203.コーチング 落合博満

 結果を残している人の考えていること、やっていることは本当に共通点が多い。

・潜在意識の活用

・孤独を楽しむ

・常識にとらわれない

・他人の目を気にしない

・嫌われることを恐れない

 

確かに、最近の若い選手に比べれば、私は質量ともに練習は積んだだろう。それを見ていて「あいつの練習は、正気のさたじゃない」とか「我々にはちょっと想像もつかないことをやっている」と言った人もいたが、私は自分に必要だからやっただけで、ほかの人が何と言おうと関係ないと思ってい

自分の中で何かを突き詰めている時は、3時間、4時間とやっても時間の感覚がなくなり、終わった時に「何だ、もうこんな時間になっていたのか」となる。一方、やり方を知らない人が何かに取り組む時は、1時間ですら長く感じて

イチローが、メジャー・リーグでもいい数字を残していることがいい例だ。彼の体格は、日本でさえ目立つほど大きくはない。だが、自分の野球を技術的にも精神的にも高めることに腐心し、満を持してアメリカへ渡っ

福岡ダイエー・ホークスに、斉藤和巳という本格派の投手がいる。 96 年にドラフト1位で入団したのだが、ファームでは完璧な投球をするものの、一軍で投げるとなかなか力が出せない。昨年は公式戦で5勝を挙げ、日本シリーズでも登板の機会を与えられたが、まだ一軍とファーム(二軍)をたり来たりしている。 こういう選手は、実力的にはファームのレベルではないから、結果が出ないからといってファームに落としてもダメだ。どうやったら実力を発揮できるのかを考えるのが指導者の仕事であり、自分のチームで伸び悩むようなら、トレードなどで環境を変えてやるしか

最も優秀なコーチこそ、 一軍ではなくファームに置き

一番悪いのは、プロ野球に例えれば「この戦力なのだから、うちはAクラス(3位以内)を狙う」などと言う指導者だ。そんな指導者は、ユニフォームを着る資格などない。ファンやメディアからどんなにバカにされようが、現実的には無理だとわかっていようが、「うちは優勝を狙います。それだけの戦力はある」と外に対して言えるのが、真の指導者なの

監督がAクラスに入ればいいと考えているようなチームは、間違っても優勝などできるわけがない。自分の腹の中では「優勝できるかも」と思っているのに、謙遜して「Aクラスでいい」などと言うのは、組織全体の雰囲気を停滞させることはあっても、活性化させることは

だからこそ、指導者は選手から能動性を引き出し、自分の野球に自分自身で責任を持てる選手に仕向けておくことが肝要だ。そのためには、練習の時から〝自分で考える習慣〟を身につけさせ

人間とは面白いもので、自分がいなくなったら、組織や仕事はうまく機能していかないのではないかと思っている。ある意味では、そうした思いが人間を支えているとも言えるだろ

しかし、実のところ何も変わらないのだ。そのことを寂しいと思うかもしれないが、世の中の仕組みとはそういうものだ。そのことを理解していれば、自分が組織を去ったり、職場を変わったりする時も必要以上に悩まなくて

現在の私についても「巨人を出る時に引退しておけば、もっと仕事があって、もっといい生活ができたのに」と言う人がたくさんいる。だが、私は〝落合博満〟という看板を持っているから、巨人の看板はいらない。巨人という看板がなくても生きていける。自分という看板を自分で作り上げれ

組織を去る時、職場を移る時にもそれを持っていけばいい。松下幸之助にしても本田宗一郎にしても、過去に立派な経営者と言われている人は、自分自身が看板だっ

政治家とは、ある意味では言葉を操って国民を洗脳する仕事だ。それで長年生きてきた人にしては、言葉の使い方があまりにも 杜撰

また、私は現役時代に「野球バカ」と言われることがあった。だが、奥深い野球の技術を追究している時に、そう言われるのは恥ずかしいことだとは感じなかった。「バカ」と言われるほど、何かひとつのことに打ち込める人、それも仕事においてそんな経験ができる人は、実はごくわずかだ。そうした境遇に自分もいるのなら、幸せなことだとさえ思ってい

「相手が一番困ることは何か」を考えるのは、勝負に勝つ条件のひとつ

ただ、プロ野球チームの場合は、一般企業と違って独立採算ではなく親会社がある。言葉は悪いが、親会社がしっかりしているところは、チームが赤字になってもいい。昔のロッテのように、赤字を出す部署があったほうがいいという考えでチームを持っているところもあった。覚えている人は少ないかもしれないが、日本ハムは、昔は徳島ハムという会社だった。それが今や、プロ野球チームを持ったおかげで業界トップの企業に成長し

それならば、選手は1円でも高く自分を売るべきではないかと考えた。そこで私は、自分という選手に自分で値段をつけ、それを球団が買ってくれるのかどうか──そういうスタイルで球団と契約交渉をすることにした。と言っても、非常識な金額を要求するわけではない。それでも私がつけた

