167.お金2.0 新しい経済のルールと生き方 佐藤航陽

以上、3つのベクトルについて、お話ししましたが、引っ張る力はお金が一番強く、次に感情、最後がテクノロジーです。ただ、必ず3つのベクトルが揃っていないと現実ではうまく機能しないというのが特徴です。  例えば、他人の感情を無視して経済的な拡大だけを求めていって崩壊していく様を私たちはこれまで何度も見てきました。反対に、多くの人が共感してくれるようなプロジェクトもそこに関わる人たちの生活を支えられるだけの経済的価値を作り出せなければ、長期的には人は離れていってしまいます。誰でもまず最低限の衣食住が必要なためです。  


同様に、テクノロジーも、倫理を無視したものは実現可能であってもなかなか世に出ることはありません。経済的・社会的価値が見つからなかった研究の予算が削減されてしまうことは日常茶飯事です


最初は、「お金」は価値を運ぶ〝ツール〟でした。  ただ「お金」が社会の中心になるにつれ、価値をどう提供するかを考えるよりも、「お金」から「お金」を生み出す方法を考えたほうが効率的であることに、気づく人が出てきます。人を雇用して製品を作って市場で売ってお金」に換えてまた何かを買うよりも、「お金」に「お金」を稼がせるほうがもちろん楽です。現在の金融市場の大きさが、それを証明しています


資本主義社会ではお金がないと何もできません。日々食べるものも買えませんし、家賃を払うこともできません。また、会社の中ではより多くのお金を稼げる人が評価され出世していくようになります。このようにお金を稼ぐことが生活することと直結していて、それを増やすことに大きな報酬が用意されているので、全員がお金を増やすことのみに焦点を絞るようになります。


こうして遡ってみると、中央銀行が本格的に普及したのはこの100年ほどです。なんだか数千年も続いているような錯覚に陥りがちですが、人類史から見るとつい最近普及した新しい仕組みと言えます。私たちの4世代ぐらい前の時代では当たり前に存在するものではなかったことがわかるはずです。中央銀行が通貨を発行し、国が経済をコントロールするのが標準になってまだ100年程度と考えると、最近出てきた仮想通貨やブロックチェーンなどの新しい仕組みが100年後に標準になっていたとしても、それほどおかしな話ではないかもしれません。


経済は人と人の繫がりが切れたり、新しく繫がったりと、ネットワーク全体が常に組み替えを繰り返していて流動的です。そして、このような動的なネットワークには共通する特徴が2つあります。 ①極端な偏り  経済が欲望のダイナミックなネットワークだとすれば、このようなネットワークには「偏り」が自動的に生じます。  


私たちは何かを選ぶ時に多くの人に支持されているものを選ぶ傾向があります。コンビニで歯磨き粉を買う時もアプリを選ぶ時も、多くの人が使っているものを信頼して選んだほうが失敗が少ないからです。  そして、商品を仕入れるお店も、皆に売れるものを中心に仕入れて棚の目立つところに並べ、それによってさらに商品が売れていくというサイクルを繰り返します。人気者がさらに人気者になっていく構造です。  結果的に上位と下位には途方もない偏り(格差)が発生します。一般的に

パレートの法則(上位2割が全体の8割を支える構造)とも呼ばれていますが、経済のような動的なネットワークでは自然に発生してしまう現象の1つです


経済格差は特定の力のある人たちが暴利を貪った結果と考えられてしまいがちですが、実際は動的なネットワークの性質から避けられないものです。  世界経済で言うと、上位1%の富裕層が世界全体の富の48%を所有しており「上位80人」と「下位35億人」の所得がほぼ同じだとされています


所得だけでなく消費においても同様で、身近な例で言うと、ソーシャルゲームではまさにその法則が当てはまります。無料で遊べるタイプだと全体の3%がお金を払い、さらにその中の上位10%で全体の売上の50%を占める(全体の0・3%が総売上の半分を占める)といったことが普通に起こります。


