211.道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔 佐々木 亨

私自身の考えで言えば、野球をやるんだったら、小さい頃はたとえ人数が少なくてものびのびと楽しめる田舎のほうがいいと思っています。田舎は、良く言えば朗らか、悪く言えばのんびりし過ぎている。ただ、子供の成長期を考えれば、ある程度の自由があってのびのび野球ができる田舎のほうがいいのかなって思うんです

 

佐々木監督は言う。 「たとえば160キロの球を投げるというイメージがそもそもなければ、絶対にそこまでたどり着かないものだと思います。できると思うから、そのために

 

本人に夢を与えたわけではなく、決していい加減な目標ではなく、計算上では『160キロが出る』と私は確信しました。そのためにも、本人の思考の在り方として、『雄星さんのようになりたい』という考えは持たないようにと大谷に言いました。『誰かみたいになりたい』という考えでは、その人を上回ることはできない。『超えたい』と思わなければダメなんだということを言い続けました」 《実際に成功した人の足跡をたどる以外に、確実に成功する方法はない》

 

大谷二年時の学校案内パンフレットにあったその言葉に噓はない。先人の歩みを敬い、その足跡を 辿ることが成功への近道である。ただその成功法に加えて、佐々木監督は大谷に新たな発想力を、先人を超えようとする姿勢と意識を植えつけようとしたのだ。大谷に秘められた可能性は誰よりもわかっていた。ただ、実際に高校時点で160キロを出したピッチャーはそれまでいなかった。だからこそ、「誰かみたいになりたい」と思うのではなく、憧れの領域を「超えたい」という意識がなければいけない。佐々木監督は 懇 々 と大谷にそう語り続け

 

「目標には、そもそも数字がないといけない。また、計画がセットされていないと目標とは言えないと思います。学生時代の私は、そのことをまったくわかっていませんでした。ただ、指導者として多くのことを学ぶなかで、人を伸ばす仕組みが少しずつわかっていきました。選手たちには数値や

 

といった具体的な目標を持たせ、それを達成するための計画を立てるように言い続けています。そこでは書く作業が大切です。書き記しておくことで改めて見直す作業もできます。目標を達成するためには『書くこと』は欠かせない手順だと思ってい

 

「器の大きさによって、木の大きさが変わることを、そのときに初めて知りました。そして、それは指導にも通ずるものがあると気づかされました。器を大きくしてあげれば、それ相応の大きさになる。『おまえはこれだけだ』と言って育てれば、それまでの選手にしか育たない、と。ある選手には段階を踏みながら、器の大きさを変えてあげることも必要だと感じまし

 

「どの競技をやっても、金メダルのレベルでしょうね。サッカーをやっても、190センチ以上あるフォワードとして世界でトップクラス。バスケットボールをやっていたらNBAへ行っていただろうし。陸上の100メートル走でもそう。日本人で初めて 10 秒を切ったのは、もしかしたら大谷くんだったかもしれない。あらゆるスポーツの日本の歴史上で彼はベストプレイヤーだと思っています。残念ながら日本の場合、年齢を重ねていけば野球なら野球しかできない環境がある。アメリカだと、高校時代、大学時代は二つの競技をやって両方のスポーツで刺激し合って、どちらかがとんでもなく飛び抜けていく。だいたい 18 歳から 20 歳ぐらいまでに一つの競技に絞っていくんですね。だから、とんでもない選手が出てくるんです。クレイトン・カー

 

ドジャース)もそうですし、この前亡くなってしまいましたがフィリーズなどで活躍したロイ・ハラデイだって、学生時代はバスケットボールの有名な選手でしたし、ヤンキースの強打者であるアーロン・ジャッジなんかは学生時代に野球、バスケットボール、アメリカンフットボールで、いずれも州の代表になっているんですよね。まさに真のアスリート。大谷くんもそのレベルですよ。当時から、それぐらい評価が高かっ

 

大谷に寄り添い、いつも耳を傾けてくれた両親は息子が出した結論を尊重した。父の徹さんは、高校時代のメジャー挑戦の表明を「翔平らしい」と語り、こう続ける。 「はじめはビックリしたというか、そんなことを真剣に考えていたんだなと思いましたね。ただ、翔平らしい決断だったと思います。私も他人と同じことをするのが嫌なほうなんですよ。こっちと言えば、違う方を向くところがありましてね。だから、翔平も私に似たところがあるのかなあと思うところもあって」

 

 大きな目標に向かって進む人生ってのも楽しそう。
それに比べていまの自分は目標がないなぁ。