220.凡人を達人に変える77の心得 野村 克也

人が成長するには、まず基本を身につけることが必要だ。そして、基本を身につけるには、そのための正しい方法がある。これを省いて、器用にものごとを進める癖がつくと、その人の成長はどこかで必ず

 

つまり、世の中にあるほとんどの仕事の本質は、「単純作業の繰り返しの集積」なので

 

あなたが何らかの分野のプロフェッショナルを目指すなら、仕事の中にどんな単純作業が含まれているかを分析し、その一つひとつを底上げする

をすべきだろ

 

はじめのうちは単なるものまねでいい。目に見える部分をとことん真似してみる。次に、なぜ、その人がその方法を採用しているのかを深く考えてみる。そこで何らかの発見があるだろう。この発見を手がかりに、自分なりの創意工夫を重ねていくことで、最後に「自分だけの型」を手に入れることができるの

 

しかし、基本的には、ほめられるうちは半人前と考えた方がいい。  私がよく使う言葉に、「人間は、無視・賞賛・非難という段階で試されている」というものがある。   これは人材育成の原理原則である。

 

レベルがあまりにも低い状態の時は「無視」される。  ちょっと可能性が出てきた時は「賞賛」される。  組織を支える存在になった時は「非難」さ

 

ものごとというのは、自分自身も含め、常に変わっていくものである。自分の視点だけしか持っていない人は、その変化についていくことができない。相手や環境の変化に対する視点を持たない人は、たとえ、一時的に

 

を残せても、長期的に結果を残すことはできない。  つまり、「変化を見る目」が重要なの

 

本番に望む前は、このような結果を得たいとイメージしてもいい。しかし、いざ本番では、目の前のことだけに力を注ぐ。このように思考することで欲から解き放たれ、ある程度、プレッシャーを抑えることができるはず

 

外見で個性を強調する根本には、自己顕示欲がある。では、この自己顕示欲はどこから出てくるのか? それは自分に対する自信のなさからである。それを外見の個性で補おうというわけだ。  仕事をしっかりしている自信がある人はそんなことをする必要はない。誰から見ても清潔感のある髪型や服装をしていればいいだけ

 

打率3割のバッターと打率2割5分のバッターの差は、100打席でわずかヒット5本である。このわずかな差が、選手の評価を大きく左右する。  一流といわれる人と、二流、三流で終わってしまう人の差は、実はわずかしかないの

 

しかし、指導者である以上、コツを言葉で伝える最大限の努力をしていかなければならない。では、言葉による表現力を磨くにはどうしたらいい

 

それには、本をたくさん読むのが一番だ。  私は現役引退後、本格的に本を読みはじめた。その頃の私は、自分の頭の中にある野球理論をうまく言葉で表現できなかった。このことが原因で、評論活動で壁にぶつかり、円形脱毛症になるほど苦しん

 

そんな時、師とあおぐ評論家の草柳大蔵さんに『活学』(安岡正篤著)を読むことをすすめられ、本を読むことに目覚めた。これにより、もともと口ベタだった私が評論活動の場を広げられ、監督してある程度の実績をあげられたの

 

監督就任直後、私はよく「野球の本質を見つめてみろ」と選手たちに説いた。「野球は意外性のスポーツというじゃないか。強いチームが必ず弱いチームに勝つわけではない。だから、シーズンに入る前、識者たちがするペナントレース予想はたいてい当たらないだろう」こんな風に選手たちを諭した。  これにより、選手は自分たちがおかれている状況を正しく認識できる。この認識から新しい取り組みが生まれ、チームの力になるので

 

いずれにしても、「自信をつけさせることが仕事」という意識を指導の真ん中においておけば、どんなアプローチにせよ、効果は徐々に出てくるものだ。 「人を育てる」とは、「自信を育てる」ことで

 

指導は、「人間教育」と「技術面への助言」から構成される。  人間教育と技術面への助言は、根底でつながっている。  人間教育をすることで、選手は自ら学ぶ意欲を高め、他者の視点からものごとを考えられるようになる。これにより、技術面へのアドバイスをした時に、自分自身で多くの「気づき」が得られるように

