166.未来に先回りする思考法 佐藤航陽

未来に先回りすることができる0・1%の人たちを調べていくと、99・9%の人とはまったく違った思考法を用いて、未来を見通していることがわかりました。両者を分けているのは、パターンを認識する能力です。彼らは総じてテクノロジーに理解が深く、経済、人の感情などの複数の要素を把握し、社会が変化するパターンを見抜くことに長けていました


今、社会の変化のスピードは過去最も速くなり、そしてなお加速し続けて

います。テクノロジーには、「一つの発明が次々に他の発明を誘発し、結果として変化のスピードが雪だるま式に加速していく」という性質があるためです。 コンピュータの発明がインターネットを生み、インターネットがスマホを生み、ウェアラブルバイスを生み、人工知能を発達させました。そして、その間隔は、必然的にどんどん短くなってきています


しかし、もしも社会が進化するパターンを見抜いていれば、状況が変わっても未来を見通すことが可能になります。そのための汎用的な思考体系をお伝えするのが本書のテーマです。  


長期的にみれば、人間が想像できるようなアイデアは、そのほとんどが実現されます。結局、アイデア自体は、将来における「点」なのです。そのときは突拍子もないように思えても、時間の経過とともに、技術面や価格面でのブレイクスルーによってピースが埋まっていき、いつかどこかで進化の「線」に取り込まれます。問題はそのタイミングがいつかということです。 多くの人がこのタイミングを見誤るということ自体もまた、歴史に通底するパターンのひとつなのです。  


実は、テクノロジーを「点」ではなく「線」で捉えている人たちにとっては、どの事業を足がかりにするかという「道」はそれぞれ違えど、その「目的地」はほぼ同じです。 GoogleAmazonFacebookなどの巨大IT企業の創業者たちが考える未来像は、驚くほど酷似しています。AppleGoogleが揃って自動運転車やスマートカーに参入し、GoogleAmazonが宇宙産業においてしのぎを削っていることは、ある意味では偶然ではありません


私も、いつも社員には競合のことを意識しすぎる必要はないという話をしています。同じ場所を目指して登っていれば、意識しようがしまいが、いつかは競争することになるからです。その意味では、すべての企業は最終的には競争することを運命づけられています。  


この観点から見れば、たまに耳にするウェアラブルバイスが流行るかどうかといった議論はあまり本質的な話ではありません。重要なのは、いつのタイミングで本格的に普及するのかです。 現実世界では複数の要素がからみ合って相互に影響を及ぼしながら進んでいます。そのため、タイミングを読み切るのは簡単ではありません。


タイミングが早すぎれば、コスト、技術、品質、倫理などの面で社会に受け入れられることはなく、逆に遅すぎれば成果はすべて他人に持っていかれてしまいます。 未来の方向性が予測できることは、あくまで最低条件です。さらに一歩進み、タイミングをどう見通して先回りするかについては、第4章で詳しく触れます


中央銀行も国家の通貨の供給量をコントロールするハブですし、学校もまた親の代わりに子どもに教育をするハブ、企業は株主の代わりに資本を増やすためのハブです。   情報の伝達コストが高く、スピードが遅かったために、様々なハブをつくり代理人を立てて「伝言ゲーム」をしていたのが近代の基本構造です。必然的に、ハブの中心には権力が集中するようになります。 実は今私たちが生きている社会も、多くはまだ「情報の非対称性」を前提に運営されています


も、少しずつそちらに引っ張られていきます。これから30年かけて、社会はハブを通さずに個々のネットワークがつながる分散型へと変容していきますし、すでにその一部は実現しつつあります


これまでつながっていなかったノード同士が相互に結びつくことで、情報のハブであった代理人の力が徐々に失われていくというのが、これからの社会システムの変化を見通すうえでの重要な原理原則です


企業は、クラウドソーシングなどを活用すれば、大量の労働力を自社内で抱え込む必要はもはやありません。世界中のリソースをリアルタイムで必要な分だけ調達し、企業としては小さなまま、膨大な量の仕事をこなすことができます。すでにアプリ開発においては、運営企業は数名しかいないのに開発に関わった人たちは100人以上というケースもめずらしくありません。現在、クラウドソーシングの最大手oDeskでは、世界で600万人に近いフリーランスの人たちがオンライン上で仕事を完結させています


