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131.15歳若返る脳の磨きかた 苫米地英人

しかし、見方を変えれば、新薬の開発費用を負担させるために、当局と製薬メーカーが抗がん剤治療に患者を誘導するというグロテスクな「絵」さえ見えてきます。  こうした「絵」は、いまやいたるところに見ることができます


たとえば、ヨーロッパでは禁止され始めた遺伝子組み換え食品を解禁しとしたり、健康被害がはっきりしている子宮頸がん予防ワクチンの接種を対象年齢の女子全員に推奨したり……。  それもそのはずで、国家あるいは資本主義というものは、いつの時代においても国民の犠牲を糧に太っていきます。盲目的に国や組織にわが身をゆだねているかぎり、私たちは永遠に質の高い人生を手にすることができないとさえいえそうです。  いまの時代は、何が自分の人生にとって本当のメリットか、その根本を考え直し、再構築することが求められているのです。


就寝する2、3時間前に、自分の腕や足、腹などに筋肉がつくというイメージをしっかりと頭の中で思い浮かべます。すると、睡眠中に、脳が成長ホルモンを活発に分泌するようになります。それを毎日くり返していくと、身体に筋肉が少しずつついてきま


このとき大切なポイントは、決して脳が衰えたために成長ホルモンが出なくなるわけではないということです。脳が必要ないと判断するがために、それは出なくなるのです。 


したがって、頭の中に筋肉が成長するイメージを定着させ、脳がふたたびホルモンをたくさん出すように導いてやれば、かつて身体を鍛えていたころと同様に筋肉がついてくるわけです


じつは、「生きたい」「生きよう」という考えを失うと、人間は死んでしまいます。すぐに死なないまでも、死期は必ず早まっていきます。  逆に、「私にはやりたいことがある。だから、明日が来るのが待ち遠い」と思う人は、簡単には死にません。たとえがんなどの重い病気にかかっていても、医者の予想をはるかに超えて死期を先送りしていきます。  これは何も私が勝手にそう考えていることではありません。上記と
ようなことは、世界中で生み出された数々の記録文学に多々述べられています。  たとえば、『夜と霧』で自らの強制収容所体験を記録した精神科医ヴィクトール・フランクルは、こう記しました。 《自分の未来をもはや信じることができなくなった者は、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ》(『夜と霧』より) 


私が日本代表を務める米国TPIとアメリカの労働省のデータでは、リタイアした人の平均寿命はリタイアから1年半となっています。我々はゴールを失うと1年半で死ぬと解釈しています


二度と生まれ変わることがないよう願って即身成仏するヨーガの行者と、この点で事情は何も変わりません。人間はみな自らの死を望んで死んでいく、ということです


脳が人間の死を決める。  とすれば、脳を若々しく働かせている人は肉体と精神の若さを維持し、なおかつ長生きをする、といえます。超長寿の時代の若返りとは、ひとえに脳の若返りの問題なのです。私達は心臓が止まれば死にますが、心臓が止まるのは脳が停止命令を出すからです


ところが、日本人は若いうちに、抽象思考をする機会を失います。ぼんやり講義を聴いていればいい大学は、その元凶の入り口に当たりますが、それ以上に問題なのは会社という存在でしょう。  会社というのは、じつはほとんど頭を使わずにいられる場所です。  経営者というものは、つねに命じるままに社員が動くことを期待しています。  彼らが社員に何を求めているか。  


いうまでもなく、少しでも売上を伸ばすことです。  経営者はそのために「創造性を発揮せよ」「オリジナリティを持て」と檄を飛ばしたりもしますが、多くの場合は政治的パフォーマンス、つまり虚構にすぎません。本音の部分では、へたに仕事の本質を見抜かれて疑問を抱かれてはまずいし、勝手に仕事のやり方を変えられても困ると考えています


気をつける必要があるのは、抽象度の低い、わかりやすい解説や説明には、必ずといっていいほど間違いやまことしやかな嘘が混入されていることです


たとえば、「増税しなければ国が潰れる」「日本は失われた20年を過ごした」「円安で日本経済は復活できる」など、財務省や政治家、産業界がのたまう言葉は、もはやれっきとした国民騙しの定番アイテムです。  こんな抽象度の低い思考の間違いさえ見破れないとしたら、「自分の脳は相当にバカになっている」と認めて、猛省しなくてはならないでしょう。しかし、脳が衰えてしまった日本人のほとんどは、あっさり信じてしまうわけです。  抽象度の低い思考につきものの誤りを見抜くことができるかどうかは、IQを高く保持することにかかっています。  その意味でIQの高さとは、ひとつ上の抽象度から物事を考えることがで


