265.僕たちは14歳までに何を学んだか 学校では教えてくれない新時代の必須スキル 藤原 和博

自分の子の精神的基盤に、義務教育を修了する 15 歳くらいまでに、最低限「根拠のない自信」が芽生えていればいいのだと思う。  この「根拠のない自信」のことを、教育界では「セルフ・エスティーム」と呼ぶことがある。日本語に直訳すれば「自己肯定感」。自分は大丈夫、OKだ、将来は開けているし明るい、という前向きな心持ちのことだ。

 

僕の場合、怒られるを通り越して「呆れられる」ですね。「あいつ、しゃあないな」っていう。  自由を勝ち取るためのポイントは、「こいつはだめだな」って諦めて

 

ことです。普段からずっとイイ子でいたら、こいつにはもっと目標を高く設定してやろうってなりますけど、そうじゃなくて、相手の期待と全然違う方向に突き抜けるんです。徹底し

 

西野  最近「1年に1つ、何かをやめる」というのをルール化したんです。新しいことをやり続けないとどんどん老いていくなと思っているので。うまくいっているものの中から何かをやめる。毎年1つずつやめていくんで、その分新しいことを創り続けていかなくちゃいけないように

 

藤原  今は、学校はなくていい、という批判もあるけれど、確かに日本の学校システムというのは、皆を標準化する装置なんだよね。でも逆に、僕は標準化を強烈にやればやるほど、そこから逃れてとんでもなくクリエイティブな奴が出てくるという感じもしている。  

 

最後に、今、ホリエモンは子育てしてないけど、もし子どもがいたとしたら、これだけは絶対やらせるとか、やらせない、とかそういうことはあるの? 堀江  親の役割は、見返りを求めないパトロンみたいなものだと思って

 

ので、子どもが「やりたい」と言ったことにお金を出す。ただし、投資家ではないから、リターンは求めない。寄付です。求めてはいけないと。よく「わが子に投資」というけれど、投資するのではなく、あげるん

 

僕が外資系の投資銀行をやめてSHOWROOMを立ち上げたのも、一つには、この、客体から主体へ・依存から自立へ、というロジックがあります。自分の人生を自分でコントロールしたいと思っているから。いくら高い報酬を約束されて、大きな仕事を任されていても、自分の時計を誰かに預けた状態──上司に評価されたり契約で縛られたりしている状態では、自分主体になることはできないのだろう、そう感じています。  たとえばキングコング西野さんや堀江(貴文)さんのように、自分主体

 

個体の論理で生きている人は、一時的な人気の上下にまったく影響されずに、やりたいことを自由にやれていますよね。多少叩かれることがあったって、かえって人気が上がるくらい。  これから、僕らが目指さなくてはならない生き方は、そっちかもしれない、と思うん

 

国や国家というものが認めなくても、ファンが認めてくれさえすれば、そこで承認されれば生きられる。僕は、これからはそんな分散型の社会になっていくかもしれないと思ってい

 

誰かに強烈に愛された経験がある人は、一歩を踏み出すことができる

 

僕は、「誰かに強烈に愛された経験のある人は一歩を踏み出すことができる」と言ってるんだけど、どうだろう? 前田  まさにおっしゃる通りかと。僕、人から受けた愛情の総量を競うコンテストがあったら、きっと世界一になれると信じてます。ただし「総量」というのは、人数の合計ではなくて、一人の人間から受けた愛情の総量です。  物心がついた5歳くらいのときから、8歳で母がなくなるまでの3年間、母から受けたと感知している愛情の量がものすごかったんです。それと、兄から受けた無償の

 

たとえ自分のいる環境や境遇がマイナス100としても、そのマイナスをプラスに変えることができたこれまでの力の源泉は、僕が受けた愛情の総量にあると思い

 

久世さんの名言に「人生は移動距離で決まる」というのがある。ヤンキーがイマイチ伸びないのは、生活圏が狭く世界観が小さいから。「学校での学力も社会に出てからの稼ぎも、その人間の移動距離で決まる」とまで

 

言い得て妙だし、亀山さんを見ているとその通りだなとも思えてくる。「移動距離」というキーワードを「経験の幅」とか「経験値」と言い換えるとより納得できるだろう。

 

だから、投資してあげて馴染みの生活圏から移動させることでヤンキーも高校生も伸びる可能性がある。自分の子どもについても言えるかもしれ

 

どうしてそんなに突っ込んでいけるんですか?……という僕の素朴な問いかけに、「子どもの頃は愛とは感じなかったけど、やっぱり母親から存分に愛情を注がれたからかなあ」と最後に答えてくれた。「毎日、弁当作ってくれたし」