より効率的でよりスピーディに資本を増やしていく方法を探していくと、経済の中心は農業や工業から、金融や情報通信などの非物質的な分野に移っていくのが必然的な「流れ」です。水が高いところから低いところに流れる

ように、資本の高速増殖という原理に従い、産業はその中心を移行してきました。そして、その「流れ」が見えていれば、今後の方向性もある程度予想可能です


インターネットや金融といった地理的な要素に縛られない産業が経済の中心になるほど、領土という要素の重要性は下がっていきます


国家の予算に換算するとすでに20位付近に食い込む勢いのAppleをはじめ、経済的な影響力だけ見れば、GoogleAmazonFacebookといった巨大企業はいまや小国を上回る規模になっています。今、上位の先進国が警戒するのは、隣の小国ではありません。場所を選ばずビジネスができるグローバルIT企業なのです


政府が得意な分野は政府がやり、企業が得意な分野は企業に任せる。国家と企業は競合になる一方で、互いの境界線はいまや融解し、共生関係を構築するようになりつつあります。「国家の企業化」と「企業の国家化」の両方が、現在進行形で進んでいるのです

 

こういった電子マネーの流通が増えてくれば、ますます実体経済での取引量と名目上の通貨の流通量が一致しなくなってくるでしょう。経済規模が縮小しているように見えて、実はバーチャル経済に中心が移動していただけだったという世界も、その実現が近づきつつあります


社会起業家」という言葉が普及してきたのもこの流れのひとつです。これまでは政治の領域で解決されていた問題を、起業家がビジネスの領域で解決しようとする試みが、最近増えてきています。 分散型の時代においては、選挙や議会すらも中抜きの対象になりえます。政治の世界に入るよりも、機動性も柔軟性も高いビジネスの世界で勝負した方が、結果的に、早く問題を解決できるかもしれません


証券化がさらに進んで「証券を証券化する」手法まで開発されると、もう実体経済の消費とは関係ないところで、資本だけがぐるぐると回り続け、増殖し続けるようになります。 なぜ、資本は回り続けることによって増殖するのでしょうか。たとえば、銀行が年1%の利率で貨幣を預かり、それを年5%の利息で企業に貸し出したとしましょう。企業は、使わなかった分の資金を銀行に預けておくことになります。銀行はさらにその預金を年5%の利息で貸し出しを行うことがで

きます。このように、銀行は預金と貸し出しを連鎖的に繰り返すことで、実態としての資本は増えていなくとも、名目上の資本を増やしていくことができます。これは、一般的に「信用創造」と呼ばれています


私たちは、価値を最大化しておけば、好きなタイミングで他の価値と交換ができるという今までにない社会で暮らしているのです


WhatsAppはそのデータの価値を現実世界の「資本」に転換しようとしていないだけで、簡単なシステムさえつくれば、あとはいつでもその価値を資本に変えられます。実際、Facebookの20兆円近い時価総額にしても、売上などの資本的価値ではなく、世界12億人のソーシャルグラフという別の「価値」に支えられているのです。   Googleも同じです。Google時価総額は約40兆円で、これは日本の全IT企業の時価総額を合計してもまだ足りないほどの大きな数字です。しかし、その2013年度の売上は5兆円・利益は1兆円ですから、それぞれ

Googleより大きい数字を持つ会社は日本にもあります。それなのに、なぜ、Googleにだけ40兆円という高い時価総額がつくのでしょうか


Googleは、検索エンジンAndroidYouTubeで得られる情報をすべてデータとして蓄積していて、それをAdwordsの広告システムでいつでも好きなときに売上、つまり資本に転換する手段を持っています。 しかし、現在の会計基準では情報(サーバー上のログ)を資産として計上することはできません。Googleの本当の意味での資産は財務諸表には載せられないのです。


財務諸表という、すべてがデータ化される時代の前につくられた指標だけでは、すでに正確な企業の価値を測れなくなりつつあります。データを扱う

企業にとっては、情報=価値なのです


不動産会社は不動産を、証券会社は証券という資産を扱う企業体ですが、IT企業にとっての資産とは情報です。しかし現在の会計では不動車や証券は資産に計上されますが、情報は計上できません。これが、財務諸表上からは理解できないほど高い時価総額が企業につく理由です


