定調和の代わりに

 

を、静かに狙いすまして成しとげていく。それが「落合力」である。  けれども、日本人は、その凄さに気づこうとし

 

「目標ができたからです。いまの自分には、はっきりとした目標があるから、いつまでもダラダラ残ってなんかいられません」  まさにそれは、落合監督の「勝つことが唯一の目標」という姿勢と同じである。その目標を思えば、「なんだ、あいつは愛想がないな」などと言われることなど気にならないの

 

視聴率という戦場で私は戦い、野球という戦場で落合は戦う。  落合監督や私だけでなく、戦場で戦っている人たちにとって大切なのは、戦友と慣れ親しむことよりも、お互い、勝って生きて帰ることなのである。  記者たちや選手たちと一緒に飲みにいったり、リップサービスしたりして仲良くしているより、とっとと家に帰って明日の試合のことを考え、勝って成績を上げること。それが「落合力」なのである。  不評こそパワーの源泉

 

マチュア時代から名門チームで華やかな野球をしていたエリート選手には到底、身につけることのできないマイナーのオーラ。それがメジャーなステージでも不気味に輝いていた落合の源流にある。  そして、それこそが「落合力」として、いま、さらに輝きを増しているの

 

しかし、あそこで交代を決断した落合監督が、大きな大きなリスクを背負っていたことを忘れてはいけない。  あのとき、もし山井に続投させて打たれたとしても、だれも落合監督を責めなかったはずだ。「そりゃあ、あそこで替えられる監督はだれもいないよな」と、みんな言っていただろう。

 

その反対に、もし岩瀬が打たれていたら、落合監督は、彼自身の歴史のなかでも、長い日本シリーズの歴史のなかでも、最高潮の批判を浴びていたはずだ。  そういう危険をおかしてまで決断できるのが落合博満という男なのだ。その勇気と決断力は、あの伝説の投手交代劇を語るときに、けっして欠かしてはいけない視点なので

 

プロ野球という戦場で、孤高に戦ってきた落合博満にとって、きっと信子夫人という存在は、唯一無二の安息の場であり、心のよりどころであり、戦友なのだろう。  どんなに世間の風当たりが強くても、信子夫人が理解してくれれば救われる。だれにも彼にも愛されたり認められたりする必要なんかない。  逆にいえば、信子さんというパートナーがいるからこそ、落合はたった1人でも落合革命を起こす勇気と活力を得られたのではない

 

日本のマスコミは、だれかのネガティブな面をとらえて、そこをクローズアップすることにかけては天才的な能力を持っている。そのおかげで、日本人全体が批判の天才になってしまった。  しかし、その反面、ポジティブな面を 見出して評価することが、どんどん苦手になってしまった。

 

 

204.戦士の休息 落合博満

勉強家。思考家。

映画から歴史や文化や人生を学ぶ。

こういった大量のインプットがあるからこそ、何をやっても素晴らしい結果を残せる。

 

このように、私は「昔からそう言われているから」とか「誰もがそう考えるから」という物事に対して、自分自身が理解し、納得できる理屈を見出さないと気が済まない性格だ。

 

 

203.コーチング 落合博満

 結果を残している人の考えていること、やっていることは本当に共通点が多い。

・潜在意識の活用

・孤独を楽しむ

・常識にとらわれない

・他人の目を気にしない

・嫌われることを恐れない

 

確かに、最近の若い選手に比べれば、私は質量ともに練習は積んだだろう。それを見ていて「あいつの練習は、正気のさたじゃない」とか「我々にはちょっと想像もつかないことをやっている」と言った人もいたが、私は自分に必要だからやっただけで、ほかの人が何と言おうと関係ないと思ってい

自分の中で何かを突き詰めている時は、3時間、4時間とやっても時間の感覚がなくなり、終わった時に「何だ、もうこんな時間になっていたのか」となる。一方、やり方を知らない人が何かに取り組む時は、1時間ですら長く感じて

イチローが、メジャー・リーグでもいい数字を残していることがいい例だ。彼の体格は、日本でさえ目立つほど大きくはない。だが、自分の野球を技術的にも精神的にも高めることに腐心し、満を持してアメリカへ渡っ

福岡ダイエー・ホークスに、斉藤和巳という本格派の投手がいる。 96 年にドラフト1位で入団したのだが、ファームでは完璧な投球をするものの、一軍で投げるとなかなか力が出せない。昨年は公式戦で5勝を挙げ、日本シリーズでも登板の機会を与えられたが、まだ一軍とファーム(二軍)をたり来たりしている。 こういう選手は、実力的にはファームのレベルではないから、結果が出ないからといってファームに落としてもダメだ。どうやったら実力を発揮できるのかを考えるのが指導者の仕事であり、自分のチームで伸び悩むようなら、トレードなどで環境を変えてやるしか

最も優秀なコーチこそ、 一軍ではなくファームに置き

一番悪いのは、プロ野球に例えれば「この戦力なのだから、うちはAクラス(3位以内)を狙う」などと言う指導者だ。そんな指導者は、ユニフォームを着る資格などない。ファンやメディアからどんなにバカにされようが、現実的には無理だとわかっていようが、「うちは優勝を狙います。それだけの戦力はある」と外に対して言えるのが、真の指導者なの

監督がAクラスに入ればいいと考えているようなチームは、間違っても優勝などできるわけがない。自分の腹の中では「優勝できるかも」と思っているのに、謙遜して「Aクラスでいい」などと言うのは、組織全体の雰囲気を停滞させることはあっても、活性化させることは

だからこそ、指導者は選手から能動性を引き出し、自分の野球に自分自身で責任を持てる選手に仕向けておくことが肝要だ。そのためには、練習の時から〝自分で考える習慣〟を身につけさせ

人間とは面白いもので、自分がいなくなったら、組織や仕事はうまく機能していかないのではないかと思っている。ある意味では、そうした思いが人間を支えているとも言えるだろ

しかし、実のところ何も変わらないのだ。そのことを寂しいと思うかもしれないが、世の中の仕組みとはそういうものだ。そのことを理解していれば、自分が組織を去ったり、職場を変わったりする時も必要以上に悩まなくて

