121.思うままに夢が叶う 超瞑想法 苫米地英人

最近の研究では、癌患者の脳の傷と身体にできる癌細胞の間にも相関関係があるという説が発表されています。つまり、患者が精神的なショックを受けた(情報空間のバグ)結果、脳神経に傷ができ、その脳の部位と関係のある身体部位に、癌が発生するということが論文で報告されているのです。  もちろん、その逆もあります。癌に苦しんでいる人が「癌は治った!」と強くイメージすることで、その人の情報空間が書き換えられ、結果、物理空間の原書である癌細胞がなくなることもありうるのです


十法界瞑想では、瞑想空間の中で餓鬼になった自分、人間になった自分、菩薩になった自分、仏陀になった自分などを瞑想しながら、 「自分の中には餓鬼もいれば、仏陀もいること」 「自分の中にあらゆる可能性が存在していること」 「その可能性の中から、自分が『何を選ぶか』によって、自分という存在が決まること」  をしっかり認識し、最終的に「じゃあ、自分は○○を選ぼう」と、なりたい自分を自分の心(自分の意思)で選びます。  つまり六道瞑想や十法界瞑想をすることで、「自分という存在はあるけど、永遠不変の自分が存在しているわけではなく、変化し流転するものとし
てある」というナートマンの考え方を徹底的に理解することができるようになっているのです。  

 

実際、釈迦も六道瞑想や十法界瞑想をしながら餓鬼になったり、人間になったり、仏陀になったりしていたはずです。釈迦は自分の心に餓鬼も、阿修羅も畜生も、人間も、仏陀も、すべていることを理解していました。その上で、教えを説く相手に合わせて、自分の心を変えていたのです。これが釈迦の「対機説法」です。  あなたの中にも釈迦と同じように、ありとあらゆる可能性が詰まっています。  あとは、あなた自身がどんな自分を選ぶのかの問題です。餓鬼を選ぶこともできますし、人間を選ぶこともできます。仏陀になることだってできる


「自分はこんな人間だ」「自分を変えることはできない」と思い込んでいるのは自我にとらわれている証拠です。  どんな状況でも決して変わることのない永遠不変の自我があるわけでもなく、まわりの状況があなたという人間のあり方を絶対的に規定しているわけでもありません。  あなたという人間を形作っているのは、「あなたの心」です。  あなたのまわりにはさまざまな人やさまざまなもの、さまざまな事象やさまざまな出来事が存在しています。

それらとあなたとの間には深い関係性があります。あとは、その関係性に対して、あなた自身がどう「見る(認識)」するのか。そのことが結果的に「あなた」という人間を決めます。  未来永劫変わらない自分はありません。 「自分」を決めるのはあなた自身の心であり、あなたは自分の心のあり方を自由自在にコントロールすることができます。  言うなれば、あなたにはあらゆる可能性があり、なりたい自分に自由になることができるのです


まず、その場で立って上体を前屈してください。体育の時間やスポーツジムなどで行う普通の前屈です。そして、自分の手がどの位置まで届いたか、よく観察してください。足首までか、床までか、床下までかです。  次に左記のことをイメージします。 「私の身体はゴムでできている。柔らかくてグニャグニャしている


「骨も関節もすべてゴムでできているので、どんな形にでも簡単に曲げられる」 「しかも、熱でゴムがどんどん柔らかくなっていく。今にも溶けそうだ」  では、もう一度前屈してみてください。  いかがですか?  前よりもずっと深く身体が曲がったのではないですか? ──これが、「臨場感」の効果です


本章のテーマは、物理的実態のない情報場をいかにコントロールするか、です。  その鍵が、この「臨場感」です。  臨場感が強ければ強いほど、情報場のコントロールが容易になるのです。  先ほどの前屈実験をやった方の中でも、本気で自分の体がゴムでできていると思えた人ほど、効果が出たはずです