 

もし、あなたの部下が、いくら指導をしても成長しないのだとしたら、

 

教育が足りないのだ。  技術面への助言と並行して人間教育に力を入れるか、技術指導の前にまずは人間教育を進めるべきだろう。 「人間的成長なくして、技術的進歩なし」である。  言うまでもないことだが、リーダーは人間教育をするのだから、自らを律し、正義感で貫かれていなければなら

 

最終的に、強いチームづくりの原動力となるのは、個々のメンバーである。  そして、個々のメンバーの可能性を引き出し、成長を高めるためには、「心の部分からのアプローチ」が大切になる。  心が変われば態度が変わる。

 

態度が変われば行動が変わる。  行動が変われば習慣が変わる。  習慣が変われば人格が変わる。  人格が変われば運命が変わる。  運命が変われば人生が変わる。  これはヒンズー教の教えで、私が人生で感銘を受けた言葉の一つである。  指導者は、目に見える行動の部分にばかり目がいってしまうが、それでは意味がないのだ。  行動を変える

 

個人の成績という欲にこだわっている者は、大きな成果を出すことはできない。  個人の成績という欲から離れた者が、大きな成果を出すので

 

プロ野球選手だからといって、  野球のことだけ考えていればいいというのではない。  このことが私の考えの根本にいつもある。  将来のことを考え、今から準備すること。  自分自身の人間性を磨くこと。  他者との関係をよりよく努力をすること。

 

こういった視点が抜け落ちると、人生は必ずどこかで行き詰まる。これは、ビジネスマンもまったく同じことがいえると

 

価値観や哲学がない人間に、よい仕事ができるわけがない。  なぜなら、価値観や哲学があるからこそ、プロフェッショナルの仕事ができるからで

 

さきほどあげた「人は何のために生まれてくると思う?」という問いの答えを見つけることは、容易ではないが、これを見つけることで、現在の仕事が充実し、さらに人生そのものが充実していくので

 

選手時代の私を客観的に見て、才能にあふれていたとはとても思えないが、探求心だけは人一倍だったと自負する。  そして、探求心によって、野球の奥深さを知り、野球を通して人間や社会の本質を学ぶことで、人間として成長できた。  このような、「何かひとつの道」を見つけることは、人生を有意義におくるために欠かせない要素のように

 

加藤は、カメラの前で、ぼろぼろのノートを何冊も取り出した。そこには、私がミーティングで話した「読書は博学なる人をつくり、会話は機敏なる人をつくり、筆記は確実なる人をつくる」「人生とは『人間の求める幸福への努力』である」といったことが細かい字でびっしりとメモされていた。  そのノートを彼は、選手の指導に役立てているという。  このようなシーンに出くわす度、私がやってきたことは間違っていなかったな、少しは人を残すことに貢献できたかなと

 

で評論していただけのことである。  現役時代、師と仰ぐ評論家の草柳大蔵さんに、陰となることの多い

 

という役割についてグチをこぼしたことがある。草柳さんは、「よい仕事をしていれば必ず見てくれている人がいる。世の中には目利きがたくさんいる」と励ましてくれた。  この草柳さんの言葉を、ヤクルトの監督要請の時ほど実感したことはない。  この私

 

では、風格がどこから生まれるのかといえば、その人の内面からである。風格がある人が少なくなっているということは、日本人全般の精神が幼くなっている証拠ともいえる。今の日本では、「若い」ということが褒め言葉

 

なっているが、精神年齢が「幼い」から「若い」とも

 

若いと言われてはしゃいでいるようでは、いつまでたっても、人の心を掴む存在にはなれないだろう。  重視すべきは、見た目の若さを保つ努力よりも、心を磨いて風格を備える努力なの

 

