227.人生100年時代のマンション投資の教科書 山越 尚昭

将来の「安心老後」を事前予約できる投資商品。

 

老後の月々の支出は26~35万円程度。

 

退職金の平均額は、2300万円程度。中小企業だと1000万円程度。

 

2018年の金融庁の調べでは、投資信託を買った客の半数が損失を出している。

(つまり、半数は利益が出ている)

 

今後の長い老後に資金的に備えたいのであれば、私達の誰もが「投資」をする必要がある。

226.プリニウス ヤマザキマリ とり・みき

3.動物というのは生まれた時から自分自身の性質に自覚を持っているものだ。あるものは走力を、あるものは泳力を、そしてあるものは飛翔力を。だが人間だけが教育に頼らなくては何一つ知ることもできない。

だからこそ私は他の動物に対して恥ずかしくないように生きようと決めたのだ。人間の特性である知性をできる限り磨こうと。自然にも他の動物と同様に受け入れてもらうためにな。

 

猛々しいライオンですら彼ら同士で無意味に闘ったりはしない。しかし人間は大抵の禍は仲間同士で引き起こされる。

 

人間ほど悲観したり辛さを感じている生き物も他にはいない。

 

象は人間の女性にまで恋心を抱く。自分よりも弱い動物に対しては温和で害を与えるようなことなど決してない。
なのに人間はただですら同種族感で殺し合い自分たちより弱い生き物も殺す。いっそ人間の奴隷なんかよりも象のほうがよほど信頼ができる。

4.バカバカしい。精神の腐った生き物たちの腐った世界。虚栄心、自己欺瞞、富と権力への欲望。それらがどれだけ多くの人々を破滅に招き、責め苦の中に落としてきたというのだ。

懲りずにもう何世紀も何十世紀も同じ過ちを繰り返し続けているのはどうかしている。

 

6.人間が寄り集まった場所を離れると地球はこんなに面白い。地球は興味深い事象や自然現象に満ち満ちています。書物からは得られない驚きと不思議で溢れている。

 

人間のことにしか興味がない人間はろくでもないものにしかならん。

 

7.この世で一番おせっかいな生き物と言ったら人間だよ。

225.具体と抽象 細谷 功

抽象化とは、このような「デフォルメ」です。特徴あるものを大げさに表現する代わりに、その他の特徴は一切無視してしまう大胆さが必要といえます。

 

抽象化とは複数の事象の間に法則を見つける「パターン認識」の能力ともいえます。身の回りのものにパターンを見つけ、それに名前をつけ、法則として複数場面に活用する。これが抽象化による人間の知能のすごさといってよいでしょう。

 

第2章で、抽象化の代表例として「デフォルメされた似顔絵」をあげましたが、いわば図解は、「世の中の事象の関係性」の「とぎすまされた似顔絵」といってもいいでしょう。目や鼻や口は「同じ形」で表現され、それらの「相対的関係性」(大小関係や位置関係)のみを表現したものが図解です。

 

徹底的に抽象度を高めた学問の代表が数学と哲学です。ざっくり言ってしまえば、抽象化の対象を論理の世界だけで説明するもの、つまり純粋に理論的なものが数学です。これに対して、対象が人間の思考や感情など、理論や論理だけでは説明がつかないものが哲学ということになるでしょう。

 

ただし、「頭の使いどころ」は「高度な抽象概念の操作」という点で一致していますから、同時に数学者であり哲学者として一流の仕事を残している人(デカルトパスカルライプニッツなど)が多いのも十分うなずけます。

 

一般に斬新な製品や、革新的な仕組みを作り上げるためには「多数の意見を聞く」ことは適しません。多数の意見はそれぞれの具体レベルに引きずられて、どうしても「いまの延長」の議論しかできなくするからです。逆に、「いまあるものを改善していく」場面では、なるべく多数の人から多数の意見を吸い上げることが必要になります。

 

抽象度が上がれば上がるほど、本質的な課題に迫っていくので、そう簡単に変化はしないものです。「本質をとらえる」という言い方がありますが、これもいかに表面事象から抽象度の高いメッセージを導き出すかということを示しています。

 

人に仕事を頼んだり頼まれたりするときにも、その人の好む「自由度の大きさ」を考慮する必要があります。

 

「こんな感じで適当にやっといて」と言われて、「いい加減な『丸投げ』だ」と不快に思う人は、具体レベルのみの世界に生きる「低い自由度を好む人」です。こういうタイプの人に、自由度の高い仕事の依頼をしたあとに、「 たとえば こんな形で」と具体的なイメージの例を伝えてしまうと、それを「たとえば」にならず、文字どおり「そのまま」やってしまいます。「たとえば」によって抽象度を下げて上位の概念を伝えようとしている意図が、まったく伝わらないからです。

