世の中にはそういった感情をある程度コントロールできる人と、簡単に左右される人がいます。感情に支配されて生きている人は論理をつかさどる新しい脳(前頭前野)より 感情をつかさどる古い脳(扁桃体)に支配されている わけですから、より原始的。 進化の度合いでいうとゴリラやサルにということになり
このような、感情に振り回されてしまっている人を「抽象度が低い」といい
では「抽象度が低いと感情に支配される」のはなぜでしょう? 賢明な皆さんはすでにお分かりかもしれませんが、抽象度の低い人は、視点が低いのですから、例えば、今この瞬間の「会社でイライラさせられている自分」のことしか見えていません。視界が狭いの
したがって、イライラするようなことがあると、感情に頭の先まで
しまいます。 つまり、感情に支配されてしまうの
以上のように、イライラやモヤモヤから脱し、感情というゴミに埋もれないためには、抽象度を上げる、つまり視点を上げて自分を客観視し、視界を広げていくことが重要なのです。
とはいえ残念ながら多くの人は、目先の情報に追われ、整理することなく生きています。つまり、非常に抽象度の低い状態で生きてい
では、どうすれば感情の支配から抜けだすことができるのか?
もう答えはお分かりですね? そう、抽象度を上げればよいのです。要は前頭前野の働きによって扁桃体に介入するの
ゴールがないから、あなたの一瞬一瞬がゴールのためではないから、感情に振り回されてしまうのです。
生命維持において、もはや感情は必要
ないのです。 必要ではないが、あってもよいものを「娯楽」といい
現代の私たちにとって、 感情は実は娯楽 なの
「悲しさ」や「寂しさ」などさまざまな感情を知ることは人間として重要です。しかし、それらの感情にいちいち振り回される人は、人間として立派な人とはいえません。 悲しさや寂しさなどの感情が湧くのは人間として自然なことです。 ただし、その感情に振り回されずに、「悲しさも人生の味わいのうち」と、娯楽として味わえばよいのです。娯楽として味わっておけば、
れることはありません。 感情を娯楽として味わうという時点で、すでに抽象度が上がっている から
もっと根本を言えば、「 1 年の半分をハワイで過ごすのが自由」という考え自体が刷り込みであり、自由どころか、不自由です。 毎日、満員電車で会社に行っている人にも真に自由な人はいます。その人の自由は、その人の「オリジナルのモノサシ」にもとづく自由
だから、満員電車で押しつぶされても、会社でこき使われても、他人からどんなふうに見られようとも、その人の心はいつも自由です。その人にはその人自身の人生のゴールがあるはず。そして高い抽象度で生きていて、「誰に何を言われた」という低レベルのマイナス感情を娯楽にする 術 を身につけているはずです。
一方、「 1 年の半分をハワイで過ごす」ことが「自由」だという考えのなんと不自由なことでしょう。ハワイに行かないとその人は自由を感じることができないのですから。そもそも「ハワイ」と「自由」が結びついているのがメディアの刷り込みの結果です。ハワイと自由とはなんの関係もありません
は、「私たちが今見ている世界は、過去の記憶によって成り立っている」 ということ
私たちは一般的に「時間は過去から現在、未来へと流れている」と考えています。これは、「絶対神がビッグバンを引き起こして宇宙を創造し、そこから玉突きをするように次々と因果を起こして現在に至っている」という古いユダヤ・キリスト教的な考え方にもとづく時間観です。私たちはその影響下にいるわけです。しかし、この時間観は本当に正しいのでしょうか。この時間観も、古典的な西洋のモノサシにすぎません。 一方、アビダルマ仏教哲学では、「時間は未来から現在、過去へと
て流れている」とされています。 現代分析哲学でもそういう見方があります。私はこの時間観に賛同するもの
このように、時間は川の上流という未来から、あなたが立っている現在へ、そしてあなたの後方の過去へと流れているの
では、こんなケースを考えてみてください。 会社の帰り道にサプリメントを買うためにドラッグストアに寄ったとします。 しかし、たまたまレジの前に行列ができていました。 あなたは行列に並びしばらく待っていましたが、なかなか前に進まない
面倒になり、サプリメントを棚に戻し、「ついてないなあ」と思いながら、わざわざかなりの遠回りをして別のドラッグストアに行きました。すると、その店では先ほどの店よりも同じサプリメントが 2 割も安く売っていました。あなたは「ラッキー」と思いながら足どり軽く帰宅しました──。 この例では、 1 軒目の店の行列をあなたは「ついてない」と思いました。しかし、 2 軒目の店で目当ての品が安く売っていたことで、 1 軒目の「ついてない」が「ラッキー」に変わりました。ということは、「未来によって過去が変わった」ということ。 過去が未来をつくるのではなく、「未来が過去をつくる」のです。 気をつけて見てみると、未来によって過去が変わるという右のような例を、私たちは日常的に体験しています。
部下が立派に成長したという未来から見れば、「デキない時期があったからこそ、大きな学びと成長があった」という過去に変わります。「よい
から逆算して見れば、 どんな現在も過去も、「よい未来」をつくるために必要な出来事 なのです。 「時間は未来から過去へ向かって流れている」 「過去は自分の未来に影響を与えない」 「未来が過去をつくる」 「未来は最高だと確信すれば、過去も現在も最高である」 これが万人に共通する時間の原則です。 この原則を自分のものとして、この原則のとおりに時間を理解する人だけが、過去にも現在にもとらわれず、望む未来をつくることができます。
