子供にペット飼う代わりにロボット飼おうかな。
IT革命とグローバリズムにより、経済格差や情報格差、教育格差など、あらゆる分野で格差がどんどん拡大している。 今後はAIやロボットを使いこなす人と、そうでない人との格差の拡大が始まる。 使いこなす側が受けられる恩恵と、使いこなせない側の不利益は、これまでの格差とは比べものにならないほど、大きくなるだろう。
この意見には同意できない。国にお金を集めても、ロクなことがないからだ。 もうこれ以上、変な税収で国家を焼け太りさせるべきではないだろう。 そんなお金があったら、アマゾンやグーグルにもっと稼がせてほしい。 先進的なIT企業にお金が集まる方が、よほど世の中のイノベーションの助けとなる だろう。
カーツワイルは、脳に電極を刺すことを厭わないと語った。 それは、いずれ世の多くの人々が、「脳に電極を刺しますか?」と問われるだろう、そう遠くはない未来 を示唆している。 AI研究の権威は、すでに「人とAIが同期する姿」を、見据えているのだ。
AIの画像認識の能力は飛躍的にスピードアップした。 現在は画像認識の技術を応用した写真加工アプリが大流行していて、街の警備カメラでの犯罪者の管理に用いられている。
そう遠くないうち、秋葉原連続通り魔殺傷事件を起こした加藤智大のような、街にうろついている怪しい挙動の奴を、画像でとらえ、事前に凶行を防ぐことも、技術的には可能になるだろう。
「手」のおかげで、人は文明を継承できたとも言える。 筆記具を持ち、文字を書き残せた。人に近い知能を持つと言われるクジラが、なぜあの姿で進化を止めてしまったのか。 「手」がないから、文明を書き残せず、次の世代への継承と、クジラの知性体としての進化の機会を放棄してしまったからだ。
人は「手」の獲得により、ほかの哺乳類に比べ、群を抜いた進化を遂げられた。偶然なのか、何かの遺伝信号なのかはわからないが、二足歩行すると決めた瞬間、人は「手」がフリーになった。 そのとき、いまの表現で言うなら、人は知性体としての最初のシンギュラリティを迎えたのだろう。 人ほど上手に、自由に「手」を使いこなしている動物は、ほかにいない。「手」によって、進化のジャンプを遂げた。
そういう高齢者の介護は無骨な形状のロボットに任せる手もあるだろう。実際、介護の現場にはすでにどんどんロボットが採用されている。 ロボットだったら無視されても、 罵詈雑言 を浴びせられても、まったくストレスを受けず介護の仕事を淡々と続けられる。介護士不足の現状に照らせば、ますますその価値は高まるだろう。
そう、AIロボットは、「分身ビジネス」 で大きな収益を上げられる。 松下幸之助や本田宗一郎とか、伝説的な経営者のAIロボットをつくったらどうだろう? ヘンリー・フォードや、スティーブ・ジョブズもつくってほしい。
いずれ、ひとりに1台、何なら複数のアンドロイドを所有して、 面倒ごとはすべてロボット任せ、自分は好きなことだけやっている という時代になるかもしれない。 ここでも持つ者と持たざる者の格差は、とてつもないものになるだろう。
人がAIやロボットの研究を続けているのも、永遠の命を得たいという、本能的な希求によるものではないか。 肉体の耐用年数は150年ほどと言われるが、それでは短すぎる時代になったのだ。 医療の進歩で、寿命は延びている。その反面、温暖化など自然環境の変化で、人間の有機体としての肉体が持ちこたえられなくなるとの指摘もある。 あくまで可能性の話ではあるけれど、科学では想定のできないような変化に対応できるよう、私たちは〝身体拡張〟を進めなくてはいけないと考えている。
そう遠くない未来、私たちは宇宙移民を実現させるかもしれない。 そうなったとき、いまの人間の肉体では 脆 すぎる。宇宙線や低温、希薄な空気環境には耐えられない。しかし、機械化によって、私たちは宇宙でも生き抜くことができる。 宇宙に出なかったとしても、いつまでもやりたいことを続け、望むなら永遠に、この世界に存在できるかもしれないのだ。
「私には、人間は『心と身体と社会』からできているという信念があります。どんなに身体が元気でも、心が疲弊すると動きだせない。社会へ出て行こうという気持ちになれないんです。 でも、 心をワクワクさせてくれるパートナーがいれば、きっと意欲的に行動できる んじゃないか。カングーロには、心が少し疲れているような人たちの〝馬〟になってもらえたらいいと思いました」
人間は「心」と「身体」と「社会」からできているという考え方は、別の分野の専門家からも聞いた話だ。予防医療普及協会顧問の稲葉可奈子医師も、同じことを語っていた。 予防医療の世界でも、急速にAIの導入が進んでいる。 AI技術の研究に関わる、違う分野の専門家が、同時に「人間は心と身体と社会からできている」と論じているのは興味深い。
駅から駅への出勤通学、配達ぐらいは、パーソナルモビリティが難なくすべてこなせる時代はそう遠くないうちに来る。移動しながらスマホを見ていたり、スマートグラスでマンガを読んでいたりしてもいい。 移動時間をフルで有効に使える。それが理想の社会インフラ ではないだろうか。
