266.「め」は大事 (HIU編集学部) 堀江貴文

いまはまだ視力回復手術の予定がない人も、コンタクトレンズを長く使ってきたなら、一度眼科医の検査・診断を受けるべきだ。コンタクトレンズは長年使い続けるものではなく、あくまで短期間・短時間にとどめて、最終的には眼鏡か視力回復手術を選ぶべきだ。

 

「予防」にちなんで、 40 代を迎えれば遅かれ早かれ誰もがなる老眼の話もしておきたい。人間は遠くや近くを見る際に、水晶体の厚みを変えることでピントを合わせている。加齢により水晶体が硬くなってこれが困難になった眼が老眼だ。 老眼は 40 代になるとはじまり、この頃からそろそろ白内障を発症する人が現れ、 80 代になるとほぼ全員が罹患する。眼の水晶体が白濁し、視界が悪くなる疾患だ。

 

子どもを持つ人に伝えておきたいのが、オルソケラトロジーという治療法だ。ギリシア語でオルソは矯正、ケラトは角膜、ロジーは療法といったような意味だそうだ。専用のハードレンズを夜間の就寝中に装着しておくと、角膜のカーブに〝クセ〟がついて、起床後レンズを外すと眼鏡もコンタクトもなしで日中を過ごせるというものだ。 ただし、時間が経つうちに次第にカーブは元に戻るので、夜にまた装着する。使用をやめれば本来の自分の眼に戻るから安心

 

近視が進行する成長期はオルソケラトロジーで裸眼を維持して、度の進行が止まる 20 代でレーシックやICLを受ける。 50 代で老眼がはじまる頃には遠近療法の多焦点レンズを入れる。たとえ近視になっても、このような対策を組み合わせれば、生涯にわたって裸眼で過ごすことも可能になる。 人間が受け取る全情報の 80% 以上は、視覚からだといわれている。

 

レーシックもICLも、日常生活における眼についてのストレスから解放してくれる。よく見えることで、行動も精神面にもよい影響を及ぼし、仕事のパフォーマンスも上がるはずだ。

 

 

265.僕たちは14歳までに何を学んだか 学校では教えてくれない新時代の必須スキル 藤原 和博

自分の子の精神的基盤に、義務教育を修了する 15 歳くらいまでに、最低限「根拠のない自信」が芽生えていればいいのだと思う。  この「根拠のない自信」のことを、教育界では「セルフ・エスティーム」と呼ぶことがある。日本語に直訳すれば「自己肯定感」。自分は大丈夫、OKだ、将来は開けているし明るい、という前向きな心持ちのことだ。

 

僕の場合、怒られるを通り越して「呆れられる」ですね。「あいつ、しゃあないな」っていう。  自由を勝ち取るためのポイントは、「こいつはだめだな」って諦めて

 

ことです。普段からずっとイイ子でいたら、こいつにはもっと目標を高く設定してやろうってなりますけど、そうじゃなくて、相手の期待と全然違う方向に突き抜けるんです。徹底し

 

西野  最近「1年に1つ、何かをやめる」というのをルール化したんです。新しいことをやり続けないとどんどん老いていくなと思っているので。うまくいっているものの中から何かをやめる。毎年1つずつやめていくんで、その分新しいことを創り続けていかなくちゃいけないように

 

藤原  今は、学校はなくていい、という批判もあるけれど、確かに日本の学校システムというのは、皆を標準化する装置なんだよね。でも逆に、僕は標準化を強烈にやればやるほど、そこから逃れてとんでもなくクリエイティブな奴が出てくるという感じもしている。  

 

最後に、今、ホリエモンは子育てしてないけど、もし子どもがいたとしたら、これだけは絶対やらせるとか、やらせない、とかそういうことはあるの? 堀江  親の役割は、見返りを求めないパトロンみたいなものだと思って

 

ので、子どもが「やりたい」と言ったことにお金を出す。ただし、投資家ではないから、リターンは求めない。寄付です。求めてはいけないと。よく「わが子に投資」というけれど、投資するのではなく、あげるん

 

僕が外資系の投資銀行をやめてSHOWROOMを立ち上げたのも、一つには、この、客体から主体へ・依存から自立へ、というロジックがあります。自分の人生を自分でコントロールしたいと思っているから。いくら高い報酬を約束されて、大きな仕事を任されていても、自分の時計を誰かに預けた状態──上司に評価されたり契約で縛られたりしている状態では、自分主体になることはできないのだろう、そう感じています。  たとえばキングコング西野さんや堀江(貴文)さんのように、自分主体

 