例えば、誰もが未来を正確に予測できて、生まれた瞬間から死ぬまでの結果がわかってしまうような世界があったら、必死に生きたいと思うでしょうか。映画も最初から結末がわかっていると興ざめしてしまいます。  人間は生存確率を高めるために不確実性を極限までなくしたいと努力しますが、一方で不確実性が全くない世界では想像力を働かせて積極的に何かに取り組む意欲が失われてしまいます


自らの思考と努力でコントロールできる「実力」の要素と、全くコントロールできない「運」の要素が良いバランスで混ざっている環境のほうが持続

的な発展が望めます


長く運営されることで徐々に特定の層に利益が滞留し始めると、当然それ以外の人の間で新しいシステムの誕生を望む声が高まっていきます。  また人間には「飽き」があるので、長く同じ環境にいると不満がなかったとしても、新しい環境を望んでしまう傾向があります。  最初から完璧なシステムを作ろうとせずに、寿命が存在することを前提にし、寿命がきたら別のシステムに参加者が移っていけるような選択肢を複数用意しておくことで、結果的に安定的な経済システムを作ることができるようになります。  


インセンティブを強調しすぎて崩壊していく金融市場や、誰得なのか不明なままの新技術。理論的な美しさを重視して最初から実現する気のない思想論文。こういったものは世の中に出ては消えていく時代の消耗品です。  しかし、ビットコインは経済・テクノロジー・思想とそれぞれが、それぞれの役割を与えられた上で、うまく報酬の設計がなされていま


製品やアイディアで勝負する時代から、ユーザーや顧客も巻き込んだ経済システム全体で競争する時代に変わってきています


私たち人間や動物の脳は、欲望が満たされた時に「報酬系」または「報酬回路」と言われる神経系が活性化して、ドーパミンなどの快楽物質を分泌します。この報酬系は、食欲・睡眠欲・性欲などの生理的欲求が満たされた場合はもちろん、他人に褒められたり、愛されたりなどの社会的な欲求が満たされた時にも活性化して快楽物質を分泌します。  


この報酬系のおかげで、私たちの行動における動機付けがされます。少々言い方が悪いですが、人間も動物もこの報酬系の奴隷のようなもので、ここで発生する快楽物質が欲しいために色々な行動に駆り立てられます


大半の人の脳は周囲と自分を比較する物差しがあったほうが、より刺激や快楽を感じやすいという性質を持っています


「自然が経済に似ている」のではなく、「経済が自然に似ていたからこそ、資本主義がここまで広く普及した」のだということです。歴史から考えても主従が真逆なのです


こう考えると、自分が感じていた未来の方向性を決める3つのベクトルの中で、「経済」が最も力が強いと感じていたことに妙に納得ができました。  つまり、経済のベクトルは「自然にもともと内在していた力」が形を変えて表に出てきたものであり、自然とは経済の「大先輩」みたいな存在、ということになります。


以上の3つの性質を簡単にまとめると、「絶えずエネルギーが流れるような環境にあり、相互作用を持つ動的なネットワークは、代謝をしながら自動的に秩序を形成して、情報を内部に記憶することでその秩序をより強固なものにする」となります(長い!)


この自然に内在している構造を、物理学者プリゴジンは「散逸構造(dissipative structure)」、生物学者バレーラらは「autopoiesis」、経済学者ハイエクは「自生的秩序(spontaneous order)」と呼び、みんな近い構造を指摘していました(プリゴジンハイエクノーベル賞を受賞しました)。  


その他にも色々な呼び名がありますが、言っていることはだいたいこの3つに集約されます。  思い出してみると、老練な経営者や歴史的な偉人の名言でも同じような内容が語られていたりしますし、「諸行無常」「生々流転」なんて言葉もずっと大昔からあります


これらの自然に内在する力と、それに似た経済のベクトルの強さを考え

と、ある着想が湧いてきます。  それは「自然の構造に近いルールほど社会に普及しやすく、かけ離れた仕組みほど悲劇を生みやすい」という視点です


経済・自然・脳のように、複数の個が相互作用して全体を構成する現象は「創発」と呼ばれます。今後はこのような構造を使いこなす「創発的思考」とも言える思考体系が必要になってくると考えています。 『モナ・リザ』を描いて芸術家として有名なレオナルド・ダ・ヴィンチは、音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など様々な分野で類い稀な才能を発揮し、あまりにも何でもできるので「万能人」と呼ばれていまし