高ければ、球団はトレードするなり、自由契約にすればいい。これで、選手と球団は対等な関係になるだろうと思った。 こうした考えのもとに、私は残りの現役

つまり、何度もタイトルを獲る人は、「獲らなければならない」と考えているのではなく、「自分が獲るものだ」と当然のごとく考えているのだ。メディアに対しては奥ゆかしく謙虚に、「結果がそうなった」と言ったかもしれないが、実際は、最初から自分が獲るものだと思ってやっているはず

日々わずかでも進歩していることが実感できれば、人間は目標を持てるはずだ。他人との比較対照ではなく、自分自身の目標に置き換えることが肝要である。

私が「伸びる子の共通点は?」と問われれば、「よく食べて体が丈夫なこと」と答える。これは、近年最も軽視されている部分だろう。とにかく食生活が悪すぎる。高いもの、うまいものを食べていれば、必ずしも食生活がいいということでは

穀類や豆類をはじめ、昔からの日本の食べ物は、最近の食生活では主役ではなくなってきた。だから、成人病のような変な病気が出てくる。こういうものをバランスよく 摂りさえすれば、強い体ができると言われている。だから、食べることにはもっと気を使ってもらわなければ

考えてみてほしい。せっかくプロ野球選手になり、高度な野球理論が理解できても、それを実行する体がなくては一流になれない。サラリーマンだって、どれだけ能力があっても不摂生をしていては実行力は半減してしまうだろう。睡眠も食事と同等に大切だが、やはり基本はここにあるの

プロ野球選手のみならず、スポーツ・アスリートにとってスランプはつきものだが、このスランプにも二通りある。技術的なものと精神的なものだ。技術的なスランプは、原因を見つけて改善すれば早く脱出することが

だが、精神的なスランプからは、なかなか抜け出すことができない。根本的な原因は、食事や睡眠のような基本的なことにあるのに、それ以外のところから原因を探してしまうからだ。そして、精神的なスランプと闘う状態がストレスに

サラリーマンでも、仕事が思い通りに進まない時などに「スランプ」を感じることはあるだろう。本来、スランプとは一流の人間にしか経験できないものなのだが スランプ論は後に書くとして、とにかく状態の悪さを実感したら、食事や睡眠を基本に考えて

いかに丈夫で強い体をつくるか。食べることと寝ることがしっかりできなければ、いい仕事などできるわけがない。これらを基本に考えていれば、イライラすることも少なくなるはずだし、ストレスも軽減できるだろう。

特に若い部下を預かる上司は、「食べること」と「寝ること」がいかに重要なことなのかを理解させなければならない。そして、自分自身にとっても、これがすべての基本であることを忘れないでほしい。

ここで最も大切なのは、自分の感性を働かせて目標(この場合は、山田さんを打つということ)に取り組み、ある程度の成果を挙げたことで、「自分にはできる」という気持ちが生まれたこと。つまり、自分で自分を洗脳した状態になっているの

自分に自信を持つというのは、どんなことに取り組む場合も必要だ。だが、その自信が裏づけのないものだと、壁にぶつかった時には消えてしまう。本当の自信とは、感性を研ぎ澄まし、自分で自分を洗脳することから

──現役を終えた今でも、私はそう考えている。

プロへ進むような野球選手なら、誰でもそんなことは理解している。ところが、なぜか冒険心や目先の欲に負けて、理解しているはずの〝しては

ない勝負〟をしてしまう。こうした状況は、一般社会でも経験したことのある人は多いのではない

では、なぜ横浜バッテリーは、わかっているリスクを負ってしまったのか。それは、以前にも同様のリスクを背負いながら、打者を打ち取るという結果に結びついた経験をしているからだろ

人間とは弱いもので、「してはいけない」とわかっている場面でも、「今回はうまく乗り切れるかもしれない」という冒険心に負けて勝負を急ぐ。だが、こうした場面では冷静な分析力を持って、リスクを回避する…

しかし、斎藤と谷繁はさすがに賢いバッテリーだった。2日後の 15 日の対戦でも、横浜の1点リードで9回裏を迎え、斎藤はリリーフのマウンドに立った。先頭打者は仁志である。だが、この時の対戦では外角のストレートを主体にした投球でセンターフライに打ち取り、後続も断ってチームを勝利に導いている。 2日前の失敗を教訓にして同じ過ちを繰り返…
ことだ。やはり人間とは弱いもので、ひとつの成功が自信になるのと同時に、それを導き出した失敗をいつしか忘れてしまう。だが、これでは同…

物事は、常に自分の思惑通りに進むとは限らない。だからこそ、どんな場面でも勝負を急いではいけない。1球で打ち取れる可能性があっても、じっくり攻めることだ。絶対にホームランを打たれてはいけない場面で、リスクを背負ってまでも「この1球で討ち取れるかもしれない」という攻め方はしてはならない。打たれてもヒットまでと考えて攻…