組織から離れた時、人は孤独になるが、そこで立ち止まっていては、何もはじまらない。次の場でも、自分らしい人生がおくれるよう、前向きに孤独をとらえる姿勢も大切なのだ。  仕事に全力投球し、いい仕事をしていれば、必ず見ている人はいるもの

 

これに対して、現役引退後、指導者として長く活躍している人のほとんどは、人間的に魅力のある方々ばかりである。人間性が他者との縁をつくり、信頼につながっていくの

 

人間性を磨くことが大事だ、と考えた野球監督は私だけではない。  代表的なのは、王貞治長嶋茂雄のいる巨人軍を率いて、9連覇を達成した川上哲治さんである。川上さんは、細かい指導はコーチ陣に任せ、本人は人間教育に力を入れたことで知ら

 

そのため指導は、人間教育、社会教育をはじめ、生活面、礼儀作法の細かい部分にも及んだ。王、長嶋も特別扱いされず厳しい指導を受け

 

人間性を磨くことが、大きな成果、大きな充実を得るための一番の近道なの

 

そこで、私は、南海に来たばかりの江本に対して、「どうせ勝てるようになるんだから、はじめからエース番号をつけておけ」と南海のエース番号 16 番を渡した。それによって、3つの信のうち、見せかけではあるが、「信頼」を得られたように

 

人生は、一度きりしかない。だから、できる限り、楽しい時間をつくり、充実した日々を過ごすことが大切である。  ただ、私が考える「楽しい」というのは、みんなとわいわい騒ぐ、はめを外して遊ぶといったことではない。  自分がこれだ、と感じるものを見つけ、それに自分がもっているすべての力を注ぎ、その結果得られた充実感が「楽しい」ということではないかと考える。  その「楽しい」の対象が私の場合、野球だった。

 

「人のためになってこそ人間、他の人があってこその自分」  これは、充実した人生をおくるのに欠かせない考え方だ。  他の人のためにどう生きるか、他の人にどれだけ感謝して生きられるかが、その人の人生の充実度を大きく左右する。  これは、簡単そうで難しいことでも

 

 好きなことを突き詰める人生は理想的だな。

好きだからこそ時間、人生をかけて研究できる。

人間教育大事。こういう監督のもとで教育された選手とそうでない選手では、現役時代でもその後の人生にも大きな差が出るんだろうな。

219.教えない教え 権藤博

人に〝ものを教える〟というのは本当に難しい。とかく日本人は〝優しい指導〟と〝甘い指導〟を勘違いしている。さらに〝厳しさ〟が〝イジメ〟になってしまっている指導者も

 

できないことをできるまで辛抱強く見守ってやるのが〝優しさ〟である。一方、できるまで待つことができず、「また今度」とか「次にやれば

よ」となってしまうのが〝甘さ〟で

 

厳しさとは、「この世界で生きていくにはこういう練習をして、それに耐えていかなければいけませんよ」と教えること。指導者に求められているのは〝厳しく接する〟ことではなく〝厳しさを教える〟ことなの

 

ゴンドウ。教えてくれるのはありがたい。でも教えられて覚えた技術はすぐに忘れてしまうものなんだ。それとは逆に自分で摑んだコツというのは忘れない。だから私たちコーチは、選手がそのコツを摑むまでじっと見守っていてやらなければいけないんだ」  私はその言葉を聞き、冷や水をぶっかけられたような衝撃を受けた。私も教育リーグに参加する以前からDon't over teachという教えは知っていたが、そのときに初めてDon't over teachの本当の意味を悟っ

 

コーチングをしているとどうしても教えたくなってしまう。指導者や上の立場にいる人間というのは、教えた方が手っとり早く済むからどうしてもそうなってしまいがちだ。

 

でも、真にその人物の成長を望むのであれば、コーチや教える立場の人間はDon't over teachを忘れてはならない。どんな相手であれ、真の成長を望むのであれば丁寧に助言し、我慢強く見守っていく姿勢を保つことが大事なの

 

「目先の勝利にこだわらず、我慢して選手を使う」ことにも気を付けていた。目先の勝利がほしいために選手をスパッと交代させるのではなく、ピンチでも我慢して使い続け、試練を乗り越え