現在の私についても「巨人を出る時に引退しておけば、もっと仕事があって、もっといい生活ができたのに」と言う人がたくさんいる。だが、私は〝落合博満〟という看板を持っているから、巨人の看板はいらない。巨人という看板がなくても生きていける。自分という看板を自分で作り上げれ

組織を去る時、職場を移る時にもそれを持っていけばいい。松下幸之助にしても本田宗一郎にしても、過去に立派な経営者と言われている人は、自分自身が看板だっ

政治家とは、ある意味では言葉を操って国民を洗脳する仕事だ。それで長年生きてきた人にしては、言葉の使い方があまりにも 杜撰

また、私は現役時代に「野球バカ」と言われることがあった。だが、奥深い野球の技術を追究している時に、そう言われるのは恥ずかしいことだとは感じなかった。「バカ」と言われるほど、何かひとつのことに打ち込める人、それも仕事においてそんな経験ができる人は、実はごくわずかだ。そうした境遇に自分もいるのなら、幸せなことだとさえ思ってい

「相手が一番困ることは何か」を考えるのは、勝負に勝つ条件のひとつ

ただ、プロ野球チームの場合は、一般企業と違って独立採算ではなく親会社がある。言葉は悪いが、親会社がしっかりしているところは、チームが赤字になってもいい。昔のロッテのように、赤字を出す部署があったほうがいいという考えでチームを持っているところもあった。覚えている人は少ないかもしれないが、日本ハムは、昔は徳島ハムという会社だった。それが今や、プロ野球チームを持ったおかげで業界トップの企業に成長し

それならば、選手は1円でも高く自分を売るべきではないかと考えた。そこで私は、自分という選手に自分で値段をつけ、それを球団が買ってくれるのかどうか──そういうスタイルで球団と契約交渉をすることにした。と言っても、非常識な金額を要求するわけではない。それでも私がつけた

高ければ、球団はトレードするなり、自由契約にすればいい。これで、選手と球団は対等な関係になるだろうと思った。 こうした考えのもとに、私は残りの現役

つまり、何度もタイトルを獲る人は、「獲らなければならない」と考えているのではなく、「自分が獲るものだ」と当然のごとく考えているのだ。メディアに対しては奥ゆかしく謙虚に、「結果がそうなった」と言ったかもしれないが、実際は、最初から自分が獲るものだと思ってやっているはず

日々わずかでも進歩していることが実感できれば、人間は目標を持てるはずだ。他人との比較対照ではなく、自分自身の目標に置き換えることが肝要である。

私が「伸びる子の共通点は?」と問われれば、「よく食べて体が丈夫なこと」と答える。これは、近年最も軽視されている部分だろう。とにかく食生活が悪すぎる。高いもの、うまいものを食べていれば、必ずしも食生活がいいということでは

穀類や豆類をはじめ、昔からの日本の食べ物は、最近の食生活では主役ではなくなってきた。だから、成人病のような変な病気が出てくる。こういうものをバランスよく 摂りさえすれば、強い体ができると言われている。だから、食べることにはもっと気を使ってもらわなければ

考えてみてほしい。せっかくプロ野球選手になり、高度な野球理論が理解できても、それを実行する体がなくては一流になれない。サラリーマンだって、どれだけ能力があっても不摂生をしていては実行力は半減してしまうだろう。睡眠も食事と同等に大切だが、やはり基本はここにあるの

プロ野球選手のみならず、スポーツ・アスリートにとってスランプはつきものだが、このスランプにも二通りある。技術的なものと精神的なものだ。技術的なスランプは、原因を見つけて改善すれば早く脱出することが

だが、精神的なスランプからは、なかなか抜け出すことができない。根本的な原因は、食事や睡眠のような基本的なことにあるのに、それ以外のところから原因を探してしまうからだ。そして、精神的なスランプと闘う状態がストレスに

サラリーマンでも、仕事が思い通りに進まない時などに「スランプ」を感じることはあるだろう。本来、スランプとは一流の人間にしか経験できないものなのだが スランプ論は後に書くとして、とにかく状態の悪さを実感したら、食事や睡眠を基本に考えて

いかに丈夫で強い体をつくるか。食べることと寝ることがしっかりできなければ、いい仕事などできるわけがない。これらを基本に考えていれば、イライラすることも少なくなるはずだし、ストレスも軽減できるだろう。

特に若い部下を預かる上司は、「食べること」と「寝ること」がいかに重要なことなのかを理解させなければならない。そして、自分自身にとっても、これがすべての基本であることを忘れないでほしい。

ここで最も大切なのは、自分の感性を働かせて目標(この場合は、山田さんを打つということ)に取り組み、ある程度の成果を挙げたことで、「自分にはできる」という気持ちが生まれたこと。つまり、自分で自分を洗脳した状態になっているの

自分に自信を持つというのは、どんなことに取り組む場合も必要だ。だが、その自信が裏づけのないものだと、壁にぶつかった時には消えてしまう。本当の自信とは、感性を研ぎ澄まし、自分で自分を洗脳することから

──現役を終えた今でも、私はそう考えている。

プロへ進むような野球選手なら、誰でもそんなことは理解している。ところが、なぜか冒険心や目先の欲に負けて、理解しているはずの〝しては

ない勝負〟をしてしまう。こうした状況は、一般社会でも経験したことのある人は多いのではない

では、なぜ横浜バッテリーは、わかっているリスクを負ってしまったのか。それは、以前にも同様のリスクを背負いながら、打者を打ち取るという結果に結びついた経験をしているからだろ

人間とは弱いもので、「してはいけない」とわかっている場面でも、「今回はうまく乗り切れるかもしれない」という冒険心に負けて勝負を急ぐ。だが、こうした場面では冷静な分析力を持って、リスクを回避する…

しかし、斎藤と谷繁はさすがに賢いバッテリーだった。2日後の 15 日の対戦でも、横浜の1点リードで9回裏を迎え、斎藤はリリーフのマウンドに立った。先頭打者は仁志である。だが、この時の対戦では外角のストレートを主体にした投球でセンターフライに打ち取り、後続も断ってチームを勝利に導いている。 2日前の失敗を教訓にして同じ過ちを繰り返…
ことだ。やはり人間とは弱いもので、ひとつの成功が自信になるのと同時に、それを導き出した失敗をいつしか忘れてしまう。だが、これでは同…