た。ただ、私は彼が多才であったという点では違う考え方を持っています。それは、ダ・ヴィンチには「全て同じものに見えていたのではないか」という仮説です


が生きた時代は学問は今ほど細分化されていませんでした。ダ・ヴィンチは宇宙や自然を含んだ万物に対する類い稀な探究心と創造性を持っていた人物であり、それが様々な面で発露した結果、彼が多才なように多くの人の目に「映った」のではないかと思います。つまり、彼はこの世界の全てを理解するという「1つ」のことに長けた天才だったのではないかという予想です。彼は著書の中でこんな言葉を残しています。


私の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」  私たちからすれば全く関係ないように思える「芸術」と「数学」を、彼は同じものと捉えていたのかもしれません


中国ではスマホ決済が整備されている点、既存インフラが未整備な点、平均年齢が若く新しいものに対する感度が高い点から、企業が介在せずに個人間で経済が完結するような仕組みが多く存在します


トークンエコノミーでは、経済圏への参加者が増えれば増えるほど経済圏としての価値が上昇する「ネットワーク効果」が働きます。トークンもそれを信頼して受け取ってくれる人がいなければ何の意味もありません

が、ビットコインの仕組みを自分たちの都合の良いように改変しようとしましたが、それに反対する人たちが別の仕組みを提唱して揉めて、結果的にビットコインビットコインキャッシュの2つに分裂しました。  このように特定の存在が経済システム全体をコントロールしようとすると、それに反対する人が離反して経済圏の価値が下がってしまうか、分裂してしまうことになるので、独占や支配が難しい仕組みになっています


IoT・AI・ブロックチェーンが絡みあうと、このように勝手に回り続ける経済圏を作ることができ、従来のビジネスの収益構造を抜本的に変えてしまう破壊力があります。


同様に、今日のテクノロジーによって「経済の民主化」が進み、万人が経

済を自らの手で作れるようになると、今私たちが考えている以上に社会は大きく変化していくでしょう。現代で「知識」そのものがコモディティ化されたことと同様に、「お金」そのものもコモディティ化し、今ほど貴重なものとは考えられなくなることが予想されます


現在も知識は検索すれば誰にでもすぐに手に入ります。むしろその情報をどのように使いこなすかという活用法が重要になっています。同様に、お金そのものには価値がなくなっていき、むしろどのように経済圏を作って回していくかというノウハウこそが重要な時代に変わっていくと考えていま


実際に私たちが生活している経済は少なくとも2つの性質の異なる経済が

混ざりあってできています。労働をして給与をもらい、コンビニに行ってお金を払うという一般的な経済は、「消費経済(実体経済)」と呼ばれています。大半の人はこの経済の中で生きているはずです。  

 

もう1つが、お金からお金を生み出す経済、これは「資産経済(金融経済)」と区別されています。こちらの経済をメインに生きている人は資産家や金融マンなどのごく一部の人たちです。  ただ、世の中に流通しているお金の流れの9割近くは資産経済のほうで生まれています。

普通に生きている多くの人からすると日々の生活で服を買ったりご飯を食べたりするために使っているお金の流れが、全体のお金の流通の1割にも満たないと言われると不思議に思われるかもしれません。株で食べている人や、金利収入で食べている人なんて滅多に見当たりません。  しかし、統計上の数字では間違いなく多くの人が馴染みのある消費経済ではなく、少数の人が回す資産経済が大半のお金の流れを作っています


一方で、資産経済はどんどん拡大を続けていて、世界中で金融マネーは投資先を探してさまよっています。もう利回りの良い金融商品などなくなって

きているため、お金はあるけれど使う対象がないといった状況にあるわけです(あくまで資産経済の話)。日本では企業の内部留保金も過去最高の406兆円となっています


資金調達が容易な環境にあるため、相対的にお金の価値そのものが下がり続けています。逆に、増やすことが難しい、信頼や時間や個性のようなお金では買えないものの価値が、相対的に上がってきているとも言えます


