269.人生の教養が身につく名言集―――「図太く」「賢く」「面白く」出口 治明

実際、人の人生が 80 年として、その中で経験できることなど、たかが知れてい

 

自分の人生から学ぶには限界があるのです。だからこそ、プロイセンの名宰相・ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と 喝破 したの

 

私たちは「知る」という経験を重ねることによって、この世の中のさまざまな物事への理解を深めていきます。理解している範囲が広く、かつ深くなるほど、自分の勝手な思い込みを捨てて、物事をよりクリアな目で見られるようになっていき

 

どんな出来事に遭遇しても、感情に流されることなく、冷静に

られるようになるのです。  

 

こうした「左遷」と「古典の名作」の相関関係は、考えれば至極当然です。  というのも、左遷されて時間があったからこそ、優秀な彼らが十分な時間をとって、後世に残るすばらしい作品が書けたのです。出世し続けていたら、仕事が忙しくて作品を書いている時間などなかったのではないでしょう

 

かくいう私自身、左遷されたおかげでさらにたくさんの本が読めたし、全国の 一宮 をくまなくまわるなど旅にもたくさん行くことができました。

 

そのブーバーが、代表作『我と汝・対話』で書いているのが、「すべての真の生とは出合いである」という言葉です。  つまり、私たちの人生は、つまるところ、すべて出合いである、と。そして、そうした出合いを通して、人生はどんどん変化していく、と。  関係性を重視したブーバーならではの言葉です。

 

私たちの人生は、ブーバーの言うように、そのときどきの出合いによって変化し続けていきます。そうしたいわば川の流れに身を任せる生き方が一番いいと私は思っています。変化を受け入れ、川の流れのままに流されて生きていく。なぜなら、人間の力では、そのときどきの流れを変えることは難しいから

 

ただ、この絶望的な作品の中で作者は「笑いこそ、人間の持つ

かつ強力な武器」だと述べています。これは 正鵠 を射た言葉だと思い

その中に、「辛抱強さはよいものだが、それが順風満帆のときであればなおよい」という金言があります。  人間は大自然に対してだけでなく、同じ人間に対しても傲慢

やすい動物です。順風満帆のときほどそうなり

 

ニザームは鋭く人間のその性向を評して、上手くいっているときほど、身の丈を意識して謙抑的にならなければいけないと 諭しています。  

 

このような環境下で、ついつい私たちは、大自然はもとより人間社会に対しても傲慢になりがち

 

結局のところ、この世には、とんでもなく賢い人も、とんでもなく愚かな人もじつはいないのではないでしょうか。そして、とんでもない悪人も、とんでもない善人もじつはいない。みんな、そこそこに賢くて、そこそこに愚かで、そこそこに善良で、そこそこにずる賢い。要するに、みんな、チョボチョボなの

 

だからこそ、人間関係において、「この人は、いい人だ」

この人は悪い人だ」と単純に割り切ってしまうと、あとで痛い目に遭ってしまうの

 

また、人間関係においてけっして忘れてはいけないのが、基本的に人と人とを結びつけているものは「利害」だということ。人はお互いなんらかのメリットがあるから、相手とつながっているのです。このことは肝に銘じておく必要があり

 

極論を言ってしまえば、「本当に困ったときに助けてくれる人はほとんどいない」ぐらいに考えておいたほうが、人間関係は楽です。  人生も生きやすくなり

人間関係は「別れる」のが基本だと私は考えています。  人生の中で出会ったほとんどの人とは、いずれは別れが

 

そうやって「会って別れて」をくり返していくのが人生なのではないでしょうか。人間関係はつねに入れ替わっていく。「一生を通じた友情」など、基本的にはあり得ない。もし、そういう関係を築けたら、自分は本当にラッキーだと考えたほうが

 

