275.1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法 山口 揚平

タイトルに関する話はほとんどなかった。

私は今、1日の仕事時間を3時間と決めているが、 10 年前と比べ、その成果は3倍になっている。こう考えると現代の日本で最も賢いのは大学教授や政治家、官僚、大企業の役員やベンチャー起業家ではないように思われる。たしかに彼らは知的かもしれないが、真に賢い(ストリートスマート) のは「お笑い芸人」だと私は考える。

 

つまり「すべてのものは一見、分かれているように見えるが、実は有機的につながっている。 そしてそのつながりの中に潜む本質を問い続けることこそ、最も有効な解を見つける手段である」 ということである。

 

効率的に何かを成し遂げたいのであれば、常に考えて最も本質的なことだけに手をつけるべき である。祖母から「ずつなし(面倒くさがり屋の意)」と言われ続けてきた私にとって、「最も大切なことを一つだけやればいい」と確信できたことは大きな救いになった。

 

複数の選択肢がある人は一つの案に執着しないから幸せでいられる。幸福が人間の目的なら、 真の知性とは、囚われない心を持つ力 である。

 

世間は大きな誤解をしている。ホリエモンが入学した東大はすごく頭が良い人が行く、と思っている。しかし、実際に東大に入るのは「頭の良い人」ではない。頭が良いかどうかとは関係なく、 受験を高尚なる行為ではなく、単なるゲームだと矮小化して捉えている人が合格している。進学校のシステムとはそういうものだ。

 

・会う人を選ぶ ・人の多いところに行かない(満員電車に乗らないなど)

 

モナ・リザ」や「最後の 晩餐」などを描いたレオナルド・ダ・ヴィンチは画家のイメージが強いが、彼が残した業績は天文学建築学、解剖学、物理学など多岐にわたる。人は彼を「万能人(uomo universale)」と呼ぶが、それは大きな 噓 である。  彼の才能は 思考の広さの一点にある。アートも、人の骨格も、ヘリコプターの概念図もすべて同列で見ていた。ただ、社会の中で受け入れられたのがアートだった、

 

今やその実力が世界で認められている映画監督の 北野武 氏も全く同じだ。いまだに彼の創作を見て「お笑い芸人が何やっているの」という印象を持つ人がいるが、彼にとっては漫才も絵画も映画も小説も、すべてつながっている。

 

時間を生み出すのは健康(エネルギー) である。  健康はときにビジネスの現場で犠牲にされがちだが、長期的に成果を挙げているビジネスパーソンや経営者は、このエネルギーこそがすべての源泉だと知っている。

 

21 世紀、人が一番お金をかけるのは、プラスのピアエフェクト(好影響) を与えてくれる人材を側に置くことだ。 おそらくあと 10 年以内で人々が一番お金を払う対象は「 臨在(仏教用語で優れた人のそばにいることを指す)」になる。高級車でも別荘でもファーストクラスでもない。学校・会社・趣味・家族・シェアメイトを問わず、共に過ごす人の選択と継続に人はコストの大半をかけるようになるだろう。 関係こそが健康と幸福のすべてだと気づく からだ( 図 36)。

 

孤独は4・7兆円の損失、健康に最も不衛生と実証済である。今はタダの人間関係は将来、最大の投資先となるということだ。これがわかっているならば、今のうちに最高の人とつながりを作っておくことだ。

 

一つ前の項目で、経済の中心はモノでもコトでもなく、ピア(誰かと一緒にいること) になると述べた。そうなると、誰かと共にいること自体が仕事となる。  最近の卑近な例を挙げるのであれば、友活などもその部類に入る。何かを提供する作業を伴わず、一緒にいること自体が相手にとって価値となるからである。  したがってまずは、 一緒にいて気持ちの良い人になる必要がある。

 

一緒にいて気持ちの良い人とは、一般的にはコミュニケーション能力の高さを意味するが、 コミュニケーション力とは、言ってみれば「人との距離感のマネジメント」 にほかならない。嫌いな上司、尊敬する先輩、未熟な後輩、友人、親戚、あらゆる人それぞれに応じた適切な距離を 10 段階くらいで設定でき、それぞれに応じた接し方、言葉の使い方、語彙を増やしていくことである。

 

相手を単にブロックするのか、仲良くなるのかといった白か黒かの選択ではない。 相手との関係にグラデーション(濃淡) をつけること である。

 

だからこそ業界という枠組みを超えて橋渡しすることで新しい価値を生み出せるハイブリッド人材の価値は乗数的に上がるのだ。たとえば税理士の年収は500万円、ベトナム語の通訳の年収も500万円、だがベトナム語を話す税理士の年収は5000万円である。

 

ではどうやったら人生の意味を「生存」から「創造」へと転換できるかと言ったら、一つの方法は ニートとして1~2年、名実ともに生産を放棄する期間を設けること だと思っている。

 

最初は慣れないだろう。ニート初心者がせいぜいできるのは単純な暇つぶしである。つまり、2ちゃんねるや仮想通貨取引、漫画喫茶などである。  だがそれらの世界に身を置いていると、そのうち禁断症状が出てくる。どうしても社会復帰したくなる。食えないからではない。生きる意味を見出せないからだ。

 

小さな記録が小さな達成感を生み、成長を促す。少しずつ大きくて社会的な目標が生まれ、「じゃあ、人に貢献してみよう」と思えるようになる。貢献をお金に変換するということができるようになる。それが新しい時代の仕事の方法である。  それを続けていれば、仕事と仕事を組み合わせてさらに大きな価値を生み出すシステムを創り始めるだろう。それがビジネス創造である。そして「仕事は遊び。ビジネスは価値と信用を創造するゲームにすぎない」と悟るときがきたら、ようやくパラダイムシフトが完了した証 である。

 

正直なところ、私は2020年頃までは遊んで寝て暮らせばいいと思っている。

 

なぜなら先述した通り、2022年からはルールがガラッと変わるからだ。

 

ヨーロッパやアメリカでは新卒チケットというものがないので、大学を出てから世界を旅したり、NPOなどで社会経験や実績を積んで 25 ~ 28 歳くらいで就職したりするパターンが一般的だ。  一方の日本では、一括採用文化の影響で自分の天才性に気づいていないのに就職してしまい、イメージとのギャップやモチベーションの維持に苦しむ人が絶えない。

 

仕事の性質は人の機微を感じること、人と人の関係を育むための機会やツールの創造へと変わる。 人は濃厚な意識の交流こそ健康と幸福の源泉であると再発見するようになる だろう。

 

274.英語の多動力: 世界でビジネスするホリエモンの英語術 堀江 貴文

僕は実践で英語をブラッシュアップしてきた。 1年のおよそ3分の1を海外で過ごしているため、現地の人と英語で喋ることだって僕にとっては日常の当たり前のことなのだ。

 

英語の基本が身についてからと、先延ばしにするのではなく、今すぐにでも外国人と接点を持とう。  外国人とコミュニケーションを取ることが、英語だけではなく、あなたにとっての人生の勉強の一つなのだ。

 

も対談したことのある、お笑いタレントの厚切りジェイソンさん。日本の漢字や文化、ことわざなどを外国人視点で皮肉るネタは、あなたも見覚えがあるだろう。  IT企業の役員でもある彼は、AI翻訳が発展したとしても、日本人は英語を身につけるべきだと主張する一人だ。

 

ただ、ダイエットと同じく、語学力も2カ月後には前と同じレベルにすぐ戻る。だから、 どうキープするかが大切なのだ。ジェイソンさんが言う唯一の語学習得のコツは、little by little、「楽しく」「少しずつ」「永遠にやる」こと。楽しくなければ続かない。彼は、日本のお笑い番組を見ながら日本語を学んだ。でもそのとき、分からない日本語をいちいち辞書で調べるなんて面倒はやらなかった

 

海外と接したければ、グローバルに活躍したければ、英語は絶対に必要。英語ができるとコネクションの数と情報量が何十倍にもなる。  英語ができない人は、それができる人と競争していることを自覚しなければならない。  土俵に上がる前から不利なのだ。

 

例えばある年の年末は、弾丸でハワイに向かい、そこからラスベガスに移動して年を越した。そしてその次の週末にはメキシコに飛んで、さらにその翌週には韓国へと移動……そんなのはザラだ。  テクノロジーの進歩により、今や世界中どこにいようが働くことができる。スマホ1台あれば僕は世界のどこからでもツイッターを更新できるし、メルマガも発行できる。日本にいるスタッフとLINEで打ち合わせをしたり、スカイプで雑誌の取材を受けたりもできる。