すべての価格が無料に近づき、企業が自社の拡大のためにインフラを提供する傾向が進行していくと、産業革命以後に確立された、「労働をし、資本を手に入れ、生活する」という図式が崩れてくることが予想されます。ベーシック・インカムによって最低限の生活が保障されるようになると、生活をするための労働はもはや必要ありません。 時代とともに、常に「何が当たり前か」は移り変わっていきます。 何世代も後に生まれる人たちが「何世代も前の人は、なぜ人生のほとんどをやりたくもない労働に捧げていたんだろう」と疑問に思う日も、いつかくるのかもしれません。  


最初の数週間、高い効果を上げたのは、経験が武器のマーケティング担当者でした。しかし、2カ月以上経つと、システムが自動で配信したほうが圧倒的に費用対効果が高くなってしまいました。 システムは、初期こそ知見もない中で不適切なユーザーに広告をどんどん配信していたものの、何百万人とトライアンドエラーを繰り返してゼロからパターンを学習し、ついには人間より圧倒的に高いパフォーマンスを挙げるようになりました。 配信される規模が大きくなるほど精度が下がる人間に比べ、システムは


扱うデータが膨大であればあるほどパーソナライズの精度が上がっていきます。 私は、実験が終わった後に、システムがどんなターゲティングをしていたのかを振り返ってみることにしました。すると、驚いたことに、私はなぜそのターゲティングが有効だったのか、まったく理解できませんでした。なぜこの属性の人たちにこの広告を見せると効果的なのかという構造が、直感的に理解できなかったのです。システムは膨大なデータを学習していくことで、私たちには因果関係がわからないようなパターンさえ認識できてしまっていたのでした


不確実性とリスクの本質を分析した『ブラック・スワン』の著書ナシーム・ニコラス・タレブは、投資について、資金の85~90%を確実性の高いものに投資し、残りの10~15%はあえて投機的な、不確実性の高いものに投資してバランスを取れと語っています。このGoogleの20%ルールも、「人間に不確実性は制御できない」という同じ価値観のもとに設計されています。


将来的にはこういった不確実性までもがアルゴリズムに組み込まれたパーソナライズが誕生し、この問題は解消されるかもしれません。ただ、現時点ではシステムが過去の情報から導き出す「合理的」な答えが、長期的にみれば必ずしも合理的ではないということは、知っておく必要があります。  


現在のインターネットの利用者は27億人といわれており、まだ世界中の50億人がネットに接続される余地があります。今後、インターネットは家、ビル、自動車など社会の隅々にまで接続されていきます。将来の社会において、それらの情報が不正に乗っ取られた場合、その脅威は計り知れません


たとえば、自動車や飛行機が自動で操縦されるようになると、そのメインシステムを乗っ取るだけでテロ活動が簡単にできてしまいます。これまでのように、武装集団が物理的に飛行機や自動車を乗っ取る必要はありません


世界中どこにいても、コンピュータひとつでテロ活動が可能になります。 近年のウィキリークスやスノーデンの内部情報のリークなどをみても、情報セキュリティはすでに国家の安全保障に関わる重要事項としてその存在感をより高めつつあります。各国は兵器ではなくコンピュータを使って、日々まさに「情報戦」を繰り広げているのです。 テクノロジーの拡張の範囲が社会全体に拡がっていけばいくほど、社会に対するネガティブな影響力もまた拡がっています


進化は「必要性」によって生み出されるとすれば、最も強い「必要性」は生存欲求です。生死がかかっている戦争では、最も強い「必要性」が発生し、結果的に技術は飛躍的に進歩します


競争が前提として成り立つ現在の先進国の資本主義社会では、勝者と敗者

は必ず生まれてしまいます。資本主義社会において、資本は平等に配られるわけではありません。むしろ、資本は偏在する性質があります。そのため上位2割のプレイヤーが8割を独占し、その他の8割がおこぼれの2割(場合によってはそれ以下)を拾うという勝者総取りの構造になってしまいます。 これは、経済のような成長するネットワークには必ず見られる特徴です。人間は、売買などの経済活動をする際に、最も古くて実績のある存在を選ぶ傾向があります。そうして選択された対象は、その実績によりさらに信頼性を高めて、多くの支持を獲得し……と雪だるま式に成長していきます。こうしたプロセスが、経済に「偏り」を発生させます。ご興味のある方はアルバート=ラズロ・バラバシの『新ネットワーク思考』を、ご一読されることをおすすめします。  