物事は、常に自分の思惑通りに進むとは限らない。だからこそ、どんな場面でも勝負を急いではいけない。1球で打ち取れる可能性があっても、じっくり攻めることだ。絶対にホームランを打たれてはいけない場面で、リスクを背負ってまでも「この1球で討ち取れるかもしれない」という攻め方はしてはならない。打たれてもヒットまでと考えて攻…

避けられるリスクを負うな。それが勝負の鉄則だ。気持ちのどこかにある冒険心は、ホームランを打たれても勝敗…

いい。大切なのは、常に自分の置かれた状況を的確に分析し、避けられるリスクを…

勝負事も仕事も、何らかの結果は出る。だが、その結果を前に「他の人はどう思っているのだろうか」と考えたり、仕事の過程において「もしうまくいかなかったら、自分はどう思われるのだろう」などと考える必要はない。それならば、自分自身でより高い目標設定をして、それを達成するためのプレッシャーを感じたほうがいい。そういう〝自分に跳ね返ってくるプレッシャー〟をかけるのであれば、仕事に取り組む意識も変わってくるだろ

私は、落合博満というプロ野球選手を〝欲の塊〟だと思っている。あらゆる面に欲深く取り組んでいたから、余分なプレッシャーを感じる暇などなかったのだ。

私の経験で言えば、一流のプロ野球選手になるためには、バッティングは人から教わってはいけない。自分自身で考え、感性を磨いて作り上げていくものだ。対して、プロの守備はプロの指導者から徹底的に教わらなければ身につかない。センスや感性よりも、基礎や反復練習が重要なのだ。これこそが、私の言う「慣れ」なのである。 サラリーマンにとって、書類や

自分で作ったマニュアルというものは、何かのきっかけで変えなければならないとか、マニュアル自体が通用しなくなる前に手を打ちたいということが、どこかで出てくる場合はあるだろう。だが、自分の仕事がまだ発展途上の段階にあったり、目標を達成するプロセスにいる時は、マニュアルの中身には手をつけないほうがいい。そのまま流れに任せていたほうが結果的にはいいし、余分なことをしないで済む。 「このマニュアルでやっていくのは、そろそろ限界かな」と感じた時に初めて変えても、まだ間に合う。ただ、完璧に使えなくなってから変えたのでは遅い。その微妙な差を自分自身で見極めることが大切だ。 私の場合は、 86 年にも続けて三冠王を獲得し、自分の

さて、自分のマニュアルを作り出すことは、それほど難しい作業ではない。自分のことは自分が一番よく知っているわけだから、性格、考え方、仕事の進め方などを考慮しながら練っていけばいい。どんな仕事でも、自分が積み重ねてきた経験の中で「こうすればうまくいく」、あるいは「こうしたら失敗する」というものがあるはずだ。それをしっかりまとめておいて、

的に自分の仕事のコツにする。経験を積めば積むほどコツは増えていく──つまり、マニュアルも確かなものになっていくはずだ。反対に、「ほかの人のマニュアルを作れ」と言われるほうがよほど困難だろう。ここがコーチングの難しさとも言える。

そもそも最近の若い人は、孤独でいられない傾向にある。自分の世界だけで生きているような人でも、孤独には耐えられず、常に誰かが周りにいないと落ち着か

常に頭を使って考えていれば、どんなことでも道は開けてくる。自分

探している答えは、必死になって見つけなければいけ

プロ野球選手だって、毎日のように考える。ホームランを打った試合のあとでも、「結果は良かったが、思い通りの打ち方はできていない。きっと、フォームのどこかが崩れているな」と分析しておけば、すっきりして次の日の試合に備えられる。翌朝のスポーツ紙には「会心の一発」と書かれているかもしれないが、本当はたまたまホームランになっただけなのだ。 結果が良かったから「ああ、気分が良い」と感じて眠ってしまう選手

ホームランを打っても自分のバッティングを考え、「明日はここを直さなければいけない」と自分なりに答えを出して、次の日に練習する選手とでは、経験を積んでいくほど大きな差がついて

常に自分のバッティングを考えている選手は、三振を喫しても「自分の状態は悪くない。この三振は意味があるんだ」と納得して眠ることができる。だが、そうでない選手は三振という結果に、ただ「悔しい、悔しい」と悶々としてしまい、寝つきが悪い夜を過ごすことになる。翌朝、目が覚めてもまだ「悔しい」だけでは、話になら

何事も、できるだけその日のうちに、ある程度の答えを出して、それを次の日に試してみればいい。ぶち当たった問題をその日のうちに処理し切れないと、それがだんだん積み重なっていく。そうなってしまうと、行き着く

は〝ヤケ酒〟か。グチや上司の悪口を言って、その時は気分爽快で家に帰っても、自分の中には何も残っていない。そのツケは、必ず自分自身に跳ね返ってくるの

まず一人目を見つけるのに、最も手っ取り早いのが結婚だ。ちなみに、私は一軍に定着して年俸をたくさんもらうようになってから結婚したわけではない。年俸360万円で、昼食は毎日カップラーメンという時からつき合って一緒になった。妻は、私のそんな時代も知っているから、今でも「水さえ飲めれば、何とか生きていくことはできる」と考えて

 

202.史記 横山光輝

1.衣食足りて礼節を知る 管仲

政治でいちばん大切なことはまず与えること。そして取ることにございます。 管仲

相手をよく理解し付き合う関係→管ぽうの交わり 管仲とほうしゃく

 

2.死体に鞭打つ 伍子胥

3.深追いすること百里ならば将を失い 五十里ならば兵の半ばを失う 孫臏

彼を知り己を知れば百戦して危うからず 孫氏

 

至上の徳を論ずるものは俗人に媚びず、大いなる成功を成すものは大勢の人々には相談せぬもの。強国を目指されるなら慣習にとらわれず行い、人民の利益になることなら今までの慣習に従う必要はありませぬ。 商鞅

 

5.刎頚の友 藺相如 廉頗

 

12.背水の陣 韓信

 兵は死地に陥れられてはじめて生き、死地に置かれて初めて存す。 孫氏

 

