187.ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。 原田 まりる

誰だってより良く生きたいし、自分がより快適に生きるために、 蹴落とし合いが生まれることはごく自然なことなのだ。恥じることでもなんでもなく、ごくごく普通の 摂理 なのだ。 しかし、それにもかかわらず〝自己中なことは良くない〟という風潮がある。 私は、この風潮に不自然さを覚えるの


「不自然さを覚えるってどういうこと?」 「そうだな、つまりだな〝自己中ではいけないと思っている人が、多い方が都合がいい〟と考えた人たちによって、つくられた〝よい〟かもしれないということ


「それって、本当は自己中なことが悪いことではないのに、悪いとされていて、〝自己中なことは良くない〟っていう風潮は、つくられたものってこと?」 「そうだ、何が良くて、何が悪いかという基準は、あるようでないからな。 奴隷 を持つことが良いとされていた時代もあれば、戦争でより多くの人を 殺めることが正しいとされていた時代もある。 善悪 の基準は 普遍的 ではないのだ。 みんながいいと言っているものがよく思えてくるという経験はアリサにもあるのではない


「そうだ。習慣的に周囲に合わせていると、自分で考える能力を徐々に 衰えさせてしまうことにも 繋がるのだ。『すべての習慣は、我々の手先を器用にし、我々の才知を不器用にする』これ、メモしてもいい


「欲しかったものの価値を低く見るっていうのはどういうこと?」 「例えば、権威やお金だとわかりやすいぞ。権威やお金が欲しい。けれども、手に入りそうにない。 そういう場合に人はどうすると思う? 〝お金よりももっと価値のあるものがあるから、お金ばかり追い求めている人は愚かだ、お金を追い求めすぎない生き方がよいのだ〟と金持ちを見下しにかかるの


「そうだ。お金を追い求めている人は〝利己的な人〟だから、お金よりももっとよいものを追い求める〝非利己的な人〟を〝よい〟とすること

自分を慰めているのだ。 自分自身の人生が価値のないものだと、思いたくない。しかし、現実で価値があるとされているお金も権威もない。 だからこそ、自分の手の届くものに価値を見出し、よいとしているの


「達観しているというよりも、欲がありながらも、無欲であることの方が〝よい〟として我慢しながら、生きている人をイメージするといいだろう。 〝お金や成功を追い求める気持ち〟は汚れている、よくないと、思いこんで自分の欲望を押し殺し、〝お金や成功が手に入らなくても頑張っている自分〟に満足しようとする。一般的によいとされていることが当たり前だと思いこみ、疑問を持たずに、大衆に流される。


〝お金や成功を追い求めること、強いこと、利己的なこと〟が悪いとされ、〝お金に執着しないこと、弱いこと、自己中ではないこと〟をよいこととするのがルサンチマン的発想


「考えてもみろ、アリサ。人間が、生きることに執着し、より強者であろうとすることが、悪いこと、かっこわるいことで、弱者であること、非利己的であることがよいこととされている風潮は〝奴隷道徳〟なのだ」


「そうだ、例えばだ。人間は利己的な生き物だ。しかし、利己的な自分を悪いものだと否定しつづけると、どうなるだろ


「うーん、あんまりガツガツしちゃいけないというか、ガツガツしている自分をかっこわるいとも思ってしまうかな」 「ああ。生きることに執着する気持ち、自分自身の欲求を否定することになる。 〝こういう風に利己的に考える自分はだめだな〟とか〝欲張っちゃいけないな〟とか。人が利己的になるのは自然なことだ。 〝生存したい!〟という欲求は、生まれながら生物に備わっているものだ。教えられなくても、呼吸をしたり、ミルクを飲むことを我々は生まれながらにして知っているのだ。道徳に振り回されて、生きることや自分を否定する必要はないの


「まあ、何が言いたいかというと〝 永劫回帰〟を受け入れられるか、

られないかで大きく人は変わるということ


いまの私は毎日を楽しく生きたいけれど、なるべく苦労はしたくないというのが本音であった。

それは、いつのまにか、楽に生きることが目的になっているのであって、より喜びを感じる生き方というのとは違うということは、私も薄々わかっていた。 「いま


永劫回帰は、さっきも言ったとおり、時間が無限にあるのならば、同じことが繰り返されるということだ」


「羨ましいものや、妬ましいものを〝悪〟だと思うことで、自分のしていることは正しいんだ、善いことをしているんだ! と自分で自分を納得させるのが人間というものだ。 例えば〝金儲けばっかり考えているやつはだめだ、汚い〟と思う人間は、〝金儲けばかりを考えていない自分の考えは、人として正しい〟という主張の裏返しでもある。 〝ガツガツして人に配慮ないやつはクズだ〟と思う人間は、〝ガツガツせず、人のことも考えられる自分は、人として正しい〟という意見を持っているものだ。 人が何かを悪だと思う時には、悪の反対に、自分を置いている。


その事実にあまり気づいていなかったりする。 悪を決め付けることで、自分を正当化しているのだ。これは日常的に行われていること


例えば音楽の趣味もそうだ。 〝最近流行っているアーティストってダサいよな〟という人は〝流行りに流されない自分は利口でまとも〟だと考えているだろう。 何かを否定するということは、否定するものの反対にある〝自分〟を正しいと主張するひとつの手段でもあるからな。 何かを否定したり、何かを悪と決めつけることは、 自尊心 を高める行いでもあるの