資本は資本のあるところに集まる性質があり、一度大きな資本をつくることができればそれを維持するのは難しいことではありません。利子収入だけで生活している人などは、まさにその典型です。資本のある家庭は、子どもに高い水準の教育を受けさせることができます。そうして育った子どもは通常の人よりも多くの職業的な選択肢を得られる可能性が高いですから、経済的に上位層に入る確率も極めて高くなります


現代の資本主義社会では、封建社会のような形での理不尽は少なくなったといえるでしょう。しかし、根本的には封建社会も現代も構造そのものは同じです。封建社会における「身分」は、資本主義社会では「資本」にすり変わっただけで、理不尽はなくなっていないともいえるのです。  


現代の資本主義社会は競争を前提としてつくられていますから、勝者と敗者は必然的に生まれます。本来、宗教とは、そういった既存の枠組みの中では報われない人にとってのソリューションとなるはずのものでした。 一点だけ昔と違うのは、それは現代の先進国に生きる人々が、全体的な傾向として、非科学的なものを信じづらくなってきていることです


以前は、人間にとって理解不可能なことはすべて神か悪魔の仕業とされて

いました。しかし、科学の誕生により、人間は理解不可能なこの世界を理解可能な場所にするための手段を得ました。結果として科学は、理解不可能なものを「神や悪魔の仕業」として受け入れづらくする副作用ももたらしました。 その点で、宗教は現代では既存の枠組みの中で報われない人のソリューションにはなれません。既存の社会システムの中では報われず、かといって信仰も持てないという人は、今後も増えてくるだろうことが予想されます


テクノロジーは宗教そのものにはなれません。しかし、ある意味では、かつての宗教に近い役割を担いはじめています。  


ビジネス書ではよく効率化のノウハウや、ライフハック的なテクニックが

紹介されています。しかし、本当に大きな成果を上げたいのであれば、真っ先に考えなければいけないのは今の自分が進んでいる道は「そもそも本当に進むべき道なのかどうか」です


いくら現状の効率化を突き詰めていっても、得られる効果はせいぜい2~3倍が限度です。あなたがもし10倍や100倍の成果を得たいのであれば、今自分が取り組んでいる活動そのものを見直す必要があります。 自転車をどれだけ改造して整備しても、宇宙に出ることは永遠にできません。どれだけ早くペダルをこいでも、自転車は構造上空に浮くことは絶対にありません。もし月に行きたいのであれば、まず今乗っている自転車から降りる必要があるのです。


テクノロジーの進化があるシステムを時代遅れにしてしまうことがあるように、時代の急速な変化によって、かつて自分が選んだ道が最適解ではなくなっているということはたびたび起こります


短期間で大きな企業をつくりあげた企業経営者に会うと、意外な共通点があることに気付きます。実は、彼らが、コミュニケーション能力が高く、リーダーシップや人望にあふれるスーパービジネスマンであることは稀です。


そのかわり、彼らが共通して持っているのが「世の中の流れを読み、今どの場所にいるのが最も有利なのかを適切に察知する能力」です


近代以前、世の中の変化は速くありませんでしたから、同じ方法を採り続けても問題はありませんでした。一生を通して人間のやる仕事は変わりませんでしたし、場合によっては何世代も同じこともありました。 しかし現代では、私たちのライフスタイルは、生きているうちに何度も変わります。かつての時代のように、今までやってきたことをこれからもや

続けることは、リスクが高いのです。常に世の中の変化に目を配り、自分が今やっている活動がその変化と合致しているかをチェックしなければいけない時代に、私たちは生きています


たとえば、リーマンショックによってすべてを失ってしまった投資会社も、経営のリソースをより高収益なサブプライムローンに集中させたこと自体は、当時においては合理的な判断だったでしょう。今、その選択を愚かだと非難することは簡単です。しかし、それを事前に指摘できた人はほとんどいなかったのです。 ロジックと結果は明らかに連動していないのに、すべての意思決定は常にロジックに依存して動いているというジレンマは、様々な形で見られます