「主を震わしたるもの身危うく、功天下を覆う物賞されず」蒯通

「天の与うるを取らざればその咎を受け、時至って行わざればかえってその災を受く」

201.勝負論 ウメハラの流儀 梅原大吾

これは子供にも読んでほしい&理解してほしい本

 

 

ずいぶんな回り道をしたあげく、僕は 27 歳で再びゲームセンターに戻ってきました。すると、勝ち負けにこだわらない勝負の形があること、勝つことへの執着から解放されるようになって、かえって勝てるようになることを悟り

 

勝ち続ける、というのは、つまり成長し続けているということです。  同時に、決して誤解してほしくないのは、ある時点での実力差、能力差は、その後の成長力で必ず埋められるということです。これは、どんな世界でも共通していることだと思い

 

だから、実は目先の勝負に勝ったか負けたかは、「勝ち続ける」こととは必ずしも一致しません。むしろ、勝ちにこだわりすぎるあまり勝てなくなることや、ある勝負に勝ったことでその後勝ち続けられなくなることもあるし、無残に敗れたことでよりいっそう成長が促され、勝ち続けることが

ようなケースもあるの

取り組み初めの段階で、ボロボロになりながらも自分の頭と身体で理解できるまで基礎を繰り返し、自分がしていることの本質を知る力が、実は誰にも真似のできないプレーを生み出す素地になっていき

 

勝負をする以上、基本的には勝つことを目指すし、勝ちにはある程度

ていきたい。しかし本当は、他人に勝つことではなく、成長することが勝利で

 

常に目を切らさないようにしているのは、自分自身の成長である。そして、自分が成長の軌道に乗っているかどうかの確認作業

 

でも、そのことによって僕が「勝ち続けていること」が終わったとはまったく思わない。その基準は、自分が変化しているかどうか、つまり、成長しているかどうかだから

 

あるゲームに負け、反省をし、自分の中に良い変化、つまり成長があれば、それは勝ち続けられている状態にある。反対に、負けたことで腐り、ふてくされたり、たまたま運が味方して勝ったことで浮かれ、そこから何も受け取らずに成長しなかったりすれば、変化がない以上「負け」なの

 

なかでも、「最初のうちだけ、ちょっと勝つ」というのはとても損だと思う。才能だけで走り始め、あっという間に限界に当たってボロボロになるまで叩かれ、諦める。結果論にすぎないけれど、もしそれが最初からわかっているのなら、最初からやらないほうが

 

それでも僕は、もう一度格闘ゲームの世界に戻ってきた。  その理由は、自分には勝負の世界のほうが、格闘ゲームで努力することのほうが成長が実感できて、楽しかったから

 

勝つことで不幸になる、という局面は実際に存在する。表面的に「勝ち」に見える現象が、幸福とイコールではない状況が

 

僕は、「勝負とは何か」「何が勝ちで何が負けなのか」、そして「勝ち

とはどういう状態をいうのか」を知りたければ、結局のところ「自分にとっての幸せとは何か」「自分が幸せになるにはどうすればいいのか」を考える作業が絶対に必要になると

 

成長につながっているという満足感があれば、勝ち続けている状態に近づいていることになる。ならば、どういう局面でそう感じるのだろう

 

かつては、身体を壊してしまうほど勝ち負けの結果に固執していた。もちろん勝負である以上今でも勝ちにこだわって戦っているけれど、ある時点の結果によって気持ちが左右されることはなくなった。本当に大切なのは自分の成長であり、それこそが「勝ち続ける」ことの姿だとわかったからだ。  すると結果として、自分のレベルは上がっていく。先ほどの図 ① における矢印の向きをもう一度見てほしい。  これは、サイクルとか、ループのようなものである。

 

ある勝負をする。もちろん勝ちを目指すけれど、その時点でやるべきことをできていれば、結果は問わない。  すると、勝っても負けても必ず得るものがある。成長

 

成長できることは、人生の楽しみであり、幸せそのものである。そしてより努力ができて、結果として勝負にも強くなってしまう。勝負する、成長する、楽しくなる、より勝ちやすくなる、というループがあるの

 

勝負の世界にいながら途中で諦めてしまう人は、このシンプルな仕組みをまだ体感できていないだけなのではないかと思う。僕自身もそうだった。本当は勝負の結果ではなく、成長を実感していることが大切だったの

 

少し勇気を出して打ち込んでみる。そこに楽しさを 見出せれば、理論的には無限に成長できる。だから本当は、ちょっと勇気を出すことだけが大切なのだ。  僕が

 

それでも「おっさん」は、ひたすら、一生懸命に、そしてノリノリで踊り続けている。はたから見ている限り、彼が周囲を気にしている様子は、まったくと言っていいほど感じられなかった。  僕は、この「おっさん」の姿が、頑張っていること、「勝ち続けている」ことの、ひとつの具体的な例だと思う。本人が心からやりたいと思い、好きだからひたすら踊り続けている。それに対する世間の評価がどうであろうと、全然構わない。  なぜなら、自分が幸せだからだ。

 

勝ち続けること、成長することとは、結局「できないことができるようになること」であり、「知らないことを知ること」ともいえる。そして表面的な勝利の確率は、できないことができること、知らなかった知識が増えたことによって、結果的にはより高くなる。

 

でも現実の世界は違う。どんなに最初のうちは勝ち続け、豪華な 鎧 を着て、戦闘力の高い剣を 揃えようと、本人の努力の量が減れば、容赦なく、正直に身体はブヨブヨになってしまう。  だから、成長し続けなければならないのだ。特に大きな勝利を収めた時ほど、意識的に自分にムチを打ってでも自分を追い込むようにしなければならない。  

 

他人のことをとやかく言う必要はないけれど、僕の感じた思いを素直に述べると、外形的なものにこだわって生きている人ほど、やがて行き詰まっている。つまらなそうに生きて

 

世間体を気にして就いた職業、収入だけを目的に選んだ仕事は、結局どんなに成功しようと、僕には楽しそうには見え

 

どうしても目標という言葉を使うのなら、「毎日、来る日も来る日も、自分を成長させるリズムを維持すること」が該当する。それが一番大切なことだから

 