自然界では、弱肉強食は当たり前のごくごく自然なことだが、人間界
強い者が生き残り、弱い者が朽ちることは理不尽だとされることがある。 〝弱い人の気持ちを考えろ〟だとか〝人としてそれはどうなのか〟とか。 弱者にも優しいのが人間界だ。 例えば、人間界では、人を傷つけることは悪いことだ。 しかし、自然界では弱者が強者に食われてしまうなど、日常茶飯事だ。 ではなぜ、人間界では人を傷つけてはいけないのか? 現代的に考えるとおそらく一番の要因は、人間が社会に参加しているからだ。 私たちは生まれた時から社会に参加している。社会に参加しているとは 秩序 やルールを保つことだ。秩序を保つと、メリットがある。秩序や

によって、安全が確保されるので、自然界のような弱肉強食とは一線を画すの


つまり、弱肉強食の世界にいるよりも、自分の身の安全を保つことが出来るのだ。 逆に言えば、自分の身の安全を保つためには、一人ひとりがルールを守らなければいけないということになる。 しかし、人間も生物である。生物には、〝力への意志〟がある。生物に限らず、自然界にある万物


「バカにする人は、自分の人生ではなく、他人の人生を妬むことに時間を費やしてしまっているのです。つまり『情熱をもって生きないと、自分の世界は妬みに支配されてしまう』と言えるでしょ


自分の人生ではなく、他人の人生を妬むことに時間を費やしてしまっている。情熱をもって生きないと、自分の人生は妬みに支配されて


つまり人間は、退屈をしのぐために欲望を持ち、欲望が満たされるとまた退屈になるという、いたちごっこから逃れられないの


「まあそうだな、例えば親が亡くなり莫大な遺産を相続したぼんぼんがいたとしよう。宝くじが当たったとかでもいいぞ。精神性が伴っていないと、たとえ大金が舞いこんできたとしてもすぐに使い切ってしまうだろう……そして、それには理由がある」 「理由があるんですか? どうしてですか?」 「精神の乏しさと、むなしさから起こる退屈によってだ。むなしさを埋めるために、短絡的な快楽を追い求めるのだ。酒の席や、虚栄心を埋める買い物に、泡のごとく消えていくといった感じ


「お金を上手に使うには、精神性が必要となってくる、ということですか」 「人間はわかりやすい外的なもの、つまり金や名声、贅沢品などを追い求めがちだが、精神性が伴っていないと結局それらによって身を滅ぼすこともある」 「身を


精神の乏しさは、外面的な貧しさを


「ああそうだ。それが先ほど話した〝実存は本質に先立つ〟といった意味だ。 道具は、理由あって、存在する。つまり、本質あって、実存するのだ。 しかし人間は違う。


理由があらかじめ用意されていて、存在しているのではない。まず、生きている、存在しているという事実があるのだ。 つまり理由が用意されていなくても、存在しているのが人間なのだ」 そう言うと、サルトルは再びパイプに火をつけ、ぷかぷかと煙を浮かべた。


「存在している、というのは、ただそこに偶然的に発生しているわけであって、必然ではないということだ」 「というのは?」 「つまり、必然的に存在しなければいけない理由などなく、ただ偶然に存在しているだけということだ。


しかし、人は〝生まれてきたのには何か意味があるはずだ〟、〝人には天命がある〟などと信じたがる。 こういった思想は、すべて 欺瞞 でしかないと私は考えるのだ」 「欺瞞……ですか」 「そうだ。生まれてきたことに理由がある。人には天命がある。そう思いこめば楽だろう。自分には存在理由があると、思いこめるからな。 しかし、私からしてみると、そういった必然性を信じるということは欺瞞であり、現実逃避でしかない。 人が本質……つまり生きている理由、存在している理由を持たないということは、人は何ものでもなく、自由な存在であると


「人は、よりよく死ぬということを 念頭 に置くと、生きることに 執着心 が湧いてくるものです。 しかし逆に、よりよく生きなければ! という 強迫観念 にとらわれすぎると、死んだ方が楽なのではないかという気持ちになることもあります」 「ああなんかそれわかります。気が病んでしまう時とか、たしかにそうかもしれません」 「はい、人が死ぬ方がいいのではないかと考える時は、〝現状よりもっと良く生きないといけない〟といった理想や強迫観念が心の奥にある場合がほとんどでしょう。


「そうですね、人は一人では生きていけないけど、人を蹴落として生きて


という矛盾も抱えているんです。他人を蹴落としてやろうと、 意図的 でなくてもね。 一人が好きな人もいますが、事実として人は他人と共に存在しています。他人がいるからこそ、自分という存在も認識できます。 僕が思うのは、他人と共にある世界の中で、自分の得のためだけに争うのではなく、他人との 共存 を 前提 とした〝愛しながらの闘争〟を心がけるべきだと、思うの


「そうだね。『愛はこの世における静かな 建設』です。互いの孤独を癒しながら、少しずつ育まれていきます。 しかし憎しみは、自己主義へと人を 没落 させます。自分のことだけを考えて、自分の権利を主張することは出来るけれど、僕たちが生きて行く


心を深く打つような感動は、人と人の間の実存的交わりによって得られるんじゃないでしょう

 

 漫画だと思って購入したが、漫画じゃなかった。無駄な話が多く、内容がわかりにくかった。