245.逆説の生き方 外山滋比古

人と話していておもしろくないのは、相手が自慢話をするときである。

 

は実にたのしそうに、手柄話や、うまくいったことを話す。話しだすと、止まらない人もある。きいている人が退屈そうにしているのに、そんなことは目に入らない。こういう人はあまり人から好かれ

 

桃李不言、下自成蹊( 桃李 もの言わざれども、 下 自ら 蹊 を成す)

 

ことばがある。有徳の人のもとへは自然に人が集まることを言ったものである。桃や 李 は美味であるから、別に人を呼び集めようとしなくても、自然に人がやってきて、その歩いたところが道になるというのである。昔も自己宣伝して、人を集めようとした人が多かったのであろう。そういうのに対して、実力さえあれば、PRなどする必要のないことを教えたことばである(成蹊という学校がある。その心を 汲んだ命名であろ

 

そのように考えると、〝浜〟は〝死〟を暗示するように思われてくる。人間はいずれ死ぬ。どうせ死ぬのだから、よく生きる努力など空しいではないかと考えるのは、先を 見透しているようで、実は、考えが足りない。人生に、美しく生きる人生に、〝どうせ〟はない。よく考えもせず、さかしらに、タカをくくって、なすべきことをしないのは怠慢である。最後の最後まで、生きるために力をつくすのが美しい──そんなメッセージを引き出すことができる。〝どうせ〟という、すてばちな考えを 戒めていると解すると、この一句の味わいが

 

〝どうせ〟がいけないのは、年寄りだけではない。若い人でも同じことである。ロクに考えもしないで、先々のことをわかったような気になって、すべきことを怠る心は、年齢を問わず人間につきまとう。

 

逆に、敵によって人間が成長するのだとするならば、苦労のすくない、敵のないひとりっ子は、よほど危険、苦労、失敗などを経験しないと、もっている可能性も発揮できなくなってしまう。昔、山中 鹿 介 が「われに七難八苦を与え 給え」と、敵のあらわれることを祈ったのは、逆説ではなかった

ある。  

 

こどもはかわいい。存分にかわいがってやれば、りっぱに、つよい人間になると考えるのは短慮である。能力のある、しっかりした人間にするには、適当に不自由、不幸、苦労することが不可欠である。ひとりっ子は、

 

そういうネガティブなものに欠けやすい。もっと苦しめなくてはいけないのである。  

 

かつては最大の教育力をもつのは貧困であった。貧困は人間にとって大敵のひとつだ。しかし、別に珍しくもない。心ならずも貧しい家庭がどれほどあったかしれない。常識的に見れば、貧困は決してありがたいものではないが、人間を育てる経験としてはかけがえのない力をもっている。おそろしい敵でありながら、長い目で見れば、人間の力をのばしてくれる味方である。貧困を呪うのは誤っているかもしれない。好敵手としてこれに挑戦すれば、思いがけぬ人間力を身につけることができるので

 

世の中を敵と味方の二つに分けるのは粗雑な考え方である。敵はにくいもの、われに害を与えるものなりときめて、敵の効用ともいうべきものに思い至らないのは未熟である。たくさん敵があれば、それはむしろ天の配剤だと考えて感謝するくらいにならないと豊かな人生を送ったとは言えないだろう。若いうちは、ことに強敵、大敵が必要で、それに負けない意志と努力があれば、人生はそれだけ大きなものになる。夢にも敵がなければよい、などと考えないことだ。無敵を願うのは弱い心である。  XとYという雑誌はライバル関係にあると思われていたが、もともとY誌は強力なX誌の勢いをそぐための敵対誌であった。X誌が勢いを失った。Y誌にとってチャンスのはずである。どんどん読者がふえるかと思われていると、大方の予想に反して廃刊になってしまった。Y誌は敵のX誌によって力を出していたのである。  無敵はまさに大敵で

 

病気だと知ると病気になる。知らないでいれば病気ではない。そんなバカげたことがあってたまるか、と人は言うかもしれないが、人間はか弱いもので病気ということばで病気になり、病気だ病気だと気に病んでいると、

 