その循環がキープできている限り僕は満足し続けられる。だから現時点は、いい循環を保っていると思う。  だが、残念なことに、多くの方はこうした形で幸福感を得ていない。

 

自分が幸福かどうかを、目標を達成したかどうかでだけ考えてしまいがちのように

テストで良い点を取り、良い成績を収めること。よりレベルの高い高校、大学に入ること。給料の高い会社、安定した仕事に就くこと。  そうした目標を達成しては喜ぶ。また、達成できなかったといって悔しがったり、自分を敗者だと感じてしまったりする。  僕の目には、こうした目標の達成に成功した人も失敗した人も、それを目標と感じてしまっている時点で、自分で考える力が身についてないと感じて

 

世間から与えられたものだけが目標になるわけではない。  今の僕は、自分自身にとっての幸せを、テストや成績表、高校や大学、

や身分だけが与えてくれるとはまったく思えなくなった。  結果がどうであろうと、そこに至る過程で自分自身にどういう形でいい変化があり、それを持続できているか。僕にとっては、それだけが評価のもとだからだ。  逆にいえば、世間でいう目標などその程度のものでしかない。目標を達成できなかったからといって、心を病むほど自分を責めたり、ひどく落ち込んだりするのはもったいない話だと

 

俺は不幸だ、世間が悪い、会社が悪い、景気が悪いなどといくら言ってみても、たとえ本当に世間や会社が悪かったとしても、自分自身は結局不幸なままだ。成長できず負け続けることになる。  それよりも、自分が成長していないこと自体を恐れてほしい。

 

努力するべきところは、もっと別のところにある。  そして、自分にとっての価値を自分で設定できれば、こうした目標から自由になることができる。   強すぎる思いが自分自身

 

その結果僕がつかんだのは、勝つためだけに生きるのではなく、自分の成長を考えることで最終的に勝ってしまう、今のスタイルだったのだ。  目の前の勝ちを 貪欲 に拾って成長できるなら勝てばいいし、勝つようにすればいい。しかし、勝っても成長には結びつかない局面は確実に存在する。もちろん、負けても成長できるケースも

 

幸せは、基本的に自分の内側から作り出すものだ。そして、自分だけは

に 騙せない。どんなに勝っても自分が不幸を感じるなら、結局それは負けなのだ。  僕は勝ったのに幸福感が下がった経験があったからこそ、今このことを述べられる。  この本には、ただ勝ちたいという人にとっても、有効なヒントはあるはずだ。しかし本当に考えてほしいのは、自分にとっての「勝ち」と、今目の前の勝負に必ず勝つことは必ずしもイコールではないということで

 

わかりやすくいうと、今の僕には、「とにかく勝てばいい」と表面上の勝ちにこだわっている人は、まだ痛い目に遭っていないからそんなことが言えるのだろう、と見えてしまうの

 

勝つことだけにこだわり続ければ、いつかは必ずそのくだらなさ、不毛さに気づく。何歳で、どんな局面で気づけるかはわからないけれど、そんな自分が幸せではなく、その先にも幸福感がないということが、実感としてわかる瞬間が

 

しかし、基礎を正確に習得し、結果としてまったく意識することなく基礎的なことを出せるようにならなければ、その先の個性は発揮されないし、能力や才能が開花することも

 

でも、好きで仕方がなく、その世界で何かを後世に残したいと思うのなら、絶対に基礎固めをスルーしないでほしい。本当の課題は、どうすれば上手に定石をクリアできるかではなく、どうすれば無限に上手になれるかのはずだ。僕はそのほうがずっと価値が高いと

 

では、傷だらけになる基礎の習得方法を具体的に書いていこう。  僕がいう「基礎固め」とか、「基礎をしっかり作ろう」とは、現象としては疑問を持ちながら極めて地味な作業を繰り返すことだ。この段階では、まだ個性は出しようがない。なぜこの基礎は大切なのか、なぜこうなっているのかを考えながら習得していくプロセスになる。  キーワードは、分解と反復である。しっかり学ぶと決めた以上は、面倒でも一度すべてバラさなければなら

 

次のテーマは、いつまで反復するのか、あるいはどういう状態になれば「できるようになった」と思えるかだ。  僕の場合は、「無意識にできるようになったらクリア」ということに

 

「正確さ」「速さ」「力を使わない」を同時に追求

 

失敗から学べる最大の要素は、繰り返し述べているが、表向きの勝負に100% 勝つことは絶対にできないことだ。常に勝てることなど、ありえない。どこかで必ず失敗

 

そこに気づけると、失敗や敗戦から、自分がしてはいけないことを汲み取れる。失敗するなら気持ちよく、有意義に失敗しようと考えられる。  同時に失敗のショックも軽くなり、その後のモチベーションも高まる。二重の意味で、その後の自分自身が成長する原動力になる。  僕の場合は、成功したケースよりも、失敗した場合のほうが、経験を得やすい。

 

僕が考えている成長の持続は、あくまで一定のペースであることがベストだ。何があろうと揺るがず、常に一定のペースで持続することを大切にして

 

というのは、一時期過度に頑張ると、その反動で穴埋めするどころか、かえって後でサボる分の悪影響のほうが大きいのだ。ドーピングの副作用のようなものだと思う。力を人為的に出しているから

 

大学に受かることが目的ならそれでもいいかもしれない。でも僕は世界一というレベルで戦っているから、自分にしかできないプレーを追求し

 

そのためには、心に波風を立てずに毎日一定のペースを保つほうが有利なのだ。  

 

急にスター選手が現れる。ベテラン選手が故障した穴埋めに使われた選手が、本家を食う活躍を見せる。反対に、あんなに活躍していた選手が、少しリズムを狂わせただけでやがてスタメンから外れ、1軍からも追い出されて球界を去っていく。  実は、高いレベルに行き着いた人たちの間での差は、極めてわずかなのだ。  そして、極めてわずかな差を争っている以上、そのレベルにおける成長とは、本当に小さな、注意深く見ていないと見逃してしまうような進歩でしかない。素人にはよくわからないし、多少野球を知っている人に語ったところで、何を意味しているのかなかなか理解してもらえ

 