 

ところで、メジャー・リーグのDon't over teachという考え方には、もうひとつ理由がある。それはアメリカが訴訟社会であることと無縁ではない。コーチが教えた通りに選手がやって、成績が思うように上がらなければ選手がコーチを訴える可能性があるのだ。実際にそうしたケースは結構あると

 

全体ミーティングでの長話も厳禁である。チームというのは、個性、実力、ポジションなどが異なる選手たちが集まったものだ。  全体ミーティングの話の中には、ある選手には当てはまっても、他の選手には当てはまらない話なども往々にして出てくる。  下の立場の人間の中には勘違いして〝自分のこと〟としてその話を受けとめてしまうこともあるかもしれない。それは時として下の立場の人間を間違った方向に導いてしまう可能性もある。

 

叱咤 した後にはフォローを入れることも忘れてはならない。「打たれたらどうしようとか、点を取られたらどうしようとか、くだらんことは考えなくていい。それを考えるのは俺の仕事だ。人の仕事をとるんじゃない、お前はバッターと真っ向勝負をすればいいんだ」

 

私が監督をしていたときに、一番大切にしていた姿勢が「責任はすべて監督である自分にある」ということだった。選手たちにも終始一貫してそのことを言い続け

 

酒井氏の「無理せず、急がず、はみださず」という言葉は、私の体にゆっくりと浸透していき、力んですっかり固くなってしまった心を解きほぐしてくれた。あの言葉がなければ、私はあの年、佐々木投手をもっと酷使し、結果的に彼の投手生命を縮めさせかねないことになっていただろ

 

いまでも私の心の中には「無理せず、急がず、はみださず。自分らしく、淡々と」という言葉が存在し続けている。何かに心が 囚われそうになったとき、この言葉が私を原点に立ち返らせてくれるの

 

誰もがとりそうな采配ばかりを 揮っているような監督は真の監督とは言えない。

 

一年を戦い抜くには臨機応変な戦術が必要だし、何より監督は人心掌握術に 長けていなければならない。プロと呼ばれる強者たちが集うチームを率いていくのだから、トップの人間には 強靱 な精神力も求め

 

よく「ライバルをつくる」と言ったりするが、私はライバルはつくるものではなく、見つけるものだと思っている。主体性を持って自分からライバルを見つけて

 

そこでひらめいたのが吉川英治の『宮本武蔵』で読んだ修行の話だった。麻の芽の上を毎日跳んでいるうちに、気付いたら麻の生長とともに人の肩ほどの高さも跳べるようになった、というあの話で

 

メダリストの話は多分にお世辞が入っていたと思うが、実際に私はプロ野球界でもトップクラスの走力を身につけていたのである。  それはすべて社会人野球時代の〝麻の芽作戦〟のおかげである。三日坊主にならず、地道な努力を毎日続けていくことが、大願を成就させる上で最も大切なことなの

 

個性的な人ほど引っかかる感覚を持っているのも事実である。そう考えると「あの人はちょっと変わっている」とまわりから言われる人がひとりやふたりいた方が、集団はいい方へ向かっていく。  トップの人間は、そんなちょっと変わった人間を異端児扱いせず、集団の中での必要な存在として認める度量が求められるので

 

多くを捨てて、ひとつも引っかかってこない場合もたくさんある。しかし、だからといって無理に取り入れるようなことを私は絶対にしない。 〝得る一辺倒〟から〝どんどん捨てる〟方へと考え方を変えていけば、本当に大切なものが何か見えるようになってくるはずだ。  人が生きていく上で必要とされるのは、たくさんの知識や情報を得る力ではなく、何が本当に大切なのかを見極める力なので

 

人間は生き物である。だから常に精神的に一〇〇パーセントの全力状態では生きていけない。一〇〇パーセントを出し切ったらある程度の休養をとらなければ、体も精神も元の状態には戻らないのである。それなのに現役だった頃の私はまわりに言われるがままに、絶えず一〇〇パーセントの全力疾走であっ