 

世界の1割の人は世界と常につながっているG人材。英語に毎日触れるのが当たり前の生活なのだ。

 

インターネットが登場する以前の社会では「モノの所有」が豊かな人生の象徴であった。お金や土地、家、車など、みんなが欲しがるモノをどれだけ多く手元に置いているか。それが社会的ステータスであり、人の幸福度を左右する重要事項だった。

 

親が子供をいい大学に入れようとするのも、モノをたくさん所有できる人生こそが幸福だと思っているからだ。それはワンクール古い時代を生きた親のワンクール古い教えにすぎない。インターネットの登場によって、こうした価値観はすでに崩壊しているの

 

開発者のエヴァン・スピーゲル氏はインタビューでスナップチャットの成功について聞かれると、「重要なのは『楽しさ』」と答えた。データのストック(所有) ではなく、純粋に〝楽しさ〟にフォーカスしたことが、世界的ヒットにつながったのだ。

 

自己投資と称して、英会話教室に通うことも「頑張っておいしいりんごを作る」のと同じ努力である。   単なる「英語が堪能な人」を目指したところで、似たような人は山ほどいる。 「頑張る自分が好き」ならそれでもいい。しかし、本当に希少価値の高い人材を目指すのであれば、その戦法は通用しない。あなたが愚直に頑張っている間に、賢い人は、語学や資格を 凌駕 する希少価値を手早くつかみ取り、先に行ってしまう。  使うべきは、時間でも労力でもない。お金ですらない。「頭」なのだ。

 

貯金型思考を重んじる人たちが気にするのは「貯蓄額」だ。いざというときに引き出せる金額が銀行や郵便局にどれだけあるか、それによって幸福度が決まると考える。  だが、投資型思考の人間が気にするのは、自分の「時価総額」である。 「いざという時」ではなく、「今この瞬間」、自分にどれだけの価値があるのか。それを考えるのが投資型思考だ。

 

この二人に共通するのは「タグ」の取得のために1万時間かけていないという点だ。「1万時間」を3つ備えるのも、もちろん方法としてはありかもしれない。だが組み合わせ次第では、それらを完全に飛ばして、いきなり100万分の1の人材になることもできるのだ。

 

I翻訳が進化する中、英語だけできてもどうしようもない。レアな存在になり、時価総額を高めるには、あなたは「英語」と「何」を掛け合わせようと思うのか。一度じっくり時間をかけて考えてみるといいだろう。

 

私の勉強法は極めてシンプルでした。やったことは3つです。とりあえず 英単語をたくさん見ること、英語を1日1時間聞くこと、1時間英語の本を読むこと。

 

「コミュニケーション」や「シェア」というと、仲が良い人とじゃないといけないと思うかもしれない。でも、友情や絆がなくても、面白いことをシェアし合える仲間がいれば十分だ。僕は友達や仲間という言葉があまり好きではない。僕のいう友達や仲間というのは、新しいことを吸収して、どんどん進歩し、それを周りとシェアする人たちのことだ。そういう人といると楽しいし、一緒にいる時間が意味のあるものになる。

 

この没頭する力こそが、人間の力を最大限に発揮する重要な行動なのだ。今、僕らが目にする英語の教科書やワークブックは、全て誰かの没頭の副産物にすぎない。それらを漫然となぞるお行儀のいい「お勉強」の中に、学びの本質は存在しない。

 

大学で学問を教え、アーティストとしても活躍し、経営者でもある落合陽一さんも言っている。これから確実に重要になるのは百姓的な生き方(=多動力)。ひもを 縒 っているときもあれば、わらじをつくっているときもあり、稲を刈っているときもある。百の生業を成すことで、それぞれが相乗効果的に絡み合い、いまだ見ぬ「価値」を創れる人材になれる。

 

そんなふうに生きるためには、国内だけでなく、世界をもっと見る必要があるだろ

 

繰り返すが、なぜ英語を身につけたいのか。その根本を探ってみよう。  僕が思うに、きっと外国人と普通に笑い合ったり、英語で仕事をすることで視野を広げたり、そこにはいいイメージしかない。つまりそれがあなたにとって「面白い」ことだからだ。  僕だってこの「面白い」ことを常に追求してきた。僕が毎日多くの人と会おうとしているのは、ビジネスの新しいアイデアを生むためでもなければ、人脈を広げるためでもない。  楽しいから、人と会っているだけだ。

 

面白い人と面白い時間を過ごす。その結果、ビジネスの新しいアイデアが生まれ、仕事が広がり、人脈も広がる。  これは1日 24 時間をできるだけ「ワクワクすること」だけで埋めようと努めている結果なのだ。

 

周囲の人が引くくらい無我夢中になる。それこそが「学び」だ。

 

変化が起きたときに強いのは多様性を持った人です。 そのために英語を覚え、アジアの熱気を肌で感じ、発信力をつけておくことが求められます。  ハッキリ言って有史以来、最大のチャンスが私たちを待っています。

 

セブの人と英語を学ぶのが一番いいんだ。 日本人に一番合った学校をつくろう。これがQQ Englishのコンセプトです。QQ Englishはオンライン英会話で試すことができます。2回まで無料なのでセブの人の英語力を自分で体験してみてください。めっちゃかわいいので 惚れないでくださいね(笑)。

 

ベトナム は絶対に来ますね。なぜって、とにかく勤勉でよく働くからです。今ではセブ島留学に3番目に多く来る国になっています。ベトナムに行くと分かるのですが、とにかく働くんですよね。

 

さらに日本のエンターテインメント業界は他の国以上にテレビ局の支配が大きい。例えばアメリカの場合は独占禁止法で、電波免許を持っているテレビ局がドラマや映画、ゲームをつくってはいけないんです。「免許を受けて電波という公共のものを使っているのに、さらにあなたのところで全部やっていたら独占だろう」というのがアメリカの考えです。だから制作会社がコンテンツをつくります。

 

ところが日本はテレビ局が何でも持つことが許されています。するとテレビ局は許認可に守られているから圧倒的に有利な立場で、自社コンテンツを効果的に宣伝することもできます。だから利益率がものすごく高いのです。

 

人よりも何倍も情報収集ができれば、必ず未来が見えてくる。未来が見えるようになれば必ず勝てる。情報は、ものすごく大事なのだ。  おそらく、これからは激しい情報競争の時代になっていくだろう。そのときに日本語しかできないのか、英語でも情報を集め、思考できるのかで勝負は分かれる。

 

情報を持たなければ、人は恐怖にかられる。人間の恐怖の大半は、情報不足が原因だ。 新しい情報を獲得し続けて思考していれば、不安や恐怖は克服できる。 会社の行く末も老後も怖くはない。これから先の事態を怖がっているのは、情報弱者である証拠だ。

 

もうひとつのコツとして、「バーディを取りたいのなら、強めに打て」という法則が僕にはある。

 

オーバーしてしまったら、その経験を頼りに、もう一度打ち方を修正し、それをひたすら繰り返す。オーバーする経験の積み重ねがあって、初めてバーディという成功を手に入れることができるのだ。 POINT   勉強もビジネス

 

子供の頃の教育は、先生や親がするものだ。ところが先生や親は彼らを教育した1つ上の世代の人たちの思想を受け継いでいる。そのため、 時代からワンクール古いのだ。 僕は常日頃、「先生の言うことは信じるな」と言っている。それは単純に考え方が古いからだ。  では、誰を信じればいいのか。  自分だ。

 

そして大切なのが、その目標をできるだけ短時間で成し遂げるということ。  社会が目まぐるしい速さで変化する今、数年後に社会情勢がどう変わっているかは誰にも予測不能だ。だから僕は1~2年先の目標しか立てない。  まずは先を走る者を短期間で追い抜こう。

 

成功者とされる一流の経営者の中には、意外と「今日、俺歩いて帰るから」と言う人が多い。多少効率が悪くても、いつもと違う時間を使えば、入ってくる情報の質が変わり、良質な刺激を得られることを彼らは分かっているのだ。   普通とは違うことを、あえてやってみる。  これも成功の秘訣だ。

 

