140.私は株で200万ドル儲けた ニコラス・ ダーバス, 飯田恒夫

内部情報に明るい連中がお金を引き上げる時期に合わせて、カモたちの細々としたお金が入ってくる。カモたちは一番乗りで最も多額の投資をすることはあり得ず、一番あとに最も少額の投資をする。小口投資家の取引参加はあまりに遅すぎるうえ、その投資金額がいつもあまりに少額なので、いったんプロが撤退してしまうと実体のない高値を支えることができなくなる


マーケットに対して純粋にテクニカル分析で臨むのが有効だと納得するのに、この経験が何よりも役立った。つまり、価格動向と出来高を注意深くチェックし、ほかのすべての要因は無視することで、良い結果が得られるであろうということだ。  そこで、このやり方に切り換えた。注意を価格と出来高のみに向け、うわさや秘密情報、ファンダメンタルズに関する情報はすべて無視するようにした。価格が上昇しても、その裏にある理由を詮索するのはやめようと決意した。ある企業についてファンダメンタルズが好転するような事情が生じても、それを知った多くの人々がその株を買いたがるだろうから、すぐに株価と出来高の上昇になって表れるだろう。エム・アンド・エム・ウッドワーキングのときのように、こう
た上向きの変化をごく早い時期に見つけだせるように目の訓練ができれば、理由を知らなくてもその株式の値上がりに参加できる


それと同様に、普段はおとなしい銘柄が急に活発になったら、これは異常だと気づくだろうから、それで価格が上がればその株式を買えばよいのだ。通常ではない動きの裏に、何かしら相当の情報を持っているグループがいるはずだ。そ
な株を買えば、わたしも利益という恩恵を受けることができるだろう。  このアプローチによって、成


人間と同じように、株の行動様式もそれぞれ異なっている。ある株式は、物静かで、動きがゆったりとしており、保守的である。また、落ち着きがなく、神経質で、緊張状態にある株がある。動きが予想しやすい株もある。その動きが首尾一貫していて、振る舞いが理屈にかなっている。まるで頼りになる友人のようだ


これと同じように、市場における歴史的な大転換を、それが起きようとしている時期に感知するなどということが自分にできるわけはないと思った。ウォール街で価格が続落しているときに、ストップロス・オーダーで早めに避難するというわたしの戦略が効を奏して、そんな感知能力など必要なかったことが次第に理解できたので、これはすごいことだと思った。 


わたしにとって最も重要なことは、相場が下落するかもしれないという手掛かりを、まったく何ひとつ持っていなかったことだ。情報が手に入るわけがない。なにしろ、いつもはるか遠隔の地にいたのだ。予想を聞くこともなく、ファンダメンタルズを研究することもなく、うわさが耳に入ることもなかった。わたしは単に株式の動きに基づいて避難したのだ


結論は明らかだった。マーケットが良くないにもかかわらず、資本はこういう株式に流れ込んでいる。犬が臭いを追跡するように、資本は収益の改善を追い求めている。わたしはこの発見によって、まったく新しい観点からものが見えるようになった。  株式は収益力という主人に仕える奴隷だというのは事実だと思った。したがって、どんな銘柄でもその動きの背後には無数の理由があるだろうが、注目するのはただ一点だけに絞ろうと決心した。それは収益力の改善、あるいはその見込みがあるかどうかということだった。


ゼネラルモーターズクライスラーなど進取の気性に富んで成長途上にあった企業も、当時はまだ比較的小規模だった。この時代にこれらの企業の株主になり、成長時期を通じて保有を続けた人たちは大儲けした。この種の株式は現在では安定期を迎えている。先を読む投機家向きではない。  こういう考え方は今でも通用する。一般的に言って、将来の力強い発展が確
視されている企業の株は、その他と比較して高いパフォーマンスを示すはずだ。時代に呼応した健全な株は、二〇年後には二〇倍に値上がりしているかもしれない

 