避けられるリスクを負うな。それが勝負の鉄則だ。気持ちのどこかにある冒険心は、ホームランを打たれても勝敗…

いい。大切なのは、常に自分の置かれた状況を的確に分析し、避けられるリスクを…

勝負事も仕事も、何らかの結果は出る。だが、その結果を前に「他の人はどう思っているのだろうか」と考えたり、仕事の過程において「もしうまくいかなかったら、自分はどう思われるのだろう」などと考える必要はない。それならば、自分自身でより高い目標設定をして、それを達成するためのプレッシャーを感じたほうがいい。そういう〝自分に跳ね返ってくるプレッシャー〟をかけるのであれば、仕事に取り組む意識も変わってくるだろ

私は、落合博満というプロ野球選手を〝欲の塊〟だと思っている。あらゆる面に欲深く取り組んでいたから、余分なプレッシャーを感じる暇などなかったのだ。

私の経験で言えば、一流のプロ野球選手になるためには、バッティングは人から教わってはいけない。自分自身で考え、感性を磨いて作り上げていくものだ。対して、プロの守備はプロの指導者から徹底的に教わらなければ身につかない。センスや感性よりも、基礎や反復練習が重要なのだ。これこそが、私の言う「慣れ」なのである。 サラリーマンにとって、書類や

自分で作ったマニュアルというものは、何かのきっかけで変えなければならないとか、マニュアル自体が通用しなくなる前に手を打ちたいということが、どこかで出てくる場合はあるだろう。だが、自分の仕事がまだ発展途上の段階にあったり、目標を達成するプロセスにいる時は、マニュアルの中身には手をつけないほうがいい。そのまま流れに任せていたほうが結果的にはいいし、余分なことをしないで済む。 「このマニュアルでやっていくのは、そろそろ限界かな」と感じた時に初めて変えても、まだ間に合う。ただ、完璧に使えなくなってから変えたのでは遅い。その微妙な差を自分自身で見極めることが大切だ。 私の場合は、 86 年にも続けて三冠王を獲得し、自分の

さて、自分のマニュアルを作り出すことは、それほど難しい作業ではない。自分のことは自分が一番よく知っているわけだから、性格、考え方、仕事の進め方などを考慮しながら練っていけばいい。どんな仕事でも、自分が積み重ねてきた経験の中で「こうすればうまくいく」、あるいは「こうしたら失敗する」というものがあるはずだ。それをしっかりまとめておいて、

的に自分の仕事のコツにする。経験を積めば積むほどコツは増えていく──つまり、マニュアルも確かなものになっていくはずだ。反対に、「ほかの人のマニュアルを作れ」と言われるほうがよほど困難だろう。ここがコーチングの難しさとも言える。

そもそも最近の若い人は、孤独でいられない傾向にある。自分の世界だけで生きているような人でも、孤独には耐えられず、常に誰かが周りにいないと落ち着か

常に頭を使って考えていれば、どんなことでも道は開けてくる。自分

探している答えは、必死になって見つけなければいけ

プロ野球選手だって、毎日のように考える。ホームランを打った試合のあとでも、「結果は良かったが、思い通りの打ち方はできていない。きっと、フォームのどこかが崩れているな」と分析しておけば、すっきりして次の日の試合に備えられる。翌朝のスポーツ紙には「会心の一発」と書かれているかもしれないが、本当はたまたまホームランになっただけなのだ。 結果が良かったから「ああ、気分が良い」と感じて眠ってしまう選手

ホームランを打っても自分のバッティングを考え、「明日はここを直さなければいけない」と自分なりに答えを出して、次の日に練習する選手とでは、経験を積んでいくほど大きな差がついて

常に自分のバッティングを考えている選手は、三振を喫しても「自分の状態は悪くない。この三振は意味があるんだ」と納得して眠ることができる。だが、そうでない選手は三振という結果に、ただ「悔しい、悔しい」と悶々としてしまい、寝つきが悪い夜を過ごすことになる。翌朝、目が覚めてもまだ「悔しい」だけでは、話になら

何事も、できるだけその日のうちに、ある程度の答えを出して、それを次の日に試してみればいい。ぶち当たった問題をその日のうちに処理し切れないと、それがだんだん積み重なっていく。そうなってしまうと、行き着く

は〝ヤケ酒〟か。グチや上司の悪口を言って、その時は気分爽快で家に帰っても、自分の中には何も残っていない。そのツケは、必ず自分自身に跳ね返ってくるの

まず一人目を見つけるのに、最も手っ取り早いのが結婚だ。ちなみに、私は一軍に定着して年俸をたくさんもらうようになってから結婚したわけではない。年俸360万円で、昼食は毎日カップラーメンという時からつき合って一緒になった。妻は、私のそんな時代も知っているから、今でも「水さえ飲めれば、何とか生きていくことはできる」と考えて