 

家の中も、あったかい感じでした。親父はいつも遊んでくれて、学校ではイマイチな感じの自分を「いつか大物になる」って、毎日すごくほめてくれました。学校がつまらなくても、家に帰れば受け止めてくれる場所があったから、全然平気。おふくろも水商売っぽい感じもなくて、いつもご飯を作ってくれた。  僕はその環境を「風俗業界のサザエさん」ってよく言うんだけれども、まさにそんな家庭でした。

 

夫婦仲にしてもそうです。僕は、親父とおふくろがケンカしているところを見たことがなくて。友だちから「両親がしょっちゅうケンカして嫌だ」という話を聞いて、ほかの家ではそういうことが起こっているんだと初めて知りました。  おふくろがあまり何も言わずに、やるべきことをちゃんとやっていたというか。だから、両親の仲が悪いとか、ガミガミ怒られて嫌だとか、そんな

 

を何も感じずに育てられたんです。 「母親の愛に包まれて」とかよく言うけれど、愛されていたことすらわからせないほどに愛されていたんでしょう。わざわざ「愛している」と伝えるまでもないほどごく自然に愛されていて、それを「ありがとう」って感謝するまでもなく、当たり前に受け取っていたのかなって、最近思うんです。  

 

一方僕は、実家が水商売をやっていても、愛情に恵まれた家庭で育ってきたおかげで心の闇もないし、仕送りもしてもらって経済的に困る状態にはありませんでし

 

ですが、それがだんだんコンプレックスになってきたん

 

子どもにはビジネスの話はしません。「彼女できた?」とか、そんな話です。  会社を引き継がせることも考えていないです。おそらくすごく苦労し

 

から。まず、金目当ての女が寄ってくるでしょう? そうしたら、「こいつは俺自身が好きなのか、それとも金目当てなのか」となって、本当の愛がもしあったとしても、見失ってしまうかもしれない。それ以外にも、派閥抗争に巻き込まれたり、悪い友だちが寄ってきたりするかもしれない。だから、事業の継承は社員に対して行なって、自分の代だけを考えるほうが結局は幸せなんじゃないかと思い

 

ただ、初めて商売をはじめるに当たってお金を借りるとき、親父には保証人になってもらったので、「起業することがあったら保証人にはなってやるよ」と言ってい

 

そうなったらつまらないなと若いうちから考えていたので、歌って踊れる金持ちじゃないですが、お金もあるけど、友だちもいて家族も笑っているような、バランスがとれた状態でいたいと思います

 

おそらく100万円と200万円の差は大きいけれど、100億円と200億円とは大して差がないと思うんです。  ビジネスの達人というよりも、人生の達人みたいなのを目指して、いろんなものがバランス良く成り立っているのが、自分としてはハッピーです

 

これはスーパーだけじゃなくて、どんな仕事にも嫌な面や、大変な部分もたくさんありますよね。でも、そこを誰かがやらないと世の中は回らないんです。金融は取り立て屋がいないと成り立たないし、不動産は地上げ屋がいないと開発できない。そういったことについて無関係だ、自分たちは一流のことをやっているんだ、と思っている人たちもいるわけじゃないですか。  そこは、ちょっと違うんじゃないかな、と思うん

 

コミュニケーション能力を鍛えるという意味でも、人間関係に強くなるという意味でも、「ナナメの関係」を豊かにすることが大事なんですね。

 

実際、医学部受験に追い込んだ息子が親に報復を仕掛けてくる事件などもありました。小学校の高学年から中高生になったら、親が直接指導する局面を減らし、「ナナメの関係」からの指導に切り替えることをお勧めします。  塾が少子化にもかかわらず隆盛を極めるのには、こうした理由もあるのです。

 

幼児教育で著名な「花まる学習会」の高濱正伸代表は、はっきりと「缶蹴り」をやっていない子は空間認識が弱いから図形問題でつまづいてしまうと指摘しています。「木登り」と基地作りでも同じことがいえそうです。  あるものを自分の高さの目線から見るのと、木に登って見るのとどう違うか? 視点が高くなれば、視座が変わり、視野が開けることを体感しているかどうか。

 

タフな経験が一番の特効薬だ。居心地が良く便利で快適なほうではなく、むしろ居心地の悪いほう、不便なほうで、不利な戦いをするほうが、よほどためになる。親が条件整備をしすぎるとかえって逆効果なのだ。  だから、中学受験に子を追い立てて、親子が「共依存」状態(お互いを頼ってベッタリになること、親離れ、子離れできないくらいともに依存する