 

何事も長続きさせるための一番の理想は「思い切っても八〇パーセント」の状態でいることだ。いつも精神的に一〇〇パーセントの力を出してしまうと、元の状態に戻るのに多くの時間を要することに

 

細く長く生きるには、「思い切っても八〇パーセント」を忘れずに、常に余裕を持って生きる。それが一番大切なので

 

勝負事における緊張は、相手からではなく、自分の中から派生しているということをまず自覚すべきだ。プレッシャーのかかる場面において、「上手くやらなければいけない」、「成功しなければいけない」といった考えに囚われてしまうから緊張するので

 

書店のビジネス書のコーナーを見ても、人を成功に導くとするマニュアル本があふれている。  なぜこうも人々はマニュアルに頼ってしまうようになったのか。  それは、何事にも早急に〝答え〟を求めようとする人々の思考がそうさせているような気がしてなら

 

さまざまなことが複雑に絡み合い、成り立っているこの世の中で、マニュアル一辺倒の凝り固まった対応をしていては突如現れる大波にも対処できないに違いない。  世の中の基本や常識は常に変化している。だとするならば、そこで生きる人々にも、そんな変化に対応する柔軟な姿勢が欠かせない。

 

野球というゲームも、刻一刻と状況が変化し、勝負の流れは絶えず揺れ動いている。ほんの一瞬の判断ミスが、その後の試合の流れを決めてしまうということも往々にしてある。  重要な局面で瞬時に判断を下すには、マニュアルに囚われた〝固い思考〟ではなく、臨機応変に対応できる〝柔らかい思考〟こそが重要なので

 

あのときの藤井投手は〝明鏡止水〟の境地にも似た不思議な感覚に包まれていたに違いない。しかしこの境地は、本人が至ろうと思って至ることができるほど簡単なものではないのも、また事実なので

 

話がちょっと逸れてしまったが、現場のトップの人間が土壇場のときに忘れてならないのは、いかに部下たちを「燃え上がりやすくさせてやるか」だということがお分かりいただけただろうか。せっかくみんなでいいムードになっているのに、ひとりだけシラけている人間がいたら調和が乱れ、いい

 

も台無しになってしまう。  全体の調和を図りながら、暖炉の火がちょうどいい燃え上がり方になるよう 薪 をくべてやるのがトップの役割なの

 

現代社会に 蔓延 している欲にまみれてしまうと、物事の進むべきときと 退くべきときとの見極めができなくなってしまう。たとえば株や為替の取引でも、進退の見極めを誤ったがために 儲けを逃したり、大損してしまったりということがまま

 

将棋の世界で活躍を続けている 羽生 善 治 さんが、「直感で選択したことは七割ぐらい正しい」というようなことを言っていたのを耳にしたことがある。私もそれには同感だ。悩みに悩んだ末に出した答えより、スパッと

 

のようなもので選択したことの方が往々にして正しかったり

 

悩めば悩むほど、そこには邪念というものが入り込んでくる。自分の中に蓄えられた情報や知識といったものに頼りたくなるのは分かるが、一番大切なのは人間が本来持っている〝直感〟で

 

直感というのは、自分の置かれている状況、場の流れ、気配、 諸々 のものを頭ではなく体で感じていくことで磨かれていく。  自然界ともっと密接に関わっていた原始時代の人々は、そういった直感が現代人より遥かに優れていたに違いない。獲物の居場所を突き止める

 

危険を察知する能力など、人間が当たり前のように持っていたそんな感覚を、現代人は閉ざしてしまって

 

しかし本来は人間誰しもが持っていたものなのだから、 錆 を落としていけばその感覚は徐々に取り戻せるはずだ。羽生さんの直感が 冴えているのも、普段からそういった感覚を研ぎ澄ませているからなの


何事にも囚われることなく、「本当にこれでいいのかな」と常に考える。そういう柔軟な姿勢こそが、停滞したいまの時代に最も必要とされているものなのではないだろう

 