仕事をする相手もなんだかんだと理由をつけて、嫌な人や苦手な人を避けようと思えば、避けられる。  しかし、これでは人間は成長できません。  なぜなら、気の合う人とばかりつき合っていては、今の自分をありのままに、歯に衣を着せずにはっきりと言ってくれる人がいなくなってしまうからです。これでは自分を客観的に見ることができなくなってしまいます。

 

さて、このタレスの教訓を、自分の人生に活かすならば、自分のリアルな姿を知るためには、他人からの的確な指摘が欠かせない、となるのではないでしょうか。自分で自分を知ることは難しいけれど、他人にはこちらのことがよく見えているから

 

そして、その「他人」とは、自分の姿を客観的に見てくれてい

耳が痛いことも遠慮せずに率直に言ってくれる人。聞き心地のいい言葉を言ってくれる人ばかりでは、自分を知ることはできませ

 

前述したように、人間は年を重ねるにつれ、誰とつき合うかがかなり自由になります。そのとき、ただただ一緒にいて楽しい人とだけつき合うのか、それとも、そういう人だけではなく、あえて「こんちくしょう!」と思うような 直言 居士 ともかかわっていく

 

どちらを選ぶかは、その人その人の人生観だと思います。  私自身はというと、自分の行為が当を得ているかどうか自信が持てないので、迷いなく後者を選び

 

そうです。コミュニケーションをサボらない、手を抜かない。 「言わなくてもわかってもらえる」という幻想は捨て、誤解が生じないようにきちんと言葉で丁寧に伝えていく。これは、私自身への自戒でもあります

 

からよく見られたいとか、ほめられたいという気持ちが、もっとも人間が心を病む原因の1つだと思うのです。そして、心が病めば、だんだん体も病んでいきます。  とはいえ、たしかにそうだと頭ではわかっていても、やはりまだ「天知る、地知る、我知る」だけでは満足できないという人がいるかもしれません。  解決方法は簡単

 

今やっていることをより面白くするのです。  人からよく見られたい、ほめてもらいたいというのは、結局のところ、自分が今取り組んでいることに熱中できていないからです。「

ほど、面白い仕事はない」と思って夢中になって取り組んでいるときは、人からどう見られようと、どう思われようと、たいして気にならないもの

 

チャーチルは政治家でしたが、自分を含めて「選挙に出るヤツはロクでもない候補者ばかり」だと悟っていました。そして、その「ロクでもない候補者」の中から、相対的にまともな人間を選ぶ

 

選挙」であり、それはかなりの忍耐を要求するので、民主主義は最悪だと彼は言ったのです。ただし、過去の皇帝制や王制、貴族制などの政治形態を除いては……

 

前提を疑うとは、こういうことです。  そもそもの前提がおかしければ、その上に組み立てられる思考もおかしなものとなります。そのおかしな思考で議論をすれば、状況はどんどんおかしなほうへ行くばかりです。だから、まず何よりも、そもそもの「前提」を疑ってみることが肝要なの

 

それは、マルクス(1818~1883)の次の言葉です。 「ラディカル(=根本的)であることは、物事を根本において把握することである」(『へーゲル法哲学批判序説』)   19 世紀の偉大な思想家であり、革命家であったマルクスは、その人生において、この世界を変革することを目指し、行動し続けた人

 

古典を読んで難しいと感じるのは、ひとえに自分が勉強不足で、その本が書かれた時代や社会の背景を知らないから。だから、高坂先生は「自分をアホだと思いなさい」とおっしゃったの

 

「どうしてこれほどすごいアイデアが出せるのだ」──。  世の中には、周りが驚くほど、発想豊かな人がいます。  豊かな発想の源はいったい何か。それは持って生まれた「才能」というよりも、その人が持つ膨大な知識の量なのではないかと私は考えてい

 

つまり、インプット次第で、人は誰でもアイデアの達人になれるの

世界で活躍する坂本さんを私たちは「音楽に非凡な才能を持つ人」と見ますが、ご自身いわく、そのような才能は自分にはないのだ、と。あるとすれば、それは子どものころからインプットしてきた膨大な音楽の記憶。それらを引き出し、組み合わせながら音楽をつくっているだけだというの