ちょうどこの章の最初で述べた、平坦な道がやがて厳しい坂となり、

は垂直の壁を、ピッケルを使ってよじ登るような有様になる。スイスイ成長できた少年時代とはまったく異なる、小さな小さな成長を重ねなければならない。そしてそれを実感できなければモチベーションを失って、あっという間に壁から落下してしまうの

 

僕は、自分自身が成長し続けることと同時に、成長し続けている事実を自分で把握することも大切な能力だと考えている。特に、レベルが上がってくれば来るほど重要度が増す。同じレベルかそれ以上のライバルにしかわからないし、彼らは普通励ましてくれたりはしない。だから自分でしっかりモニターをすることが大切になる。  そのために大切なのは、実は普段から小さな変化を見逃さないように

観察力。そしてそれを記録にとどめることだ。  何も、すごいことが要求されるわけでは

 

僕は、少しでも変化を感じたら、見逃さずにその場ですべてメモに残す

にしている。携帯を取り出して、メモ帳に記録していくのだ。  それは、後で記録を見返すための、日記的な意味があるのと同時に、その作業を続けることで、自分は確実に成長していると自分に気づかせ、モチベーションを保つという意味を持って

 

結局は、自分のペースでアクセルを踏み続けていた僕が残る。というより、僕しか残っていないような状況というのが正しいと思う。  成長の持続は、終わりのないレースだと思ってほしい。最後まで走っていること、最後まで成長し続けていることが大切なのであって、途中のスピードや順位には固執しない。大切なのは、焦らないこと

 

そして、成長し続けることができれば、実はどんなレースにも対応できるようになる。クルマはやめてバイクにしても、自転車で走ってみてもいい。種目は変わっても、相変わらずゴールはないのだから、結局は成長し続けられる人が、どんな変化が起ころうと、勝てる仕組みになって

 

レベルが高くなってくれば来るほど、最短距離を走ったことによる「不合理さ」が目立ってくる。最短距離なのに合理的でないとはおかしいと思うだろう。しかしそこは矛盾しない。高いレベルの勝負は、結局まだどの人間も見たことのない世界である。そんなところで何が合理的かなんて、人間にはわからないのだ。  その程度に、人間社会は不完全で、複雑だ。見えないことがあるから面白い。知らない知識、発見されていない価値がたくさんある。  それを汲み取ることができるのは、思考を続けた人だけなの

 

幸運で勝ってもおごらない  人間は不思議で、不運で負けた時には比較的運を意識しやすいのに対して、幸運に恵まれて勝ったときは、自分の実力だと過信し

 

それでも、たとえ幸運の力を借りていようと、やはり人間だから勝てば

なる。そして不安が薄くなり、反省に気が向かなくなる。  だから僕は、勝った時、特に幸運で勝利を手に入れた時ほど、意識して自分を戒める。自分の実力で勝ったと思い込んでいる要素も、実は運が向いただけなのではないかという視点で検証する。おごりを抑え、本当は反省しなければいけない要素を見逃さず、確実に成長につなげていくためのテクニック

 

もっとも気をつけなければならないのは、大きな大会での優勝だ。  大勢が集まり、大画面で相手を倒して、話し声が聞こえなくなるくらい大きな拍手と賞賛を浴びる。さすがに嬉しいし、お酒もうまい。  でも、そうした最大級の勝利においても、余韻は極力引きずらないように気をつける。

 

なぜなら、一気に自分本来のペースを乱してしまうリスクがあるから

 

少し 反芻 したら反省を始め、そしてできるだけ早く、いつもどおりの自分のペースに戻し、持続的な、マイペースの成長を続けられるよう調整する。そうしないと、いつまでたっても舌が大味に慣れてしまい、いつもの小さな変化を見逃すようになってしまうから

 

でも、現実はそうではない。勝ち続けているからこそ、時に幸運が重なって大きなタイトルも取れる。勝ち続けられなくなれば、もうそのステージに上ることすらできなくなってしまうの

 

だから、結果としての勝敗そのものは、それほど重要視するようなものではないと思うし、重要視してはいけ

 

なら、今日の試合に勝とうと負けようと、ここに至るまでの自分自身の価値が変わるとは思わない。そして明日は今日より成長する。今日の結果には左右されない。  だから、まったく落ち込みはしないの

 

だから、緊張に対して直接的に対処する方法はない。大舞台の1日よりも、毎日毎日成長し続けられている自分に、心から自信と満足感、そして

感を持っていれば、結果として緊張しなく

 

僕が大舞台に強いのは、それを知っているために、心に余裕があるからにすぎない。負けても別に自分の価値は変わらないことを、何よりも自分自身が一番よくわかっているからだ。そして、その余裕がプレーの余裕になって現れるの

 

同時に、「自分の性格を直したい」、あるいは「○○な自分になりたい」と思ったら、まずはその行動を繰り返してしまう。  優しくなりたい、穏やかになりたいと願うなら、取りあえず優しい人、穏やかな人がする行動を、とにかく繰り返し繰り返し実践

すると、早口をやめたことで、そもそも人を攻撃しようという気持ちが薄くなっていった。あれっ、どうしちゃったんだ? と思うくらい、心が穏やかになった。  だから、最初は嘘だと思って、かっこつけたいなどという動機でもいいから、とにかく始めてみるといい。僕は経験的に行動から感情をコントロールできることを知ってから、あらゆることに応用できるようになった。  

 

僕はすでに述べたとおり、自分の成長を判別するのは自分の「内的な評価」であって、外的な評価に依存しないことを知って

 

批判を受け止めてしまうことの本質的な問題は、「自分がいけない気になってしまうこと」だからだ。それは成長を邪魔

 

良い結果の中にも、本当はミスや反省点がある。いい気分になるとそこ

見逃してしまい、やはり成長を阻害

また、すでに述べたとおり、ほめられた分だけ落下、つまり批判のエネルギーが溜まっていることも知っておかなければならない。いつか必ず反転する、くらいに考えていてもいいくらい

 

SNSの普及は大変なものがあるが、正直に感想を述べると、当たり障りのないやり取りを高い密度で繰り返したところで、ただ群れているだけで何の成長にもつながらないのではないかと

 