きるかという問題に還元できるのです


IQの高い人の脳の使い方は、大きく分けると2つの特徴があります。  ひとつは、単純な話かもしれませんが、IQの高い人は長時間の思考をしているという点です


長時間の思考といえば、学者や研究者にのみ許された特権のように感じるかもしれませんが、本当はそうではありません。  たとえば、はっきりとしたライフワークを持つ人は、10年、20年をひとつのことに費やし、その間ずっと考えつづけています。  


数カ月、あるいは1年以上の間ひとつのことを考えつづけるには、対象への尽きない興味と、たくさんの知識に基づいた抽象度の高い思考が必要です。  具体化することばかり考える習慣は、思考に費やす時間をどんどん短縮させる方向に働きます。具体化ではな


ドーパミンやアドレナリン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質についても、同じことがいえます。10代の若々しいころなら、黙っていても脳は神経伝達物質をたくさん出してくれました。しかし、社会に出て脳を使わなくなると、脳は途端に神経伝達物質をそうたくさんは出さなくなります。  神経伝達物質の放出が減れば、精神と肉体の活力レベルは当然、下がっていきます。  


老化現象の本質は、こういうことです。老化の原因は脳を衰えさせていることであり、光、酸化、乾燥ではないのです。塗り薬や飲み薬がこの老化のプロセスを、いったいどう改善するというのでしょうか。


IQの高さというのは、じつは読んだ本の数にほぼ正比例しています。たくさん本を読めば読むほど高くなるわけですから、IQを高める方法として非常にわかりやすく、取り組み方も単純です


なぜ本を読めばIQが高まるのか。  それは、知識のゲシュタルトができるからです。知識のゲシュタルトとは、ある事柄に関連するひとまとまりの知識という意味です。  すでに述べたようにIQの高さとは、抽象化の能力です。そして、私たちが抽象思考をするときの脳は、神経ネットワークの同時発火を起こしています。  抽象化を行うときは、記憶の中のたくさんの知識のゲシュタルトから、共通するシンプルな情報を見出すわけですから、そもそも知識がなければ何も始まりません


また、新たな知識を獲得することなく昨日までと同じ知識の状態を維持しているかぎり、神経ネットワークの同時発火も起こりません。なぜなら、昨日までの知識によって神経ネットワークは過去に同時発火を起こしており、それ以上に抽象思考を行おうとしても、抽象化が進まない状態にあるからです


私があなたに贈る課題は、月に100冊の読書です。  あなたは100冊と聞いて、驚きましたか?  毎日、3冊ないしは4冊読みつづける計算です。  私は、毎日20冊から30冊の本を読んでいます。 


1冊を読み終えるのに必要な時間は5分から10分ほどで、1日に平均して3時間くらいを費やします。私の事務所の様子を見ればわかりますが、Amazonでまとめて注文した洋書、和書がそこここにうずたかく積まれています。英語の本がほとんどなので最近はKindleを活用しています。私はそれを毎日、片っ端から読んでいくわけです。  ここでは、私のように読みなさい、というつもりはありません


これではいくら読んでも、知識のゲシュタルトは増えていきません。ただ自分の世界観を肯定する手段として、本を読んでいるからです。  それよりも読みたいと思わない分野の本を読んだほうが、知識のゲシュタルトづくりははるかに進みます。  なぜなら、読みたいと思わない分野の本は、あなたがまだ獲得していない知識の宝庫です。その本で展開される内容や主張は、あなたの考えとは大いに異なるかもしれませんが、それだからこそ価値があります。 


著者はおそらく、これまでのあなたにはまったく馴染みのない抽象思考を、そこに展開していることでしょう。その思考のプロセスをたどり、理解していくことが、あなたの思考をもうひとつ上の抽象度へ導く材料になります