 

私はこの記事を読んだとき、アイデアや発想においても、知識(情報)の蓄積こそがすべてだとあらためて再認識しました。アイデアや発想を豊かにしようと思ったら、知識をどんどんインプットしていくに

 

そもそも、まったくのゼロから生み出されたアイデアは、人類の長い歴史を見渡してもほとんど存在しないのではないでしょう

 

イデアの蓄積の中からアイデアが生み出されていくのです。  だからこそ、「知る」という行為が大切です。  何も知らなければ、人間の頭の中は空っぽです。ゼロの状態。  知識は言ってみれば、材料です。材料がなければ料理ができないように、人間も知識がなければきちんとした思考はできません。思考ができなければアイデアも生まれてくるはずがないの

 

知識をどうインプットするかは、人それぞれでいろいろな方法があると思います。源泉は人、本、旅の3つで、たくさんの人に会う、たくさん本を読む、たくさん現場へ出かけていくことに尽きるの

 

が、私が心がけているのは、「縦から横から」という

縦は時間軸、歴史軸です。  横は空間軸、世界軸です。  この両者を意識してインプットすると、物事の全体像を明確につかんでいけるようになり

 

極論すれば、人間の世界に生起することは過去に起こった出来事

バリエーションにすぎないの

 

過去のさまざまな事例を学び、知識として持っていることで、意思決定に際して、その中から最適なものを選択したり、それをヒントに類推したりすることができます。そうすると、素早く適切な意思決定が可能に

 

逆に、こうした知識がないままでは、判断するための材料が乏しく、そのために迷いや不安が払拭できず、なかなか意思決定ができなくなりがち

 

だからこそ、よい意思決定をするためには、歴史を学ぶことが大切なの

健康管理と、歴史に学ぶ姿勢と、誤りを指摘してくれる友人の存在。  

 

インプットしたら即刻アウトプット(言語化)をする。   巷 にはさまざまな勉強法が存在していますが、これこそが、確実に力がつく一番の方法なのではないでしょう

 

私がいろいろなところでよく話しているのが、「人間には学ぶ方法が3つある」ということ。  それは、人、本、旅の3つです。  生きた人間に会って、その人の話を聞いて学ぶ。古今東西の本を読んで学ぶ。世界中のいろいろな現場を自分の足で歩いて

 

たとえば、以前、ローマ帝国五賢帝の1人で、哲人君主と評されるマルクス・アウレリウス・アントニヌス(121~180)の『自省録』を読んだ晩、夢の中で私は、ローマ軍の兵士の1人としてドナウ川のほとりで戦っていました。  そういう体験を何度もしていると、直接の体験と疑似体験の境目もじつはあいまいなものではないのか……という気さえしてき

 

若き日のプルーストも彼を熱烈に支持していたそうです。その彼がこんな言葉を残しています。 「私が人生を知ったのは、人と接したからではなく、本と接したからだ」  とてもいい言葉です。  私はけっして直接体験(

 

経験があるからといって、そこに 驕ってはいけない。傲慢になってはいけない。しっかり若い人たちの新鮮な意見に耳を傾けなければいけない。そうでなければ、経験はその成長をストップさせて

 

もし私が「柔軟」なのだとしたら、その理由は、勤務先以外の場所でのインプットが多かったからだと思います。前にも述べたように、本から学び、人から学び、旅から学ぶ。私を分解したら本 50%、人 25%、旅 25%ぐらいの配分になるでしょう

 

ともあれ旅からは、本当にたくさんのことを学ぶことができました。  世界がじつに広いことを知り、視野もグッと広がります。  そうしたことが、新しい発想を生み出したり、思考を深めたり、人間としての幅を広げたりにつながっていくのだと思います。人間は

 