世界は言語でできている 「過去は未来に影響しない」 「自分は変わることができる」 そう確信し、「なりたい自分」になっていく上で重要なのが、 言語のコントロール です。 なぜなら、私たちが生活している空間は、実は言語で成り立っているからです。 法律も経済も、私たちの生活を成り立たせているもののほとんどが言語でできています。 例えば、私たちが
自分以外の人も一緒に幸せになってこそ、人間の幸せである、それが本当の幸福ではないでしょう
先ほど「優越感と幸福感は違う」と言いました。 「優越感」では、快感を得るのは自分だけだからです。その気持ちよさに自分以外の人は入っていません。 また、「自分だけの幸せ」という言葉の組み合わせは矛盾していると言いました。どこが矛盾しているのか、もうお分かりですね。 人間の幸せとは、必ず自分以外の人が含まれているもの。だから「自分だけの幸せ」というものはありえないのです。 人間の幸せとは、「みんなが幸せだから、自分も
と感じるもの。私はそう考えてい
自分の快感だけを求める「ゴリラの幸せ」か、他人が幸せであることで自分も幸せを感じる「人間の幸せ」か。 その違いは抽象度が低いか高いかの違いです。抽象度が高いほど、自分→家族→友人→チーム→社会→国家→人類というように、視界に入る人の数が増えていき、幸せを考えるときに入ってくる他人の数も増えていきます。そして、その人の幸福のモノサシは、「たくさんの人を幸せにできるほど、自分の幸せも大きくなっていく」というものになり
このように「現状の外にゴール設定→新しいコンフォート・ゾーンを高い臨場感でイメージ→ホメオスタシスが変化→コンフォート・ゾーンがゴール側に移動→スコトーマがはずれる」をくり返すことで、最初は実現不可能と思われたようなゴールに向かって、着実に近づいていくことができるのです。これはアメリカで発展したコーチング理論では広く知られており、
達がことごとく経験していることです。日本でもコーチング理論の導入以降、多くの方から同様の報告を受けてい
小説世界に音や光や映像はありません。それでも人間は、「小説の文字情報だけで臨場感を感じる」のです。 つまり、物理的な手触りや光や音や匂いがなくても、本人の脳がリアルだと感じていれば、それがその人にとっての現実なのです。 現代認知科学でも、「リアル」とは「今、自分が臨場感を感じている世界」 という定義がなされてい
小説の世界も、映画の世界も、そしてあなたのイメージの世界も、そこに入り込んで臨場感を感じていれば、現実世界と変わらないといえ
むしろ、イメージの臨場感が高ければ、物理的現実世界がバーチャルで
イメージの世界の方が現実だといえるの
ですから、ゴールを達成するのに必要なコンフォート・ゾーンの世界を臨場感を持ってイメージするなら、あなたの脳はそのイメージの世界を現実だと判断します。そして新たなコンフォート・ゾーンのイメージに対してホメオスタシスのフィードバックを働かせ
武道の立ち合いでは、敵を前に(あるいは敵に囲まれて)、恐怖にかられて体がすくむと必ず負けます。生きるか死ぬかの立ち合いが行なわれていた時代、どんな状況でも恐怖を感じないことが、勝って生き延びるための必須条件でした。 相手を一瞬で殺傷できる技術を持つ者同士が闘う場合、恐怖を感じた方が殺されてしまうの
剣豪・宮本武蔵の肖像画を見たことがありますか? 両手に剣を持って立つ武蔵の姿は、体のどこにも力みがなく、
きって立ちながら、しかし気がみなぎっています。生きるか死ぬかの立ち合いでも、武蔵は静かな心でみじんの恐怖も感じなかったことが察せられます。 現代の日本においても、恐怖の感情を克服できるかどうかでゴールを実現できるか否かが変わってき
自分の未来は最高であると確信して生きている人にとっては、どんな過去の自分も、どんな困難にある現在の自分も、最高の自分になります。 たとえ失敗しても、くじけずにゴールに向かって進み続けるならば、将来、
達成したときには、「あのときの失敗があったから、今の成功がある」と振り返られるはずです。 成功する人の人生とはそういうものです。 最高の未来から振り返れば、「失敗」というものはありえません。 最高の未来のために、さまざまな出来事が必要だった、ということなのです。 ですから、失敗を恐れる必要はありませ
最高の未来のためには、どんな波瀾万丈もウェルカム。そう考えられる人がゴールを実現できます。
自己イメージが低い人は、いとも簡単に恐怖に支配されてしまいます。 「恐怖を感じるとすぐ取り乱してしまう情けない自分」がコンフォート・ゾーンになっています。 しかし、「心から望むゴールに向かっている自分」は、そんな情けない自分ではないはずです。 ゴール達成に向かって恐怖を克服し、トラブルを乗り越えていく自分であるはず
恐怖でクリアな頭を乱されている人は、「オレは何があってもビビらない」と自己イメージを高め、 「すべての感情を娯楽にする」 「ゴール達成に意味のある感情だけを自分に許可する」 というルールを自分に課してください。 このルールを課して実行すれば、恐怖の感情は消えます。恐怖は現代に生きるあなたに必要ないのです。あなたに必要のないものは、あなたが自分で消すと決意したら消え
いわゆる「IQが高い」という人は皆、抽象度が高く、知識があり、大きなゲシュタルトを持ってい
つまり、ゲシュタルトが大きければ、ちょっとした情報のインプットに対し、多様なアウトプットができるということ