234.1日ひとつだけ、強くなる。 梅原 大吾

自分から見てほとんどのプレイヤーは、ゲームを細分化された状況の積み重ねのみで考えている。各場面を分けて最適解を考え、その集積がひとつの結果を生むという考え方だ。  Aという場面では、Aで一番いい方法は何かを考える。Bに移ったら、またBで一番いい方法を考える。全部のシチュエーションで勝とうとする。小テストを積み重ねた合計点で競うようなやり方だ。

 

場面ごとに一番いい方法を考える。一見、正しいことのように思えるが、こういう発想をしていると当然「飛び道具を撃つ」という発想はどの場面においても出てはこないことに

 

勝負のとき、感情は動かないほうがいい。怖がったり、焦ったり、興奮

たり……。こういった感情は、すべて勝負には向いてい

 

人は圧倒的に優勢になると、「勝った」という気持ちになるものだ。まだ勝ってはいないけれど、どうしてもそういう気持ちになる瞬間がある。これも、人間の弱さのひとつかもしれない。

 

実力以上の結果が出たときに崩れたやり方をしていると、それが自分の基準になってしまう。これは危ない。誤った成功を基準にして成功を 目論むのだから、うまくいくわけがない。うまくいかないのにやり方を変えられない、変えようとし

 

無自覚な人が多いけれど、戦い方が崩れるというのはとても危険なことだ。良くない勝ちもあれば、良い負けもある。感情的になってやるべきことを誤らないこと。それが一時のことで済まなければ大変なことになるのだ

 

しかし、弱い人というのは目先の損が我慢できない。状況を考えず感情で前に出てしまい、自分のリズムを崩すきっかけを作ってしまう。当然、結果も出

 

ここで気を取り直して地道に戦うことができれば、救いもあるかもしれない。しかし、ほとんどの打ち手は、より感情的になってさらに泥沼になってしまう。もうどうにもならない過ぎたことにこだわって、損を取り返そうとする。しかも、転んだのは自分のせいなのだから救いが

 

大切なのは、劣勢になったときだけではない。優勢になったときも姿勢を変えないことだ。  ゲームが始まっ

 

勝負の世界では「勝てそうだけど勝てない」と相手に思わせるのが強い勝ち方だとよく言われる。 90 対 10 で圧勝する必要はない。 60 対 40 で着実に勝つほうがいい。それぞれではあるが、僕はそう考えて

 

タイミングはともかく、こういうことはよくあるものだ。実力が伸びているのに結果が出ない。それでも根気よく続けていると、急に勝ち始める。貯金を一度におろすような感じだ。自分にもそういう経験は何度も

 

成長しながら力を付けることができれば、自分が楽しいし、いい結果も生まれやすい。だから、成長は義務などではなく、楽しく生きて、この時代にコースアウトしないためのツールとして考えればいいのではない

 

今は皆がディフェンシブにしている中で「こうしないといけないんだ」ということにいち早く気づき、積極的に切り込んでいく人が勝っている。麻雀なら「2着でいいや」と思っていると、ラスよりひどい支払いをさせられかねないというのが、今の時代なの

 

このように、本当はもっと前に出て戦わなければいけないところで、ディフェンシブに戦ってやられるという状況は、特に最近、いろいろなところで見るようになっ

 

コースアウトしないよう、安全に、安全にとやっていて、結局負けてしまう。多少なりともリスクを負わないと、最初から負けが保証されているような状態になってしまうのだ。

 

コースアウトする可能性があったとしても、より良い走りをしようと前に出て戦う。そのときは駄目だとしても、成長(変化)を続けて、次のレース、次の次のレースで良い成績を出すようにする。  このような姿勢でいることが、最終的に自分の身を守る。僕は、そう考えて

 

投資として、動くことのポジティブな面を考えるのが強いプレイヤー。  リスクとして、動くことをネガティブに考えるのが弱いプレイヤー。  こんなふうに言えるかもしれない。  その行為が得だから動くのではない。動くことで自分の能力がフルに発揮されることを、強いプレイヤーは知っている。

 

たとえば、相手がどう動くかを予測する「読み」でも、実際に行動に移さないと意味はない。 「こう来るかもしれない」と思うのは、誰だってできる。そこで何もしなかったのに「こうなるって、俺は分かってたんだよ」と後で言うのは弱いプレイヤーだ。 強いプレイヤーは逆で「こう来るかもしれない」と思った自分を信じて、行動に移すことが

 

行動力がないのは「相手の動きに応じることだけで闘おうとする」タイプだろう。相手の動きやミスを待って、それに反応して闘う。相手任せになるので後手後手になるし、投資がないので大きな収穫も

 

正しく成長するためには、正しい分析が必要だ。安心と不安。いずれも分析の対象とは無関係の感情でしかない。安心だからといって安全とは限らないし、不安だからといって危険だとも限らないということだ。安心や不安という感情が、正しい分析を曇らせる可能性がある。  勝負は客観的な理に、より近いほうが勝つと僕は考えている。そして理

