120.圧倒的な価値を創る技術 ゲシュタルトメーカー 苫米地英人

はっきり言って、現在の日本にある企業の求人は、ほとんどが奴隷の募集です


余計なことを考えず、言われた通りに仕事をこなし、酷使しても簡単には故障しな
い頑丈さを持ち、いよいよ壊れてしまったら使い捨てにしても文句を言わない。それが日本の労働市場で求められている人材です。これは、まさに「いい奴隷」そのものでしょう


そこで、やはり重要なのは独力で価値を創造する能力ということになります。つまり、有望そうに見える会社や業界を見つけてそこにぶら下がるのではなく、自分で新しい仕事をつくり出すのです。まだこの世にない業種、まったく新しい業界を創造するのです。 そのために必要なのは、世の中の問題やニーズを見極めて、それに解決策として新しいビジネスを提供する知的な能力です。やはりここでも、まずは頭の基礎体力を鍛えなければいけないということがおわかりいただけると思います。


実際、税理士、司法書士といった、かつてなら絶対食いっぱぐれることはないとされた国家資格保持者たちがどんどん食えなくなっているのは周知の通りです。


ようするに、資格になっているような仕事はもう時代遅れということ。いまどき会計ソフトを使えば誰でも税務くらいできますし、自分で会社登記をする方法もネットで検索すればすぐ見つかります


たとえば、細胞が集まると筋肉や粘膜といった組織になり、組織が集まると心臓や脳といった器官になる。そして器官が集まると生体になる、というように抽象度が上がるごとに新しいゲシュタルト(=全体)が生まれる。ゲシュタルトが生まれるごとに新しい価値が生まれるわけです


第一章でも述べた通り、現代社会に流通している情報量はすさまじい勢いで増加しています。ということは、その膨大な情報をうまく整理・運用して新たなゲシュタルト構築が可能なら、画期的な価値創造が次々と可能になるでしょう。現代のビジネス環境の中で仕事の価値を決めるのは、ゲシュタルト能力なのです。 言い方を換えると、成功するためには「ゲシュタルトメーカー」になればいい、ということになります。


ちなみに、新たに生み出されるゲシュタルトのことを、経済学の言葉で言い換えると付加価値ということになります


私の考える製造業は、前途したゲシュタルト構築そのものです。ばらばらに存在するものを統合して、新たなゲシュタルト=全体を創り出すこと。すなわち、付加価値を生み出すこと。現代の製造業の範囲は、そこまで広げて考えるべきでしょう


「資金だけではなく、技術者などのスタッフも送り込んでいるし、ちゃんと技術指導もしている」と彼らは言うかもしれません。しかし、銀行やベンチャーキャピタルだって投資先には取締役を送り込みます。うるさいぐらいコンサルティングという名の経営指導もしているでしょう。 スタッフを現地に派遣しているから投資ではない、という反論は成り立たないのです。 今や日本のメーカーは、海外に投資する金融業になってしまった……ということになります


生産性にまったく貢献せず、高い給料をとるだけのスタッフ部門を肥大させた企業はどうなるか。コストを商品の値段に乗せることになり、結局消費者にしわ寄せがくる。 結果として、年収二百万円の日本人は、世界のトップ十一パーセントに入る金持ちでありながら余裕のない暮らしを強いられることになるわけです。 それだけではありません。付加価値を生み出さないスタッフ部門という荷物を抱えていては、本来ゲシュタルト構築にたけているはずの企業も、その実力を発揮できなくなってしまうでしょう。日本の足を引っ張っているのは、こうした構造なのです


この体験を彼はスピーチの中で「connecting the dots(点と点を繋げる)」と呼んでいますが、これはまさにゲシュタルト構築を上手に言い表している表現


PX2では、人生の目標(ゴール)を設定するために「バランス・ホイール」というツールを使います。「人間関係」「家族」「健康」「メンタル・ヘルス」「社会」「仕事」「キャリア」……と、人生のさまざまな局面について、具体的な成功のイメージを描いていきます。ここでは人生が十二分割されていますが、もちろん人生のあり方は人それぞれ。もっとたくさんの要素に分けてもかまいません


いずれにせよ、一つか二つの要素だけを偏重してしまうと、幸福にはなれない。ちょうど、いびつな車輪(ホイール)がうまく転がらないようなものです


大金持ちなのに一人も友達がいない孤独な老人とか、超有能なのに家族との関係は
冷えきっているビジネスマンとか、バランスを失して不幸になった人の例はすぐに思い浮かぶでしょ