ポール・グレアムという投資家は、この矛盾を突いてベンチャーキャピタルの世界で成功を収めました。 AirbnbDropboxのような1兆円規模のメガベンチャーへ出資する投資家でもあり、Y Combinatorの創業者でもあるグレアムは、自著で「どのスタートアップが大成功するかなんて誰…

グレアムは自身の主観的な判断を信用しません。起業家の持つ様々な素質を数値化し、一定の基準を超えたスタートアップには等しく投資を実行するというルールを設け、これまで大きな成功を収めてきました。 普通、投資は自分がうまくいくと確信した事業に対してのみ行います。投資家というのは先見の明に自信がある賢い人がなるものですから、なおさらです。しかし、グレアムは「将来を正確に予想することは誰にもできない」という前提に立ち、…

一方で、長年の勘と経験をもとに、事業計画の妥当性と…

得いくまで議論して 「合理的」に投資決定をする多くの人が、グレアムのリターンに届かないのは、また何とも「あべこべ」な話です。   ITや株式投資など、物理的な制約を受けにくいビジネスは、上位1%が全体の99%の利益を稼ぎだすなど、強い非対称性を持つ傾向…

何か目標を立てるとき、人間はその時点での自分の能力や知識を判断材料にして、自分がどこまで到達できそうかを試算します。「ああ、あそこまでならいけそうだな」と。 ただ、取り組んでいるうちにその人の知識だったり能力だったり、様々なパラメータ(変数)はアップデートされていきます。やる前にはわからなかったことがわかり、新しい知識を学び、頭をひねって工夫しているうちに新

しい能力が身についたりします。結果として、自分が当初考えていたことよりも多くのことができるようになっていた、というのはよくあることです。 逆にいえば、現在の認識でできそうに見えることは、将来の自分にとっては楽勝でできる可能性が高いのです。今できそうに思えることをし続けることは、大きな機会損失ともいえます。もっと高い目標を設定していれば、もっと遠くまで行けたのですから。 時間の経過とともに自分の認識がアップデートされると仮定すれば、現時点で「できなさそうに思えること」とは「本当にできないこと」ではありません。むしろ、できるかできないかを悩むようなことはすでに「できることの射程圏内」に入っていると考えた方がよいでしょう


当時、世界中の余剰資金がアジアを目指して移動してくる気配がありました。今後英語と中国語の両方が使える金融センターである香港かシンガポールに資金も人も集まってくる。香港は、中国に近すぎるという政治リスクもあるだろう。そう考えた私は、近い将来、シンガポールにこの余剰資金が集まると読んで、そうなる前に先回りすることにしました。 もちろんその時点ですでに大きな盛り上がりを見せていたシリコンバレーにひかれる気持ちもなかったわけではありません。しかし、自分の納得感よりもパターンから考えて得られた回答を優先し、決断しました


もし何か新しいことをはじめるのであれば、ルールメーカーがまだ存在していない領域を選ぶことをおすすめします。当時のシリコンバレーのように、すでに多くの人から名指しされるようなフィールドにこれから飛びこむようでは、アクションが一歩遅れている可能性があります


私たちのサービスが成功した要因は、がむしゃらな努力でも画期的なイノベーションでもありません。私たちはただ、波がくる少し前に未来に先回りして待ち受けていただけです。結果として、大きな波に押し上げられるような形で、ビジネスは拡大していきました。   世の中の変化には一定のパターンが存在します。一見ランダムに動いているような市場の変化も、一定の進化のメカニズムに則っています。その意味において、現在は過去の焼き増しであることが多いのです。  この体験から適切なタイミングで適切な場所に居ることの重要性を深く


えるようになりました。もちろん、事業を成功させるためにはある程度の実務能力は必要です。しかし、事業がどこまで巨大になるかどうかは、つかんだ波の大きさに依存します。人間には波自体をコントロールすることはできませんが、テクノロジーのパターンをつかめればその波も意識的に捉えることができるようになるのです


本当に重要なのは、自分自身のそのときの認識ではなく、進化のパターンから導き出される未来の方に賭けられるかどうかです。9割の人がその未来


を予見できたタイミングで意思決定をしても手遅れです。誰の目にもわかってしまえば、チャンスはチャンスではなくなります


リアルタイムの状況を見ると自分も含めて誰もがそうは思えないのだけれど、原理を突き詰めていくと必ずそうなるだろうという未来にこそ、投資をする必要があります。あなた自身がそう感じられないということは、競合もまたそう感じられないからです