 

逆に、自由度の高い依頼をチャンスととらえ、「好きなようにやっていいんですね?」とやる気になる人が、「具体 抽象」の往復の世界に生きる「高い自由度を好む人」です。

 

まさに本書の「ピラミッド」の形状が示すとおり、抽象の世界は極めれば極めるほど結論はシンプルになっていきます。

 

「人間は考える 葦 である」の言葉を残した数学者であり哲学者であったパスカルは、友人に出した手紙の最後に、「今日は時間がなかったために、このように長い手紙になってしまったことをお許しください」と書きました。これは「具体の世界のみ」に生きる人には理解できない言葉ではないでしょうか。どこまで「単純化」することができるか、これが抽象の世界のすべてです。

 

複雑な事象を徹底的にシンプルに表現することが「美」であるという点が、具体の世界でいう、たとえば「自然が織りなす複雑な景色の美しさ」とは決定的に異なるポイントでしょう。

 

ネット上の主張でも「◯◯は××だ」と「言い切る」のは、そこで「抽象レベルの方向性」を示しているだけで、「(具体レベルの)すべてがそうだ」と言っているわけではありません。ところが具体レベルのみでとらえる人は、それに対する例外事項をあげはじめて「反論」します。これは、まったくレベルがかみ合っていない議論といえます(次の図)。

 

斬新に見えるアイデアも、ほとんどは既存のアイデアの組み合わせであるとよく言われますが、アナロジーとはいわば「遠くからアイデアを借りてくる」ための手法といえます。

 

アナロジーとは、「抽象レベルのまね」です。具体レベルのまねは単なるパクリでも、抽象レベルでまねすれば「斬新なアイデア」となります。ここで重要になるのが、第5章で述べた「関係性」や「構造」の共通性に着目することです。

 

特許で守れるのは、抽象度が低い、直接的に類似性のあるもののみです。逆に抽象度が高いもの(関係性や構造)であれば、合法的に「盗み放題」です。大抵の人はそれが「盗み」であることにすら気づきません(次の図)。

 

抽象化して話せる人は、「要するに何なのか?」をまとめて話すことができます。膨大な情報を目にしても、つねにそれらの個別事象の間から「構造」を抽出し、なんらかの「メッセージ」を読み取ろうとすることを考えるからです。

 

ルールや理論、法則は、大抵の場合は具体的に起こっている事象の「後追い」の知識だったはずです。ところが、一度固定化された抽象度の高い知識(ルールや法則等)は固定観念となって人間の前に立ちはだかり、むしろそれに合わない現実のほうが間違いで、後付けだったはずの理論やルールに現実を合わせようとするのは完全な本末転倒といえます(前の図)。

 

美術を考えてもわかるでしょう。写実的な作品はわかりやすいので、「理解されない」ことはあまりありませんが、抽象画はそうはいきません。他の芸術においても、「抽象的なメッセージ」を持った作品は、往々にして「賛否両論」になります。この場合、「否」の大部分の人は「理解できない」というのが、その作品を否定する理由といえます。

 

人間はどんなに具体的なことしか見ていないように見える人でも、動物からしたら「めちゃくちゃ抽象的」な言葉を操っています。これが「マジックミラー」の怖いところで、自分がその世界に足を踏み入れてしまえば、そのレベルの抽象概念が自然で不可欠なものになります。ところが前述したとおり、抽象と具体は相対的なものなので、さらに上の抽象の世界があるはずです。その、自分には理解できないレベルの抽象を前にすると、私たちは「わからない」と批判の対象にしてしまうのです。

 

「抽象的でわからない」と言うのは、「小金持ちが大金持ちを笑う」ようなものです。人間は一人残らず抽象概念の 塊 なのですが、自分の理解レベルより上位の抽象度で語られると、突然不快になるという性質を持っているようです。

 

高い抽象レベルの視点を持っている人ほど、一見異なる事象が「同じ」に見え、抽象度が低い視点の人ほどすべてが「違って」見えます。したがって抽象化して考える

 

多種多様な経験を積むことはもちろんですが、本を読んだり映画を見たり、芸術を鑑賞することによって実際には経験したことのないことを疑似経験することで、視野を広げることができます。そうすれば、「一見異なるものの共通点を探す」ことができるようになり、やがてそれは無意識の癖のようになっていきます。

 

具体レベルでだけ数学をとらえれば「直接何の役にも立たない」ように見えますが、抽象レベルで見れば数学の「考え方」はどんな職業の人にも毎日必ず役に立つはずなのです。

 