して、死んでしまうかもしれない。知らぬが仏、である。知るは災い、知らぬ方がいいというのが、案外、道理に近いのかもしれない。  

 

そこへいくと鈍いのはすぐれた才能であるとしてよい。いくら病気がシグナルを送っても鈍感な神経が相手にしなければ〝気〟を〝病〟む病気にはならない。そして自然治癒の力によって、疾患を駆逐する。医学のなかった

 

歴史の間、自然治癒力はもっとも活発に働いただろう。なまじ近代医学がクスリを飲ませたり、手術を急いだりするから、自然治癒の力はいちじるしく低下したと見ることもできる。  鋭敏なのがいけない。下手な知識があるのもいけない。これは死病である、などと医者に宣告されると、気弱く本当に死んでしまうのである。  

 

人間、敏感であるのは考えもので、つまらぬことにいちいち反応し、いつまでもそれにこだわって悩み苦しむのは賢明だとは言えないだろう。それに引きかえ、鈍根はよろしい。たいていのことには反応しない。くよくよ心配するなどということとは無縁である。感知しないものは知らないのと同じである。どんな大きな不幸でも、病苦でも、反応しなければ、かなり毒が消えるのである。  知は災いのもと。  不知はいのちの

 

日本の国内でも南国よりも北の気候のきびしい地方の人の方が、おおむね、勤勉で、努力型が多いと考えられている。ことに雪の深い北陸に働きものが多いとされてきた。典型的なのは新潟の人たちである。越後の人は黙々と働く。我慢づよい。それで他国の人から一目置かれる気質をつくっ

 

つらい境遇に耐えている間に、いわゆる幸せな人間が身につけることのできない多くの力を身につけることができる。なかでも目ざましいのが忍耐、我慢で、順調な生活の中では、身につけることが難しい。不幸の与える 福音 である。ぬるま湯に入っている人は、水風呂へ入る勇気がない。入れば悲鳴とともに飛び出してしまう。きたえた人は、寒中水泳をものともし

 

人間が成長していくには、多少の苦労、 不如意、逆境が必要である。大事に大事に、風にも当てないで育てるのは、弱い人間にすることにほかならない。親の子に対する愛情はしばしばこの道理を見えにくくするので

 

危ないもの、いやなもの、つらいことなどによって、人間は、それを克服しようという力を発揮し、人間力を身につける。「若いときの苦労は 買うてもせよ」という諺は、それを言ったもので

 

そう考えると、〝 望月(満月)の欠けたることもなしと思えば〟といった、マイナスのすくない人生はもっとも弱いものであるという逆説が成立する。我慢すべきことがなかったら、生きることができなくなる。進んでマイナスをもつ。そうすれば、自然に、それに負けないプラスの力がわいて

 

いわゆる恵まれない境遇にある人はとかく自分たちを不当に不幸と思うけれども、それは当たらない。真の不幸は、我慢すべきものがない、すくないことである。これを、教養のある人たちが知らずに一生を終えるのは、ちょっとした悲劇である。  我慢しなければならないものが多ければ多いほど、人間はよい方向へ向かってつよく進むことが

 

ほかの人より劣ったところがあって、若きキケロは大きなコンプレックスをいだいていたに違いない。なんとかそれをはねのけようと もがいて いるうちに、常人をはるかに 凌ぐ技能を身につけることができた。禍が福に転じたので

 

〝売り家と 唐様 で書く三代目〟  昔の人は、うまいことを言ったものである。三代目がみんな失敗するのではない。努力しない三代目がいけないのだが、恵まれた育ち方をする三代目はとにかく苦労が不足する。人間を教えるのは人間ではない。苦労、貧困、病苦など、おそろしい経験によってのみ、人間は人間らしく

 

イギリスの哲人、トマス・カーライルは言った。 「経験は最上の教師である。ただし、月謝が滅法高い」  蝶よ、花よと大事にされて育った人間は、多く経験というこわい先生にめぐりあわないで、不幸によってうちのめされる。

 

幸いなるかな不幸せなる

 

ここだけの話、さしさわりのある話、人の名誉にかかわるような話は、きいても他言しない、ということができれば、出世はまず間違いがないのは、この章のはじめに出てくる老教授の言う通りで