野村氏が広めたID野球によって日本の球界も大分変わってきたが、アメリカと比べると日本の野球はまだ〝感性〟が残っている。データを参考にしつつ、最終的には自分の感性やひらめきといったものでその場、その場に対処していく。ストレートを待ちながらカーブが来ても対応できる。  そんな器用さはアメリカ人より日本人の方が優れている。そんな風にしてIDと感性を融合させたものが、現在の日本の野球と言えるのだ。

 

野球に限らず、何か事を成す上でデータというのは非常に重要な意味を持つ。それもただ単に上の立場の人間がデータを押しつけるのではなく、現場で実際に動く人間が自分にとって必要なデータを集積し、そこから何かを学び、自発的に工夫を重ねていくことが大切

 

上から押しつけたデータでは、現場の人間にとってまったく身にならない。納得のできる仕事をするには、自らデータを収集し、そこに自分の感性を加味しながら試行錯誤を続けていくことが最も重要なのである。

 

高校野球にしてもリトル・リーグにしても、〝勝つ〟ことだけを唯一の目標にしてしまって〝戦う楽しさ〟というものを教えていない。指導者のほとんどが「勝ちたいんだったら俺の言う通りにしろ。勝つためにはこれをやっておけばいい」という一方的な教え方になってしまっている。  これではスポーツの〝楽しさ〟や〝面白さ〟は子供たちに決して伝わらない。できない子はなぜできないのか一緒に考え、分かるまで何度も教えてやる、とことん付き合う。そういったことのできる指導者は残念ながらまだ少数派なので

 

「ああいこうか、こういこうか」と、そんなことをあれこれ考えるということは、しっかりと決断ができていない証拠だ。決断ができていないということは相手に怖さを感じ、 怯えているということでもある。つまり勝負の場面で考え込んでいるような選手はすでにその戦いに負けているの

 

確かに、いくら備えがあってもいざ現場に立つと憂いは生じる。しかし、しっかりとした準備をしていれば、いざというときに動じることは少なくなる。慌てずに、落ち着いて対処ができるようになるの

 

プロ野球選手であれば、全体練習から試合にかけての実働時間より、それ以外の時間にどれだけ〝自分磨き〟を行なっているかがポイントとなる。そしてこれは、プロ野球に限らず、あらゆる仕事に対して言えることだと思う。  

 

働きすぎの裏には人間の持つ欲が見え隠れしている。「もっといい物を食べたい」、「もっといい暮らしがしたい」と、向上心という言葉に覆い隠された人間の根深い欲が、働きすぎの日本社会をつくってきたとは言えないだろう

 

プロ野球界に入った当初から「野球にチームワークなどは必要ない。野球は個の技術の集まりである。個の技術が高まれば自然とチームは強くなり、必然的にチームプレイもでき上がっていく」と思っていた。その考え方はいまでも変わら

 

アメリカへコーチ留学したとき、監督にしてもコーチにしても選手

あまり怒らないということに驚いた。ただ怒鳴るだけの 悪しき日本の伝統に染まっていた私から見れば、まったく別世界の野球だっ

 

「権藤君、若手をガンガン怒っちゃいかんよ。怒るならベテランを怒りなさい」  巨人をV9に導いた川上さんは、たとえベテランであっても選手を特別扱いしないことで有名だっただけに、この言葉は説得力があった。

 

しかし、川上さんのこの言葉は、野球界だけでなく、すべての世界に共通して言えることではないだろうか。上の人間を律すれば、自然と下の人間も律することになる。若い芽を伸び伸びと育てていくには、川上さんの言うように、まずは上を律すればいいの

 

 コーチングのプロ。プロ野球もだれに教わるかで大きく人生変わるんだろうな。

落合さんと考え方が似てるような。

考え方の柔軟性は年齢関係なしに人間に必要だよね。

218.プロ野球・二軍の謎 田口壮

ところで、「便りのないのはいい便り」なんて言われますが、野球も

 

