201.勝負論 ウメハラの流儀 梅原大吾

これは子供にも読んでほしい&理解してほしい本

 

 

ずいぶんな回り道をしたあげく、僕は 27 歳で再びゲームセンターに戻ってきました。すると、勝ち負けにこだわらない勝負の形があること、勝つことへの執着から解放されるようになって、かえって勝てるようになることを悟り

 

勝ち続ける、というのは、つまり成長し続けているということです。  同時に、決して誤解してほしくないのは、ある時点での実力差、能力差は、その後の成長力で必ず埋められるということです。これは、どんな世界でも共通していることだと思い

 

だから、実は目先の勝負に勝ったか負けたかは、「勝ち続ける」こととは必ずしも一致しません。むしろ、勝ちにこだわりすぎるあまり勝てなくなることや、ある勝負に勝ったことでその後勝ち続けられなくなることもあるし、無残に敗れたことでよりいっそう成長が促され、勝ち続けることが

ようなケースもあるの

取り組み初めの段階で、ボロボロになりながらも自分の頭と身体で理解できるまで基礎を繰り返し、自分がしていることの本質を知る力が、実は誰にも真似のできないプレーを生み出す素地になっていき

 

勝負をする以上、基本的には勝つことを目指すし、勝ちにはある程度

ていきたい。しかし本当は、他人に勝つことではなく、成長することが勝利で

 

常に目を切らさないようにしているのは、自分自身の成長である。そして、自分が成長の軌道に乗っているかどうかの確認作業

 

でも、そのことによって僕が「勝ち続けていること」が終わったとはまったく思わない。その基準は、自分が変化しているかどうか、つまり、成長しているかどうかだから

 

あるゲームに負け、反省をし、自分の中に良い変化、つまり成長があれば、それは勝ち続けられている状態にある。反対に、負けたことで腐り、ふてくされたり、たまたま運が味方して勝ったことで浮かれ、そこから何も受け取らずに成長しなかったりすれば、変化がない以上「負け」なの

 

なかでも、「最初のうちだけ、ちょっと勝つ」というのはとても損だと思う。才能だけで走り始め、あっという間に限界に当たってボロボロになるまで叩かれ、諦める。結果論にすぎないけれど、もしそれが最初からわかっているのなら、最初からやらないほうが

 

それでも僕は、もう一度格闘ゲームの世界に戻ってきた。  その理由は、自分には勝負の世界のほうが、格闘ゲームで努力することのほうが成長が実感できて、楽しかったから

 

勝つことで不幸になる、という局面は実際に存在する。表面的に「勝ち」に見える現象が、幸福とイコールではない状況が

 

僕は、「勝負とは何か」「何が勝ちで何が負けなのか」、そして「勝ち

とはどういう状態をいうのか」を知りたければ、結局のところ「自分にとっての幸せとは何か」「自分が幸せになるにはどうすればいいのか」を考える作業が絶対に必要になると

 

成長につながっているという満足感があれば、勝ち続けている状態に近づいていることになる。ならば、どういう局面でそう感じるのだろう

 

かつては、身体を壊してしまうほど勝ち負けの結果に固執していた。もちろん勝負である以上今でも勝ちにこだわって戦っているけれど、ある時点の結果によって気持ちが左右されることはなくなった。本当に大切なのは自分の成長であり、それこそが「勝ち続ける」ことの姿だとわかったからだ。  すると結果として、自分のレベルは上がっていく。先ほどの図 ① における矢印の向きをもう一度見てほしい。  これは、サイクルとか、ループのようなものである。

 

ある勝負をする。もちろん勝ちを目指すけれど、その時点でやるべきことをできていれば、結果は問わない。  すると、勝っても負けても必ず得るものがある。成長

 

成長できることは、人生の楽しみであり、幸せそのものである。そしてより努力ができて、結果として勝負にも強くなってしまう。勝負する、成長する、楽しくなる、より勝ちやすくなる、というループがあるの

 

勝負の世界にいながら途中で諦めてしまう人は、このシンプルな仕組みをまだ体感できていないだけなのではないかと思う。僕自身もそうだった。本当は勝負の結果ではなく、成長を実感していることが大切だったの

 