あらためてバランス・ホイールを見てみましょう。仕事など、人生の十二分の一程度でしかありません。よほど仕事が好きな人でも、十分の一とか八分の一程度でしょう。 実際、自分にとって大事なものを白紙のバランス・ホイールに書き込んでいってみれば、それはすぐにわかるはずです。ちなみにアメリカ人の場合、バランス・ホイールに記入するように指示すると、「あっ、仕事のことを忘れていた」という人が結構います。 また、仕事が人生の十分の一程度のウェイトなら、うまくいかなくたってどうということはないとも考えられるでしょう。仮に失業して、次の仕事がぜんぜん決まらないといった事態になっても、「俺はダメだ」と自分を全面否定する必要はまったくないのです。


冷静に考えれば人生のほんの一部でしかない仕事を、まるで人間の価値を決める重大事のように勘違いしてしまう人が多いのは、これまでそういう教育を受けてきたからです。 勤勉に、従順に働く奴隷を育てようとする連中が「働かなければ生きていけないぞ」「仕事での失敗は人生の失敗と同じだぞ」という洗脳を施したのかもしれません。 けれども、実際には、現在の日本では、仕事を失っても死にはしません


私のゴールは「世界から戦争と差別をなくすこと」です。そうである以上、日本国内で仕事が完結するわけがないというだけのこと
別に、やりたい仕事が日本でもできるものなら、日本にいてもまったく問題はありません。むしろ、仕事を通じて稼ぐという観点だけを取り出せば、日本にい続けるのが一番いい選択肢です


実際、前ページの図にあるように円高だった二〇一一年三月期にトヨタ自動車は自動車販売で八百六十億円の利益に対して金融トレードで三千五百八十三億円の利益を出しています。


日本では経済学者や官僚でさえ平気で問題を混同してしまっていますが、インフレは物価が上がることではありませんし、デフレは物価が下がることではありません。先ほど説明したように、お金の量が増えるとインフレになるし、お金の量が減ればデフレになるというだけのこと


長く日本でデフレが続いているのは、ようするにGDPの推移に対してふさわしいお金を刷っていないからです。つまり、マネーストック(マネーサプライ)を適切に供給していないことが問題です


これまで見てきたように、GDPの伸びに見合うお金が刷られないことでデフレになるわけです。つまり、日本経済のGDPは順調に新たな付加価値を生み出し続けているし、震災以降は特に復興需要によってさらに経済は拡大しているからこそ、通貨が不足してデフレになっているのです。 ですから、デフレについては問題とすべきは日本経済ではなく、銀行が適切にお金を供給しないことなのです


インフレやデフレは本来起こるはずのないものです。GDPに合わせてお金を刷っていれば、インフレもデフレもありえないのですから。


現在の日本の銀行が必要な資金を供給できないのはBIS規制でしばられているからです。くわしくは『経済大国なのになぜ貧しいのか?』(フォレスト出版)をお読みください。 ですから、GDPの統計に連動させて機械的に通貨発行量を決めるようにすればデフレ不況は一掃できますし、インフレも根絶できるわけです。 デフレの問題は、日本の銀行が自由に通貨を供給できないからなのです。日本経済が活力を失っているわけではない。不況は銀行によって引き起こされているのです


世の中には「不況になったから銀行が貸し渋りをするようになった」といった言い方がまかり通っていますが、順番が逆です。貸し渋りをするから不況になったのです。 銀行が必要なマネーストックを供給していないから不況になるのです。その順序を誤ってはいけません。


そういう話ではなく、経済全体で不況か好況かというのは銀行を主語にしてしか語れません。ようするに、マネーストックを止めたことを不況と言うわけです。不況は銀行が起こすものなのです。 では、なぜ銀行はわざわざ不況を起こすのでしょうか。 答えは単純で、富を自分のところに集中させるためです


こうして景気がよくなったところで、マネーストックを縮小して不況を起こします。すると、銀行からお金を借りて商売していた人々の何割かは商売が立ちゆかなくなります。借金を返せないとなれば、それまでに作り上げてきたものを担保に取られることになります。 逆に言うと、銀行は不況を起こすことによって、他人が耕した畑や、他人が建てたビルを労せずして手に入れることができる。これを中世からずっと続けているのが銀行家たちなわけです。 つまり、好況や不況というのは、すべて銀行家が儲けるための仕掛けであって、必然的に起こるものではないのです。


