野球への渇きが芽生えた 〈僕はどれだけ優遇されて、幸せなんだろう〉 そんなことを考え出すと、今の環境にどっぷり浸かっていることに
悪さを感じるようになってしまったのです。 〈こんなことをやっている場合じゃないよな〉 〈もっとやることがあるよな〉 野球に関しても、生き方に関しても、貪欲になりました。 悪い環境でやる方が良い、と言っているわけではありません。 〈この
決してコーチから「ああしろ、こうしろ」と言われるのではなく、自分で考えて成長する。それを手助けするのがコーチの役割。そういう関係が、ドミニカでは貫かれていまし
ドミニカのそんな環境の中でプレーをしてみて感じたのは、どの選手も心から楽しそうに野球をしていることでした。 自分を振り返ってみました。横浜高校時代からプロの世界に入るまでの間、こんなに笑顔で野球をしてきたことがあっただろうか。思わず子供の頃にまで、思いを馳せてしまいまし
日本の子供達が、野球を楽しいものだと心から思えるようにするには、どうすれば良いか。そのことを伝えるために、僕はこの本を書くことにしまし
父によると、今は我が家と父の兄である伯父一家、その伯父の長男の家と、日本全国でも、たった3軒しかない珍しい名前だということ
実は習い事を増やしたことにも、父の深謀遠慮がありました。 証言 父・和年 「ピアノを習わせたきっかけは、やっぱり野球でした。あの子は右利きなのですが、ピアノは右手と左手を別々に使う。右手を動かす左脳だけで
左手を司る右脳も発達させるために良いと聞いて、小学校1年生から姉と一緒に習わせたのです。 公文式の学習塾に通わせたのは、もちろん勉強をしっかりする習慣をつけさせたかったことが一番です。ただ、これも野球をやっていく上で大事だという思いがありました。計算がパパッとできるような頭の回転の速さや、頭を使う習慣が必要だと思って塾に通わせることにしまし
ピアノの方は6年生まで習っていましたが、例によって最初はまったくうまくいきませんでした。姉の方が飲み込みも早く、最初は断然上手でした。 僕は、先生にいろいろと教えて頂いて言われた通りにするのですが、どうにも上手くいかないことが多かったです。それで、〈違うな〉〈これはちょっと自分に合わないな〉と思ったら、自分で練習の仕方や弾き方を変えてみる。
証言 兄・裕史 「身体の一方ばかりを使っていると、当然、筋肉のつき方からバランスが偏り、持っている力をフルに発揮できなくなります。だから身体の両方をきちんと均等に使い、バランスを整える。 いろいろな環境で運動をさせたのは、体の調整能力を高めるためです。平らで整った環境でばかり運動をしていると、体がいざというときに反応できなかったり、とっさに危険を避ける能力がなかなか身につかないからです。だから、あえて足場が悪かったり、障害物があったりする環境で、毎日練習をさせました。
それに、子供は同じ練習ばかりを続けると必ず飽きて集中力が途切れてしまいますから、そのためにも遊びの感覚を取り入れながら練習をさせようと考えまし
練習を見て他のチームと違ったのは、身体を使えるようにするという目的で、独自の体操やトレーニングを取り入れていたことです。 キャッチボールやノック、打撃練習など通常の技術練習の前に、かなりの時間を割いて独特な体操を行なっていました。 両手の逆立ちや頭も支点に加えた三点倒立、座って両足を前に伸ばし
状態で前進する〝お尻歩き〟、バーを使った体操やしゃがんで足首の関節を柔らかくする運動など、普通のアップとは違う動きを、時間をかけてしっかり行なっていたんです。 僕自身が、そういう練習に目を開かれる思いでした。それまではとにかく野球の練習を一生懸命やれば、技術は向上すると思っていました。でも、単純に野球の技術を教えるだけでなく、土台になる身体を作り、その動かし方を教えてくれるビッグボーイズの指導は、最終的には弟をプロ野球選手にするために一番必要なことだと思ったわけです。 すぐに『ここに入れよう』と決めていまし
「野球人である前に一人の社会人として、一人の人間としてしっかり成長しろ。野球がうまいか下手か、そんなのはどうでもいい」 渡辺監督には、ずっとそう言われました。 このように、小倉部長には技術的なことを、渡辺監督からは野球人として大切なことを、教えて頂きました。子供の頃から兄に教わり、築き上げて来たものに、普遍性を与えられた。 それが横浜高校時代だったと思います。
プロ入りしてから僕が一番、悩んだのは2軍でコーチとコミュニケーションをとって練習していても、1軍に行くとまったく違うことをさせられることがしばしばあったことでした。 ケガから復帰すると、ファームの白井監督からは「自分のポイントに引きつけて強く振れ」と言われて練習を続けてきました。たまに試合で体が前に出て振ってしまうと「泳いでいるのでしっかり引き付けろ」と注意を受けていました。ところが、1軍に上がるとまったく逆のことを言われてしまうのです。 「もっと前で打て、前で!」 1軍に上がった途端に、あるコーチからはこう言われました。