ひとつの場所にいたら、なかなか学ぶことはできないものです。ホモ・モビリタス(動く人)という言葉があるように、旅をすることは人間の本性の1つではないでしょう

 

一般に、歴史に残る名著や名画、名曲などを残している人には、旅好きが

 

ヘンリー・キッシンジャーさん(1923~。ニクソン、フォード両大統領の政権で国務長官を務めた人物)からうかがった「世界の人間を理解するためには、地理と歴史を学んで、自分の足でその土地を歩いてみるしかない」という

 

20 世紀のフランスを代表する作家、プルースト(1871~1922)は、その半生をかけて書き上げたとてつもなく長い小説(でも、とても面白いのです)『失われた時を求めて』の中で、次の言葉を記しています。 「真の発見の旅とは、新しい風景を求めることでなく、新しいものの見方を得ること

 

プルーストの言うように、旅は新しいものの見方を得るための、絶好の機会です。旅を通して、さまざまな座標軸を得ることが

 

人生から後悔をなくす考え方 「迷ったら行く。迷ったら買う」─

 

海外旅行も、同じだと私は考えます。 「時間はいくらでもあるのだから、次の機会でいい」とついつい思ってしまいがちですが、実際は、そうした機会を再び持つことは難しい。その景色も、その品物も、今を逃すと、じつは二度と会えない可能性のほうが大きいの

 

それは、「やるべきこと」の目的をしっかりと理解し、つねに集中して「最短の方法」を考えること。  そうすれば、仕事をさっさと終わらせることができます。

 

そのあたりはもちろんケースバイケースですが、基本的な仕事の姿勢としては、つねに最短の方法を考える。これが、仕事を早く終わらせるコツだと思い

 

そして、自分のやるべきことをさっさと終えたら、あとは本を読んだり、人に会って酒を飲んだり、旅に出たり。そういった楽しいことが待っていると思うと、 俄然、仕事への集中力が高まり

 

その中にある「世界は偉人たちの水準で生きることはできない」という一文。  人類の歴史を見ると、そこにはキラ星のごとくたくさんの偉人が並んでいます。  私たちは

 

人間にあまり多くを期待しすぎてはいけ

 

個人も組織も、多様性のあるものほど強い。  私はそう考えています。  歴史を見ても、多様性を受け入れた国家は非常に強いことを実感します。  

 

偏見なく、「いい」と自分で思ったら、どのようなものでも貪欲に受け入れていく。  そうした姿勢で生きている人は、その懐の深さゆえに、自ずと物事にも幅広く精通していくし、経験も豊富になります。つき合っている人たちを見ても、多種多様です。さまざまな世界にまたがって知り合いが

 

こういう人たちは、非常に魅力的だし、人間としても非常に強い

思い

 

彼らのように、自分の周囲に多様性を持ち続けるために大切なことは、自分の世界に閉じ込もってしまわないことではないでしょうか。とりわけ、年を重ねるにしたがって、このことは強く意識する必要があると感じてい

 

年をとるにつれ、人間はとかく自分の世界に入りがちです。自分の好きなことだけをやって、同年代の自分と気の合う人たちだけとつき合う。逆に、年齢や性別、属性などがバラバラな多様性の中に身を置くと、なんとも居心地の悪さを感じて

 

しかし、似た者同士、気の合う仲間同士だけのつき合いにとどまってしまっていては、成長できるはずがありません。集まっても似た

 

な意見しか出ず、会話もマンネリ化していく一方です。そこにどっぷりとはまってしまえば、世界はどんどん狭まっていきます。そうなれば、自分自身も元気さを失っていき

 

人間とは、そもそも「孤独」な生きものなのです。  そのことを私たちは忘れてはいけないと思います。  そして、子育てにおいても、たとえ血を分けたわが子であっても、自分とは別の自立した存在なのだと強く意識し、ある程度成長したら、家から追い出して、巣立ちをさせる。  それが子どもに対する親の真の愛情だと私は思います。  親はときに、子どもに対して、それくらいの強い思いを持つことが重要だと私は思うの