夢からいったん醒めて、その後人々に「夢だよ」と教えるために夢に戻った人が「悟った人」。釈迦がまさにそうです。「マトリックス」という映画
は、そんなことを強い臨場感で教えてくれます


マトリックス」では、一応「リアルな現実世界は存在する」という世界観で描かれています。しかし「インセプション」は「あなたがリアルだと思っている世界も、実は夢かもしれないですよ」という暗示を残します。  仏教的にいえば、「インセプション」に描かれている世界のほうがより抽象度が高いと言えるでしょう。 「インセプション」を見ながら瞑想すれば、仏教もナートマンの教えを強
臨場感で知ることができるのです


この世界に存在するすべての事象は、あなたの心が生み出している──この言葉は、本書の中で繰り返しお話しした「空の世界観」を表しています。  自分や世界は、絶対不変の存在としてこの世にあるのではなく、ひとりひとりの心がどんな関係性を選ぶかによってあり方を変えてゆきます。それ故、心をコントロールすれば、自分や世界を自由自在に変えることができます。 


これが本書の核となるメッセージであり、そのための方法論として超瞑想法をお教えしてきました。  さて、この「すべては心が生み出している」という世界観は、別の言葉で言えば、「あなたもこの世界もすべては夢」ということになります。

 

 あなたも、あなたが愛する家族も、これまで成し遂げてきた仕事の数々も、ローンを組んで買った念願のマイホームも、家の中にあるさまざまな家具も、生まれてから今日まで生きてきたかけがえのない時間も、これまで出会ってきた人々も、出会ったことのないそのほか大多数の人々も、すべてはあなたの心が生み出しているものであり、言うなれば「夢」です。  本書をここまで読んできたみなさんなら、この世のすべては夢だということをきっと少しずつ理解し始めているに違いありません。


マトリックス」の世界で起こったことは、私たちが暮らしているこの世界でも起きます。  あなたが、自らの意志で「現実という夢」に戻ってきたとき、あなたは強く、自由に生きることができます。  より高い抽象空間に飛躍して臨場感を強め、自分の心をコントロールし、自分や世界のあり方を一変させます。  この世界、この宇宙のすべてが、あなたの心が生み出したものであるならば、あなたの心の側を制御することで、自分や世界を自由自在に変えることができるようになるからです。


ひとつのアイデアとしては、宗教という概念を超えた超宗教を作り、その経典をまとめる方法があります。具体的にいえば、釈迦の教えとキリストの教えの両方を包摂するような、より抽象度の高い教えがあっていいと思うのです。  突拍子もない考えに聞こえるかもしれませんが、両者の核となる教えは共通しています。実は、キリスト教の「愛」は、仏教の「縁起」と同じ思想なのです。  釈迦のメッセージは「縁起」です。この宇宙にアプリオリなものはない、
すべては縁起によって成り立っている、ということです。

 

 一方、キリストのメッセージは「愛」、しかも神からの一方的な愛、条件なしの無償の愛であると私は考えます。愛が神から一方的に無条件に注がれるものであるならば、一般的にキリスト教で言われているような契約の概念は不要です。人は、良い行いをしたから愛されるのではなく、無条件で神から愛されるのです。こうした無償の愛は、親が子供を愛するのとまったく同じです。親が子供を無条件に愛するように、神は人類を無条件に愛するのです。  こうしたキリストの愛の教えのすさまじいところは、神の無条件な愛によって契約の概念を否定することで、神そのものの存在も否定している点です


なぜなら契約の否定は、アプリオリ性の否定につながり、アプリオリ性の否定は絶対的な存在=神の否定でもあるからです。  では、契約によって神から人への愛が生じるのでなければ、愛はいったいどこから生じるのでしょう。  答えはひとつ  愛はもともと存在しているのです。  そして、その愛は何かといえば関係性です。  愛があるから、この世界はあるのです。  ここに至って、キリストが説いた「愛」は釈迦の「縁起」とイコールにな
ります。なぜなら、どちらも「事物は関係性によって生じる」と説いているからです