 

ものは、不安や安心とまったく無関係に存在するものだ。理に近付くという目的において、不安や安心は単なる偏見となりうる。物事を見るときは、そういうことにも注意しておくと

 

疲れたときの頑張りが、苦労の割に役に立たないことは知っておいてほしい。疲れているときはきちんと休んで、体調を整えること。真剣に取り組むのであれば、正しく休むことも取り組みの大切な要素になる。長く安定して続けられるやり方なくして、継続的な成長はないのだ

 

僕にとってのモチベーション。それは成長を実感することによる喜びや楽しさにある。この成長の実感もできるだけ自力で感じ取れることが大切だ。自分で成長を実感できていれば、外的な刺激だけに頼ることがなくなるのでペースも安定する。

 

がやっている方法は「新しい発見を毎日メモして、成長を確認する」というもの。これは「最近自分に成長がないな」と思っている人にもお薦め

 

こういうときはとにかく行動することが一番いい。感情は行動で変わる

 

何か打ち込んでいることや、続けていることがあるのなら、成長のループを継続することを考えてほしい。毎日の歩みがいかにわずかであっても、安定した継続というのはそれだけで自信になるから

 

安定した成長を継続していると、こういった好循環がさまざまな場面で発生する。ある一線を越えると、勢いが勢いを呼ぶといった感じで、後ろから風が吹いているような感覚が得られるようになるはずだ。そうなればあとは自然に乗ってやればいい。  その好循環の始まりは、小さなモチベーションと小さな成果にある。それを忘れなければ、より楽で省エネなやり方をもって物事を進められるようになるだろ

 

僕は、どんなに大きな大会も目標にしないようにしている。勝負には終わりがないのに、目標を持つと「それに勝ったら終わり」ということになってしまう。一般的に、目標を立てて頑張るのは正しいことだとされている。しかし、継続という観点から見ると必ずしも正しいことばかりではない。かえって、マイナスになることさえ

 

僕は大きな大会で優勝しても特に喜ばないし、負けて悔しがることもない。そのせいか「梅原はクールだ」と言われたりもする。それは、大会を一番の目標にしていないから、ほとんど感情が動かないだけのことなの

 

僕が一番嫌いなのは、勝つ根拠を考えもせずに「勝てる」と思い込むこと。よく「『自分は勝てる』と思い込むといい」などと言われるけれど、それはちょっとどうかと思う。  勝てると思い込んだら、それ以上、努力をしなくなってしまう危険性がある。自分の中では勝つことになってしまっているからだ。勝つ根拠を

 

構築すれば、思い込みで誤魔化さずに「こうすれば勝てる」と自然に思えるようになる。それが勝負に臨むときの基本的な姿勢だと僕は

 

自信のあるという態度というものが、世間では誤解されている。本当に強い人は、いわゆるマニュアルにあるような、自信ありげな態度は取らない。虚勢や誤魔化しがない。そういうことをする必要がないのだ。極めて普通である。僕は、そういう人に凄みを

 

対戦でもそれは同じだ。自信がある人のプレイというのは、虚勢や誤魔化しがない。こういう人は強いし、自然に一目置くことになる。逆の言い方

 

できる。本当に強くなってくると、普段のプレイから気負いや色のようなものが消えて、平淡になっていく。  いわゆる成功者であっても、自信がない人は、自分がやってきたことをやたらと強調する傾向がある。話していてもそれほど魅力を感じないし「得意なことでたまたまうまくやってきたんだな」と感じてしまう。  要領良くやっているだけでは本当の自信が手に入らない。それは、劣等感のある苦手や弱みに対して、見て見ぬ振りをしているからだろ

 

結局、苦手なことから目を背けていると自信を持てない、ということだと思う。苦手に挑戦していれば、たとえうまくできなくても、挑戦していることで自分を肯定的に見られるようになる。それが自信になる。  生まれつき得意なことも苦手なこともあるけれど、それに縛られて生きていかなければならない、なんてルールはないの

 

得意なことや成功したことがあれば自信が付くというのは噓ではないけれど、正確な言い方ではない。外からの賞賛に頼っているだけでは、結局は本当の自信にならない。自ら支えることが必要になる。どんな成功をしたのか、という結果ではない。どんなふうにして成功をしていったのか、という過程が問われることに

 

そして、本当の自信というのは、考えられているよりも、ずっと柔らかくしなやかで強靭なものではないだろうか。それは一言で表すなら「普通」だということに

 

勝ち続けるためのひとつの鍵があるとしたら、それは自立心のようなことかもしれない。自分の内側にある基準で物事を判断し、その判断の責任を負う。いずれの考えも、そんな共通点を持っている。  そういった感覚を持って、日々の取り組みを続けた先に、ああいった「普通」に通ずる何かがあるのかもしれない。僕もまだまだ途上だな、と