もしあなたが日本人なら、これからは「日本人だから豊か」などという考え方は捨て、世界の中の優れた人たちと 伍 して闘えるだけの戦闘力を身につけなければならない。  日本人であるがゆえの付加価値などはないと思って、自分自身のスキルを磨くしかないのだ。世界に伍するスキルを磨こう。

 

スピードを極限まで上げていかなければ、僕のやりたいことは到底実現できなかった。そしてそこでの基本は、今現在目の前にある案件にありったけの集中力を動員すること。今書いているメール、今話している相手、今見ているニュース、今考えているビジネスプラン。とにかく今、この瞬間に集中するのだ。

 

すると単語を知らないからだという結論が簡単に導き出された。単語を知らないから文法に惑わされる。言葉の意味が分からないから文意がつかめない。受験勉強だけではなく新しい分野を学ぶときには単語力の勝負なのだ。

 

今あなたたちに最も必要なのは、資金でも人脈でもない。情報だ。  そのために英語を勉強してほしい。  なぜなら、情報を所持するということは、未来を見ることだからだ。

 

 

273.お金や人脈、学歴はいらない! 情報だけ武器にしろ。 堀江貴文

はっきりと言語化して意識していたわけではないけれど、「大人たちが押しつけてくる『常識』って、噓だよな」と本能的に見抜いていたのだと思う。  大人になった僕は、そんな幼少時の直感をアカデミックな言語で体系的に解き明かしてくれた本と、出会うことになる。『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』(ユヴァル・ノア・ハラリ/河出書房新社)だ。

 

追い込んでみればいい。どれだけ「忙しい、時間がない」といっても、予定を詰め込む余地は、まだあるはずだ。限界まで予定を入れて、やりたいことをやってみると、時間をどう使えばいいのかが浮き彫りになってくる。もしくは、従来の生き方を見直して「やらないこと」を決めるのもいい。心と時間に余裕をつくってから、「情報収集」をするのも手だ。

 

また、「抽象的なことをダラダラと考えるクセ」と縁を切ることもおすすめだ。 「やりがいって何だ?」「人生において幸福とは何だ?」「努力って何だ?」  こんなことにいくら頭を使っても、残念ながら何も生まれない。  本当に没頭できる「仕事」と「遊び」で自分の時間を埋め、さらに情報のシャワーを浴び続ければ、抽象的な問答に悩まされることはなくなる。

 

このように、「ほぼ対等」に話すことができて「化学反応」が起こるような関係でないと、誰かに会っても有益な機会にはならない。

 

「○○さんって、やっぱりすげーっ!」などと著名人の言葉をありがたがって受け取ることは、真のコミュニケーションではない。あくまで「一方通行」の間柄だし、そこから新しいものは生まれない。

 

七色息子氏のように、何かに没頭して自信を持って訴えかける熱量がないと、「会いたい人」に会っても、化学反応は起こらない。遠慮なくいわせてもらうと、丸腰のあなたのままでは、相手に与えられるメリットが、何もないからだ。

 

その相手と会話で化学反応を起こせるレベルであれば、「人と会うこと」ほど素晴らしいことはない。  やはり得られる情報の濃度は対面が一番だ。  もちろん、お互いがリスペクトしていて熱意がある場合に限るが。  そう考えると、僕は毎日かなりの人と会っている。意味なく人と会うのが嫌いなだけで、お互いにとってメリットのある情報交換ができる人と会うのは大歓迎だ。  どんな仕事、分野でも、これは同じだろう。

 

もちろん、僕も識者と対談をするときなど、相手の情報をできるだけ頭に入れるようにしている。相手の著作はもちろん、ツイッターなどSNSで発信されている事柄で重要なものはすべて把握するようにしている。だから「相手がもっとも話したいこと」を、対談中にうまく「振る」ことができる。その狙いが外れたことはない。

 

今の自分の「教養」のレベルと同等の情報しか手に入らない。    だから普段から、「教養」を磨こう。

 

たとえば「意識の高いベンチャー経営者の人たちが勉強会と称して集まっている場」よりも、地方のイベントや合コンに参加して、若い女子に「まわりで、今何が流行しているの?」と聞いたりしたほうが、面白い情報が手に入る。

 

そして、この考え方でいうと、「ビジネスで多くの借金がある人=素晴らしい」ということになる。借金ができるほどの信用があるという証拠だからだ。当たり前の話だが、信用のない人はお金を借りることはできない。信用のない人への融資なんて、誰もしたくない。

 

経済ってそういうことだったのか会議』(

武士の家計簿加賀藩御算用者」の幕末維新』(

日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』(

 

だが、僕自身は仮想通貨の未来を楽観視している。僕がライブドアを経営していたときに子会社でFXを扱っていたが、黎明期のFX業界もいろいろ問題はあったが、それを乗り越えて大きく発展していった。いずれ仮想通貨も市民権を得ていくと考えている。

 

僕は、ビットコインはある日突然何かが変わって、一気に普及するのではないかという漠然とした将来像を思い描いている。その起爆剤になりそうなのがQRコード決済だ。

 

たとえば大学。大学は、大多数の人の役に立たない。これは事実だ。大学というのは学問をする場とされているのだが、今ならそれに必要な情報はネットでいくらでもアクセスできるが、わざわざ高い授業料を払って4年も通う価値があるとは思えない。

 

英語だけ覚えれば世界中の情報にアクセスできる。

そう考えれば、英語学習のコスパはとても高い。

 

さて、具体的にどんな勉強をすれば英語ができるようになるだろうか? これは簡単で、単語の暗記に集中することだ。文法は中学、高校で教わったことで事足りる。  単語の量が絶対的に足りないから話せないのである。しかし、ただ漫然と単語を勉強しても効率は悪い。自分が必要としている分野に絞って単語を増やしていくことをおすすめする。

 

英語で情報を集め、思考を広げることができる人は単純に情報面で強い。人より情報を持っているというのは大きなアドバンテージだ。  そして英語を学んだら、英語ができる外国人と付き合ってほしい。新しい情報、知識をしゃぶり尽くすつもりでコミュニケーションをとるべきだ。  さらに外国人と接していると、単なる情報収集だけではわからないことが見えてくるはずだ。

 

僕のことを「コミュニケーション嫌い」と思っている人も多いが、それは的外れな思い込み。「頭が悪い人とのコミュニケーションが嫌い」なだけだ。でもそんなの、皆同じだろう。自分が刺激を得られる人とはどんどん情報を交換したい。やはり、情報を得るにも発信するにも英語が使えるメリットは大きいなと改めて思う。

 

英語で情報を浴びて、狩り、世界に発信できれば、あなたの前にはまた違ったポジティブな道が見えるはずだ。それは「未来を見抜く」といい換えることもできる。

 

世の中は、知識や情報を握っている人たちが、そうでない人、つまり「情弱」な人たちから、お金を吸い上げる構造になっている。しかも、そのやり口が巧みなため、搾取される側は、それに気づくことができない。いい換えると、「賢い人」が「情弱」から搾取をすることで社会が成り立っている。これは、現代版の「身分制度」と呼んでもいい。

 

感情を排して、今ある情報を合理的に考えるだけで、ゴールに早く至ることができる。それは、クヨクヨする時間を短縮し、自分の時間を節約することにもなる。人生の大半を「どうでもいい思考」にのっとられないためにも、合理的に考えることを習慣化してほしい。そもそも「ダラダラと考えること」に価値を置きすぎる人が多い。「将棋の『長考』じゃないんだから」とツッコみたい。考える暇があれば、新鮮な情報を「狩猟」したほうが断然いい。

 

以前に元LINEの森川 亮 さんが、「職人じゃないとつくれなかったものが、一般の人もつくれるようになるから。そうしたら、あとは『感性』の世界になるんです。技術じゃなく、感性勝負に」と話していたが、まさにそれ

 

たとえば、わかりやすいのは「希少性」だ。尾崎牛は年間数百頭しか市場に出回らない。そして、尾崎牛が「なぜ出回らないか。なぜうまいか」ということを熱く説く。説明すると長くなるから省くが、秘密は主にエサの製法にある。「だから、尾崎牛はうまい! 超貴重!」というストーリー(情報)を載せる。  いってしまえば、「和牛ではなく、情報を食わせる」ということになる。  

 