前でさばいて飛ばせ、ということで、2軍で白井監督から言われた「しっかり引き付けろ」とはまったく逆の打ち方です。 しかも、こう言われたのが1軍に上がって初めての練習で、まだ試合にも出ていない段階でした。実戦を何も見ていないのに、そういう風に言われる。 「エッ、もう言われるのか……」 戸惑いばかりが心の中を渦巻きます。 自分としてはファームで練習していた打ち方がしっくりきていたので、そういう打ち方に戻すと、 「できないのならファームに落とすぞ」 と言われます。せっかく1軍に上げてもらったばかりだったので、そう
れるとバッティングを変えざるを得ない。その結果、どんどん自分のバッティングを見失ってしまったのです。 この年は1軍で1試合5三振のプロ野球タイ記録を作っています。 10
この年の自分を振り返ってみると、いろんな人からいろんなアドバイスや、言葉は悪いですが強制を受けて、自分自身を見失ってしまっていました。 結局、この年はシーズンを終わったあとに、何も残っていなかったという感じでした。
そういう心と空間、自分の世界を作ることができれば、例えば打席に立ったときには、投手との間にある 18・44 メートルの空間を支配できると思います。その空間を支配することができれば、必ず失投が来ます。投手が嫌な
がして、本当はマウンドを1回外すべきところで外さずに投げてしまう。投げ終わって打たれてから「ああ、外しておけばよかった」と思うようなことも起こります。 こちらは投手が次の1球を投げるときには、ボールを待てる形が自然に出来上がっていて、投手の指先をボールが離れた瞬間にスイングできる形ができている。そういうときは構えた瞬間に「ホームランを打つ」と分かります。そういう経験はたくさんではありませんが、何度か実際にありまし
2017年のクライマックスシリーズのファイナルステージ第4戦で広島の薮田和樹投手から、第5戦で大瀬良大地投手から2試合連続でホームランを打ちました。 この2本はいずれも打席で構えた瞬間に「ホームランを打つ」確信が
上がり、結果もその通りになったものでした。 これは無意識の中で理想的な集中ができて、マウンドとバッターボックスの間の空間を制することができた結果だと思います。ただ、あれだけ短い間に2度も起こったのは初めてで、自分でもちょっとびっくりしたくらいです。それくらい良い集中ができていた、ということだと思います。
例えばご飯が出てくるのを待っているときに、喉が渇いて「お茶が欲しい」と思うことがあると思います。そういうときに言葉にしないでも、すっとお茶を出してもらえるような空間を自分で作り上げたい。自分がなにか野球のことでイライラしているときには、絶対にそういう空間は醸し出せないです。それは無意識の集中ができていない、ということなの
ただ、大村コーチと作り上げたバッティングが、チームで本当に受け入れられる土壌は、この時点ではまだあったわけではありません。2014年2月のキャンプが始まると、バッティングを見た多くの人から、厳しい言葉ばかりを投げかけられていたのが実情です。 「それは振り遅れだろう」 打撃練習で意識的にレフト方向に打っていても、打撃ケージの後ろからなんどもこう言われました。
「ホームラン王をとりたかったら、もっと前でさばいてしっかり引っ張って打て。反対方向に打っている間は、タイトルなんて絶対にムリだぞ!」 ただ、自分ではもう、そういう言葉もあまり気にはならなくなっていました。 「もう絶対に変えない。誰に何を言われようとも、絶対にこのバッティングを続けて自分のものにする」 だからどんな反対意見も「ハイハイ」と言って聞き流すことができるようになったのです。そうやって聞き流す力がつくと、人から何かを言われたときに迷ったり嫌になったりすることもなくなっていきました。 自分の
打撃練習が終わってお話をさせて頂いた時に、僕は松井さんに長年の疑問を率直に聞いてみました。 「僕はポイントを近くに置いて、逆方向に強い打球を打ちたいと思っています。ただ、いろいろな人から、それじゃダメだ、遠くに飛ばしたいならポイントを前にして、もっと前でさばけと言われます。松井さんはどう思われますか?」 松井さんの答えはこうでした。 「反対方向にはきっちり打てるようにした方がいいよ。オレもジャイアンツの時はそういうバッティングをしていなくて、アメリカに行った時に凄く苦労した部分がある。
だから人から何といわれようとも、逆方向に意識を持って打つことは絶対に間違ってないし、続けた方がいい。自分の思っていることをやり続けるべきだとオレは思うな」 この言葉を聞いて、僕は間違っていなかったという確証を得ることができまし
