143.多動力 堀江貴文

苫米地氏とかぶってる部分が多い。本質をズバッと。という感じ。

メルマガとHIUという、自分の有料メディアやグループでは、僕にしか書けない堀江貴文の核となるものを残しておく。  本などはその僕の核からネタを引っ張ってくれば何冊でも作れると思う。

 

AIに僕の全発言を取りこんで、botのようにどんどん新しい本を発刊してもらうのもいいかもしれない。  作家根性を発揮して言葉の端々までこだわり抜き、1年以上かけて作った本が1万部もいかないなんてことはよくある。印税で言ったら100万円足らずだ。

 

時間をかければクオリティが上がる、真心をこめれば人に伝わるというのは、妄想にすぎない。  何百もの仕事を同時にこなすためには、「自分でやらないこと」を決めるのが大切だ。自分にしかできない仕事以外は、他人に思いっきり任せよう


メッシのような超一流選手は90分の試合のうち大半をサボっていて、ここぞというときに一瞬の隙を突いて得点を奪う。  緩急を使いこなすことこそ仕事の本質だ。

僕は毎週のメルマガを一度も欠かしたことがない。  メルマガを書く時間を十分に取れないこともある。しかし、隙間時間に冷蔵庫のありものの食材で料理するかのごとく、過去に書いた自分の記事のエッセンスを抽出し、組み合わせるなど、やり方を工夫する。  メルマガの中には発行者の都合で遅延をしたり配信がなくなったりするものもある。  そのメルマガの発行者はできるだけクオリティが高いものをと思っているのかもしれないが、読者にとっては毎週必ず届くことのほうが大事だ。


「多動力」とは異なる、いくつものことに次から次へとハマる力だ。  では、この力を身につけるためにはどうすればいいか。  初めからいくつものことに手を出すのではなく、まずは「何か〝一つのこと〟にサルのようにハマる」ことだ。  僕はその積み重ねの人生を歩んできた。  どんなことでもいい、野球でもヒッチハイクでもナンパでも。

 

何か一つのことに極端なまでに夢中になれば、そこで培った好奇心と集中力が他のジャンルでも同じように生かされる。  僕が思うに、日本の「バランス教育」は子どもの集中力と好奇心をそぐようにできている。  よく大人になってから「好きなことが見つからない」「やりたいことが見当たらない」という人を見かけるが、ここに原因がある。

子どもが一つのことに異様なほどハマると、周りの大人はドン引きして「お前大丈夫か」と揺り戻そうとする。


せっかくサルのように集中しようとしている子どもの肩に手をかけ、バランスが取れたつまらない人間に矯正しようとする。これでは、好奇心と集中力が育たない。  僕は子ども時代から、大人が押しつける「バランス教育」はくだらないと看破していた。そのおかげで今の僕がある


何か一つのことを根っこまで掘り下げれば、そのジャンルの真髄がわかり、どんなことにだって応用できるようになるのだ。  まずは何だっていい、一つのことにサルのようにハマってみよう


あなたの周りにも悪気なく時間を奪う人がいるのではないだろうか?  1日24時間をできるだけ有効に使うために「やらないこと」を明確にしろと、すでに書いた。  しかし、それと同じように「付き合わない人間」を明確にすることも大切だ。  誰とでも無難に付き合い、心にもないお世辞を言ったり、愛想を振りまいて生きているうちに人生なんて終わってしまう。  自分がやりたいことを次から次に実現したいならば「自分の時間」を奪う人間と付き合ってはいけない


たとえば、元NY市長のルドルフ・ジュリアーニは元検察官だ。  潰れかけた会社の株を流通させる仕組みを作り世間を騒がせていたジャンクボンドの帝王マイケル・ミルケンの逮捕を指揮したのが、検察官であったジュリアーニだった。  彼はこの事件で名をあげNY市長になる。マイケル・ミルケンだろうが、堀江貴文だろうが、仮想敵を逮捕し、世間から喝采を浴びる。そこにマスコミが連係する。  こういったことは、表面的な情報をいくら集めてもわからない。  歴史を深掘りし、海外事例まで調べることで、知識の幹となる本質にたどり着くことができる。繰り返すが、これこそが「教養」だ。 「教養」という幹なるものがあれば、枝葉となるさまざまな事象はすべて理解できる。

 

2016年9月に発刊された『サピエンス全史』は上下巻で分厚いが、教養を体系的に身につけるための格好の良書だ。  現生人類であるホモ・サピエンスが、なぜホモ属の中で唯一生き残り、繁栄することができたのか。本書ではその疑問に対して丁寧に解説している。  ホモ・サピエンスは虚構(フィクション)を作り出すことによって、他の哺乳類には不可能だった大規模な協調行動を取り、繁栄することが可能となった。  この本を読めば「現金至上主義をやめろ」「国民国家はなくなる」といった僕の主張の裏づけがわかるだろう。  僕は「原液」となる、時代の一歩も二歩も先のビジョンを提示している


が、それはシステムの本質と歴史の変遷を追った深い教養を身につけているからできることなのだ

先の教養とは違って、表面上の知識や情報なんてネットで調べたり、直接聞いたりすればすぐに手に入るのだ


あまりにも物事にハマりすぎ、物事をおもしろがりすぎれば、人は「忘我」の境地に達して時間を忘れる。  周囲の人間が引くくらいに無我夢中になり、熱狂的なまでに没入できる。  そうなればこっちのものだ。仕事に没頭し、遊びに没頭し、夢中になれさえすれば、目的なんておのずと達成される。結果はあとからついてくる。  子どもはいつだって、目的なんて考えない。  楽しいから遊ぶ、おいしいから食べる、寝たいから寝る。


常識や周りの目を気にすることなく、生きているから、驚くほど成長が速いのだ。