お客さんは「ラーメンを食ってるんじゃない。 情報 を食ってるんだ!」ということ。実はこの言葉、漫画『ラーメン発見伝』に出てくる台詞で、飲食ビジネスの成功法則を端的にあらわしていてすごく印象に残っている。  人

 

ではなく、(もちろんそれも必要だが)自分が主体的に行動できる「好きなこと」「ハマれること」「得意なこと」なのかということがもっとも重要だ。ここを勘違いしてはいけない。  これからの「情報平等時代」は、「情熱」で差がつくし、「情熱」

差がつかない、と思ったほうが

 

技術なんてさっさと学んで(もしくは代替して)、   「情報の仕入れ」に全力を傾ければ

僕はもともと、飲食店で仲間とワイワイ食べることが大好きで、グルメガイドのアプリをつくったりしてき

 

「堀江さんは、和牛の調理を専門に学んだわけでもないのに、なぜそんなにうまくいくのか?」と、秘訣をよく尋ねられる。答えは簡単。情報収集を終えたら、人前でリアルに「アウトプット」する。このサイクルを大切にしているからだろう。僕の場合、「シェフの姿をして、お客さんの前に立ち、和牛メニューを提供すること」を意識的に続けてきた。それが、和牛のよさを広めるのにもっとも効率がいいと実感しているからだ。

 

僕が運営しているオンラインサロンでは、銭湯で「ビールかけ」をやったら流行るのではないかという意見があった。たしかにビールかけをでき

 

施設というと、銭湯以外に思いつかない。変わった打ち上げや催し物には使えそう

 

今の学校教育というのは、子どもが何をしたいかよりも形を整えることを優先していて、親もそれが正しいと思い込んでいるからやっかいだ。そんな現代の学校教育に一石を投じ

 

たとえば、今、仕事がAIやロボットにどんどん奪われるのではないかという議論が活発だけれども、僕はそうではなくて、「今、仕事として認識されてないものが仕事になるだけだ」と思って

 

だから、親がゲームをするなといって子どもを叱るのは僕から見ればバカなことだと思う。子どもがゲーム好きならどんどんやらせて将来のために才能を磨くべきだと思う(もちろん、ゲームである必要はなく、何でも

 

「好きなことをやるのはいいけれど、将来はいったいどうなるんだ?」  こんな反論をする人には、プロサッカー選手、本田圭佑のツイートを読ませたい。 「好きな事だけでは食っていけない。これ違う。大して好きじゃないから食ってけるレベルに到達できないのであって、時間を忘れるくらい好きな事ならどんな事であっても必ず食って

 

世の中には「ああしなければならない」「○○の資格が必要だ」という「常識」という情報が無数に存在しているが、その大半は噓であり幻想で

 

既得権を持った「ギルド」の連中が楽にメシを食うためにもっともらしいルールを張りめぐらせているのがこの世界の実相だ。それを高校生に実践を通じて学んで

 

本来は若いうちほど、将来のために猛烈に好きなことに没頭したり、思いっきり遊んだり、とにかく「実践」するべきなの

 

今はSNSがあるから、どこかで誰かが発信した価値ある情報は瞬時に世界に広まる。そんな中で秘密をつくろうとしたって土台無理だし、意味がない。そうであれば、最初に情報を発信するべきだ。まさしく、早い者勝ちだ。  大きな(最初は小さくてもいい)輪の中心に常に自分がいれば、情報が拡大する中で最大限の恩恵を自分が受けることができるようになるだろう。それは僕が身をもって体験していることなのだから、間違い

 

カープが突然強くなった原因は、マツダスタジアムにあると僕は見ている。スタジアムとは、単なる「試合が行われる場所」ではない。ファンが夢を共有し、楽しい時間を過ごす場所なの

 

そこが整備され、飲食店などのサービスの質が上がれば上がるほどファンは増えるし、それに付随してチームの成績だって上向いていく。 「ホームグラウンドでファンが享受できるサービスの質」と「チームの

の間には、確固たる相関関係が存在

効率の悪い情報収集の最たるものがセミナーとか講演会の類で

彼らが期待しているのはライブ体験だろう。実際にホリエモンに会って話を聞いた、質問をしたという実績を自分の中につくりたいのだ。だが、僕に会うこと自体が目的になってしまって、それで満足してしまったら意味がない。「ホリエモンに会ってよかった」などと思っただけで終わったら、何も残らない。著名人の講演やセミナーに行けば、すごい情報が手に入る

 

常識という噓」にいい加減気づいてもらい

 

講演会やセミナーに行くぐらいなら、気になるオンラインサロンに試しに入って自主的に行動してみればいい。合わないなと思ったら退会すればいいだけじゃない

 

さらには、「お金持ちは会食には会員制レストランを利用する」という。「昼夜の会食では、サービスが行き届き、スタッフとも顔見知りで気張らない会員制レストランを利用。細かいことに気がつきやすいので、どんな扱いを受けるかわからない店には行かない」とのことである。これも笑ってしまった。同じ店ばっかり行っていたら世界が広がらないではない

 

牛肉や豚肉に含まれる「動物性タンパク質」には、体内でつくることのできない「必須アミノ酸」がバランスよく含まれており、植物性タンパク質よりも体内への吸収率が高い。肉が健康にいいということは間違いないの

 

たとえば、心臓病の危険因子の中で「肉体」が占めるのは 40%くらいだという。その肉体の危険因子の中で食生活が占めるのはさらに一部にすぎない。健康は「肉体」「精神」「社会」の3つの要素で

 

「社会」というのは、「社会とのつながり」のことである。年老いても好きなことをやって、社会とのつながりを保っていれば人間はそれだけで長生きできる。だから僕は肉を山ほど食うし、好きなだけ酒を飲む。その代わり、仲間や同志とワイワイやりながらだ。

 

納豆には独特の雰囲気があって、健康にもよいとされる。それで一種の信仰のようになって、納豆信者は僕が「納豆は好きじゃない」といっても「良薬は口に苦し」などといって果敢に押しつけてくるのだ。僕はかつて離婚を経験しているが、元妻がまさにそのような人だったのだ。離婚の原因の5%くらいは、納豆にある。

 

たまたま納豆のエピソードがあったからここでは納豆を例に挙げたが、健康によいとされるものは、世の中に山のようにあって、それを人に押しつけてくる人もたくさん

 

だが、そのほとんどは自分たちの仕事をつくるためにあれこれと理論を

 

回して、もっともらしくいっているにすぎない。  そんな「もっともらしい情報」に振り回されないようにしてほしい。それより、本当に健康で長生きしたかったら、社会とのかかわりを持つことが最善

 

予防できるがんは、予防する(ピロリ菌を除去して胃がんを防ぐ/ 40 代からは毎年「便潜血検査」を受けて大腸がんを防ぐ) ◆脳卒中や心疾患を引き起こす歯周病は徹底的に防ぐ(半年に1度は歯科でクリーニングする/歯磨きだけではなく、フロスをかけることも毎日の習慣に

 

「NMN」はすでに商品化され、アマゾンでも購入できる。問題は価格だ。今のNMNは高価で、1日の摂取量で約7000

 

僕は「情報だけで死は防げる」ということを多くの人に知ってもらいたい。健康に関する本を出したり、メディアで発信し続けたりすることも僕のひとつの役割だと思っている。健康の情報格差をなくすことで、皆が長生きして、自由で楽しい未来をつくる助けになれば

 

先のジャッキー・チェンの例で僕はデマを流してしまったが、すぐに訂正ができた。それはジャッキーのマネージャーと直接連絡できる友人がいたからだ。つまり、リアルな友人やバーチャルな知人でも構わないが、所属しているコミュニティの質によって情報強者かどうかが

 

今はツイッターで誰をフォローしているかということも重要だ。それによって自分が情報社会のどこに属しているかということがわかるのだ。  情報強者になりたければ、質の低い情報を発信する人間とそれを信じ込む人を遠ざけ情報の感度を上げていくしか

 

情報リテラシーの低い人を遠ざけるだけで、自分の情報感度は

 

だから、そんなリスクは背負わず、銀行を余計に儲けさせないためにも住宅は購入せず、借りたほうがマシ、というのが僕の結論

 

なお、今の僕はマンションすら借りず、ホテル住まいで時々、知人の家に泊まっていて定宿は決めていない。荷物は服とスマホ、スーツケース

 

だ。仕事はスマホさえあれば、どこでもできる。「働く」という概念もよくわからなくなってき

 