国語も同様です。日常生活で言語として使うだけなら、「日常英会話」と同様、単語と慣用表現などの「日常日本語会話」だけ学べばよいのです。それをわざわざ膨大な時間をかけて、難解な長文を要約したり、自分の考えをまとめたりする練習をするのは、抽象と具体の往復運動という頭の体操のためなのです。そこが「国語」という教科が、単に「英語」と同列の「日本語」ではない決定的な違いといえます。

 

「大学における『一般教養』の教育が役に立つのか?」という議論も同様です。具体レベルで見れば、「哲学」や「古典」を学んでも「実践的でない」のは明白です。一般教養というのは「一般」教養というぐらいで一般性や抽象度の高い内容であり、これをさまざまな形で「具体化」できるかどうかは、抽象概念をどれだけ理解し、操れるかにかかっています。

 

きっと動物の親子は「学校教育」に血道をあげる人間たちを見てこう思っていることでしょう。 「教科書なんか読んでいる間に、エサを 捕る実践訓練をすればいいのに」と。

 

 

224.一瞬で自己肯定を上げる瞑想法 綿本 彰

今この瞬間 ないもの に意識が向かうと、心の中に不足感が芽生え、何となく苦しい気持ちになってきます。逆に、今この瞬間 あるもの に意識を向け、それを受け入れることができれば、不思議なくらい心が満たされ、穏やかになってき

 

瞑想とは、そういった過去や未来の煩わしいことを心の中から追い出し、何かを貪ることをやめ、今この瞬間、目の前にある感覚をただ受け取ることです。  私たちの心は、今この瞬間 ないもの に向かうと、何かが不足しているという感覚に陥って落ち着かなくなり、逆に あるもの を意識すると穏やかで満たされやすくなります。これが瞑想のエッセンスです。

 

瞑想とは、そういった過去や未来の煩わしいことを心の中から追い出し、何かを貪ることをやめ、今この瞬間、目の前にある感覚をただ受け取ることです。  私たちの心は、今この瞬間 ないもの に向かうと、何かが不足しているという感覚に陥って落ち着かなくなり、逆に あるもの を意識すると穏やかで満たされやすくなります。これが瞑想のエッセンスです。

 

心と体が最高のパフォーマンスを発揮するのをただ見守っている境地がZONE。その精神状態こそが瞑想と呼ばれる状態なの

 

そういった境地に脳のコンディションを持っていくには、単純に集中しようと努力するのではなく、心を無にするための物事の捉え方、ありのままを受け入れるための考え方が不可欠になります。そしてそのプロセスを通して、ありのままの自分を肯定する力「自己肯定力」が育まれていくの

 

息を数える「 数息 法」や、妙薬(万能薬)のイメージを使った「 軟酥 の法」など、宗派や師によってはさまざまな瞑想テクニックを使うこともありますが、基本的にはただひたすら瞑想するだけ。目の前のものを、ありのまま観るだけ。それが禅の根幹にある教えです。

 

また、禅には立禅や動禅など、 日々の生活をすべて瞑想として捉え、ありのまま観るよう修行を行います。 そういった

 

つまり、どちらのタイプのヨガもそのゴールは瞑想にあって、 ヨガとは瞑想そのもの、あるいはそれを深めるための方法論である といえます。 Q  瞑想で宇宙とつながれるのですか?

 

まずは感覚的なお話をすると、 瞑想が深まって心が空っぽになったとき、私たちはあらゆるものとつながった感覚を得ます。 自分と自分以外のものとの境界線がなくなり、一切のしがらみから解放されて自由になった感覚です。

 

自分という感覚や認識を作り出しているのは脳の働きですから、当然それが止まると、自分という感覚がなくなります。自己感覚がなくなっても、私たちは何かを知覚することができるのですが、それが瞑想と呼ばれる状態です。    あとは、その感覚をどう表現するかの問題 で、心が空っぽになったという人もいれば、宇宙とつながったと表現する人もいるし、人は生まれたときから宇宙とつながっていて、その感覚を取り戻しただけと哲学的に語り出す人もいます。   私も学術的なお話をする際には、そういった

 

傷つきにくくなり、だから誰かを恨みにくくなり、他者肯定への芽も育みやすくなります。ありのままの自分を肯定することができれば、ありのままの他者を肯定しやすくなり、ひいてはありのままのすべてを肯定しやすくなるの

 

それは、 死ぬまで自分自身との付き合いが続くということです。そんな自分といい付き合いができるようになれば、どれほど生きるということが楽になるでしょうか。 そういった、生きる上でのあらゆるスタートラインになるのが、「ありのままの自分を認めてあげること」なのです。

 

