189.現代語訳 論語と算盤  渋沢栄一、守屋淳

そのときわたしは、大いに玉乃に反論し、説得したのだが、引き合いに出したのが『論語』だった。宋王朝( 11) の名臣・趙 普( 12) が、 「『論語』の半分を使って自分が仕えている皇帝を助け、のこり半分を使って自分の身を修める」  といったことなどを引用し


「わたしは『論語』で一生を貫いてみせる。金銭を取り扱うことが、なぜ賤しいのだ。君のように金銭を賤しんでいては、国家は立ちゆかない。民間より官の方が貴いとか、爵位が高いといったことは、実はそんなに尊いことではない。人間が勤めるべき尊い仕事は至るところにある。官だけが尊いわけではない」  と『論語』などを引用し

 

中国古代の思想家である 孟子 は、 「敵国や外患がないと、国は必ず滅んでしまう」

と述べている。いかにもその通りで、国家が健全な発達を遂げていくためには、商工業においても、学術や芸術、工芸においても、また外交においても、常に外国と争って必ずこれに勝って見せるという意気込みがなければならない。国家ばかりではない、一個人においても、常に周囲に敵があってこれに苦しめられ、その敵と争って必ず勝って見せる気概がなくては、決して成長も進歩も

 

しかし、わたし自身が逆境に立たされたとき、自分でいろいろと試し、また何が正しい道筋なのかという観点から考えてみたことがある。その内容

 

ここで明かしてしまうと、それは逆境に立たされた場合、どんな人でもまず、 「自己の本分(自分に与えられた社会のなかでの役割分担)」  だと覚悟を決めるのが唯一の策ではないか、ということなのだ。現状に満足することを知って、自分の守備範囲を守り、 「どんなに頭を悩ませても結局、天命(神から与えられた運命) であるから仕方がない」  とあきらめがつくならば、どんなに対処しがたい逆境にいても、心は平静さを保つことができるに違い

 

ところがもし、「このような状況はすべて人のつくり上げたものだ」と解釈し、人間の力でどうにかなるものであると考えるならば、無駄に苦労の

を増やすばかりでなく、いくら苦労しても何も達成できない結果となる。最後には逆境のなかで疲れ切って、明日をどうするかさえ考えられなくなってしまうだろう。だからこそ、「人にはどうしようもない逆境」に対処する場合には、天命に身をゆだね、腰をすえて来るべき運命を待ちながら、コツコツと挫けず勉強するのがよいの

 

「なすべきことを完成させない限り、死んでも故郷に帰ら

「大きな仕事を成し遂げるためには、細事にこだわるべきではない」 「男子たるもの、一度決意したなら、ぜひとも伸るか反るかの快挙を試みるべきだ」  といった格言を旨とするのが大切なのだ。そして同時に、自分の身の丈を忘れないようにして、バランスをとらなければならない。孔子は、 「欲望のままに振舞っても、ハメを外さない」  といわれたが、この言葉の通りに、身の丈に満足しながら進むのがよいのである。  次に、若い人がもっとも注意すべきことに、喜怒哀楽がある。いや、若い人だけではない。およそ人間が世間とのつきあい方を誤るのは、だいたいにおいて、さまざまな感情が暴発してしまうからなのだ。孔子も、

「関雎 という昔の音楽は、楽しさの表現に走りすぎず、哀しさの表現に溺れすぎなかった」  と述べている。つまり、喜怒哀楽はバランスをとる必要があるというのだ。わたしも酒は飲むし、遊びもするが、常に「走りすぎず、溺れすぎず」を限度と心得ている。これを一言でいえば、わたしの主義は、 「何事も誠実さを基準とする」  ということに外なら

 

わたしは常に、精神の向上を、富の増大とともに進めることが必要であると信じている。人はこの点から考えて、強い信仰を持たなければならない。わたしは農家に生まれたから教育も低かった。しかし幸いにも中国古典の学問を修めることができたので、ここから一種の信仰を持つことができたのである。わたしは極楽も地獄も気にかけない。ただ現在において正しいことを行ったならば、人として立派なのだ、と信じて

 

およそ人として社会で生きていくとき、常識はどんな地位にいても必要であり、なくてはならないものである。では、常識とはどのようなものなのだろう。わたしは、次のように解釈する。  まず、何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動がすべて中庸にかなうもの

 

常識なのだ。これは学術的に解釈すれば、 「智、情、意(知恵、情愛、意志)」  の三つがそれぞれバランスを保って、均等に成長したものが完全な常識であろうと考える。さらに言葉を換えるなら、ごく一般的な人情に通じて、世間の考え方を理解し、物事をうまく処理できる能力が、常識に外なら

 

「情」は一種の緩和剤で、何事もこの「情」が加わることによってバランスを保ち、人生の出来事に円満な解決を与えてくれるのである。もしも人間の世界から「情」という要素を除いてしまったら、どうなるだろう。何事も極端から極端に走って、ついにはどうしようもない結果を招いてしまうに