少し勇気を出して打ち込んでみる。そこに楽しさを 見出せれば、理論的には無限に成長できる。だから本当は、ちょっと勇気を出すことだけが大切なのだ。  僕が

 

それでも「おっさん」は、ひたすら、一生懸命に、そしてノリノリで踊り続けている。はたから見ている限り、彼が周囲を気にしている様子は、まったくと言っていいほど感じられなかった。  僕は、この「おっさん」の姿が、頑張っていること、「勝ち続けている」ことの、ひとつの具体的な例だと思う。本人が心からやりたいと思い、好きだからひたすら踊り続けている。それに対する世間の評価がどうであろうと、全然構わない。  なぜなら、自分が幸せだからだ。

 

勝ち続けること、成長することとは、結局「できないことができるようになること」であり、「知らないことを知ること」ともいえる。そして表面的な勝利の確率は、できないことができること、知らなかった知識が増えたことによって、結果的にはより高くなる。

 

でも現実の世界は違う。どんなに最初のうちは勝ち続け、豪華な 鎧 を着て、戦闘力の高い剣を 揃えようと、本人の努力の量が減れば、容赦なく、正直に身体はブヨブヨになってしまう。  だから、成長し続けなければならないのだ。特に大きな勝利を収めた時ほど、意識的に自分にムチを打ってでも自分を追い込むようにしなければならない。  

 

他人のことをとやかく言う必要はないけれど、僕の感じた思いを素直に述べると、外形的なものにこだわって生きている人ほど、やがて行き詰まっている。つまらなそうに生きて

 

世間体を気にして就いた職業、収入だけを目的に選んだ仕事は、結局どんなに成功しようと、僕には楽しそうには見え

 

どうしても目標という言葉を使うのなら、「毎日、来る日も来る日も、自分を成長させるリズムを維持すること」が該当する。それが一番大切なことだから

 

その循環がキープできている限り僕は満足し続けられる。だから現時点は、いい循環を保っていると思う。  だが、残念なことに、多くの方はこうした形で幸福感を得ていない。

 

自分が幸福かどうかを、目標を達成したかどうかでだけ考えてしまいがちのように

テストで良い点を取り、良い成績を収めること。よりレベルの高い高校、大学に入ること。給料の高い会社、安定した仕事に就くこと。  そうした目標を達成しては喜ぶ。また、達成できなかったといって悔しがったり、自分を敗者だと感じてしまったりする。  僕の目には、こうした目標の達成に成功した人も失敗した人も、それを目標と感じてしまっている時点で、自分で考える力が身についてないと感じて

 

世間から与えられたものだけが目標になるわけではない。  今の僕は、自分自身にとっての幸せを、テストや成績表、高校や大学、

や身分だけが与えてくれるとはまったく思えなくなった。  結果がどうであろうと、そこに至る過程で自分自身にどういう形でいい変化があり、それを持続できているか。僕にとっては、それだけが評価のもとだからだ。  逆にいえば、世間でいう目標などその程度のものでしかない。目標を達成できなかったからといって、心を病むほど自分を責めたり、ひどく落ち込んだりするのはもったいない話だと

 

俺は不幸だ、世間が悪い、会社が悪い、景気が悪いなどといくら言ってみても、たとえ本当に世間や会社が悪かったとしても、自分自身は結局不幸なままだ。成長できず負け続けることになる。  それよりも、自分が成長していないこと自体を恐れてほしい。

 

努力するべきところは、もっと別のところにある。  そして、自分にとっての価値を自分で設定できれば、こうした目標から自由になることができる。   強すぎる思いが自分自身

 

その結果僕がつかんだのは、勝つためだけに生きるのではなく、自分の成長を考えることで最終的に勝ってしまう、今のスタイルだったのだ。  目の前の勝ちを 貪欲 に拾って成長できるなら勝てばいいし、勝つようにすればいい。しかし、勝っても成長には結びつかない局面は確実に存在する。もちろん、負けても成長できるケースも

 

幸せは、基本的に自分の内側から作り出すものだ。そして、自分だけは

に 騙せない。どんなに勝っても自分が不幸を感じるなら、結局それは負けなのだ。  僕は勝ったのに幸福感が下がった経験があったからこそ、今このことを述べられる。  この本には、ただ勝ちたいという人にとっても、有効なヒントはあるはずだ。しかし本当に考えてほしいのは、自分にとっての「勝ち」と、今目の前の勝負に必ず勝つことは必ずしもイコールではないということで