日本は世界でもトップクラスに、高齢者が多い国だ。 そのため、高齢者の弱った身体を支える技術の研究開発が進んでいる。 例えば筑波大学発のベンチャー企業サイバーダインは、高齢者向けのパワードスーツをつくっている。加齢で弱ってしまった膝や腰をサポートして、若い頃と同じように動き回る手助けをしてくれる。こうした身体を拡張するような技術革新に、超高齢化社会を控える日本のメーカーは向いているのではないだろうか。 テクノロジーの力を借りられる道筋が立てば、人生100年時代だろうと、それ以上の超高齢化社会だろうと、まったく悲観するような話はでてこなくなるだろう。
現在、日本は少子高齢化で人手不足問題が深刻だと騒いでいる。 しかし、本当にそうだろうか? 本来、 人がやらなくてもいい仕事、人に任せなくていい仕事を人がやっているだけだという面も少なからずあるはず だ。外国人の労働者をアテにするより、各業界で
化を急いだ方が、よっぽど問題の根本的な解決につながるはずだ。 いま、国が新たに外国人労働者にやらせようとしている仕事のほとんどは、無人化だったり、ロボット化だったりできる。 例えばレストランの予約を取るのだって、まだ電話予約が中心だ。電話で話すことは決まりきっ
アマゾンやゾゾタウンの倉庫で働いている労働者の数はいまがピーク で、今後は急速に減っていくだろう。 そのアマゾンもゾゾも、人のかかる仕事の最後の 砦 となっているのが、配送だ。 膨大な商品を、決められた日程と時間で配送するのは難しく、配送会社に委託している状況だ。配送大手のヤマト運輸も佐川急便も、人手不足が深刻なことはご存じだろう。 ただし、この分野でも、ロボット化は着実に進んでいる。
ネットショッピングの急増により、現在、日本国内では年間約 35 億個以上の宅配便が運搬されており、パンク寸前だ。まだまだ需要は伸びており、人手を増やしたところで、焼け石に水でしかない。 特に地方では、人口の減少や高齢化も加わり、配達員への負担は増える一方だ。 運送業界の緊急的な問題である人手不足の解消、そして労働環境の改善、業務の効率化を実現するには、無人配送ロボットの普及が急務だ。
しかし、スマートスピーカーはとことんつき合う。子どもの方が飽きるまで、どこまでも無意味な会話につき合ってくれる。 そして「延々と会話を続ける」作業は、子どもの言語の認知発達においても、非常に効果が高いと言われている。 たくさん喋った子どもが賢く育つのは、発達心理学の面でも正しい。
その相手が人間である必要はなく、何なら飽きずにつき合ってくれる、しかも叱ったり否定的な言葉を返したりしない、AIロボットの方が優れているのかもしれない。
すでに世界の大物投資家たちは、例えば、航海中の石油タンカーを衛星画像で見つけ、海面に沈み込んでいる船体の加減から、石油の搭載量を分析しているらしい。 その情報を、運搬先の国の原油価格の先物取引に利用しているのだという。そこまでするか? と思うが、技術的にはあり得ない話ではない。 発掘も投資も、大きなリスクが伴うのが常だが、 AIがリスクヘッジに役立っている という話だ。
AIに勝ち方を学ばせてもらう! と考えた方がいい。 藤井くんのようにデジタルネイティブ世代は、完全にそちら側の思考でスマホを触っている。 いつの時代も、テクノロジーはいち早く使いこなしたものが有利となる。新しいテクノロジーに適応して、使い尽くす! と腹を決めた人が、常識外れの偉業を成し遂げるのだ。
私としては、AI教師を、活発に導入してほしいと思う。 教育現場だけではない。 スポーツやトレーニングの世界にも、AI技術は採用されていくだろう。 例えば野球のバッターのスイングを矯正するのだってAIの指導の方が細やかだ。ホームランから三振までのすべての打撃フォームをディープラーニングで解析し、「現在の振りから○ミリ、バットを寝かせればホームラン」「○ミリで三塁打」など、具体的かつ効果的な指導ができるだろう。 人間の見た感じの修正箇所と、コンピューターのとらえる確実な修正箇所を埋められれば、打率は間違いなく上がる。
いつかAIコーチが主流となり、元選手ではなく一度もボールを触ったことのないようなAIエンジニアがメジャーリーグの監督に就いたり、コーチングビジネスを展開したりするような時代になるかもしれない。 会社の経営者や上司、現場監督にだって、AI教師の活用が求められる。 「勘」とか「経験」とか、適当な基準で指導してくるような人間は、全体の士気や生産性を落とすだけの存在 だ。
組織づくりと言い換えてもいい。何かを成し遂げる、特にAIロボット開発のような高い専門性と技術、情報収集能力が問われる事業を手がけていくには、優れたチームが不可欠だ。 まあ、あらゆるビジネスは人材集めに尽きると言っても過言ではないが、移り変わりの激しい世界だけに、より高いスキルを持った即戦力が求められる。