にまでなることはあまり勧められない。高校生になっても、大学生になっても、なかなか子離れできなくなるから

 

前章で書いたように、無理をしてでも自然に親しませ、親がしたような危ない遊びをさせることはできるだろう。サマーキャンプに参加させたり、第二の田舎をつくって預けてしまうようなこと

 

もう一度繰り返す。 10 歳までにいかに遊んだかが大人になってからの「情報編集力」の基盤を作るの

 

3つ目には、大人になってからならコミュニティに首を突っ込んで、名刺の通じない場所で会社や役所とは違う人間関係を築き、自分の居場所を確保するのがいいと思う。コミュニティで揉まれることも「情報編集力」を高める

 

僕自身は、三人の子(息子二人と娘一人)に対して高校まではスマホを持たせなかった。でも、それは 10 年前の状況だからできたことだと思う。  取材でも話していたが、ホリエモンは、今なら百科事典ではなくスマホにはりついていただろうと語ってい

 

最後に、できるのであれば、スマホは買い与えるのではなく、親が買って子どもに貸すほうが利口なやり方だと思う。  貸すのであれば、契約書や覚書を締結するかどうかは好き好きとはいえ、条件を設定したり、罰則規定をあらかじめ設定することも可能になる。いっぽう、買い与えてしまったら、管理不能になることは必定だから(

 

以前、ホリエモンから「親からほめられた記憶がない」という話を聞いたことがあるが、ソフトバンク孫正義さんは小さな頃から「おまえは天才だ」と褒められ続けた逸話が有名

 

これについてはLITALICOの長谷川敦弥代表ともよく話すのだが、どうやら共通の特色と言ってよさそうだ。ビル・ゲイツもそうだし、スティーブ・ジョブズもそうだった。勝手に決め付けて悪いが、イーロン・マスクもピーター・ティールもジェフ・ベゾスもそうにちがいない。  要は、突出してこだわれる者たちが、市場を根底から変えるような革命家として変態(メタモルフォーズ)する。

 

 

こだわりが強いから、試行錯誤を続ける根気があって、成功するまで諦めないからだ。昔、松下幸之助が成功の秘訣を問われて答えた言葉が蘇る。「成功するまでやめなけりゃあいいんですよ。途中でやめるから失敗と呼ばれて

 

この踏み出す勇気については、僕自身は母親が無条件に愛情を注いだ結果だと語ることが多いが、読者は4人のインタビューから何を感じただろう

 

それが母親でなくてもいいのだが、誰かに無条件に愛された経験は、わからない世界に向かっていく「根拠のない自信」の基盤になっているような気がしてならない。普通の人からすれば、かなり不幸な体験をした前田さんでさえ、お兄さんから無条件に愛されたから、なんとかお兄さんを喜ばそうと努力した。  とすれば、親にできることは二つしかない。

 

子どもが何かに没入し、集中して向かっていくときに邪魔しないこと。できたら、その突進を応援してあげること。  それと、条件をつけずに(私立の中高一貫校に受かったらとか、東大に受かったらとか、財務省に入省したらというような条件をつけずに)無条件に子どもの成長を見守ること。それが「根拠のない自信」の基盤を

 

キミの存在そのものが自分にとっての喜びなんだ。生きて、世の中の常識と戦ってあがいてくれているだけでいい。そんなふうにドーンと構えていること。  

 

これからの子どもたちは、自らを希少性のあるものに育てなければならない。  僕は彼らに直接メッセージを伝えられるときには、「自分自身をレアカード化しろ!」とエールを贈る。本当は、親たちにも同じ試練が襲ってくる。学歴が高いことにあぐらをかいて情報処理力だけを高めても、やがてすべての処理仕事はAI武装したロボットかクラウドに奪われる。みんな一緒でいい時代は終わったの

 

だから、みんな一緒に大きなことをやる夢より、それぞれ一人一人の希少性を大切にして、主体的に思いついたことがあればネットで脳を繋げながら、協働的に成し遂げていけばいい。その意味でも「希少性」を磨くことこそが、ネット社会からあなたの子どもとあなた自身が他者からアクセスされ、味方を増やす条件になるだろ

 

つまり、人間が信用されるためには、皆と同じの「上質な普通」が保証にならない時代に入ったということ。逆に、信用されるためには、集団から浮いてもいいから「希少性」を高めなければならないという理屈だ。勉強するのも仕事をするのもこの「信用(クレジット)」を蓄積するためなのだから、親の仕事だって「希少性」を追う方向へのモードチェンジが必要