ない。だからこそ、人間にとって「情」はなくてはならない機能なのだ。  しかし、「情」にも欠点があって、それは瞬間的にわきあがりやすいため、悪くすると流されてしまうことだ。特に、人の喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、愛しさ、憎しみ、欲望といった七つの感情は、その引きおこす変化が激しいため、心の他の個所を使ってこれらをコントロールしていかなければ、感情に走り過ぎるという弊害を招いてしまう。この時点で、「意志」というものの必要性が生じてくるので

 

動きやすい感情をコントロールするものは、強い意志より他にはない。だからこそ、「意」は精神活動の大本ともいえるものだ。強い意志さえあれば、人生において大きな強みを持つことになる。しかし意志ばかり強くて、他の「情」や「智」がともなわないと、単なる頑固者や強情者になって

 

根拠なく自信ばかり持って、自分の主張が間違っていても直そうとせず、ひたすら 我 を押し通そうと

 

同じように、実社会においても、人の心の善悪よりは、その「振舞い」の善悪に重点がおかれる。しかも、心の善悪よりも「振舞い」の善悪の方が、傍から判別しやすいため、どうしても「振舞い」にすぐれ、よく見える方が信用されやすくなるの

 

宋の時代は、先ほど述べたように、社会正義のための道徳にばかり走って国を滅ぼしてしまった。一方、今日では自分さえよければいいという主義のために身を危うくするような状況がある。これはお隣の中国だけの話ではない。他の国々もみな同じなのだ。つまり、利益を得ようとすることと、社会正義のための道徳にのっとるということは、両者バランスよく並び立って

 

初めて国家も健全に成長するようになる。個人もちょうどよい塩梅で、富を築いていくので

いかに自分が苦労して築いた富だ、といったところで、その富が自分一人のものだと思うのは、大きな間違いなのだ。要するに、人はただ一人では何もできない存在だ。国家社会の助けがあって、初めて自分でも利益が上げられ、安全に生きていくことができる。もし国家社会がなかったなら、誰も満足にこの世の中で生きていくことなど不可能だろう。これを思えば、富を手にすればするほど、社会から助けてもらっていることに

 

だからこそ、この恩恵にお返しをするという意味で、貧しい人を救う

の事業に乗り出すのは、むしろ当然の義務であろう。できる限り社会のために手助けしていかなければならないの

 

「高い道徳を持った人間は、自分が立ちたいと思ったら、まず他人を立たせてやり、自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる」  という『論語』の言葉のように、自分を愛する気持ちが強いなら、その分、社会もまた同じくらい愛していかなければならない。世の富豪は、まずこのような観点に注目すべきなの

 

また、お金は社会の力をあらわすための大切な道具でもある。お金を

 

にするのはもちろん正しいことだが、必要な場合にうまく使っていくのも、それに劣らずよいことなのだ。よく集めて、よく使い、社会を活発にして、経済活動の成長をうながすことを、心ある人はぜひとも心がけて欲しい。お金の本質を本当に知っている人なら、よく集める一方で、よく使っていくべきなのだ。よく使うとは、正しく支出することであって、よい事柄に使っていくことを意味する。よい医者が大手術で使い、患者の一命を救った「メス」も、狂人に持たせてしまえば、人を傷つける道具になる。これと同じで、われわれはお金を大切にして、よい事柄に使っていくことを忘れてはなら

 

何でもない教えなのだが、確かに、毎日新たな気持ちでいるのは面白い。その一方で、すべてが形式的になってしまうと、精神が先細りしていく。何についても「一日を新たな気持ちで」という心掛けが肝心なのだ。  政治の世界で、今日、物事が滞ってしまっているのは、決めごと

 

現に家康の遺訓の一つとして、よく知られたこんな一節がある。 「人の一生は、重い荷物を背負って、遠い道のりを歩んでいくようなもの、急いではならない。  不自由なのが当たり前だと思っていれば、足りないことなどない。心に欲望が芽ばえたなら、自分が苦しんでいた時を思い出すことだ。耐え忍ぶことこそ、無事に長らえるための基本、怒りは自分にとって敵だと思わなければならない。  勝つことばかり知っていて、うまく負けることを知らなければ、そのマイナス面はやがて自分の身に及ぶ。自分を責めて、他人を責めるな。足りない方が、やりすぎよりまだましなのだ」

 

もちろん、だからといって自分を磨くさいに、知恵や知識は重視しなくてよいというわけではない。ただし今の教育は、知恵や知識を身につけることばかりに走ってしまい、精神力を鍛える機会が乏しくなっている。だから、それを補うために自分磨きが必要なのだ。自分を磨くことと、学問を修めることが相容れないと思うのは、これも大いなる誤解でしか

 

おそらく自分を磨くというのには、広い意味がある。精神も、知恵や知識も、身体も、行いもみな向上するよう鍛錬することなのだ。これは青年も老人も、ともにやらなければならない。これが挫折せずにうまく続けられれば、ついには理想の人物のレベルに達することができるので