 

私の場合、現在の遺言状には、「一切の延命治療は不要。葬式はしなくていい。墓もいらない。遺灰は海に流してほしい」と書いています。  海は世界中につながってい

 

ですから、遺灰を海に流してもらえれば、私は死んでも世界中を

することができる。旅好きな私にとってはこの上ない幸せです。ついでにつけ加えれば、私の家族が、世界のどこかで海を見るたびに、私のことを少しでも思い出してくれたら、それで十分だと思うから

 

たとえば私の場合、やりたいことと言えば、一番は、 60 歳で開業したライフネット生命を一所懸命に経営すること、そのほかでは本を

 

旅をする、人に会うといったイメージですが、本を買うにもお金はかかるし、旅に出るのにもお金がかかる。人とおいしいものを食べたり飲んだりするのにもお金がかかる。  そうやって使っていったら、遺産は残せませ

 

それに、子どもや孫は、自分とは別の人格です。彼らは彼らで自分の力で生きていけばそれでいいのです。逆に「親のお金があるから」などと子どもに思わせてしまったら、その子どもの人生はロクなことにはならないと思い

 

だから、自分が生きているあいだに、悔いなく生きるために、お金は目一杯使う。  それが一番いい人生。

 

今や1940年体制はすでに過去のもの。貯蓄にもかつてのような優遇措置はなくなりました。時代は変わったのです。  お金は使ってこそ、価値があるのです。  使わずに貯めているだけなら、単なる紙切れにすぎませ

 

さらに、お金には、「使ってはじめて増えていく」という側面もあります。  たとえば、営業職の人を見ると、たくさん稼いでいる人は、たいていたくさん先行投資をしています。  100万円を稼ごうと思ったら、先に100万円を使う。もちろん、これは投資なので、投資した分が必ず返ってくるわけではあり

ん。一方で、投資をしなければ、そもそも何も返ってきません。  つまり、使わなければ、お金は増えないのです。  この法則は、人間の心理から考…

 

たとえば、相手に何かしてもらったら、こちらも何かお礼をしようと思うでしょう。その人がパーティをするのだったら、「シャンパンを持って行こう」などと考えます。逆に、何もしてもらっていなければ、そのパーティの会費だけを払って終わりとなりがちです。  …

 

そしてもう1つ、この法則を裏づける人間心理…

それは、「使ったら、元を取ろう」という心理。  たとえば、アメリカの大学生は日本人よりもはるかに必死に勉強すると言われています。  理由は明白です。彼らのほとんどは借金して学校に通っているからです。借金を返済するためには、学校でいい成績を取って、給料のいい企業へ入る必要がある。そして早く借金を返済しよう。そういう発想、…

 

知識の習得において、「経験」を非常に重視したベーコン(1561~1626。「イギリス経験論の祖…


ています。「お金は肥料のようなもの」と。そして、「ばらまかなければ役に立たない」。  もしあなたがお金を使うのが苦手だったら、ベーコンに習って「肥料」と思ったらいいのではないでしょうか。そのお金が養分となって、あなたにとって大切な何かがスクスクと…


日本のように、仕事さえできれば、酒癖の悪さが許される社会は、世界中を見渡してもかなり異例です。  自立した大人とは、自分を律することができる人です。  つまり、自分をコントロールできる人。自分を見失うほどお酒を飲むのは、「自立した大人」としてはいかがなものかと思うの

 

歴史を学び続けることは、人生の先輩たちからさまざまな教えを乞える機会なのだと思います。そうした機会を持ち続けることで、少しずつかもしれませんが、人生は生きやすくなっていくのではないかと思い


とくに、「名言」と呼ばれるものの多くは、短い言葉の中にそれを残した人物の考え方や生き方などがギュッと凝縮されています。言ってみれば、枝葉が取り除かれ、「教え」の根幹となる部分が残された