これはいわゆる高値圏取引と呼ぶ手法の準備段階だった。新高値を付けそうな銘柄を探し、それが発射台に乗せられて打ち上げ準備が整えられるのを、精神を集中して観察した。こういう銘柄の株価は以前よりも高くなっているだろうし、特に初心者の目には高すぎて手が出ないだろう。しかし、その株価はさらに高騰する可能性がある。高く買って、それをもっと高く売ろうと思った。苦労して得た訓練成果を発揮して、高額な割にはお買い得な、動きの速い株を探そうと一生懸命だった。最初にマーケットが好転する兆しが見えた時点で、こういう株が値上がりするのは間違いないと思ったので、絶えず気を配っていた


しかし、うすうすと感じていたことがひとつあった。それはマーケットの以前の主導株は、おそらく二度と主導株になることはないだろうということだった。過去の銘柄はすでにその役割を果たし終えたので、投資家に大金を稼がせた、かつてのあのまばゆいばかりの高値に達することは、少なくとも当分の間はないと思った


一瞬迷ってもう少しで売るところだったが、思いとどまった。このときまでには忍耐力を鍛えていたし、いちばん初めに買った株式については一株当たり二〇ドルの利益を稼ぐことは簡単だったので、早まって利食いをしないように静観することに決めた


自らの理論に従って直ちに追加で五〇〇株を買った。その価格は二六一/八ドルだった。この二回の取引では新しい五〇%の委託証拠金率を利用した。  株価は申し分のない展開を見せた。つまり、最初は[二八/三〇]であったものが[三二/三六]のボックスへ入る展開になった。


含み益が増えていくのを見ながらも、わたしは株価上昇を追いかけてストップロスという保険を引き上げることを片時も忘れなかった。最初は二七ドルに、やがて三一ドルに引き上げた


六週間後に受け取ったニュースは、ある意味で一万ドルの利益よりもわたしを有頂天にさせた。それはわたしの方法論をテクニカルな面で完全に裏付けるものだったからだ。それは、アメリカンエキスプレスがダイナースクラブの競合者として発足することを公式に発表したというニュースだった。これこそ、株価が三六ドル近辺で足踏みしていた理由だった。発表よりも先にこのニュースを知った一部の人たちが売りに走ったのだ。この事実を知らないまま、わたしも売り払った連中の仲間になっていたのだ。  極東の地で、ライバル会社の設立が進んでいたことは知るよしもなかった。だが、価格の動きに基づいたわたしの投資手法のテクニカルな側面が、脱出の警告を発したのだ


わたしが群衆に従ったときにとったのはこういう行動だった。一匹狼であることをやめて、毛を刈り取られるのを待つ子羊のように混乱し、興奮して仲間とともに右往左往するだけだった。周りの人が「イエス」と言うのに、わたしだけが「ノー」とは言えなかった。ほかの人が怖がるときは、自分も怖くなった。他人が希望を持てば、わたしも期待が膨らんだ。  こんなことは初めてだったし、初心者時代にもこんな経験をしたことはなかった。投資技術と自制心をまったく失ってしまった。手をつけたことは万事裏目に出た


わたしの行動はまるでずぶの素人のようだった。慎重に作り上げたシステムは崩壊した。取引はすべて壊滅的な結果に終わった。ちぐはぐな注文が何十件にも達した。五五ドルで買った株式は五一ドルに値下がりし、それでも手放さなかった。ストップロスはどうなったのか? 最初に放り出した。忍耐、判断力はどこへ行ったのか? いずれもどこかへ消え失せた。ボックスはどうしたのか? すっかり忘れてしまった。  日がたつにつれて、わたしの投資活動の悪循環は次のような様相を呈した。


またブローカーには、わたしが求めていないときはたとえそれがどんな銘柄であろうと、その価格をわたしに知らせいように頼んだ。彼らに新規銘柄を通知させてはいけないのだ。これはすぐにうわさと同じたぐいの情報になってしまうからだ。


バカげた行動によって受けた傷跡はまだすっかり癒えてはいなかったが、ひどい経験をしたあとでいっそう力がついたような、爽快な気分になった。わたしにとって最後となる教訓を学んだのだ。自分で作り上げたシステムには断固従わなければならない。一度でもこの道を外れると災難に巻き込まれる。わたしの財政の基盤は危機状態に陥り、やがてトランプで作った家のように崩壊するだろう