連絡手段、コミュニケーションツールとしては確かに優れている。しかしその中でやり取りされるコミュニケーションが、結局仲間内での群れの確認、仲間はずれになっていないことの確認作業のための、ほとんど意味のない、思考の伴わないじゃれあいなのだとしたら、結局は成長のない、そして逸脱を許さない「群れ」の状態を、ただネット上で再現しているだけなのではないだろう

 

『勝ち続ける意志力』にも書いたとおり、 99・9% の人は勝ち続けられないのだ。だから、0・1% の人たち同士が出会わない限り、基本的には孤独を抜け出すことはない。成長を目指し、勝ち続けようとする人は、世間との対立から逃げられない。そして、逃げてもいけないの

 

孤独に耐えたからこそ得られる人間関係がある  孤独歴が 20 年近い僕の経験をいえば、孤独には慣れることができる。

 

それは、自分を信じられるようになり、自分の成長を感じ、自分への愛情、自分による自分自身の評価が上がれば上がるほど、孤独への恐怖を感じなくなっていくと

 

努力すること、成長を続けることは、それ自体が幸福感に直結している。だから、成果を求めてはいけないし、成果が必ず出るなんて考えるのはおごりそのもの

 

今成長を続けている人、これからしてみようと考えている人に僕が言えるのは、「厳しい期間は、思ったより長い」ということだ。  しかし確実なのは、成長しなければ何もなく、幸福感も得られない、

ことだ。だから諦めない限りは、「たぶんこの道は長いんだろうな」と思いながら、自分のペースで進んでいくことなの

今しかできないこと、今しか感じられないこと。今しか考えられないこともあれば、今しか味わえない幸福もあるだろ

 

今日は、1分深く考えればよしとする。明日1分 30 秒考えればなおいい。できる人から見たら、亀にも劣る足取りかもしれません。でも僕はずっと成長を感じ続けられたし、そのペースを崩さなかったおかげで、今も世界一のプロ・ゲーマーであり続けています。そして目一杯幸せを感じているからこそ、まだまだ自分が成長できる気がし

 

万が一僕が格闘ゲームをやめて、何らかの世界に再び新人として飛び込んだとしても、もうかつてのようなことはないと思います。頑張り方、成長の方法、そしてそれを幸福と結びつけることの意義を知っているから

 

だから、きっとどこでもやっていける。  きっと死ぬまで、僕の成長は続きます。  成長は、死ぬ瞬間まで続けられるのです。なんと嬉しいことだろうかと思います。  だってこの先、死ぬ瞬間まで、僕はずっと幸せでいられるの

 

 

 

200.勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 梅原大吾

「結果を出す」ことと「結果を出し続ける」ことは根本的に性質が異なる。  結論から言えば、勝つことに執着している人間は、勝ち続けることができないということなのだが、この一言で「なるほど、そうか」と膝を打てて

 

人が大勢いるようなら、そもそも僕がこのような本を書く必要はなかっただろう。現実においては、勝ち続ける人間、結果を出し続ける人間は極めて 稀 なのである。勝てるかと問われて 頷くことはできても、勝ち続けられるかと問われると返答に 窮するのが普通だろ

 

スピードや反射神経に頼るのではなく、戦術や戦略を重視し、応用力を身につければ年齢は少しも怖くない。自分の得意なものを捨てて、いかに勝つか。そこを追求する。「この技ができるから細かいことはいらない」と考えるのではなく、自分の得意な技があったとしてもそれに頼らず、どんな状況でも勝てる方法を探るべきで

 

勝ち続けるためには、勝って天狗にならず、負けてなお卑屈にならないという絶妙な精神状態を保つことで、バランスを崩さず真摯にゲームと向き合い続ける必要が

 

どんなことがあっても平常心を保てれば、そんな相手に負けるわけはない。それに気づいてからは、そういうアンフェアなことは一切しなくなっ

 

相手を弱くすることよりも、自分が強くなることの方が大事だと分かったのだ。人の邪魔をすることで優位に立とうとする人はいるだろうが、そういう人はいずれ消えていく運命にあると悟っ

 

僕にとっての正しい努力。それはズバリ、変化することだ。  昨日と同じ自分でいない──。  そんな意識が自分を成長させてくれる。

 

一歩後退しても、その後退には意味があり、それがきっかけで二歩進む方法が見えてくることもある。  変化を続けていれば、きっと正しいことが見つかる。また、正しくないことが見つかれば、その反対が正しいことだと分かる。だから、前へ進める。  成長というのは、とにもかくにも同じ場所にいないことで促進される。  そして、常に成長していれば年を取っても、ゲームが新しくなっても、若くて有能なプレイヤーが出てきても、変わらず勝ち続けることができると考えて

 

不思議なもので、ゲームのプレイ内容と人間性はリンクしているケースが多い。  おそらく子どもの頃から培ってきた人間性、性格、攻撃性、堅さ、上手さ、 狡 さなどが、ゲームを通して表層化されるのだろう。  普段から攻撃的な人は強気の戦いを見せるし、理屈っぽい人は理詰めの戦いをする、弱気で臆病な人はどうしても守り中心に

 

それから、たくさん本を読んでいた。スポーツ選手の自伝とか、将棋の名人の対戦時のエピソードとか、ジャンルは違うけど勝負の世界に生きている人たちの言葉は、ときに参考になっ

 

とにかく、大事なのは変わり続けることだ。  良くなるか悪くなるか、そこまでは誰にも分からない。しかし経験から言うと、ただ変え続けるだけで、最終的にいまより必ず高みに登ることができる。  

 

人の目を気にしないことで、もうひとついいことがある。それは、絶対的な集中力が身につくということだ。自分を持っている人は、「俺はこれでいい」と確信できている人なので、圧倒的な集中力が

 

そんなはずはないのだけれど、ある日、誰かが僕のことを認めてくれるかもしれない。ゲームが上手いということだけでは認めてもらえないかもしれないが、僕がやっていることは〝人を理解する〟ことが欠かせないし、表面的な戦略だけでは勝ち続けられない高尚な世界だ。そこを追求して勝ち続けているのだから、いつか誰かが評価して

 

何かを身につけたいと思うのであれば、 丁寧 に、慎重に、基本を学ぶべきだ。下手なうちから独自の取り組み方をしたり、自由に伸び伸び練習したりすると、最終的に底の浅い仕上がりになってしまう。  少なくとも2年、あるいは3年、基礎を学ぶ必要がある。自分の我を通すことなく、セオリックなことを学ぶべきだと考えて

