180.精神分析入門・夢判断 フロイト

我々は誰しも誘惑に陥ることがある。

どう仕様もなく弱い人間は、自分の弱さを認めることをしません。

 

人間は自身でも承認できない感情を抱いた時、その感情をなかったものにしようと「抑圧」する。そうして自身の精神を傷つけるものに立ち向かうより病気として考えることを選ぶのだ。

 

一度は私に与しながら私と別離の道をたどった彼らを見ていると、人は誰かを攻撃せずにはいられないようであるようだ。

人間は文明化しきっていない。

人々の心の中には社会に適応しながらもなお、獣のような衝動がひそんでいるのだ。

 

どの人間の中にも暗いジャングルのような原始的な感情が宿っている。底には思考は存在せず、ただひたすら生きるための欲望のままに働く、それが「イド」だ。

ある時人間は集団で群れて暮らすことを学んだ。だが集団で暮らすためには「イド」をコントロールしなければならない。そうして生まれたのが「自我」だ。文明化された生活の中では「イド」のエネルギーは「自我」によって押し戻される。

 

だが文明が崩れ生命に危険が及んだ時、「イド」は生き残るために最大限の力を発揮する。こととき「イド」を抑え込む「自我」が未熟であると「イド」は社会に対して猛威を振るう。生活を破壊し、非行や犯罪に走りまた個人に病気を引き起こす。

 

また文明社会に適合できた人間には「良心」が芽生える。その「良心」は「超自我」としてイドと自我の闘争を審判している。

 

だが現実に自身の野蛮な感情を消化できる人間がこの世の中にどれだけ存在しているであろうか。私は自負している。私自身常に強い憎しみの中にいた人間であったということを。

 

文明社会において人類には成長することが課せられている。

 「イド」のコントロール難しいね。やはり現代の人間は、本能を抑圧して生きているわけだよね。