 

272.動画2.0 VISUAL STORYTELLING 明石ガクト

YouTuberのファン、特に小さい頃から夢中になっている小学生や中学生は、テレビ番組を観ていると「かったるい」「CMまたぎで同じこと繰り返すのがいやだ」「何で最初から再生されないの?」というようなことを言うそうだ。 これは時間に対する情報量が濃いものを若年層が求めているということを示唆している。 この本

 

従来のテレビ番組が基本的には「テレビで放送すること」を絶対的な基準にして作っているということを考えると、IPTが濃いコンテンツは非常に作りづらい。テレビは番組の途中から観る人もいるだろうし、CMの間にトイレに行く人もいるだろう。だからCMまたぎにはCM前と同じフッテージを入れる。また観る人も子供からお年寄りまで様々だ。だから、会話はゆっくりとわかりやすくせざるを得ない。結果としてIPTは薄くなり、YouTube世代にはこれが我慢でき

 

しかも、テレビ番組における最も優先されるKPIは「視聴率」だ。テレビで視聴率を取るためには、40代以上の支持が絶対に必要になる。そしてIPTが濃い

 

に「ついていけてない」のも40代以上なのだ。 こうして、テレビは若年層からどんどん離れたものになって

 

今から数年後、具体的には5Gと8Kが普及するタイミングで、映像と動画のバランスが逆転する。 僕はそれを動画産業革命と呼んでいる。なんだかワクワクしてこないかい? この50年、テレビはメディアの王様

 

実際、Instagramで写真をUPする時にかけるフィルターは写真のデータを軽くするという目的がきっかけで考案されたアイデアだ。個性的なフィルターを

 

ことで、画質が多少落ちてもわからない状態になる。それにより、サーバにあげる写真のデータを圧縮することができた。 YouTube

 

一方、日本ではテレビ産業における放送、つまり「届ける」部分が免許事業となっていて、自分でメディアになろうという制作会社がそもそも出てこられない環境

 

しかし逆に言えば日本では、大きなチャンネルが七つしかないわけで、そこにぶら下がって制作を行ってさえいれば安泰とも

 

テレビ局と大手代理店が求めるものを作っていれば、番組制作でもCM制作でもビジネスは回る。何が悲しくて、おいしい既得権益を捨て、誰が見てくれるかわからない、ソーシャルメディアスマートフォンの世界に飛び込んでいかなければいけないんだ、という思考になる

 

しかしこの価値の源泉となっている視聴率に、歴史的な変化が起きている。 2018年4月から民放5局(キー局)のテレビCMの取引指標が世帯視聴率から個人視聴率に変更となった。世帯視聴率をベースとした現行の制度はテレビ放送の広告取引が始まってから一度も変更されたことがないので、今回の変更はまさに歴史的な出来事だ。

 

特に『ゲーム・オブ・スローンズ』の記録的大ヒットはすごかった。え? 知らない? おいおい「流行っていないのは日本と北朝鮮だけ」とディスられるのも納得だな!

 

そうやって若年層を中心にアメリカの生活に基本だったケーブルテレビを解約する人が増加している。この現象のことを「コードカット」という。日本と違い、アメリカではケーブルテレビに入らないとテレビには何も映らない。それにもかかわらず、2018年時点で3,300万人もの人が従来のテレビからすでに「卒業」している。

 

を戻そう。『三国志』を吉川英治の小説で読むと全部で8巻あって滅茶苦茶に長い。それが漫画だとたったの60巻だ。漫画60巻だと気合い入れれば1日で読める量だよね。

 

ヴィジュアルストーリーテリング時代に、日本で育ったクリエイターたちが持っている圧倒的なアドバンテージが、漫画の素養だと思う。小さい頃から、絵とテキストがセットになった表現を毎週、いや毎日読むなんてすごい英才教育じゃないだろうか。少なくとも1万時間の法則をクリアしている人の数で言えば世界一だと思う。 その証拠に、僕は相当の漫画読みだ。Kindleのおかげで物理的制約を受けなくなった分、歯止めが利かなくなった。これまで自分がAmazonに使った金額は怖くて計算できない。

 

クリエイターになれ!とこれだけ 煽っておいて、金の稼ぎ方を教えないのは違うよな。この本ではちゃんとそういうところまでカバーする。文字通り出血大サービスだ。 ・どこのプラットフォームで勝負するかを決める ・そのプラットフォームで輝くスタイルを考える ・スタイルを踏まえたエンゲージメントの高い動画を作り続ける

 

「自分はプロになれなかったから」 「趣味は趣味のままの方が幸せだから」 こんなのは、全部どうでもいい言い訳だ! 君がこの先、仮想通貨でもバーチャルYouTuberでもマグロ漁船でもなんでもいいけど、巨万の富を得たとしよう。 それでも君は、死ぬ直前に後悔するかもしれない。 本当にやりたいことから逃げているからだ。

 

さあ、今すぐこの本を投げ捨てろ。 君が次に見るべきものは、レンズの向こう側にある。 再生を止めて、録画を始めよう。 世界はこんなにもヴィジュアルに満ちているのだ

 

 

271.妻のトリセツ 黒川伊保子

要は、「夫」という役割をどうこなすかはビジネス戦略なのだ。男にとって、人生最大のプロジェクトかもしれない。プロの夫業に徹することで、その結果、妻から放たれる弾を 10 発から5発に減らそうというのが、本書の目的である(なぜ、ゼロを目指さないかは、のちほど)。

 

女性脳の、最も大きな特徴は、共感欲求が非常に高いことである。「わかる、わかる」と共感してもらえることで、過剰なストレス信号が沈静化するという機能があるからだ。それによって、怖かった、悲しかった、痛かった、寂しかった、惨めだった、辛かったという神経回路のストレスが軽減される。逆に共感が得られないと一気にテンションが下がり、免疫力も下がってしまうのだ。

 

さらに、男性脳にとっては、共感よりも問題解決こそがプレゼントなので、共感を端折って、「○○すればいいんじゃない?」「やらなくていいよ、そんなもん」と、いきなり問題解決してしまうのだ。  かくして、女たちは、「思いやりがない」「私の話を聞いてくれない」「いきなり、私を否定してくる」となじってくるのである。

 

たとえば、帰宅するなり、「○○(子どもの名前)が、寝かせると泣くから、ず~っと抱っこしていて、腰が痛くなった」と訴えられたとする。その場合になんと答えるべきか。

 

が求めている正解は、「一日中、抱っこしてたの? そりゃ腰だって痛くなるよ。本当に大変だったね」だ。解決策は必要ない。  あとは、「今日一日がどんなに大変だったか」を「うん、うん、わかるよ」「ひゃ~、そりゃ大変だ」と頷きながら聞いていればよい。

 

妻とは、ことごとく意見が合わない……。いや、意見のみならず、こちらが暑がりなら向こうは寒がり、向こうが神経質ならこちらは大雑把といった具合に、感性が真逆という夫婦は多いはずだ。というのも、恋に落ちる男女は、生物多様性の論理に 則って、感性が真逆の相手を選んでいるからにほかならない。

 

地球上の生物のほとんどは、生殖をその存在の第一使命としている。生殖して遺伝子を残す。その最も効率的な方法は、「タイプの違う相手との掛け合わせ」と「生殖機会ごとに相手を替えること」。感性が違うほど、遺伝子は多様性を極め、子孫の生存可能性が高まることになるからだ。

 

逆に、好きな食べ物も、好きな映画も、笑いのツボも一緒という夫婦は、相手にイライラすることが少なく、まるで親友のような穏やかな関係を築くことができる。その代わり発情しにくいので、セックスレスになりやすい。

 

しかし、妻を侮辱する夫の対応は、娘の未来を幸せにしないし、息子の将来にも影

 

父親がやるべきことは、妻と娘がもめていたら、どちらの言い分が正しいかをジャッジすることではない。「どちらが正しいかは関係ない。お母さんを侮辱した時点で、おまえの負けだ」と娘に告げることだ。  娘は、どんなに反発していても母親を大切にする父親を嫌うことはない。むしろ、父親の強さと頼もしさを知ることになる。

 