私も起業して以来10以上の新規事業を立ち上げてきましたが、うまくいったものとうまくいかなかったものにはそれぞれある傾向がありました。自分も他人もうまくいくと考えていた事業は失敗し、自分も含め全員が半信半疑である事業は成功したのです。  他社で巨大なサービスを作ったプロデューサーや経営者に立ち上げ当時の話を聞いてまわったところ、驚くことにみな口々に同じことを語りました。どのサービスも立ち上げ当初は誰も注目していなく、社内も社外もうまくいくと思っている人間はいなかったのだと。  


ビジネスは全体の1%しかうまくいきません。必然的に、成功する事業というのは世の中の少数派から生まれなければならないはずです。多数派が考えるアイデアで勝利を収めるのは、簡単ではありません。大企業には頭の良い人が何万人もいますから、彼らが考えついて実行するようなアイデアには、チャンスの隙間はないといえるでしょう。逆に自分すら半信半疑なアイデアは他人にとってはまったく理解不能ですから、他人との競争に巻き込まれずにマイペースに進めることができます


周囲の人にもチャンスとわかるようなタイミングでは遅いのです。自分でも成功確率が五分五分というタイミングが、本当の意味でのチャンスです


周りの人たちが一度話しただけで理解できるようだったら、考え直してく

ださい。逆に、首をかしげられたり、うまくいかなさそうだと否定的なリアクションをしてきたようなら、そこにこそチャンスはあります


その意味では、イノベーターとは、まったくゼロから新しいものを創造する人たちではなく、少し先の未来を見通して先回りができる人たちなのだといえるのかもしれません。 誰がいつ実現するかは最後までわかりません。しかし、何が起きるかについては、おおよその流れはすでに決まっています。人が未来をつくるのではなく、未来のほうが誰かに変えられるのを待っているのです。適切なタイミ

ングでリソースを揃えた人間が、その成果を手にします


国や時代も超えて共通する進化の原理には、個人が好きに変えられるほどの自由度はありません。そして、社会で生きる限り、その法則性から誰も逃れることはできません。魚は川の流れに逆らって泳ぐことはできますが、川の流れそのものを逆流させることはできないのと同じことです。川の大きさに対して、魚である自分がやれることの少なさを感じて、一時期、私はとても落ち込んだことがありました。自分の存在する意義がないように思えたからです。 ただ、それでもしいて自分が存在している意味を求めるとすれば、それは「来たるべき未来の到来をできるかぎり早めること」にあるのではないかと、私は思っています。  


イノベーションのジレンマ」という有名な理論があります。これは、マ

ーケットリーダーが、その優位な立場にいるがゆえに、次の新しいパラダイムへの対応が遅れる現象のことを指します。ビジネスマンであれば、その理論自体は多くの人が知っているでしょう。ひとたびネットでニュースを開けば、ジレンマに変化に対応できなかった企業を揶揄するコメントはいくらでもあふれています。 しかし、私が実際にこのジレンマの難しさがわかったのは、自分がその立場に立ってみてからでした。情報を知っているだけの段階の私は、今思えば単に「わかっている気になっている」だけにすぎなかったのです。 ガラケーからスマホへ、国内から世界へ、こういった判断をする際に現在の優位を捨てなければならないタイミングは無数にやってきます。自社の優位性を捨てることの恐ろしさ、難しさは、自分で経験し、リスクをとって


の壁を乗りこえないと決してわかりません。本で読んで得た知識が実体の半分にも満たなかったことに、私はそのとき、身をもって気付きました


知識は、得た瞬間に陳腐化をはじめます。また、知識を詰め込んで記憶することの価値も、ネットのおかげでどんどん薄れています。 これからの時代を生き残るためには、変化の風向きを読み、先回りする感覚が常に必要です。そして、その方法は検索しても出てきません。 変化を察知し、誰よりも早く新しい世の中のパターンを認識して、現実への最適化を繰り返しましょう。そのために必要なのは行動すること、行動を通して現実を理解することだけです。本書が、読者の皆さんの行動を促す存在となることを願っています