168.超AI時代の生存戦略 落合陽一

今の社会において、雇用され、労働し、対価をもらうというスタイルから、好きなことで価値を生み出すスタイルに転換することのほうが重要だ。それは余暇をエンタメで潰すという意味でなく、ライフにおいても戦略を定め、差別化した人生価値を用いて利潤を集めていくということである。  


たとえば、今の時代であれば、1日4回寝てもいい。1日4回寝て、仕事、趣味、仕事、趣味、仕事、趣味で、4時間おきに仕事しても生きていける。仕事か趣味か区別できないことを1日中ずっとやってお金を稼いでいる人も増えてきた。クラウドファンディングで、レジャーと仕事の中間のような行動をして、それで対価をもらっている人も増加している。  


今、この世界で他人と違うのは当たり前で、他人と違うことをしているから価値がある。もし、他人と競争をしているならば、それはレッドオーシ

ン(競争の激しい市場)にいるということだ。つまり、競争心を持つというのは、レッドオーシャンの考え方で、そうではなくて一人一人がブルーオーシャン(未開拓な市場)な考え方をしなくてはいけない


ブルーオーシャンを探すクセをつける  ブルーオーシャンな考え方というのは、他人と違うことをやっていくということを基本にすることだ。また、自分しかそれをやっていないけれど、それが正しいと信じることだ。つまり、ブルーオーシャン的な思考をするのは、競争心とは真逆の考え方である


競争心を持ち、勝つことを繰り返すのがレッドオーシャンだったら、ブルーオーシャンは黙々と、淡々とやることだ。  


そういった方向に仕事を持っていくことが、超AI時代のキーワードだと思っている。後述で「遊び」というフレーズで説明していくけれど、「遊び方」というのを重要視していく上で、「趣味性」というのがキーになっていくだろう。 「遊び」は簡単に聞こえるけれど難しい。

 

「趣味を仕事でやれ」と言われると、仕事になる趣味は見つかりにくい。しかし、仕事になる趣味を作るということがワークアズライフの生存戦略では重要なので、「仕事になる趣味を3つくらい持ちましょう」と勧めたい。


ここで大事なのは、「ドキドキして報酬がある」ということを多少なりとも私たちは少しは持っているはずだということだ。たとえば、広告代理店で働いていたり、出版やテレビ業界で働いていたりすると、売上や視聴率でドキドキするという報酬があるわけだ。 「○○を作ってみた、ドキドキする、売れるかな、大丈夫かな」と思って、


うまくいくときと悪いときがあるというのは、極めてギャンブル的な仕事活動である。  そうした仕事もあるので、ギャンブル的なことをどうやって普段の仕事に取り入れていくのかというのが一つのキーワードになっていくだろう


そして、ギャンブル的なことは、なかなか抜け出せない。一度ギャンブルにハマると、抜け出しにくい。それが、ギャンブル的な仕事になっていると、いわゆるワーカホリックが生まれるわけだが、別にそれが悪いことだと僕は思っていない。  


リターンが単純に金銭なのか、画面が光るのか、音が鳴るのか。そのフレームワークの上には研究という成果が出るか出まいかのギャンブルの延長でノーベル賞を獲るということも含まれるわけだ。  一度、自分の仕事の中で、「どこがギャンブル的なのか」ということを意識してみるのを勧めたい。これはストレスと報酬関係を明記するということだ


麻雀もカードゲームも、世の中にあるあらゆるギャンブル的なものは、それのどこに「ドキドキを感じているのか」を理解するためのツールとしては非常に便利なことだ。スポーツ観戦も、お金をかけていないだけで、ドキドキしてテンションは上がっている。サッカーだと、「入るのか、ゴール入るのか、入ったー」「ああ、だめだったー」というのを繰り返すし、それでどんどんテンションが上がって報酬系の虜になっていく。 「ドキドキして、たまに報酬がある」。すべての仕事はこのロジックだ。これを繰り返していくとそれにどんどんハマっていく。ここに、ワークアズライフの妙がある


ここまで読んで、「自分の仕事にはギャンブル的なものがない」という人

いるだろう。けれど、どこかに少しでもギャンブル性を持っていれば、もっと仕事にのめり込めるかもしれない。毎日、淡々と同じ業務をやっているだけであっても、ギャンブル性のあることを数パーセントくらい入れられないだろうか。たとえば、誰かに提案をするときに、少しだけヤマを張った提案を入れてみる。それがたまにうまくいくと、テンションが上がるかもしれない


そして、そういった生き方をするためのツールはたくさんある。たとえば、お金を集めるのであればクラウドファンディングをしてもいいし、NPOを作ってコミュニティをはじめる手続きも作りやすいし、一度も顔を合わせなくても人と一緒にネット上でプログラミングすることもできる。フェイスブックでコミュニティを簡単に作ることだってできる。ゲーム的につながって問題を解決することはどこにいても間口が開いている。  


僕の場合であれば、研究をするということが好きな理由が3つある。評価が得られる点でギャンブル的ということと、作品が残るという点でコレクション的ということだ。また、成果自体が見えるときは自分の五感の新たな

験として感じることができて快感的でもあるので、実は3つが適度に合わさっていると言える


そして逆に考えれば、あなたのやっていることに継続性がないのであれば、この3つの要素がどれか欠落しているのではないだろうか。  好きで何かを続けている理由を細かく分解すると、そのギャンブル、コレクション、快楽のどれかに誰もが集約されるだろう。「ドキドキしたい」し、「充実感を得たい」し、「単純に気持ちがいい」と感じたい


知り合いの野球選手に聞いた話だが、「野球が好きだ」というのも、ヒットが打てるかどうかわからないギャンブル的な要素と、コツコツと身体を鍛えて数字を重ねていくコレクション的な要素、そして単にカキーンと打つこと自体の快楽もあるという。  


あなたが今やっていることでも、その3つを意識してみてほしい


そもそも遊びはコンテクストを理解しているほうが楽しい。たとえば、オペラ鑑賞をするにしても、事前学習をしないと意味がわからないし、アーティストのライブでも、事前に音楽を聴いてから行ったほうが楽しめる。  それと同じで、遊びもコンテクストをあらかじめ意識してからやったほうが楽しい。ただ、コンテクストを理解しなくてもただ単に感動するような原理的な表現は、言葉や文化を超越して受容者に届く。それは、無意識的にグローバルのコンテクストをつかんでいることが多い


会社の寿命は、人よりも短い。だから、今のタイミングで会社にしがみつく必要はおそらくない。  ひと昔前は、会社の寿命は長かった。なぜなら、技術革新が遅いスピードで進化していたからだ。イノベーションはそう簡単には起こらないし、情報の伝達形式もマスメディアが担っていたから遅かった。  会社の寿命やビジネスモデルの寿命、メディアの寿命がすべて長かったので、40年もの生涯雇用が可能だったけれど、今はそうではなく、社会の使っているメソッドの寿命はもっと短い。  

 

それによって、私たちは今、その人がやらないといけないことに対して、ビジネスモデルがコロコロと変わっていってしまうわけだ。自分ができるスキルセットは、できれば常に溜めていかないといけないし、どうマーケットが動いているか、もしくは、どういう業界が変化しているかということを常に追いかけ続けないと使えなくなっていく