大人の必読書とは、胸を張って人生を生きるなら、これくらい読んでいなければ通用しないというレベルの古典的な名著のことです。  たとえば、お金を扱う仕事についていれば、私はマルクスの『資本論』全巻を4回は読んでいなければおかしいという思いがあります。『資本論』を読まないで資本主義は語れません。読んでいなければ、自分の仕事がどういうものかわかっていないというに等しいのではないでしょうか。  じつは、こうした大人の必読書はたくさんあります。  著者をざっと挙げれば、ホッブス、ヒューム、バークリー、ジョン・ロックラッセル、カント、アダム・スミスケインズなど。何だかんだいっても、日本はつまるところ西洋文化です。にもかかわらず、西洋文化に対する深い知見を持つ日本人はそう多くありません。このままでは、いずれ日本の行く末を大きく見誤るのではないかと、私はいささか心配しています。  こうした著者の主要な古典を一覧表にしておきましょう。それぞれ最低でも4回は読んでおく必要があると思います


お仕着せられた自我というのは、定義がとても曖昧です。  一例を挙げれば、必要のないときに笑う人でしょう。無意識に、笑わないと間が持たないと感じるのか、笑ったほうが良い印象を与えると感じるのか、本人のことはよくわかりません。 


ただ、相手はその様子を奇異に感じます。必要のないときに笑うなんて、良し悪しや善悪についての判断の線引きもおかしいかもしれない。つき合いをするうえで、信頼に足る相手か訝って当然でしょう。  また、お仕着せの自我のまま年齢を重ねると、各状況における自我の定義ができなくなります。  これも一例を挙げれ
ホテルマンと自分の関係、隣の席で寛いでいる人と自分の関係、そして公共の場所に集う人たちと自分の関係などを省みるし、最低限の社会的礼儀を欠いてはいけないということもわかるでしょう。  自我の定義があいまいになっていくというのは、脳の究極の老化現象です。  自我をしっかりと認識する方法は、各状況下でダイナミックに自己観察をする以外にないのです。


私自身ネパールやインドでヨーガや密教の行者と交流して、私がたどりついた結論は3つあります。  ①なるべく栄養をとらないこと  ②酸素をできるだけ消費しない  
③激しい運動をしないこと  それではひとつずつ解説してきましょう


そのため、私たちは無意識に、食べすぎてしまいます。  つねに栄養過多であることはもちろん、食べるたびに近代工業化の代償としての重金属や汚染物質を体内に取り込まされます


じつは、私もあまり食べません。  私が何を食べているか少々紹介すると、こんな感じです。  ある日は、昼食にコンビニエンスストアの蕎麦を半分、晩飯は喫茶店のカレーライスを半分。ご飯はほとんど食べません。夜食にイカの足を3本
その翌日は、昼食にやはり蕎麦を半分、晩飯は出前のお弁当を半分。夜食はなし。  これが平均的な私の食事量です。日本人の平均的な食事量からすると、私の一日分は一食分くらいではないでしょうか。  栄養素が不足しているというかもしれませんが、身体に必要な栄養素は、これだけで十分にとることができるはずです


イカの足にも、蕎麦粉にも、出汁のつゆにも、カレーのルーや煮込んである野菜にも、お弁当の焼き魚にも煮物にも、ちゃんと栄養素は入っています。私は蕎麦をとくに好みますが、これは穀物というよりも野菜の一種で、たんぱく質を多く含み、ミネラルなども豊富です


無理に炭水化物をとる必要はありません。むしろ、炭水化物は、避けた
うが体調がいいという人もいます。私も、魚と野菜を少しだけ食べる生活をしていれば十分だと考えています。  私に栄養素の不足がないことは、毎日元気で健康を保っている私の身体が、一番よく知っています


ビジネスパーソンの何倍も働き、友人たちと語らい、論文を含め30冊程度の本を読み、趣味のギターをかなり弾き、アメリカのテレビドラマ観賞をしています。コンビニの蕎麦半分と喫茶店のカレーライス半分、そしてたまにポテトチップス3分の1で、これだけのパフォーマンスを毎日コンスタントに上げています。  ヨーガ行者が実践しているように、健康に長生きするには栄養が足りない
などと考えず、あまり食べないようにすることです


とすれば、私たちが身体の健康状態を保つ上で、避けるべきは、まず激しい運動でしょう。そして、やるべきことは、ゆっくりとした運動です。  ヨーガを参考に考えれば、身体の片側だけを使う運動も避けなければならないと思います。当たり前のことですが、身体の片側だけ偏って使えば、特定の部位に無理が生じ、骨や筋肉をより早く痛めます。  その意味で、欧米のスポーツは、利き腕を中心に組み立てられており、ゴルフ、テニス、野球などは、長寿には向かないスポーツの代表格です


抽象思考することこそが長生きの道です。  抽象思考する人以外は、寿命を必要としていない人なのです