 

ただし、簡単に善悪二つに分けられるにせよ、そもそも事業にはさまざまあって、競争の種類もいくつもある。そのなかで性質が善でない競争に携わった場合、状況によっては利益が転がり込んでくることもあるだろう。しかし多くの場合は他人を妨害することで、やがて自分の損失にもつながってしまう。さらに自分や他人という関係ばかりでなく、その弊害が国家に及んでしまうこともある。「日本の商人は困ったものだ」と外国人にまで軽蔑されるようになれば、その弊害はとても大きいといわざるを得

 

福沢諭吉さんの言葉に、 「書物を著したとしても、それを多数の人が読むようなものでなければ効率が薄い。著者は常に自分のことよりも、国家社会を利するという考えで筆をとらなければならない」  といった意味のことがあったと記憶している。実業界のこともまた、この 理 に外ならない。社会に多くの利益を与えるものでなければ、正しくまともな事業とはいえないのだ。  かりに一個人だけが大富豪になっても、社会の多数がそのために貧困に

ような事業であったなら、どうだろうか。いかにその人が豊かになったとしても、その幸福は繫がっていかないではないか。だからこそ、国家多数の豊かさを実現できる方法でなければならないので

 

しかし武士には武士道が必要であったように、商工業者にも商業道徳がないと真の豊かさは実現不可能なのだ。商工業者に道徳はいらないなどというのは、とんでもない間違いだったので

 

そもそも地位や豊かさは、聖人や賢人も望むものだし、貧しさや賤しさは逆に望まないものであった。これは、われわれ凡人と変わることがなかった。ただし彼らは、人としての道や社会道徳の方を根本的だとし、経済力や地位は枝葉末節だと考えていた。ところが昔の商工業者たちはこの考えに反対し、経済力や地位の方を根本において、人としての道や社会道徳を枝葉末節に置いてしまった。これは誤解もはなはだしいのではないだろうか。

 

ヤマト魂や武士道を誇りとするわが日本で、その商工業者が道徳の考え方に乏しいというのはとても悲しむべきことだ。しかし、その原因は何だろうと探っていくと、昔から続いてきた教育の弊害ではないかと思うのだ。  わたしは歴史家でもないし、学者でもないので、遠くその根源を究めるということはできない。しかし、『論語』にある 「人民とは、政策に従わせればよいのであって、その理由まで知らせてはならない( 4)」  という考え方が、江戸時代に定着していたことは確かだろ

 

豊かさと地位とは「人類の性欲」とでもいうべきものだが、初めから道徳や社会正義の考え方がない者に向かって、利益追求の学問を教えてしまえば、薪に油を注いでその性欲を煽るような

結果は初めからわかっていたの

 

今でも、高等教育を受けた青年のなかには、昔の青年と比較してまったく 遜色 のない者がたくさんいる。昔は少数でもよいから、偉い者を出すという天才教育であった。今は多数の者を平均して教え導いていくという常識的


これに対して、今の教育は知識を身につけることを重視した結果、すでに小学校の時代から多くの学科を学び、さらに中学や大学に進んでますますたくさんの知識を積むようになった。ところが精神を磨くことをなおざりにして、心の学問に力を尽くさないから、品性の面で青年たちに問題が出るようになってしまった。  そもそも現代の青年は、学問を修める目的を間違っている。『論語』にも、 「昔の人間は、自分を向上させるために学問をした。今の人間は、名前を

ために学問を


同時に、教育の方針もやや意義を取り違えてしまったところがある。むやみに詰め込む知識教育でよしとしているから、似たりよったりの人材ばかり生まれるようになったのだ。しかも精神を磨くことをなおざりにした結果、人に頭を下げることを学ぶ機会がない、という大きな問題が生じてしまった。つまり、いたずらに気位ばかり高くなってしまったのだ。このようであれば、人材が余ってしまう現象もむしろ当然のことではないだろう


「仕事とは、地道に努力していけば精通していくものだが、気を緩めると荒れてしまう」  といわれるが、何事においてもこれは当てはまる。もし大いなる楽しみと喜びの気持ちをもって事業に携わっていくなら、いかに忙しく、いかにわずらわしくとも、飽きてしまったり嫌になってしまうような苦痛を感じる

もないだろ


さて、そんな華々しい活動を続けた栄一の私生活に最後に触れておこう。彼は最初の妻千代を四十三歳のときになくすと、後妻として兼子と結婚し四男三女をもうけている。またこの時代の通例で、お妾さんも数多く持ち、その子供は三十人以上はいた


こうして栄一は、十一月十一日に大往生を遂げた。享年九十二歳。墓地は東京上野にある谷中霊園、主君であった慶喜にほど近いところに、そのお墓は置かれて

 

 妾がたくさんいて子供が30人以上いたことが1番の衝撃。