松井さんはベイスターズのキャンプに滞在している間に、バッティング練習では丁寧に逆方向へ打つバッティング、ポイントを寄せてしっかりと振り切るための技術を指導してくれました。中畑監督やチームのスタッフの方々も、松井さんのそういう姿を見てくれていたのだと思います。 それ以降、…
エクスポートの制限に達したため、一部のハイライトが非表示になっているか、省略されています。
松井さんが僕のことを後押しして下さったと、今でも自分で勝手に思って感謝しています。 そして、この年のオフに、ドミニカの…
エクスポートの制限に達したため、一部のハイライトが非表示になっているか、省略されています。自分の考える型にはめるのではなく、僕の特長や目指してきたことを理解して、それを伸ばして下さるコーチと出会ったことが、僕の転機でした。 そういうコーチに巡り会い、指導を受けられたことは、野球選手として本当に幸せなことだったと思っています。 …
エクスポートの制限に達したため、一部のハイライトが非表示になっているか、省略されています。
一番大事にしているのは、バットを持って投手と対したときの構えです。 実際にボールを打つのはインパクトの瞬間ですが、構えがずれてしまえば絶対にバットの芯では打てません。 インパクトがずれているときは、実はその原因はバットのトップの位置
あると思います。トップがずれている原因を追究していくと、結局は構えになるのです。 理由をたどっていくと一つ前に行き着く。だとすれば、構えができていれば問題はない。だから構えはバッティングにおいて一番重要な部分だと思うわけです。 構えの他にもう一つ大事なことは、重心です。 今の僕は、身体の重心を正しく意識
朝起きた瞬間に〈今日の重心はこうなっている〉とか〈今日はここがずれている〉と感じられるかどうか、が大切です。日によって重心が前の方に傾いていたら、野球の動作をする時には自然と前側の太ももに力が入ってしまいます。逆に後ろに行っていたら、少し体が流れやすくなる。 グラウンドに立った時、必ずそういう影響が出るのです。重心が狂ってくるとケガをしやすくなります。
もう一つ重要なこととして、そうしていろんなセンサーが感知したことは、その日のうち、少なくとも寝る前までには必ず処理するようにしています。 一日の中でさまざまな気づきがあります。それを寝る前に整理するのです。 〈これは良い感覚、明日の練習はこういう感覚でやってみる〉 〈この感覚はもういらないから明日は捨てる〉 要るもの、要らないものをその日の夜に分類して、翌日につなげていく
その先につながっていく可能性のあるものと整理した上でベッドに入ります。この分類は試合が終わった瞬間から始めていますから、寝る前にそれを復唱するというか、整理する感じですね。 整理できない時は、紙に書き出すこともしています。 いろいろな問題がブワーッと出てきて、「これじゃあ寝られないわ」という時に、壁に大きな紙を貼りだすのです。 そこに一つ一つ、「今やらなければならないもの」「そんなに急がなくていいもの」「最終的にはこうなりたいもの」「ただ単に気になっているもの」という風に分類して書き出していきます。 自分の状態が悪くなると、こうしなければ整理できないケースが増えていきますね。実はそれも、一つの気づきの作業でもあるのです。
気づきやセンサー、矢田先生から頂くアドバイス。プロとしてのこうした日常の取り組みは、小学生から中学生時代にはじまりました。この頃に始めたことを、今日まで追求し続けてきた一つの結果です。 そう考えると、子供の頃にどんな野球体験をしたかが重要だと思うのですが、それは単に、成長期にどんな練習をすれば良いか、という話ではありませ
勝利至上主義の弊害の一つは、野球が子供たちのためではなく、指導者の実績や功績、関係者や親など大人たちの満足のためのものになってしまいがちな点
ドミニカ共和国で子供の野球を見ていると、選手がミスをした時、監督は決して怒鳴ったりしません。黙って見ていて、ベンチに戻ってきた選手を笑顔で励まします。 そして、試合が終わったら話し合うのです。 「なぜ、あそこでミスが出たと思う?」
「どんなことを考えていたの?」 「自分のプレーのどこがまずかったと思う?」 一つ一つ子供と考え、意見を聞いて、その中から解決の糸口や新しい方法を一緒に探していきます。 僕も子供の頃から、兄にずっとそういう風に育てられました。そうやって身に付いた考える習慣が、僕の強さになったと思い
送りバントは、犠牲バントという言葉通り、チームが勝つことだけを目的に、選手がボールを打つ機会を犠牲にする作戦です。果たして小学生や中学生の野球で、その作戦は必要でしょうか? たとえ高校野球でも、そこまで勝つことだけにこだわって、野球をする意味があるのでしょうか。 僕は子供たちの野球では、勝つことよりも彼らの能力をどれだけ引き出し、伸ばしていくかが優先されるべきだと思います。