また、息子が妻に反抗した場合は「俺の大切な妻に、そんな暴言は許さん!」と毅然と言おう。息子の暴言を見て見ぬふりをする父親は、軽蔑されても尊敬されることはない。何よりも、子どもたちに対して「妻が一番大切だ」と宣言することは、妻の心に響く。このひとことがあれば、一生夫と寄り添っていけるという妻も少なくない。  また、こういう夫であれば、必然的に妻も夫を大切にし、何かにつけて夫を立てるようになる(はず)。これが、息子にとって大きな意味を持つ。

 

とはいえ、ふだんは妻をいい加減に扱っていながら、急に息子のために俺を立てろと言っても「ハイハイ」と言う妻はいない。何があっても妻の味方でいる。この一貫した姿勢が妻の信頼を勝ち取り、結果、娘と息子の未来を幸せにする。

 

そういう男性脳の持ち主である夫から見ると、妻の「ビビッときたから」は選ぶ理由としては甚だ心もとない。それゆえ、揺るぎないイチオシを選んでいる妻に対して、親切心で「ほかにも、もっと見たら?」と言ってしまう。妻の高揚した気持ちを萎えさせる夫のひとこと

 

②「つまりこういうことだろ?」  愚痴に対しては「わかるよ。大変だね」と共感するだけで十分。頼んでもいない要約や解決策の提示は余計なストレスを増やすだけ。

 

事実を肯定するときも否定するときも、その前に、妻の心根は肯定してやる。これこそ、夫が知っておくべき「黄金のルール」である。

 

心さえ肯定しておけば、事実は、どっちに転んでも大丈夫。逆に言えば、無責任に「そうそう、そうだよな」と言っていいのである。この黄金ルールを覚えておけば、いらぬ地雷を踏まずに、自分の意見を通せるので絶対に楽になる。

 

もっと身近な日常にも、応用可能。「美味しいワインを買ったから、この週末に飲もうよ」なんて夫が言えば、ワインに合いそうな料理をあれこれ考え、いつもよりも丁寧に掃除機をかけ、テーブルクロスにアイロンをかけたり

 

忙しくて、妻とのコミュニケーションをなかなかとれない夫ほど、この手は使える。予告するだけで、実際は何もしていない時間も、浮き浮きと過ごしてくれるのだ

 

一日に一度は「愛している」と言い、朝はキスをして「行ってきます」と出かけ、レストランでは奥の席に座らせ、階段を下りるときは、先に立って腕を支え、重い荷物は持ってやり、君はきれいだと 囁く、ソンナオトコニボクハナリタイ……と、思っているかどうかはともかく、これは欧米の男たちが、日常的にやっている言動である。

 

逆上されたからといって、すべての原因が夫なのではないのである。だから、原因を真面目に究明しようとしても、公明正大に改善しようとしても、まったく 埒 が明かない。女はただ怒るために、怒っている。本人も気づいていないけれど。  ……そう、女は、本当のところ、かなり理不尽なのである。

 

しかし、その女性脳のストレスは、夫の6倍近い家事や「家族のための気づき」を休みなく行っている結果、たまったものだ。その放電の手伝いをするのは、ある意味、理にかなっていると言えなくもない。

 

 

270.仕事も人間関係もうまくいく 「気遣い」のキホン 三上 ナナエ

ん。「一言加えるくらい、意識すれば簡単だろう」と頭では思っていても、意外と咄嗟には出てこない のです。  やはり、普段からの習慣が

 

たとえば、カフェに行ったとき、お店の人に声を出してお礼を言う。銀行などで対応してくれた人に感謝を伝えるなど、普段から意識して行うことで自然に言葉が出てくるようになり

 

相手が自分のために動いてくれたことに対する感謝の気持ち。そして、それを言葉で表現すること。それは、普段の生活から意識することで身についていきます。  その

 

CAをしていた頃、マイレージの上級会員の方に対し、お客様の名前をお呼びしてご搭乗のお礼を伝えていました。 名前を呼ばれると、特別扱いされているような感じがして嬉しくなるだけでなく、心理的にも近くなったような感覚が起こる というのを以前聞いたことがあり

 

いずれにしても、「名前で呼ぶ」というのは絶大な効果があります。  相手への配慮や気遣いを忘れないようにしつつ、ぜひいろんな場面で相手の方を名前で呼んでみてください。相手との距離が縮まっていくのがわかります

 

自分では聴いているつもりなのに「ちょっと、ちゃんと聴いてる?」と家族や友人に言われたことはないでしょうか。  こちらとしては聴いているつもりでも、そう言われたことがある人は、ビジネスシーンでも少なからず同じことをやっている可能性があるので注意が必要です。

 

家に帰って袋を開けると、買ったはずのお菓子が一部入っていませんでした。慌てて電話でお店に問い合わせると、お店のおばあちゃんが、 「本当にごめんなさいね。お家に帰ってとてもがっかりされましたよね」  と言ってくれたのです。 「とてもがっかりされましたよね」という言葉になんだか癒され、怒る気持ちは全くなくなりました。 私は自分の気持ちを言葉で伝えたわけではありませんでしたが、それを読み取って言葉にしてくれたことが嬉しかったのです。

 

気持ちに焦点を当て、それを受けとめ、言葉にして返してあげることが「共感する」ということです。共感とは、相手の心に寄り添う大事な気遣いなのです。

 

「話を聴くときは相手のほうをしっかり向く」。これだけでも徹底して行うと、信頼感や安心感を与えることができます。

 

話を聴く際の態度でもう一つ挙げると、まっすぐ立っているより、上半身を5度くらい相手に向かって前傾姿勢をとると、一所懸命聴こうとしている気持ちが伝わります。

 

特に ビジネスにおいては、「○○にいましたよね」は気安く言わないほうが無難 かもしれません。プライベートの時間を大切にしている人が多いからこそ、注意したい一言です。お伝えする場合には、一対一など限られた空間で言うのがベストでしょう。  状況によっては、「言わない」というのも一つの気遣いになるのです。

 

 

269.人生の教養が身につく名言集―――「図太く」「賢く」「面白く」出口 治明

実際、人の人生が 80 年として、その中で経験できることなど、たかが知れてい

 

自分の人生から学ぶには限界があるのです。だからこそ、プロイセンの名宰相・ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と 喝破 したの

 

私たちは「知る」という経験を重ねることによって、この世の中のさまざまな物事への理解を深めていきます。理解している範囲が広く、かつ深くなるほど、自分の勝手な思い込みを捨てて、物事をよりクリアな目で見られるようになっていき

 

どんな出来事に遭遇しても、感情に流されることなく、冷静に

られるようになるのです。  

 

こうした「左遷」と「古典の名作」の相関関係は、考えれば至極当然です。  というのも、左遷されて時間があったからこそ、優秀な彼らが十分な時間をとって、後世に残るすばらしい作品が書けたのです。出世し続けていたら、仕事が忙しくて作品を書いている時間などなかったのではないでしょう

 

かくいう私自身、左遷されたおかげでさらにたくさんの本が読めたし、全国の 一宮 をくまなくまわるなど旅にもたくさん行くことができました。

 

そのブーバーが、代表作『我と汝・対話』で書いているのが、「すべての真の生とは出合いである」という言葉です。  つまり、私たちの人生は、つまるところ、すべて出合いである、と。そして、そうした出合いを通して、人生はどんどん変化していく、と。  関係性を重視したブーバーならではの言葉です。

 

私たちの人生は、ブーバーの言うように、そのときどきの出合いによって変化し続けていきます。そうしたいわば川の流れに身を任せる生き方が一番いいと私は思っています。変化を受け入れ、川の流れのままに流されて生きていく。なぜなら、人間の力では、そのときどきの流れを変えることは難しいから

 

ただ、この絶望的な作品の中で作者は「笑いこそ、人間の持つ

かつ強力な武器」だと述べています。これは 正鵠 を射た言葉だと思い

その中に、「辛抱強さはよいものだが、それが順風満帆のときであればなおよい」という金言があります。  人間は大自然に対してだけでなく、同じ人間に対しても傲慢

やすい動物です。順風満帆のときほどそうなり

 

ニザームは鋭く人間のその性向を評して、上手くいっているときほど、身の丈を意識して謙抑的にならなければいけないと 諭しています。  

 

このような環境下で、ついつい私たちは、大自然はもとより人間社会に対しても傲慢になりがち

 

結局のところ、この世には、とんでもなく賢い人も、とんでもなく愚かな人もじつはいないのではないでしょうか。そして、とんでもない悪人も、とんでもない善人もじつはいない。みんな、そこそこに賢くて、そこそこに愚かで、そこそこに善良で、そこそこにずる賢い。要するに、みんな、チョボチョボなの