例えば、悲しい出来事があって、それを大切な人に打ち明けたとします。ところが、その人は自分の悲しいという気持ちにまったく共感してくれず、逆に「そんなことくらいでクヨクヨすんなよ」と言われたら、どんな気持ちになりますか? それこそが悲しい出来事ですよね? 「つらかったね」「大変だったね」と、まず自分の気持ちを認めてほしいですよね。正しいとか間違いとかではなく、まず自分の味方でいてほしいですよね。  だからまず、 自分が自分の味方でいてあげることが大切です。

 

な気持ちでいる自分を、自分自身が受け止めてあげることが大切なの

 

私は、今、悲しい。それでいいじゃないですか。その悲しみを消そうとする前に、他でもない自分が自分の味方でいてあげましょう。誰かに気持ちを伝えたら楽になるように、その気持ちを理解してくれる人がいたら救われるように、自分が今どういう気持ちであるか、他でもない自分自身が気づいてあげ、肯定してあげましょう。不思議なくらい気持ちが楽になります。一瞬で自己肯定感が高まります。だからじっくりと時間を掛けて自分の気持ちを聞いてあげて、そして認めてあげましょ

 

東洋では、その身体感覚こそが、イライラやクヨクヨの正体ですよと教えているのです。試しに、 眉間を少しも緊張させることなく、喉や首や肩を完全にリラックスさせ、呼吸をゆったりしながらイライラしてみてください。  無理ですよね?

 

体をトータルにリラックスさせながら、イライラすることはできません。クヨクヨすることはできません。ネガティブ感情のみならず、感情や気分の正体は、身体的な変化、そしてその身体感覚そのものなのです。だから、 その変化や感覚を消し去れば、イライラやクヨクヨを継続できなくなるのです。

 

そしてできれば(ここが大事)、 怒りを引き起こしている原因の方ではなく、自分が怒っていること、あるいはその身体感覚の方に意識を向け、それを肯定するようにしましょう。  私は、今、本当に頭にきている。私は、今、怒っている。自分の怒りと向き合い、その気持ちを肯定し続けていると、怒りはトーンダウンし、さらに肯定を続けると跡形もなく消滅していくから本当に不思議です。そうなれば、落ち着いてそのパワーを建設的に使えるようになるのです。   怒りが湧き起こったら、その怒りを鎮めようとせず、まずしっかり認めること。 怒りの肯定。ぜひ日々の生活にお役立てください。 怒っている自分を、まず、認めてあげよう

 

ネガティブ感情に限らず、この皮膚の内側の世界には「肯定すると消えるもの」がたくさんあります。疲れもそのうちの一つです。

 

そして、もしそれが本当にできたなら、実に面白いことに、ほとんどの疲れは消えます。断言します。疲れを肯定すると一瞬で疲れは消えるのです。  逆にいうと、 多くの人は疲れに対してネガティブな印象を持っていて、そんな疲れを邪魔物扱いする

 

自分だけのわがままは通用しない。それが社会の法則です。だから私たちは、 社会生活を円滑に営むために、自分の気持ちや感情、欲求を抑圧することを覚えます。 覚えるといっても、無意識に呼吸を抑制することによって、本能的に自分を抑え始めるの

 

ヨガや瞑想のマスターたちが、呼吸を使って自分の心をコントロールするのと同じテクニックを使い、でもその制御の方向は正反対でネガティブ。つまり自分の心に抑制をかけるために呼吸を抑制し、育っていくの

 

それが「その人がそう感じたことを尊重する」こと

 

その人が、その作品に対して「面白くない」と感じたことを肯定するのです。言い換えると、自分との「感じ方の違い」を認めるのです。ここが大事です。   この「違い」を認める力こそが、他者を認める最大のカギとなり

 

正しいとか間違いとかではなく、今この瞬間、自分とは違う感性のその人が、今そういう状態でいるという事実を受け入れるのです。「なぜ受け入れなきゃいけないの?」とか、「受け入れたくない」とかではなく、 少なくとも受け入れることができたとき、他でもない私たち自身の気持ちがとても穏やかになります。そして当然のことながら、気持ちを受け止めてもらえた相手も穏やかでいられます。  その人は、今、そうで

 

このすてきな言葉を、いつでも心の中で唱えられるようにしておきましょう。

 

でも、 心の中で誰かを縛り付けることで、実際に縛り付けられるのは自分自身の心。 自分の心の自由を奪い、行動範囲を狭めてしまっているのです。なぜなら、その人のことが気になるあまり、自由に楽しいことを考えたり、気持ちを切り替えて目の前の業務に集中したりということが、できなくなっているわけです

 