つまり、今起きていることは、お金が価値を媒介する唯一の手段であったという「独占」が終わりつつあるということです。価値を保存・交換・測定する手段は私たちがいつも使っているお金である必要はなくなっています


イスやパソコンなどの備品を失ってもネット企業は全然痛くありませんが、データを失ったら終わりです。そこではデータこそが価値であり、それがお金を稼ぎ出す「資産」なのです。現在の金融や会計などの枠組みは、この点をカバーしていないため、色々な不都合が発生しています


前述の例を見てもわかるように、資本主義上のお金というものが現実世界の価値を正しく認識・評価できなくなっています。今後は、可視化され

「資本」ではなく、お金などの資本に変換される前の「価値」を中心とした世界に変わっていくことが予想できます。  私はこの流れを「資本主義(capitalism)」ではなく「価値主義(valualism)」と呼んでいます。2つは似ているようで別のルールです。資本主義上で意味がないと思われる行為も、価値主義上では意味がある行為になるということが起きます


良い大学を出た超一流企業にも就職できるエリートがその道を選ばずにNPO社会起業家などに専念するのは、資本主義的には非合理的な選択に見えますが、価値主義的には合理的な意思決定とみなすことができます


あらゆる「価値」を最大化しておけば、その価値をいつでもお金に変換することができますし、お金以外にものと交換することもできるようになります。お金は価値を資本主義経済の中で使える形に変換したものに過ぎず、価値を媒介する1つの選択肢に過ぎません


価値主義で扱う価値とは、①有用性としての価値だけではなく、②人間の内面的な価値や、③全体の持続性を高めるような社会的な価値も、すべて価値として取り扱う仕組みです。そして①と比べて②や③は物質がなく曖昧であるがためにテクノロジーの活用が不可欠です。  裏を返せば、価値主義とは資本主義と全く違うパラダイムではなく、これまでの資本主義が認識できなかった領域もテクノロジーの力を使ってカバーする、資本主義の発展系と考えてもらったほうがわかりやすいと思います。


誕生日プレゼントやお土産も、実用性としての価値が重要なのではなく、気にかけてくれているという好意そのものが価値であることとよく似ています。  このように、これまで可視化することが難しかった人間の内面的な価値も、データとして可視化して流通させることが容易な時代になってきています


いわゆる資本主義経済でお金からお金を増やした金融業と同じで、評価から評価を拡散力をテコに生み出していくということが可能になります。そして、この活動から蓄積された影響力や認知や評価といった価値は、まるでお金のように色々なものと交換することも可能です。影響力を広告という方法でお金と交換したり、評価によって貴重な人のアポイントの機会という時間と交換したり、実際の通貨のように機能します


既存の経済ではマネーキャピタルを増やすことがうまい人(経営者・投資家)が大きな力を持っていましたが、これからはソーシャルキャピタルを増やすのに長けた人も大きな力を持つようになると思います


共感の伝播を容易にするソーシャルメディアがあり、人々の反応をデータとして可視化することもでき、ブロックチェーンによってそういったデータ

トークンとして流通させることもでき、ビットコインを活用したクラウドファンディングで国境を超えて価値を移動させることも容易です


こういったテクノロジーの発展によって、お金は儲からないかもしれないけれど世の中にとって価値があると多くの人が感じられるプロジェクトは、経済を大きく動かす力を持てるようになります


こういった希少性のあったものが誰もが簡単に手に入れられるようになり、その価値が目減りしてしまうことをビジネスの世界ではよく「コモディティ化」と言いますが、ベーシックインカムはお金のコモディティ化を急速に推し進める一手になると思われます。


では、個人は企業に比べて何が足りないか? 現状の経済の中で、個人と

企業の大きな違いは「資産」です。個人が「収入」を得る手段は増えましたが、個人が「資産」を得る手段がない限りは、個人は経済の主役にはなれないと思います。

 