 

口が堅い、というようなことは、情報化社会では、かつてと比べものにならない大きなメリットをともなう。そのために健康を害するおそれもあるのだから、大げさに言えば、命がけであるが、他人のプライバシーを大切にし、ゴシップまがいの話を広めないことができれば、社会的競争におくれをとることは

 

すこし年をとり、世間の風に当たると、すこしずつまわりが見えるようになる。自分のほかにも人間がいる、ということがわかる。その人たちは多く自分よりすぐれているのではないかと悟るのは、才能のひとつである。人間的成長が、ぼんやりひとりよがりを言っている連中よりはるかに早い。  力のないのに限って自分はえらいと思い込む。まわりの人を大切にすることで自分が高まる、などということは夢にも考えないだろう。自分のまわりでもっとも弱いものに目をつけ、それと自分をひき比べて、自分はえらいといい気になる。  それではいけない。昔の人がそう考えた。自己中心、思い上がって傲慢になってはいけない、というのが、大事なしつけになる。

 

こういう時代に、やわらかく、やさしいリズムで生きることのできる人は、おのずから存在を明らかにするようになるであろう。まわりや相手を大切にすれば、自分を高めることになるという逆説は死にかけて

 

ノーベル賞を受賞した田中耕一氏は、こどものとき富山県の小学校で学んだ。担任は 澤 柿 教 誠 先生であった。あるとき、理科の時間に、先生は児童にめいめい実験をさせ、自分は机間を歩きまわった。田中少年のところへまわってきた先生に、少年は実験のことで質問した。するどいというか、おもしろい質問だった。先生がびっくりして、 「キミ、そんなことに気がついてスゴイねえ。先生でも気がつかなかったよ」  と答えた。  このひとことが田中少年の科学志望を決定したという。ノーベル賞

て帰国すると、空港から、まっすぐ澤柿先生のところへ直行して感謝したという美談が

 

こういうようにいわばでたらめにほめても、効果がある。これをピグマリオン効果と呼ぶので

 

ピグマリオンギリシア神話の王である。この王は彫刻の名手でもあった。あるとき刻んだ女性像があまりにも美しく、王は本気でこの彫刻の女性を愛し、ついに結婚するのを熱望するまでになった。まわりがそれは 叶わぬことと 諫 めたがきき入れず、ひたすら結ばれることを祈念していて、とうとう願いが叶って彫像が人間となり、その女性と結婚したという。そのピグマリオンの名に 因んだのが、ピグマリオン効果である。口で言っていると、不可能なことが可能になるというところが眼目である。  山本五十六 元帥は、すぐれた教育者でもあったと言われるが、名言をのこしている──。

 

シテミセテ イツテキカセテ サセテミテ ホメテヤラネバ ヒトハウゴカジ  ある老教師はこれに蛇足をつけた。 ホメテヤラネバ ヒトハウゴカジ ホメレバ

 

人間は生まれてしばらくの間のことは何も覚えていないが、たいへんな苦しみを経験しているはずである。なにも知らずに未知の世界へ飛び出してくるのである。不快なこと、苦しいことの連続で、泣いてばかりいなければならない。しかし、やがてそういう環境と折り合いをつけて、笑うことができるようになる。おどろくべき生命力である。  生まれたばかりのこどもの〝苦労〟はなまやさしいものではないマイナスのはずである。それをごく短い期間に乗り越えてプラスにしてしまう。例外なく、そうなるのはおどろくべきことのように思われる。しかも、そのことをあとかたもなく忘れてしまうことができるのもすばらしい。人間の一生はマイナスに始まりプラスに転じていくのである。

 

社会に出て、逆境、不幸に見舞われたら、この新生児のときの、忘れた苦難の道を考え、みずからをはげますことができる。すべてのこどもが乗り越えたマイナスである。再び三たびできないわけがない。そう考えるだけで、おのずから、勇気がわいてくる。マイナスのあとにプラスあり、そう考えれば、すこしくらいのマイナスはなんでもなくなる。マイナス思考は、実はプラス思考に通じるのである。  この本は構想を立ててから