その人が、そういう人であること、今そういう気持ちでいることを認めること。でも考えに迎合することではないということ。その人を許せたとき、結局は自分がそのことから解放される というお話をしてきまし

 

なのに私たちは、あの人はあんなに美しいのに、この人はこんなに早く仕事ができるのに、その人はそんなに友達が多いのにと、誰かと自分を比較して、勝手に劣等感に 苛まれ、自分の能力や役割に不満を持ち、自分にとってもチームにとってもストレスフルな状態を作り出してしまうのです。   ありのままの自分を肯定すること。それは、自分の個性をしっかりと見極め、自分の守備範囲をはっきりと悟り、そしてその役割をただまっとうしようとすること。

 

だから主役である必要はないと思うのです。狭い視野でもって自分の評価だけを考えず、より広い視野で桃太郎の劇が素晴らしいものになるよう、「木その一」は「木その一」をただまっとうする。 自分にはこれしかできない、でも自分にはこれはできる、というものをただまっとうすること。それが結果として、自分のハッピーにつながり、自分を含む全体のハッピーにつながっていくのだと思います。

 

「今自分がいる場所で、今持っているものを使って、できることをやりなさい」  これはアメリカの第二十六代大統領である、セオドア・ルーズベルトの名言です。今自分ができることをやれるという幸せ。担えるものがあるという喜び。 今自分が置かれた境遇を肯定し、その場所で自分ができることを尽くすということ。  ついつい私たちは、自分の持っていないものに意識を奪われ、持っている人をねたみ、持っていないことに自己嫌悪を抱きがちな生き物です。でも、そんな発想では幸せな気持ちで生きにくいし、何より桃太郎の劇が進まないのは残念過ぎます。社会(人が二人以上いる世界)が回らないの

 

今自分がどこにいるか確かめなさい。そこで自分に何ができて、何ができないかを見極めなさい。その上でできることをまっとうしなさい、と。  こんな私にできること。それがある喜びを感じ、それをただまっとうする。  その境地こそが、ありのままの自分を肯定することだと私は思っています。 広い視野

 

その答えはズバリ、楽しくはないけれどハッピーです。浮き沈みなく平坦ですが、すごくすごくハッピーです。なぜなら一切の不満、不愉快がないのです

 

多くの方は、特に不満はないけれど、どこか満たされないという感覚を持ったことがあると思いますが、 そういった「何かが足りない」という

 

た不足感さえもないわけです。 そんな境地を、私たちの日常的な感覚で表現するならば、好きな人に抱きついてもう他に何もいらないと感じるとき。あるいは、南国で心地良いそよ風と照りつける太陽の抱擁を受けながら喜びに浸っているような

 

一切の拒絶がなく、不満がなく、否定がないというのはそういう境地なのです。ドラッグに頼る必要も、長年欲しかったものを手に入れる必要もなく、不足感のない状態がずっと続く。少なくとも瞑想が深まった境地とはそういう状態です。序章の終わりのあたりで触れましたが、それが科学的にも証明され始めてい

 

ありのままを観ている人は、楽しくはないけれど、とてもハッピー。  ですから、ぜひ安心してその境地を、ともに目指していきましょう。

 

たちの心のベクトルは普段と180度逆に向かいます。  もらう方から、尽くす方へと逆転するのです。そしてそのときにこそ、最大限の能力が発揮されるということを、改めて痛感した経験でし

 

先を急いでばかりでは、今、目の前に広がっているせっかくの景色を見損ねてしまいます。 また、スマホの画面をスワイプさせながら、過ぎた景色ばかり振り返っていても、今、目の前にあるすてきな景色に気づくことはできません。  

 

その感情を引き起こしている対象の方ではなく、まず自分の気持ちに意識を向け、その味方でいてあげてください。それこそが自己肯定の第一歩なのです。  そして、 そこがはじめの一歩となってゆっくりと自己肯定感が育まれていき、ありのままを認めるのが上手になり、今、目の前にあるものに

 

 

223.はじめての家づくり 新築ローコスト住宅 大満足な家づくり

新築ローコスト住宅=本体工事費1000万円~2300万円の家

 

・スマートドア ヴェナート

・すまい給付金の申請

・外構費用を抑える

行政書士の費用が高い。

地鎮祭上棟式のご祝儀が高い。

・地盤改良に80万円。

・業者選びが大切

222.トップアスリートが実践 人生が変わる最高の呼吸法 パトリック・マキューン、桜田直美

起きているときも寝ているときも、慢性的に口呼吸をしている人は、疲労感、集中力や生産性の低下、不機嫌などの症状があるといわれている[5]。口呼吸は、質の高い生活にも、効果的なエクササイズにもつながらないということがよくわかるだろ