 

だからこそ、人間関係において、「この人は、いい人だ」

この人は悪い人だ」と単純に割り切ってしまうと、あとで痛い目に遭ってしまうの

 

また、人間関係においてけっして忘れてはいけないのが、基本的に人と人とを結びつけているものは「利害」だということ。人はお互いなんらかのメリットがあるから、相手とつながっているのです。このことは肝に銘じておく必要があり

 

極論を言ってしまえば、「本当に困ったときに助けてくれる人はほとんどいない」ぐらいに考えておいたほうが、人間関係は楽です。  人生も生きやすくなり

人間関係は「別れる」のが基本だと私は考えています。  人生の中で出会ったほとんどの人とは、いずれは別れが

 

そうやって「会って別れて」をくり返していくのが人生なのではないでしょうか。人間関係はつねに入れ替わっていく。「一生を通じた友情」など、基本的にはあり得ない。もし、そういう関係を築けたら、自分は本当にラッキーだと考えたほうが

 

仕事をする相手もなんだかんだと理由をつけて、嫌な人や苦手な人を避けようと思えば、避けられる。  しかし、これでは人間は成長できません。  なぜなら、気の合う人とばかりつき合っていては、今の自分をありのままに、歯に衣を着せずにはっきりと言ってくれる人がいなくなってしまうからです。これでは自分を客観的に見ることができなくなってしまいます。

 

さて、このタレスの教訓を、自分の人生に活かすならば、自分のリアルな姿を知るためには、他人からの的確な指摘が欠かせない、となるのではないでしょうか。自分で自分を知ることは難しいけれど、他人にはこちらのことがよく見えているから

 

そして、その「他人」とは、自分の姿を客観的に見てくれてい

耳が痛いことも遠慮せずに率直に言ってくれる人。聞き心地のいい言葉を言ってくれる人ばかりでは、自分を知ることはできませ

 

前述したように、人間は年を重ねるにつれ、誰とつき合うかがかなり自由になります。そのとき、ただただ一緒にいて楽しい人とだけつき合うのか、それとも、そういう人だけではなく、あえて「こんちくしょう!」と思うような 直言 居士 ともかかわっていく

 

どちらを選ぶかは、その人その人の人生観だと思います。  私自身はというと、自分の行為が当を得ているかどうか自信が持てないので、迷いなく後者を選び

 

そうです。コミュニケーションをサボらない、手を抜かない。 「言わなくてもわかってもらえる」という幻想は捨て、誤解が生じないようにきちんと言葉で丁寧に伝えていく。これは、私自身への自戒でもあります

 

からよく見られたいとか、ほめられたいという気持ちが、もっとも人間が心を病む原因の1つだと思うのです。そして、心が病めば、だんだん体も病んでいきます。  とはいえ、たしかにそうだと頭ではわかっていても、やはりまだ「天知る、地知る、我知る」だけでは満足できないという人がいるかもしれません。  解決方法は簡単

 

今やっていることをより面白くするのです。  人からよく見られたい、ほめてもらいたいというのは、結局のところ、自分が今取り組んでいることに熱中できていないからです。「

ほど、面白い仕事はない」と思って夢中になって取り組んでいるときは、人からどう見られようと、どう思われようと、たいして気にならないもの

 

チャーチルは政治家でしたが、自分を含めて「選挙に出るヤツはロクでもない候補者ばかり」だと悟っていました。そして、その「ロクでもない候補者」の中から、相対的にまともな人間を選ぶ

 

選挙」であり、それはかなりの忍耐を要求するので、民主主義は最悪だと彼は言ったのです。ただし、過去の皇帝制や王制、貴族制などの政治形態を除いては……

 

前提を疑うとは、こういうことです。  そもそもの前提がおかしければ、その上に組み立てられる思考もおかしなものとなります。そのおかしな思考で議論をすれば、状況はどんどんおかしなほうへ行くばかりです。だから、まず何よりも、そもそもの「前提」を疑ってみることが肝要なの

 

それは、マルクス(1818~1883)の次の言葉です。 「ラディカル(=根本的)であることは、物事を根本において把握することである」(『へーゲル法哲学批判序説』)   19 世紀の偉大な思想家であり、革命家であったマルクスは、その人生において、この世界を変革することを目指し、行動し続けた人

 

古典を読んで難しいと感じるのは、ひとえに自分が勉強不足で、その本が書かれた時代や社会の背景を知らないから。だから、高坂先生は「自分をアホだと思いなさい」とおっしゃったの

 

「どうしてこれほどすごいアイデアが出せるのだ」──。  世の中には、周りが驚くほど、発想豊かな人がいます。  豊かな発想の源はいったい何か。それは持って生まれた「才能」というよりも、その人が持つ膨大な知識の量なのではないかと私は考えてい

 

つまり、インプット次第で、人は誰でもアイデアの達人になれるの

世界で活躍する坂本さんを私たちは「音楽に非凡な才能を持つ人」と見ますが、ご自身いわく、そのような才能は自分にはないのだ、と。あるとすれば、それは子どものころからインプットしてきた膨大な音楽の記憶。それらを引き出し、組み合わせながら音楽をつくっているだけだというの

 

私はこの記事を読んだとき、アイデアや発想においても、知識(情報)の蓄積こそがすべてだとあらためて再認識しました。アイデアや発想を豊かにしようと思ったら、知識をどんどんインプットしていくに

 

そもそも、まったくのゼロから生み出されたアイデアは、人類の長い歴史を見渡してもほとんど存在しないのではないでしょう

 

イデアの蓄積の中からアイデアが生み出されていくのです。  だからこそ、「知る」という行為が大切です。  何も知らなければ、人間の頭の中は空っぽです。ゼロの状態。  知識は言ってみれば、材料です。材料がなければ料理ができないように、人間も知識がなければきちんとした思考はできません。思考ができなければアイデアも生まれてくるはずがないの

 

知識をどうインプットするかは、人それぞれでいろいろな方法があると思います。源泉は人、本、旅の3つで、たくさんの人に会う、たくさん本を読む、たくさん現場へ出かけていくことに尽きるの

 

が、私が心がけているのは、「縦から横から」という

縦は時間軸、歴史軸です。  横は空間軸、世界軸です。  この両者を意識してインプットすると、物事の全体像を明確につかんでいけるようになり

 

極論すれば、人間の世界に生起することは過去に起こった出来事

バリエーションにすぎないの

 

過去のさまざまな事例を学び、知識として持っていることで、意思決定に際して、その中から最適なものを選択したり、それをヒントに類推したりすることができます。そうすると、素早く適切な意思決定が可能に

 

逆に、こうした知識がないままでは、判断するための材料が乏しく、そのために迷いや不安が払拭できず、なかなか意思決定ができなくなりがち

 

だからこそ、よい意思決定をするためには、歴史を学ぶことが大切なの

健康管理と、歴史に学ぶ姿勢と、誤りを指摘してくれる友人の存在。  

 

インプットしたら即刻アウトプット(言語化)をする。   巷 にはさまざまな勉強法が存在していますが、これこそが、確実に力がつく一番の方法なのではないでしょう

 

私がいろいろなところでよく話しているのが、「人間には学ぶ方法が3つある」ということ。  それは、人、本、旅の3つです。  生きた人間に会って、その人の話を聞いて学ぶ。古今東西の本を読んで学ぶ。世界中のいろいろな現場を自分の足で歩いて

 

たとえば、以前、ローマ帝国五賢帝の1人で、哲人君主と評されるマルクス・アウレリウス・アントニヌス(121~180)の『自省録』を読んだ晩、夢の中で私は、ローマ軍の兵士の1人としてドナウ川のほとりで戦っていました。  そういう体験を何度もしていると、直接の体験と疑似体験の境目もじつはあいまいなものではないのか……という気さえしてき

 

若き日のプルーストも彼を熱烈に支持していたそうです。その彼がこんな言葉を残しています。 「私が人生を知ったのは、人と接したからではなく、本と接したからだ」  とてもいい言葉です。  私はけっして直接体験(

 

経験があるからといって、そこに 驕ってはいけない。傲慢になってはいけない。しっかり若い人たちの新鮮な意見に耳を傾けなければいけない。そうでなければ、経験はその成長をストップさせて