 

わかりやすくいうと、今の僕には、「とにかく勝てばいい」と表面上の勝ちにこだわっている人は、まだ痛い目に遭っていないからそんなことが言えるのだろう、と見えてしまうの

 

勝つことだけにこだわり続ければ、いつかは必ずそのくだらなさ、不毛さに気づく。何歳で、どんな局面で気づけるかはわからないけれど、そんな自分が幸せではなく、その先にも幸福感がないということが、実感としてわかる瞬間が

 

しかし、基礎を正確に習得し、結果としてまったく意識することなく基礎的なことを出せるようにならなければ、その先の個性は発揮されないし、能力や才能が開花することも

 

でも、好きで仕方がなく、その世界で何かを後世に残したいと思うのなら、絶対に基礎固めをスルーしないでほしい。本当の課題は、どうすれば上手に定石をクリアできるかではなく、どうすれば無限に上手になれるかのはずだ。僕はそのほうがずっと価値が高いと

 

では、傷だらけになる基礎の習得方法を具体的に書いていこう。  僕がいう「基礎固め」とか、「基礎をしっかり作ろう」とは、現象としては疑問を持ちながら極めて地味な作業を繰り返すことだ。この段階では、まだ個性は出しようがない。なぜこの基礎は大切なのか、なぜこうなっているのかを考えながら習得していくプロセスになる。  キーワードは、分解と反復である。しっかり学ぶと決めた以上は、面倒でも一度すべてバラさなければなら

 

次のテーマは、いつまで反復するのか、あるいはどういう状態になれば「できるようになった」と思えるかだ。  僕の場合は、「無意識にできるようになったらクリア」ということに

 

「正確さ」「速さ」「力を使わない」を同時に追求

 

失敗から学べる最大の要素は、繰り返し述べているが、表向きの勝負に100% 勝つことは絶対にできないことだ。常に勝てることなど、ありえない。どこかで必ず失敗

 

そこに気づけると、失敗や敗戦から、自分がしてはいけないことを汲み取れる。失敗するなら気持ちよく、有意義に失敗しようと考えられる。  同時に失敗のショックも軽くなり、その後のモチベーションも高まる。二重の意味で、その後の自分自身が成長する原動力になる。  僕の場合は、成功したケースよりも、失敗した場合のほうが、経験を得やすい。

 

僕が考えている成長の持続は、あくまで一定のペースであることがベストだ。何があろうと揺るがず、常に一定のペースで持続することを大切にして

 

というのは、一時期過度に頑張ると、その反動で穴埋めするどころか、かえって後でサボる分の悪影響のほうが大きいのだ。ドーピングの副作用のようなものだと思う。力を人為的に出しているから

 

大学に受かることが目的ならそれでもいいかもしれない。でも僕は世界一というレベルで戦っているから、自分にしかできないプレーを追求し

 

そのためには、心に波風を立てずに毎日一定のペースを保つほうが有利なのだ。  

 

急にスター選手が現れる。ベテラン選手が故障した穴埋めに使われた選手が、本家を食う活躍を見せる。反対に、あんなに活躍していた選手が、少しリズムを狂わせただけでやがてスタメンから外れ、1軍からも追い出されて球界を去っていく。  実は、高いレベルに行き着いた人たちの間での差は、極めてわずかなのだ。  そして、極めてわずかな差を争っている以上、そのレベルにおける成長とは、本当に小さな、注意深く見ていないと見逃してしまうような進歩でしかない。素人にはよくわからないし、多少野球を知っている人に語ったところで、何を意味しているのかなかなか理解してもらえ

 

ちょうどこの章の最初で述べた、平坦な道がやがて厳しい坂となり、

は垂直の壁を、ピッケルを使ってよじ登るような有様になる。スイスイ成長できた少年時代とはまったく異なる、小さな小さな成長を重ねなければならない。そしてそれを実感できなければモチベーションを失って、あっという間に壁から落下してしまうの

 