 

またカトリンは、先住民の子供は入植した白人の子供よりも、かなり病気が少ないということにも気がついた。彼は1882年に『口を閉じて長生きする(Shut Your Mouth and Save Your Life)』というそのものズバリのタイトルの本を出し、そのなかで次のように言っている。 「荒野に暮らす貧しい先住民の女性は、授乳が終わると、眠りに就こうと

 

赤ん坊の唇をつまんで口を閉じる。そのようすを見た私は思った。 『これはすばらしい育児だ! このような母親は、皇帝の乳母に雇うべきで

 

どうやら100年たっても、事情はそれほど変わっていないようだ。  むしろ、口呼吸がさらに広まったほどだ。ヨギ・ラマチャラカは同書の最後に、 「文明人がよくかかる病気の多くは、間違いなくこの口呼吸の習慣が原因になっている」  とまとめて

 

自分が鼻呼吸で眠っているかどうかは、朝起きたときの口の中の状態でわかる。自然な感じで湿っていたら、きちんと鼻呼吸をしている証拠だ。口呼吸で寝ていると、起きたときに口の中がカラカラに乾いて

 

有名な気功と太極拳のマスターであるクリス・ペイによると、中国に伝わる「気」という考え方の核は呼吸だという。 「一般的に、呼吸には3つのレベルがある。第1のレベルは、隣の人に聞こえないぐらい静かに呼吸すること。第2のレベルは、自分にも聞こえないぐらい静かに呼吸すること。そして第3のレベルは、自分でも 感じない ぐらい静かに呼吸することだ[1]」

 

走っているときに、呼吸を完全にコントロールできるかどうかが重要になる。  このとき口を閉じたまま走るのは苦しいと感じるなら、それはペースが速すぎるということ

 

このとおり、簡単なものだ。あるいは、市販されている炭酸水を飲むという方法もある。炭酸水を飲むなら、炭酸水でない普通の水も十分に飲むことを忘れないように。1日に必要な水分量を守るようにしよう。尿の色を見れば、水分が足りているかどうかがわかるだろう。色が濃すぎるなら水分が足りず、1日を通してずっと透明なら水分が多すぎるということ

 

だが、ときにはたったそれだけで、試合の結果が大きく変わることもある。スポーツの敗戦は、スキルや体力の不足よりも、自分自身の思考が原因であることが多い。たいていのアスリートは、実力が出せなかった試合をふり返り、「気持ちが入っていなかった」というような説明をする。「フロー」の状態になるために精神を鍛えるのは、肉体を鍛えるのと同じくらい大切なのだ。アスリートなら誰でも知っていることだが、たった1つの思考が、目の前のタスクを遂行する妨げになることも

 

現代に生きる私たちは、SNSを使って人と交流したり、ゲームをしたり、ネットサーフィンをしたりする時間が増えているために、集中力の持続時間が短くなっている。

 

ジャーナリストのニック・ビルトンとのインタビューで、子供はアップル製品が気に入っているのかと尋ねられると、ジョブズは「うちの子供は使ってないよ。わが家では子供に与えるテクノロジーを制限しているんだ[5]」と答えた。  ジョブズの同業者で、同じ考えの人はたくさんいる。自分の子供

 

ネットやゲームの時間を厳しく制限しているのだ。やりすぎの影響を知りすぎるほど知っているからだろう。ネットやゲームの中毒のような状態になると、現実の世界から切り離されてしまう。人との交流が少なくなり、頭ばかりが活発に動いている状態だ。  過活動の状態にある脳は、集中力も生産性も下がる傾向がある。それに加えて、ストレスが大きくなり、抑うつ状態になりやすい。そういったことは、すべて精神疾患の原因になり、全体的な生活の質を低下させる。  精神をコントロールし、落ち着かせる能力はとてつもなく重要

 

彼の成功の秘密は何か? ギグス本人によると、長く現役を続けられた理由は「セルフ・アウェアネス(自己を正しく認識すること)」だという。 「自分に集中することはとても大切だ。たとえ1日に1時間のストレッチと瞑想だけでもかまわない[6]」と、ギグス

 

どんなスポーツでも、直感的にプレーするには完全にゾーンに入る必要がある。正しい動きが自然に生まれ、競技と選手が1つになる状態

 

大きな変化や成功を実現した人は、みな直感的な知性にアクセスできた。何の訓練もせずにできる人もいれば、訓練が必要な人もいる。直感的な知性の持ち主として、まず思い浮かぶのはスティーヴ・ジョブズだろう。伝記を書いたウォルター・アイザックソンとのインタビューで、ジョブズはインド人の直感について話している。インドでは、合理的な分析に頼る欧米とは違い、直感で物事を決めることが多いという[