 

その頃は、勝つために役に立つと思ったことは片っ端から試していた。そのために本もたくさん読んだ。ジャンルを問わず、考え方の本や戦術の本は相当な量を読破したと思う。しかし、読めば読むほど、考えれば考えるほどに、戦術や理屈の部分というのは人と同じようなものになって次第に参考にならなくなり、もっと大事なことがありそう

という結論に至った。  結局、型にはまってしまうのは、失敗を避け、有名になりたいとか、目立ちたいとか、誰かに認めてもらいたいと願う欲望ではないだろうか。そして、結局はその欲望が自分自身を委縮させてしまうの

 

そのとき初めて、人生で一度だけ、「俺、どうして学校の勉強ちゃんとしてこなかったんだろう」と本気で後悔した。あまりにも情けなかったので、「勉強しなくてもいい。自分の好きなこと、本気でやりたいことを見つけろ」と言っていた父を非難する気持ちにさえなっ

 

介護の仕事を続けたのは約1年半。その間、ゲームのことは考えなかった。  これが普通の人生なのだろうなと思った。得意なことを披露する場もなく、立場的に仕方なく周りの言うことを聞きながら仕事を

 

いまだに「このなかから将来の仕事を決めなさい」と言われたときの絶望感は忘れられない。世の中というものは、そんなにつまらないものなのかとがっかりした。日本という国は、大人から示された道しか選べないのかと思ってむしゃくしゃし

 

僕は勉強するならするで、その理由が知りたかった。  しかし、どうして勉強するのか、その理由を教えてくれる先生はいなかった。  

 

誰にも負けないくらいやり込んできたという自負があれば、どんな相手

気持ちで負けることはない。しかし、賞金目当てで頑張ってきた人間の気持ちは驚くほど弱い。そのことに気づいたので、目的を見誤ってはいけないと実感し

そのことに気づいてからようやく、勝つことより成長し続けることを目的と考えるようになった。ゲームを通して自分が成長し、ひいては人生を充実させる。いまは、そのために頑張っているんだ、

 

絶対に負けられないと思っているプレイヤーは、だいたい土壇場で委縮してしまう。一方で、日々の練習に 60 の喜びを見出していると、負けても毎日が楽しいから大丈夫だと、気を楽にして自然体で勝負に挑むことができる。その結果、リスキーな局面でも大胆な行動に出ることが

 

大会を重視する行為は、自分の成長のリズムを崩すと知っているからだ。目標に過ぎない大会に固執せず、目的である自身の成長に目を向けている。それが「勝ち続ける」ことにつながってくる。  

 

自分にとっての適量を考えるなら、 「その努力は 10 年続けられるものなのか?」  自問自答してみるのがいい。甘過ぎることもなく、厳し過ぎるわけでもない。 10 年続けられる努力であれば、ちょうどいいと言える。   10 年続けられる努力かどうか考えれば、おのずと自分にとっての努力の適量、正しい努力の度合いが見えてくるのではないだろうか。  

 

人間は易きに流れる傾向がある。  だから、継続できるサイクルを作ることは、あるいは意識の変化と同等か、それ以上に大事なことではないかと思って

 

毎日の努力を放棄していても、目標があれば気持ちを 誤魔化せてしまう。「大会まで2カ月あるから、今日は頑張らなくていい」と余裕を持って構えてしまう。そして大会が終わった途端に、頑張る理由もなくなるだろう。そんな波のある生活をしていては、日々のサイクルなど保つことはでき

 

日々の成長、自身の成長を目的と考えている僕にとって、甘えること、サボることはもっとも避けなくてはいけないことで

 

ゲームと向き合っている人間は、あたかも一匹狼のように思われがちだ。しかし僕は、そんな格好いい男ではない。人付き合いから学べること、ゲーム業界と一切関係ないジャンルに生きる人から学べることは多く、親しい人と飲むお酒はやっぱり

 

自分自身に学ぼうとする意欲がある限り、どんな人、どんな本、どんな言葉からでも学びを得ることは

 

格闘ゲームは人間同士のぶつかり合いだ。ふたりをつないでいるものはゲームだが、対戦しているのは、ひとりの人間とひとりの人間である。だからこそ人との触れ合いは掛けがえのない時間として大切にすべきだろ

 

対戦から得られるもの、自分の成長がすべてなのだ。  勝ちから得られる収穫があればいいし、負けから学ぶことがあれば

 

もし、僕のことを負かしてくれるプレイヤーがいるなら、ありがたいとさえ感じる。その相手が課題に気づかせてくれるわけで、課題を修正することで成長できるから

 

日頃から100の喜びは感じないように努めているから、 80 の喜びは最大級の喜びと言って差し支えない破格のご 褒美

 

大きな変化、大きな成長を求めると、それを得られなかったとき、モチベーションが低下してしまう。だから1日1日、少しの変化で満足できる

でありたい。継続することが大切だと感じる自分であり

飛躍的な成長や裏技、必殺技を得ようと思わない。一気にレベルアップしなくても、一歩一歩階段を登ればそれでいいの

 

人は、過去の栄光にすがると弱く

 

チャンピオンが常に勝てるとは限らない。チャンピオンになることより、勝ち続けること、成長し続けることの方が遥かに難しいし、価値がある。そのことを思い知ると慢心が消え、次の日からまたチャレンジャーの気持ちで戦うことが

 

自分が満足しかけていると感じたときほど、自分を追い込み、 虐めて

 

若いうちから失敗癖をつけておけば、トライ& エラーが当たり前の習慣になる。失敗に強く

 

ところが、視野が広がるにつれて考えが変わってきた。  運に頼る人間は勝ち続けられない。その真実に気づいた。勝ち続ける人間は、運が悪くても勝てる道を追求し続けている人間だ。  いわば、運に頼らない覚悟を持っていると言ってもいいだろ

 

「運・不運なんて関係ない」  そう断言できるようになった者のみが、運・不運すら超える、神技の領域へと踏み込んでいくことができる。  僕は運が悪くても勝てる道を模索するための方法を、この本に記したつもりだ。