 企業は日々の活動の中で様々な資産を積み上げていき、株式などの資産にレバレッジをかけて生産活動を拡大していくことができます。企業の安定性は「収入」以上に「資産」にかかっていることは経営者であればよく理解していると思います。資産という点では企業に比べて個人は圧倒的に不利です。  個人が企業と同じように専門性や影響力や信用力をもとに生きていくため


デジタルネイティブ世代はトークンネイティブ世代が作るサービスが理解できなくなり、「規制が必要だ」という話をしているかもしれません。  イギリスの作家ダグラス・アダムスが生前に面白い言葉を残しています。  


人間は、自分が生まれた時にすでに存在したテクノロジーを、自然な世界の一部と感じる。15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じられ、35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じられる  私たちの脳は一度常識が出来上がってしまうとその枠組みの中で物事を考えたり判断するようになってしまい、新しく誕生した技術などをバイアスなしに見ることが難しいのです


実は私たちが持っている常識は世代によって全然違います。そして今の日

本の常識と呼ばれているものは、日本の人口分布でボリュームゾーンでもある45歳前後の人が持っている概念を指しています。  例えば、先ほどの価値という観点からすると30歳前後の世代は、すでに車や家や時計などのものに対して高いお金を払うという感覚がわからなくなりつつあります。ものは所有しなくても使う時にだけ借りられます。つまり私たち世代にとってこれらの価値は低いのです


そして人生の意義や目的とは欠落・欲求不満から生まれるものですが、あらゆるものが満たされた世界ではこの人生の意義や目的こそが逆に「価値」になりつつあります。  この流れはさらに加速していき、人間は物質的な充足から精神的な充足を求めることに熱心になっていくことは間違いありません。これから誰もが自分の人生の意義や目標を持てることは当然として、それを他人に与えられる存在そのものの価値がどんどん上がっていくことになります。  


グーグルやフェイスブックのような企業が多くの優秀な人を惹きつけられるのは、彼らが最高レベルの給与と福利厚生とブランドを持つというだけでなく、そこで働く人たちに人生の意義や目的を提供していることが大きな要因だと私は思っています


人生の意義の話も踏まえて、価値主義の世界ではどんな働き方や生き方がスタンダードになっていくでしょうか。答えは非常にシンプルで「好きなことに熱中している人ほどうまく行きやすい」世の中に変わっていきます


反対に、人間の内面的な価値に関しては、現在の資本主義の枠組みでは上の世代が認識しにくく、ここには大きなチャンスが存在しています。この内面的な価値には、共感・熱狂・信頼・好意・感謝のような種類があり、わかりやすい現物があるわけでもないので非常に曖昧です。ただ、確かに多くの人がそれに価値を感じて、経済を動かす原動力になっています。ゲームに課金したりライブ配信する面白い人にアイテムを投げたりするお金の払い方に、シニア世代は当惑することがあると思います。  


これらは既存の経済で扱ってきた使用価値ではくくれない価値だからです。年配の人ほど、経済的な価値とは製品やサービスの使用価値・利用価値だという考え方を持っています。ここにチャンスがあります


この内面的な価値を重要視するのはミレニアル世代以降ですから、上の世代では理解しづらい。これからの働き方を考える上ではここに絞って活動していくのが生存戦略の観点からも良いと思います


内面的な価値が経済を動かすようになると、そこでの成功ルールはこれまでとは全く違うものになり得ます。金銭的なリターンを第一に考えるほど儲からなくなり、何かに熱中している人ほど結果的に利益を得られるようになります。つまり、これまでと真逆のことが起こります


従来は、経済的な利益を得ることを最優先し、個人の利益を最大化するように動くことが成功のための近道でした。ただ、内面的な価値を軸に考えた場合は、因果関係が逆転します。自分が心から熱中していることに打ち込んでいると、結果として利益を得られる。逆に利益を最優先に行動すると利益を得るのは難しいということが起きます。  


この世界で活躍するためには、他人に伝えられるほどの熱量を持って取り組めることを探すことが、実は最も近道と言えます。そして、そこでは世の中の需要だったり、他の人の背中を追う意味は薄くなります。なぜなら、内面的な価値ではオリジナリティ、独自性や個性が最も重要だからです。その人でなければいけない、この人だからこそできる、といった独自性がそのまま価値に繫がりやすいです。  