 

それは、瞑想の利点が科学的に証明されるようになってきたからだ。精神を落ち着かせると、ストレスが高まるような状況でも、不安がなくなり、集中力が増す。

 

戦争、ビジネス、スポーツ、または家庭生活でさえ、静かで、落ち着いて、集中力の高い精神は、いつでも優れた判断力を見せる。ストレスの高い状況で正しい行動を選びたいなら、100パーセントの集中力を維持することが不可欠だ。  最近まで、

 

自分の精神の動きを観察するのは、とてもポジティブな行為だ。いかに精神が活発に動いているか自覚できるだろう。この気づきが、じゃまになる思考の罠から解放され、集中力を向上させる第一歩に

 

一度立ち止まり、自分の思考をじっくり観察してみると、同じことばかり考えていることに気づくはずだ。ただし思考の内容を分析する必要はないし、批判する必要もない。そんなことをすると、じゃまな思考がさらに増えるだけだ。分析したところで、頭の中の声は絶対に静かにはならない。それに、そもそも考えすぎること自体が問題なのだ。

 

このぐるぐる回る思考から抜け出すには(つまり、自分の頭から抜け出して現実を生きるには)、頭の中の声を黙らせる方法を身につけなければなら

 

それには1日に何度か、自分の思考を意識的に観察するといい。これを習慣にすると、自分の精神という強力なツールをコントロールできるようになる。  頭の中がすっきり片づいているかどうかは、人生の質に大きな影響を与える。精神が落ち着いていれば夜ぐっすり眠れるし、気分の変動が少なく、健康になる。逆にじゃまな思考が頭の中を占領していると、せっかくの能力を発揮できなくなる。ネガティブ思考に頭の中を占領されているときは、自分の思考の観察が重要になる。

 

この簡単な質問をするだけで、もっと人生を自覚的に生きられるようになる。思考の観察を続けていれば、やがて無益な思考にエネルギーを浪費

ことも少なくなっていくだろう。頭の中がすっきりし、体がリラックスして、人生も生きやすくなる。そして自分の周りで起きていることに、もっと敏感に気づくように

精神を静かにしようと思っても、最初のうちは、いつもの思考が数秒

頭に入ってくるかもしれない。だが、それはそういうものだと思って受け入れよう。これまで何年もかけて築いてきた思考のクセなのだから、そう簡単には消えてくれないのが普通だ。教育、宗教、社会、人間関係、仕事など、これまでの人生で受けたあらゆる影響が重なり合い、あなたの思考ができあがっている。つまり、悪い習慣を身につけてしまったの

 

瞑想を始めたばかりのころは、余計なことを考えてしまってもイライラしてはいけない。それは仕方のないことなのだ。それでも多くの人が、すぐに効果が出ないという理由で瞑想を簡単にあきらめて

 

瞑想中は、自分の思考を自覚することがいちばんの目標だ。  自分の思考を観察し、「今、ここ」だけに意識を集中する。思考が浮かんでは消えることもあるだろう。それが人間というものだ。余計なことを考えていることに気づいたら、そのたびに呼吸に意識を集中するか、または体の内部に意識を集中

その3つとは、「呼吸を軽くすること」「体の内部と一体になること」「『今、ここ』に集中すること」だ。この3つのテクニックのおかげで、

の質が向上し、無駄な思考がなくなり、直感的な知性を活用できるようになったうえ、仕事で創造性を発揮できるようになっ

 

定期的に瞑想を行っていると、頭の中の声が減っていくのに気づくだろう。過去のことをくよくよ悩まず、未来の心配もしない。精神が明晰

目の前の瞬間に集中

瞑想を始めて 15 年の間で、私は何度か「高貴な静寂」を経験した。高貴な静寂とは、 10 日間、朝5時に起きて夜8時に寝るまで、ずっと瞑想していることだ。  その間は、車のキーも、パソコンも、電話もいっさい触らない。高貴な静寂の間は、舌も精神も静寂が求められる。つまり、話さず、考えないということだ。そして 10 日間が終わると、精神は静かで落ち着き、 剃刀 のように研ぎ澄まされて

 

瞑想の初心者なら、たとえ 10 分でもいいのでとにかくやってみよう。毎日 10 分、自分の呼吸に集中するのを習慣にすれば、人生が大きく変わるのを実感できる。2週間、つねに自分の呼吸を意識するようにしてみよ

 

ここで大切なのは、瞑想の時間を長くすることではなく、普段の生活で呼吸を意識する回数を増やすこと

 