経済学者たちは景気の波をまるで避けられない自然現象のように言いますが、彼らは銀行家に都合のいい洗脳を振りまいているエージェントに他なりませ


はっきり言えば、銀行がなければ不況も好況もなくなるのです


本章の冒頭で見たような「日本経済危機論」は、銀行にとって非常に都合のいい論調です。銀行からすれば、今は日本経済に不況になってほしいのです。そして投資家心理を冷えさせて、ますます不況を悪化させ、十分に景気が悪くなったところで借金の担保にしていた財産を自分のものにする。まさに不況とは銀行にとっての書き入れ時というわけです


一人あたりGDPで見ればやや欧米諸国に負けているようでも、実は日本型の経済こそが一番健全なのです。 実は、世界中の投資家たちもこのことには気がついています。だからこそ円は信用されて買われ、円高になっているわけです。 ついでに言っておくと、アメリカやEUと並ぶ経済力を持ち始めたかのように言われている中国は、まだまだ日本と比較するのは早いというべき段階にあります


このように、経済の実体を見れば、日本の経済の健全性は抜きん出ています。中国やアメリカ、ヨーロッパに比べて圧倒的に強いのです。 それでも、「日本経済危機論」が盛んに語られ、「日本経済の見通しは暗い」というのが国民的な共通認識に近いものとなっているのは、日本人に希望を持たれては困る人たちがいるからです。それが、不況を引き起こして富を手に入れようとしている欧米の銀行オーナーたちです。


「日本経済の危機」を嘆く論調の背後には、世界の銀行家の企みがあるのです。そんなものを真に受けて日本の将来に不安を抱くことはありません。


ニートや引きこもりになるかどうかは別として、やりたいことを思い切りやっていれば、不安などなくなるものです


ところが、最近ではそのやりたいことが見つからない人が多いと言われます。目的を喪失した若者が増えているというのです。 けれども、やりたいことが見つからないというのはウソでしょう。 本当はやりたいのに「できるわけがない」と思い込んでしまい、「やりたい」という気持ちを抑制しているだけです


手軽に自宅でできる方法としては、ストレッチがあります。自分の身体の中で、特に硬い箇所を伸ばす種目をやればいいのです。怪我をしては大変なので、「イタ気持ちいい」くらいにとどめておくこと。これでも十分セロトニンは分泌されます


いろんな本で書いていますが、すでに人類は競争を必要としないだけの豊かさを達成しています。 どういうことかというと、遅くとも二十世紀の後半までに、地球で生産される食料は全人類が必要とされるカロリーを上回ったのです。


この餓死の恐怖は、人類のDNAに強烈に書き込まれています。だから現代にいたるまで人類は競争を続けてきたし、競争で勝てることを「優れている」と見なしてきたのです。 しかし、食料が十分に生産されるようになると、もはや競争を必要とした前提が消滅してしまいます。競争をして傷つけ合ったり、殺し合ったりする理由はなくなったのです。 もちろん、現在でも世界中で飢餓は続いていますが、それは政治的に引き起こされたものばかりです。南北格差だけでなく、戦争によって食料生産や物資の輸送システムが破壊されたり、腐敗した政権が援助物資を横流ししたりといったことが問題の本質なのです。


こうした政治的飢餓の問題は、いくら我々が競争をしたって解決されるものではありません。ますます悪化するだけです。むしろ、協調や協力によってのみ、解決する問題のはずです。 このように、客観的条件だけを見れば、人類はすでに競争を克服できてしかるべきですし、そうするべきです。しかし、相変わらず競争をやめることができないのは、主観的な理由です。人類は遺伝子レベルで刻みつけられた飢えへの恐怖にまだとらわれているからです。 だからこそ、恐怖による支配からたとえ半歩でも脱することができたみなさんは、人類の進化の先頭グループにいると言ってもいいでしょう。


これから何十年か後に、果たしてこの世界から飢えや戦争はなくなっているでしょうか。人類はどこまで幸福になっているでしょうか。 いまゲシュタルトメーカーへの道を歩み出したあなたは、人類の未来の一部をす
担っているのです。 といっても、すぐにはピンと来ないでしょう。それでかまいません。これからゲシュタルトメーカーを目指して訓練を積んでいけば、あなたは自然と自分の役割に気付いていくはずです。

 

ゲシュタルト能力が向上していけば、自然と抽象度が上がっていくからです。 今は自分の将来を考えるだけで精一杯だとしても、いつかかならず全人類のことを自分のことと同じように心配している自分に気付く日が来るでしょう。 そのとき、あなたは真のゲシュタルトメーカーになることができるのです。