本の学校教育とは反対の、「モンテッソーリ教育」という、子供の興味

をとことん伸ばしていくという教育法が注目されています。グーグル、アマゾン、フェイスブックの創業者はいずれもこの教育を受けていたと言われています


反対に、安定性もなく年収も高くないけれど、そこでの仕事を通じて普段会えないような人たちと繫がれたり話を聞けたり、既存の枠組みにとらわれない発想ができたり、将来的に価値が高まっていくようなスキルが身についたりするような職場であれば、そこはあなた個人の価値を高めてくれる職場

と言えるでしょう。独立や起業を考えている人は、今でもこのような観点から仕事を選んでいると思いますが、個人の時代では誰もが、自分の価値を高められるかで仕事を選んでいくことになります。  そして、日々の業務の中でも本当に今の活動が自分の価値の上昇に繫がっているかを常に自問自答し、それがないのであれば年収が高かったとしても別の道を考えてみることが必要になります


大半の労働は機械によって自動化され、人間はお金や労働から解放されます。人間は生きていくために働くことも、お金を稼ぐことも必要なくなりま

す。ベーシックインカムや巨大企業による生活インフラの無償化、トークンエコノミーなどの多層な経済のおかげで、万人が必要最低限の生活ができるような状況にはなっていくでしょう。 「ひいじいちゃんの時代には1週間のうちのほとんどをやりたくもない仕事をしていたらしいよ、かわいそうだね」と、私たちの孫ぐらいの世代は話していそうです。それはまさに現代人が身分制度に縛られていた江戸時代の市民を見る目に近いです


かつてシンガポールは金融の力を活用して人口600万人と小国ながらアジアでは高い経済成長を実現して先進国となりました。エストニアはインターネットなどの情報テクノロジーの力を活用してグローバルな影響力を発揮しようと考えています。  アメリカや中国のような

人間が労働とお金から解放されると、膨大に時間が空きます。そこではエンターテイメントが主要な産業になり、いかに精神的に充実させるかを追求していくことになるでしょう。ルネサンスのように、人間の創造性は精神的な充足を得るためにフル活用されて、VR/AR/MRなどのテクノロジーの発展と共に現在の私たちが想像もしないような様々な方向に精神は拡張していきます


私が幼い頃もテレビゲームにハマる小学生が社会問題になったりしました。テレビゲームがなかった頃の遊びを知っている親たちの世代からしたら、ずっとテレビの前でゲームをしている子供を不安に思ってしまうのはやむを得ないことだと思います


たくさんのお金を動かしている人ほどお金が好きな拝金主義者や守銭奴のような印象を持っている人がいますが、実際は全くの逆です。よりたくさんのお金や経済を動かしている人ほど、お金を紙やハサミやパソコンと同様に「道具」として見ています。そこに何の感情もくっつけていません。純粋に便利な道具という認識を持っているからこそ、それを扱う時も心は揺れませんし、冷静に判断をし続けることができます。  一方で、お金がうまく扱えず困っている人ほど、お金に特別な感情を抱い

ていることが多いです。私もそうでした。それがないことによって起きる困窮や不安から、お金に感情をくっつけてしまい、道具以上の意味を感じてしまいがちです。お金や経済を扱うためには、お金と感情を切り離して1つの「現象」として見つめ直すことが近道です


おそらくトークンネイティブのような世代が誕生してくる頃には、こういった話は意味がなくなっているでしょう。その頃には、お金がただの「ツール」であることは語る必要がないほど浸透して常識になっていると考えているからです。私たちがお金に特別な意味を感じていた最後の世代になるでしょうし、そういう未来の到来を早めることが私たちの世代の人間の仕事だとも思っています。  


最後に、本書を読んでくださった方々がお金を「ツール」として深く理解することで、今まさに始まりつつある「新しい経済」をうまく乗りこなし、自分のやりたいことが実現できることを強く願っています