自分の内部に意識を集中するには、思考の呪縛を離れ、人体という奇跡と一体になる必要がある。人間の体を動かしている知性は、頭の中にある知性よりもずっと優秀

 

人体には偉大な自然の知性が宿っていて、私たちの誰もがその知性にアクセスできる。ただ無駄な思考にじゃまをさせなければいいだけだ。終わりのない思考から抜け出し、体の内部に意識を向ければ、そこにある静けさと知性を活用することが

 

呼吸を意識し、体の内側に神経を集中すれば、目の前の瞬間と一体になることができる。

 

過去の出来事、心配事、「もし〜だったら」という思考にばかりとらわれていたら、現実の人生を生きることはできないだろう。 「今、ここ」に意識を集中する簡単な方法は、周りの環境と一体になることだ。

 

具体的には、五感を使って周りを感じ取る。見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、味、匂いだ。観念的に捉えるのではなく、五感で物理的に感じるのだ。

 

筋肉がすべてリラックスしたようすを具体的に知りたかったら、チーターが全力で走る姿を見るといい。足の筋肉から完全に力が抜け、まるで流れるように駆け抜けていく。  チーターがあんなに速く走れるのは、体にまったく力が入っていないから

 

次に走るときは、頭をいっさい使わず、体だけで走ってみよう。走っている間は、頭がなくなったつもりになるのだ。そして頭以外のすべての細胞を使って走る。体の動きと一体になり、走るという行為と一体になる。  動きながら筋肉を完全にリラックスさせると、ゾーンに入ることができる。  日常で思考にじゃまをされない瞬間が増えるほど、試合でゾーンに入るのが簡単になる。

 

太りすぎの人は、たいてい呼吸法も間違っている。たとえば、慢性的な呼吸過多、ため息が多い、口呼吸で胸呼吸といった状態になっている。一般的に、余分な体重が増えると呼吸が荒くなる。運動時だけでなく、安静時でもそうだ。

 

血液が酸性に傾く原因は、加工食品や体を酸化させる食品を食べたときだ。すると「呼吸量の増加」「膨満感」「倦怠感」「体重増加」などにつながる。

 

アルカリ性に傾き、pH値が7・45以上になる。  このことから、呼吸過多と体重増加の関係について、1つの仮説が考えられる。  アルカリ性に傾いた体を元に戻すために、酸化するような食品を体が求めるということだ。したがって、正しい呼吸と、正しい食生活を両立すれば、血液のpH値を正常に保つことができるだろう。

 

一般に体をアルカリ性にする食べ物が健康にいいといわれている。たとえば果物や野菜だ。逆に、動物性タンパク質、穀類、加工食品は、体を酸性にするのであまり食べてはいけない。とはいえ、何が体にいい食べ物かは、たいていの人は知っている。問題は、加工食品や甘いものの誘惑に勝てないということだ。

 

それは疑似高地トレーニングの効果だ。1957年以来、科学の世界では、標高の高い場所にいる動物は体重が軽くなるということが確認されている。人間でも、シェルパなど高地に暮らす民族は、低地の民族に比べてスリムになる傾向がある[1]。

 

ストレスがたまると過食になるというのは、よく知られた現象だ[7]。食べ物には、気を紛らわせたり、寂しさを慰めたり、怒りを静めたりする働きがある。

 

この他、魚や青野菜、ダークチョコレート、赤ワイン(1日にグラス1杯が適量)、ザクロジュース、緑茶、紅茶、オートミールにも、一酸化窒素を生成する働きがある。  逆に量を減らしたほうがいい食品は、肉と加工食品

 

から 50 年前は、生活も仕事も今とはまったく異なり、そして喘息患者もはるかに少なかった。そのころのライフスタイルをふり返ってみると、自然な食品を食べ、競争のストレスも少なく、家の中は風通しがよく、たいていの人が肉体労働に従事してい

 

・口から吸った空気はフィルター機能を持つ鼻を通っていないので、空気中の汚染物質や、細菌、バクテリアがそのまま肺に入る[ 12] ・吸った空気を適正な温度と湿度にするのは、口よりも鼻のほうがずっと得意だ[ 13] ・鼻の穴よりも口のほうが大きいので、口呼吸では呼吸量が多くなり、大量の二酸化炭素が吐き出される(二酸化炭素には気道を

 

・鼻呼吸と違い、口呼吸では一酸化窒素の利点を活用することができない[ 14](一酸化窒素には肺を守る働きが

 

社会人類学でも、人間の社会的ランクや役割は顔で決まると考えられている。つまり、美しさは表面だけの話ではないということだ。  アリストテレスも、「美はどんな言葉よりも効果のある推薦状だ」と言っている。  口呼吸の