アメリカにおいては、現役選手が引退後のプランを日ごろから考えているのはごく一般的なことですし、突然収入が断たれたときに選手が困らないようにと、球団やMLBが引退後に向けて積み立て預金を奨励したり、お金の運用の仕方を指導したりすることがあります。  しかし、武士道の精神性をよしとする日本では、退路を断って勝負に臨むべきであり、負けたときのことを考えて準備を万全にしておく……わけにはいかないのでしょう。したがって日本では多くの選手が、野球にすべてを賭け、野球だけを追い求めた挙句、突然、なんの備えもなく人生の岐路に

れることになり

 

足場の固まったトップ選手ならば、再就職の道も見つけやすいでしょうが、日の当たらない二軍でもがき続けている選手のほうがずっと多く、彼らの第二の人生は大変厳しいと言わざるを得ません。これが、プロ野球選手の現実

 

僕がお世話になったカージナルスの2A、ニューヘブン・レイベンズでは、なかなか家賃を払えない 若手選手を、地元のファンが食事付きでホームステイ させていました。これによって、選手は食費や家賃の不安から逃れて野球に集中でき、地元のファンは我が子のような気持ちで我が町の選手を育て、メジャーに送り出す喜びを得るという、素晴らしい相互関係が生まれていたのです。いかにもアメリカらしいシステムだと思いまし

 

アメリカ人選手の活躍は奥さん次第、と言っても過言ではなく、チーム側の奥さんたちへの気配りが、その選手の持つ本来の力を引き出すキーになるかもしれません。ここにもやはり、アメリカ女性の存在感、というか強さがにじみ出て……ああ、やっぱりこのへんでやめておきます。

 

マイナーからメジャーに這い上がろうという選手は、オープン戦では一打席、一打席が勝負です。ヒットか凡打で人生も変わる、という状態が何試合も続きます。このプレッシャーのもとにバットを振るのと、「無安打でもいいや」と力を抜いて振るのとではまるで条件が違うわけで、 メジャーの

 

確固とした選手はますます有利に、マイナーの選手はますます追い詰められてハンディを負う ことになり

 

僕。指導者として、気づいたことをその都度指摘するのも大事なのでしょうが、そうしていくうちに選手は、「自分で気づくことのできる能力」

 

失ってしまうかもしれません。「何かあっても、誰かが言ってくれるやろう」と、自分自身を深く観察することをやめてしまいかねないの

 

言葉遣いにも驚かされます。一応僕は監督、彼らは選手。しかしどれ

敬語らしきものを使おうとしても、結果返事は「そうっすねー」で始まり、語尾は「したっす」

 

こうして考えると、二軍監督は子育てに似ています。我が家にも 13 歳の息子がおり、ヨメとは連日、同じレベルでの言い争いや取っ組み合いをしています。球場ではなるべく感情的にならぬようにしている僕も、家ではつい理性をなくしてかっとなり、怒鳴りつけることがしばしばです。  しかし、 強く言えば言うほど理解するだろう、もしくは理解しなければおかしい、というのはこちらの勝手な理屈 であって、 言われる側には言わ

の気持ちや言い分 があります。まして根性理論が通用しない世代にとって、感情だけでのぶつかり合いは腹が立つだけで、なんの生産性もありません。  

 

 日本とアメリカの厳しさの違いを知った。

217.中間管理録トネガワ(7) 福本伸行

悪い報告こそすぐにすべき。

低レベルなそういうCMが消費者にはストライク。

 

216.五輪書 宮本武蔵

古来・・・人に勝つことはまず己に克つことでした。

自分の無駄を省いて能率化するものだけに生き残る道は開けたのです。

 

硬直は「死の手」であり自在な動きこそが「生の手」である。

 

兵は詭道なり 孫子

戦いは人を欺いて行うもの

214.約束の力 山崎康晃

こりゃ人間性のレベルが高いな。

しかしプロ野球選手ってのは本当に厳しい仕事だよな。

何年も結果出し続けてる人は本当にすごい。