僕は、自分自身が成長し続けることと同時に、成長し続けている事実を自分で把握することも大切な能力だと考えている。特に、レベルが上がってくれば来るほど重要度が増す。同じレベルかそれ以上のライバルにしかわからないし、彼らは普通励ましてくれたりはしない。だから自分でしっかりモニターをすることが大切になる。  そのために大切なのは、実は普段から小さな変化を見逃さないように

観察力。そしてそれを記録にとどめることだ。  何も、すごいことが要求されるわけでは

 

僕は、少しでも変化を感じたら、見逃さずにその場ですべてメモに残す

にしている。携帯を取り出して、メモ帳に記録していくのだ。  それは、後で記録を見返すための、日記的な意味があるのと同時に、その作業を続けることで、自分は確実に成長していると自分に気づかせ、モチベーションを保つという意味を持って

 

結局は、自分のペースでアクセルを踏み続けていた僕が残る。というより、僕しか残っていないような状況というのが正しいと思う。  成長の持続は、終わりのないレースだと思ってほしい。最後まで走っていること、最後まで成長し続けていることが大切なのであって、途中のスピードや順位には固執しない。大切なのは、焦らないこと

 

そして、成長し続けることができれば、実はどんなレースにも対応できるようになる。クルマはやめてバイクにしても、自転車で走ってみてもいい。種目は変わっても、相変わらずゴールはないのだから、結局は成長し続けられる人が、どんな変化が起ころうと、勝てる仕組みになって

 

レベルが高くなってくれば来るほど、最短距離を走ったことによる「不合理さ」が目立ってくる。最短距離なのに合理的でないとはおかしいと思うだろう。しかしそこは矛盾しない。高いレベルの勝負は、結局まだどの人間も見たことのない世界である。そんなところで何が合理的かなんて、人間にはわからないのだ。  その程度に、人間社会は不完全で、複雑だ。見えないことがあるから面白い。知らない知識、発見されていない価値がたくさんある。  それを汲み取ることができるのは、思考を続けた人だけなの

 

幸運で勝ってもおごらない  人間は不思議で、不運で負けた時には比較的運を意識しやすいのに対して、幸運に恵まれて勝ったときは、自分の実力だと過信し

 

それでも、たとえ幸運の力を借りていようと、やはり人間だから勝てば

なる。そして不安が薄くなり、反省に気が向かなくなる。  だから僕は、勝った時、特に幸運で勝利を手に入れた時ほど、意識して自分を戒める。自分の実力で勝ったと思い込んでいる要素も、実は運が向いただけなのではないかという視点で検証する。おごりを抑え、本当は反省しなければいけない要素を見逃さず、確実に成長につなげていくためのテクニック

 

もっとも気をつけなければならないのは、大きな大会での優勝だ。  大勢が集まり、大画面で相手を倒して、話し声が聞こえなくなるくらい大きな拍手と賞賛を浴びる。さすがに嬉しいし、お酒もうまい。  でも、そうした最大級の勝利においても、余韻は極力引きずらないように気をつける。

 

なぜなら、一気に自分本来のペースを乱してしまうリスクがあるから

 

少し 反芻 したら反省を始め、そしてできるだけ早く、いつもどおりの自分のペースに戻し、持続的な、マイペースの成長を続けられるよう調整する。そうしないと、いつまでたっても舌が大味に慣れてしまい、いつもの小さな変化を見逃すようになってしまうから

 

でも、現実はそうではない。勝ち続けているからこそ、時に幸運が重なって大きなタイトルも取れる。勝ち続けられなくなれば、もうそのステージに上ることすらできなくなってしまうの

 

だから、結果としての勝敗そのものは、それほど重要視するようなものではないと思うし、重要視してはいけ

 

なら、今日の試合に勝とうと負けようと、ここに至るまでの自分自身の価値が変わるとは思わない。そして明日は今日より成長する。今日の結果には左右されない。  だから、まったく落ち込みはしないの

 

だから、緊張に対して直接的に対処する方法はない。大舞台の1日よりも、毎日毎日成長し続けられている自分に、心から自信と満足感、そして

感を持っていれば、結果として緊張しなく

 