 

もし私が「柔軟」なのだとしたら、その理由は、勤務先以外の場所でのインプットが多かったからだと思います。前にも述べたように、本から学び、人から学び、旅から学ぶ。私を分解したら本 50%、人 25%、旅 25%ぐらいの配分になるでしょう

 

ともあれ旅からは、本当にたくさんのことを学ぶことができました。  世界がじつに広いことを知り、視野もグッと広がります。  そうしたことが、新しい発想を生み出したり、思考を深めたり、人間としての幅を広げたりにつながっていくのだと思います。人間は

 

ひとつの場所にいたら、なかなか学ぶことはできないものです。ホモ・モビリタス(動く人)という言葉があるように、旅をすることは人間の本性の1つではないでしょう

 

一般に、歴史に残る名著や名画、名曲などを残している人には、旅好きが

 

ヘンリー・キッシンジャーさん(1923~。ニクソン、フォード両大統領の政権で国務長官を務めた人物)からうかがった「世界の人間を理解するためには、地理と歴史を学んで、自分の足でその土地を歩いてみるしかない」という

 

20 世紀のフランスを代表する作家、プルースト(1871~1922)は、その半生をかけて書き上げたとてつもなく長い小説(でも、とても面白いのです)『失われた時を求めて』の中で、次の言葉を記しています。 「真の発見の旅とは、新しい風景を求めることでなく、新しいものの見方を得ること

 

プルーストの言うように、旅は新しいものの見方を得るための、絶好の機会です。旅を通して、さまざまな座標軸を得ることが

 

人生から後悔をなくす考え方 「迷ったら行く。迷ったら買う」─

 

海外旅行も、同じだと私は考えます。 「時間はいくらでもあるのだから、次の機会でいい」とついつい思ってしまいがちですが、実際は、そうした機会を再び持つことは難しい。その景色も、その品物も、今を逃すと、じつは二度と会えない可能性のほうが大きいの

 

それは、「やるべきこと」の目的をしっかりと理解し、つねに集中して「最短の方法」を考えること。  そうすれば、仕事をさっさと終わらせることができます。

 

そのあたりはもちろんケースバイケースですが、基本的な仕事の姿勢としては、つねに最短の方法を考える。これが、仕事を早く終わらせるコツだと思い

 

そして、自分のやるべきことをさっさと終えたら、あとは本を読んだり、人に会って酒を飲んだり、旅に出たり。そういった楽しいことが待っていると思うと、 俄然、仕事への集中力が高まり

 

その中にある「世界は偉人たちの水準で生きることはできない」という一文。  人類の歴史を見ると、そこにはキラ星のごとくたくさんの偉人が並んでいます。  私たちは

 

人間にあまり多くを期待しすぎてはいけ

 

個人も組織も、多様性のあるものほど強い。  私はそう考えています。  歴史を見ても、多様性を受け入れた国家は非常に強いことを実感します。  

 

偏見なく、「いい」と自分で思ったら、どのようなものでも貪欲に受け入れていく。  そうした姿勢で生きている人は、その懐の深さゆえに、自ずと物事にも幅広く精通していくし、経験も豊富になります。つき合っている人たちを見ても、多種多様です。さまざまな世界にまたがって知り合いが

 

こういう人たちは、非常に魅力的だし、人間としても非常に強い

思い

 

彼らのように、自分の周囲に多様性を持ち続けるために大切なことは、自分の世界に閉じ込もってしまわないことではないでしょうか。とりわけ、年を重ねるにしたがって、このことは強く意識する必要があると感じてい

 

年をとるにつれ、人間はとかく自分の世界に入りがちです。自分の好きなことだけをやって、同年代の自分と気の合う人たちだけとつき合う。逆に、年齢や性別、属性などがバラバラな多様性の中に身を置くと、なんとも居心地の悪さを感じて

 

しかし、似た者同士、気の合う仲間同士だけのつき合いにとどまってしまっていては、成長できるはずがありません。集まっても似た

 

な意見しか出ず、会話もマンネリ化していく一方です。そこにどっぷりとはまってしまえば、世界はどんどん狭まっていきます。そうなれば、自分自身も元気さを失っていき

 

人間とは、そもそも「孤独」な生きものなのです。  そのことを私たちは忘れてはいけないと思います。  そして、子育てにおいても、たとえ血を分けたわが子であっても、自分とは別の自立した存在なのだと強く意識し、ある程度成長したら、家から追い出して、巣立ちをさせる。  それが子どもに対する親の真の愛情だと私は思います。  親はときに、子どもに対して、それくらいの強い思いを持つことが重要だと私は思うの

 

私の場合、現在の遺言状には、「一切の延命治療は不要。葬式はしなくていい。墓もいらない。遺灰は海に流してほしい」と書いています。  海は世界中につながってい

 

ですから、遺灰を海に流してもらえれば、私は死んでも世界中を

することができる。旅好きな私にとってはこの上ない幸せです。ついでにつけ加えれば、私の家族が、世界のどこかで海を見るたびに、私のことを少しでも思い出してくれたら、それで十分だと思うから

 

たとえば私の場合、やりたいことと言えば、一番は、 60 歳で開業したライフネット生命を一所懸命に経営すること、そのほかでは本を

 

旅をする、人に会うといったイメージですが、本を買うにもお金はかかるし、旅に出るのにもお金がかかる。人とおいしいものを食べたり飲んだりするのにもお金がかかる。  そうやって使っていったら、遺産は残せませ

 

それに、子どもや孫は、自分とは別の人格です。彼らは彼らで自分の力で生きていけばそれでいいのです。逆に「親のお金があるから」などと子どもに思わせてしまったら、その子どもの人生はロクなことにはならないと思い

 

だから、自分が生きているあいだに、悔いなく生きるために、お金は目一杯使う。  それが一番いい人生。

 

今や1940年体制はすでに過去のもの。貯蓄にもかつてのような優遇措置はなくなりました。時代は変わったのです。  お金は使ってこそ、価値があるのです。  使わずに貯めているだけなら、単なる紙切れにすぎませ

 

さらに、お金には、「使ってはじめて増えていく」という側面もあります。  たとえば、営業職の人を見ると、たくさん稼いでいる人は、たいていたくさん先行投資をしています。  100万円を稼ごうと思ったら、先に100万円を使う。もちろん、これは投資なので、投資した分が必ず返ってくるわけではあり

ん。一方で、投資をしなければ、そもそも何も返ってきません。  つまり、使わなければ、お金は増えないのです。  この法則は、人間の心理から考…

 

たとえば、相手に何かしてもらったら、こちらも何かお礼をしようと思うでしょう。その人がパーティをするのだったら、「シャンパンを持って行こう」などと考えます。逆に、何もしてもらっていなければ、そのパーティの会費だけを払って終わりとなりがちです。  …

 

そしてもう1つ、この法則を裏づける人間心理…

それは、「使ったら、元を取ろう」という心理。  たとえば、アメリカの大学生は日本人よりもはるかに必死に勉強すると言われています。  理由は明白です。彼らのほとんどは借金して学校に通っているからです。借金を返済するためには、学校でいい成績を取って、給料のいい企業へ入る必要がある。そして早く借金を返済しよう。そういう発想、…

 

知識の習得において、「経験」を非常に重視したベーコン(1561~1626。「イギリス経験論の祖…


ています。「お金は肥料のようなもの」と。そして、「ばらまかなければ役に立たない」。  もしあなたがお金を使うのが苦手だったら、ベーコンに習って「肥料」と思ったらいいのではないでしょうか。そのお金が養分となって、あなたにとって大切な何かがスクスクと…


日本のように、仕事さえできれば、酒癖の悪さが許される社会は、世界中を見渡してもかなり異例です。  自立した大人とは、自分を律することができる人です。  つまり、自分をコントロールできる人。自分を見失うほどお酒を飲むのは、「自立した大人」としてはいかがなものかと思うの

 

歴史を学び続けることは、人生の先輩たちからさまざまな教えを乞える機会なのだと思います。そうした機会を持ち続けることで、少しずつかもしれませんが、人生は生きやすくなっていくのではないかと思い


とくに、「名言」と呼ばれるものの多くは、短い言葉の中にそれを残した人物の考え方や生き方などがギュッと凝縮されています。言ってみれば、枝葉が取り除かれ、「教え」の根幹となる部分が残された