123.「21世紀の資本論」の問題点 苫米地英人

700ページの本を数行で要約するということを、無謀を承知の上でやってみますとこうなります。 「20ヵ国以上におよぶ主要な国々の『所得と資産』の関係を過去200年にもわたる資料で調べた結果、資本収益率は常に経済成長率を上回ることがわ
かった。これは、資本主義そのものに経済的格差が広がる要因が内包されていることを意味する。経済的格差を是正するには、資産への累進課税が必要であり、しかもグローバルに課税しなければ意味がない。


ピケティによると、資本収益率は平均4%から5%なのに対して、経済成長率は平均1%から2%。資本を持つ富裕層が資本を使って投資すれば、平均4〜5%の収益が得られるが、資本を持たない者が労働によって稼いでも、その成長率は平均1〜2%なので、このまま何の政策も打たずに市場に任せておけば、資本を持つ資本家と資本を持たない労働者との経済格差はどんどん広がっていくことになるというわけです。 


また、ピケティは、やがて中産階級が緩やかに消滅する(没落して、貧困層になる)と言っています。  格差の拡大とは中産階級の消滅を意味するということなのです


ピケティが『21世紀の資本論』で述べている最大のポイントは、歴史的資料を検証した結果、「『r>g』が常に成り立つ」という点です。  すでに述べたように、rは資本収益率、gは経済成長率です。  つまり、「資本を使って投資をしたときの収益率の方が、労働によって得られる賃金の上昇率よりも上回る」ということです。  さらに単純化して言えば、資本主義のもとでは「投資ができる人ほと裕福になりやすい」=「お金持ちはさらにお金持ちに、貧困層はさらに貧困にな
る」ことがわかったと言っています。  このことを「証明できた」と言ったところ、その本がアメリカで爆発的なヒットをしたわけです。  さて、この結論、この主張は、それほど熱狂的に指示されるほどすごい発見なのでしょうか。  少なくとも私には、あまりにも当たり前のことに感じられます


そもそも資本主義とは、資本を投資することによって社会の富を増やしていくシステムを言います。  労働による収益率よりも資本による収益率の方が上回るのは、あまりにも当たり前です。  


儲けている人から税という形で無理やり財産を取り上げて貧しい人に配るという単純なやり方では、その瞬間は多くの人が喜ぶように見えても、長い目で見ると社会全体の損失となりますから、結局は誰も喜ばない方法論となってしまうのです


100万円の自己資金に10倍のレバレッジを掛けているということは、900万円分は事実上、借金と同じです。 


自己資金100万円の人が900万円借金をすれば、差し引き800万円の負債を負っていることになります。  800万円の負債を負っている人に100万円分の課税をするというのは、ちょっと論理的に無理があるでしょう。  つまり、レバレッジを使って金融投資をしている人(=ほぼすべての金融投資家)の資本に課税することは、事実上、不可能なのです。  ピケティの提案が仮に効果的なものだったとしても、残念ながら机上の空論以外の何物でもないということです


ピケティは数字が合わない理由を「投資家が資本をタックスヘイブンに逃がしているから」だと解釈しています。  もちろん、それもあるかもしれませんが、金融投資をしている投資家にとって、資本というのは企業における労働力と同じです。  投資に回さなければ何の利益も産まないのです。  投資家がタックスヘイブンに逃がしているお金は、投資されていないお金ですから、利益を産みません。 


仕事をせずにバカンスを楽しんでいる社員のようなもので、そんな社員が大量にいたら、企業はあっという間に潰れます。  資本という貴重な戦力を、タックスヘイブンなどで大量に遊ばせているはずがありません。  タックスヘイブンに逃がしているお金など、彼らにとってはそもそも微々たるものなので、ピケティが目くじらを立てて「数字が合わない」などと言うほどのお金は眠っていません


投資家はタックスヘイブンに置いておくお金があったら、少しでも投資に回そうとするはずだというごく当たり前のことに気付くだけで、計算が合わない理由がすぐに思いつくと思うのですが、どうやらそこには気付かなか
たようです


格差社会の拡大は貧困層ばかりでなく、富裕層にとっても必ずしもいいこととは言えません。  例えば、確実に治安が悪化します。  人は仮想空間ではなく、現実の物理空間で暮らしていますから、その現実の物理空間で治安の悪化が起これば、富裕層であってもその影響は小さくありません