アップルのセンスは、いろんな意味ですごい。ひとり1台というような規模での普及を目指すためには、 ネーミングは非常に重要 だ。 技術の優位性はあっという間に追いつかれてしまう時代だ。スマホに続く、自動
ロボットやパーソナルモビリティ、ヒューマノイドやアンドロイドなども、デザイン的な要素やネーミングがカギとなる可能性は高いだろう。 どれにだって、「iPhone」に匹敵する正解は、きっとあるはずだ。
2000年、米ゴールドマン・サックスでは600人いたトレーダーが株式売買の自動化システムに置き換わり、現在では数人がオフィスに残っているだけだという。 株式売買の業務における複雑な数学的判断は、AIのディープラーニングのお得意の領域で、人間の頭脳が敵うはずがない。 世界的投資家のジム・ロジャーズも「AIが進化すれば、証券ブローカーなど株式売買に関わるプロは消える」と断言していた。
投資だけでなく、専門性の高い分野にも、AIロボットの進出は進んでいる。 近い将来、一部の有能な医師が、世界中の患者の診断・手術を、遠隔ロボットを介して手がけることが予測されている。そしてヤブ医者は、きれいさっぱり消え去る。
第2章で紹介した石黒浩さんは、「膨大な試薬のデータ分析が必要な製薬業は、人間の研究者よりもAIの方が優れている。そのうちAIが、ノーベル生理学・医学賞を受賞するだろう」と予言している。私も同じ意見だ。
人が働く根源的なモチベーションは、楽しいから、好きだから。それが基本だろう。 楽しんでいるだけで暮らしていける環境が、AIやロボットなどのテクノロジーの進化のおかげで、到来しようとしている。 なのに、自分で苦しい道を選択している……俗世を捨てて山ごもりに入る、修行僧の発想だ。お金や生活に支配されて生きている人は、私からすれば逆の意味でストイックに思えてしまう。 どうして自ら、辛く苦しい、何も生みださない道を行こうとするのだろう?
これからの時代、生き残れるのは、安定した仕事を与えられた人でも、お金持ちでもない。 働かなくてもいい世界で、なおモチベーションを持ち、何かの行動を起こせる人が、生き残れる のだ。 AIやロボットは、そうした人たちをふるい出すツールでもある。
あと、ひとつ大きな勘違いを解いておく。 日本の経済は長引く不景気でひどいことになっているとか、アジアのなかで地位が急落しているとか、ネガティブな情報にばかり目を向けてはいけない。 IMFの調査によると、日本のGDPは1980年から基本的に右肩上がりを続けていて、ほとんど下落していないのだ。 2018年のGDPは550兆円を超えている。 数値は 30 年余りで、倍以上の増額だ。 こんなに 儲けまくり、稼ぎ倒している国に暮らしていて、「財が足りない」と嘆いているのは、ブラックユーモア でしかない。
人間にしかできない仕事はどんどん減っていき、自由な時間がますます増えていく。 ただそれだけの話だ。 それでは私たちは何をしていれば、いいのだろうか? 答えは簡単。 ただひたすら、好きなことをしていればいい のである。
ベーシックインカムより先に、働かなくても大量の野菜、穀物が好きなだけ各家庭に配布される時代が来るのかもしれない。
いま、AIやロボットはものすごい速さで、私たちの社会から「面倒くさい」「つらみしかない」という仕事や作業を奪っていってくれている。 同時に、お金がなくても暮らしていける社会制度と食料供給の体制も、整いつつある。 じゃあ、人間は何をすればいいのだろう? 遊べばいいのである。 繰り返しになるが、現代は好きなこと、楽しいことでお金が稼げる時代にもうなっているのだ。
とにかく、うまく遊びや、好きなことを仕事にできた人たちは、おしなべて「ひたすら好きなことに時間を割いた」のだ。 彼らはいわば、〝自分遊びのエキスパート〟 だと言い換えてもいい。
具体的には、人間のコミュニケーションが価値そのものであるような仕事だ。 ソムリエやパティシエ、カリスマ家電販売員やBOOKキュレーター、カウンセラーなどの需要はますます高まるだろう。マッサージ師や美容師、パフォーマンスで見せるアーティストやお笑い芸人、タレントの活躍の場も増える。
堀江さんは結局、フロントマンとして生きていたいのですね、目立ちたいだけなんですね、などとまだ言われた。 見ている世界が違いすぎる。 目立ちたいとか、フロントマンでいたいとか、そういう次元で、私は大事な時間を費やしたりしない。 いまこの瞬間を、最高に楽しく、輝いている仲間たちと一緒に、遊び尽くし、やりたいことをやって生きていきたいだけなのだ。 その姿を多くの人たちに見てもらい、私と同じ最高の時間を、共有したいだけだ。
21 世紀の人間は、「狩猟民族に学ぶべきだ」という。 狩猟民族は自分たちの願望に合うように環境を変えるのではなく、自分自身を環境に適応させてきた。 そして自分の身体や五感に対して、鋭敏であり続けた。 生き延びるために、目で見ること、耳で聞くこと、鼻で嗅ぐこと、すべてについて研ぎ澄ました。 それらは現代人が、いま失いかけているものだ。