僕が大舞台に強いのは、それを知っているために、心に余裕があるからにすぎない。負けても別に自分の価値は変わらないことを、何よりも自分自身が一番よくわかっているからだ。そして、その余裕がプレーの余裕になって現れるの

 

同時に、「自分の性格を直したい」、あるいは「○○な自分になりたい」と思ったら、まずはその行動を繰り返してしまう。  優しくなりたい、穏やかになりたいと願うなら、取りあえず優しい人、穏やかな人がする行動を、とにかく繰り返し繰り返し実践

すると、早口をやめたことで、そもそも人を攻撃しようという気持ちが薄くなっていった。あれっ、どうしちゃったんだ? と思うくらい、心が穏やかになった。  だから、最初は嘘だと思って、かっこつけたいなどという動機でもいいから、とにかく始めてみるといい。僕は経験的に行動から感情をコントロールできることを知ってから、あらゆることに応用できるようになった。  

 

僕はすでに述べたとおり、自分の成長を判別するのは自分の「内的な評価」であって、外的な評価に依存しないことを知って

 

批判を受け止めてしまうことの本質的な問題は、「自分がいけない気になってしまうこと」だからだ。それは成長を邪魔

 

良い結果の中にも、本当はミスや反省点がある。いい気分になるとそこ

見逃してしまい、やはり成長を阻害

また、すでに述べたとおり、ほめられた分だけ落下、つまり批判のエネルギーが溜まっていることも知っておかなければならない。いつか必ず反転する、くらいに考えていてもいいくらい

 

SNSの普及は大変なものがあるが、正直に感想を述べると、当たり障りのないやり取りを高い密度で繰り返したところで、ただ群れているだけで何の成長にもつながらないのではないかと

 

連絡手段、コミュニケーションツールとしては確かに優れている。しかしその中でやり取りされるコミュニケーションが、結局仲間内での群れの確認、仲間はずれになっていないことの確認作業のための、ほとんど意味のない、思考の伴わないじゃれあいなのだとしたら、結局は成長のない、そして逸脱を許さない「群れ」の状態を、ただネット上で再現しているだけなのではないだろう

 

『勝ち続ける意志力』にも書いたとおり、 99・9% の人は勝ち続けられないのだ。だから、0・1% の人たち同士が出会わない限り、基本的には孤独を抜け出すことはない。成長を目指し、勝ち続けようとする人は、世間との対立から逃げられない。そして、逃げてもいけないの

 

孤独に耐えたからこそ得られる人間関係がある  孤独歴が 20 年近い僕の経験をいえば、孤独には慣れることができる。

 

それは、自分を信じられるようになり、自分の成長を感じ、自分への愛情、自分による自分自身の評価が上がれば上がるほど、孤独への恐怖を感じなくなっていくと

 

努力すること、成長を続けることは、それ自体が幸福感に直結している。だから、成果を求めてはいけないし、成果が必ず出るなんて考えるのはおごりそのもの

 

今成長を続けている人、これからしてみようと考えている人に僕が言えるのは、「厳しい期間は、思ったより長い」ということだ。  しかし確実なのは、成長しなければ何もなく、幸福感も得られない、

ことだ。だから諦めない限りは、「たぶんこの道は長いんだろうな」と思いながら、自分のペースで進んでいくことなの

今しかできないこと、今しか感じられないこと。今しか考えられないこともあれば、今しか味わえない幸福もあるだろ

 

今日は、1分深く考えればよしとする。明日1分 30 秒考えればなおいい。できる人から見たら、亀にも劣る足取りかもしれません。でも僕はずっと成長を感じ続けられたし、そのペースを崩さなかったおかげで、今も世界一のプロ・ゲーマーであり続けています。そして目一杯幸せを感じているからこそ、まだまだ自分が成長できる気がし

 

万が一僕が格闘ゲームをやめて、何らかの世界に再び新人として飛び込んだとしても、もうかつてのようなことはないと思います。頑張り方、成長の方法、そしてそれを幸福と結びつけることの意義を知っているから

 

だから、きっとどこでもやっていける。  きっと死ぬまで、僕の成長は続きます。  成長は、死ぬ瞬間まで続けられるのです。なんと嬉しいことだろうかと思います。  だってこの先、死ぬ瞬間まで、僕はずっと幸せでいられるの