個体の論理で生きている人は、一時的な人気の上下にまったく影響されずに、やりたいことを自由にやれていますよね。多少叩かれることがあったって、かえって人気が上がるくらい。  これから、僕らが目指さなくてはならない生き方は、そっちかもしれない、と思うん

 

国や国家というものが認めなくても、ファンが認めてくれさえすれば、そこで承認されれば生きられる。僕は、これからはそんな分散型の社会になっていくかもしれないと思ってい

 

誰かに強烈に愛された経験がある人は、一歩を踏み出すことができる

 

僕は、「誰かに強烈に愛された経験のある人は一歩を踏み出すことができる」と言ってるんだけど、どうだろう? 前田  まさにおっしゃる通りかと。僕、人から受けた愛情の総量を競うコンテストがあったら、きっと世界一になれると信じてます。ただし「総量」というのは、人数の合計ではなくて、一人の人間から受けた愛情の総量です。  物心がついた5歳くらいのときから、8歳で母がなくなるまでの3年間、母から受けたと感知している愛情の量がものすごかったんです。それと、兄から受けた無償の

 

たとえ自分のいる環境や境遇がマイナス100としても、そのマイナスをプラスに変えることができたこれまでの力の源泉は、僕が受けた愛情の総量にあると思い

 

久世さんの名言に「人生は移動距離で決まる」というのがある。ヤンキーがイマイチ伸びないのは、生活圏が狭く世界観が小さいから。「学校での学力も社会に出てからの稼ぎも、その人間の移動距離で決まる」とまで

 

言い得て妙だし、亀山さんを見ているとその通りだなとも思えてくる。「移動距離」というキーワードを「経験の幅」とか「経験値」と言い換えるとより納得できるだろう。

 

だから、投資してあげて馴染みの生活圏から移動させることでヤンキーも高校生も伸びる可能性がある。自分の子どもについても言えるかもしれ

 

どうしてそんなに突っ込んでいけるんですか?……という僕の素朴な問いかけに、「子どもの頃は愛とは感じなかったけど、やっぱり母親から存分に愛情を注がれたからかなあ」と最後に答えてくれた。「毎日、弁当作ってくれたし」

 

家の中も、あったかい感じでした。親父はいつも遊んでくれて、学校ではイマイチな感じの自分を「いつか大物になる」って、毎日すごくほめてくれました。学校がつまらなくても、家に帰れば受け止めてくれる場所があったから、全然平気。おふくろも水商売っぽい感じもなくて、いつもご飯を作ってくれた。  僕はその環境を「風俗業界のサザエさん」ってよく言うんだけれども、まさにそんな家庭でした。

 

夫婦仲にしてもそうです。僕は、親父とおふくろがケンカしているところを見たことがなくて。友だちから「両親がしょっちゅうケンカして嫌だ」という話を聞いて、ほかの家ではそういうことが起こっているんだと初めて知りました。  おふくろがあまり何も言わずに、やるべきことをちゃんとやっていたというか。だから、両親の仲が悪いとか、ガミガミ怒られて嫌だとか、そんな

 

を何も感じずに育てられたんです。 「母親の愛に包まれて」とかよく言うけれど、愛されていたことすらわからせないほどに愛されていたんでしょう。わざわざ「愛している」と伝えるまでもないほどごく自然に愛されていて、それを「ありがとう」って感謝するまでもなく、当たり前に受け取っていたのかなって、最近思うんです。  

 

一方僕は、実家が水商売をやっていても、愛情に恵まれた家庭で育ってきたおかげで心の闇もないし、仕送りもしてもらって経済的に困る状態にはありませんでし

 

ですが、それがだんだんコンプレックスになってきたん

 

子どもにはビジネスの話はしません。「彼女できた?」とか、そんな話です。  会社を引き継がせることも考えていないです。おそらくすごく苦労し

 

から。まず、金目当ての女が寄ってくるでしょう? そうしたら、「こいつは俺自身が好きなのか、それとも金目当てなのか」となって、本当の愛がもしあったとしても、見失ってしまうかもしれない。それ以外にも、派閥抗争に巻き込まれたり、悪い友だちが寄ってきたりするかもしれない。だから、事業の継承は社員に対して行なって、自分の代だけを考えるほうが結局は幸せなんじゃないかと思い

 

ただ、初めて商売をはじめるに当たってお金を借りるとき、親父には保証人になってもらったので、「起業することがあったら保証人にはなってやるよ」と言ってい

 

そうなったらつまらないなと若いうちから考えていたので、歌って踊れる金持ちじゃないですが、お金もあるけど、友だちもいて家族も笑っているような、バランスがとれた状態でいたいと思います

 

おそらく100万円と200万円の差は大きいけれど、100億円と200億円とは大して差がないと思うんです。  ビジネスの達人というよりも、人生の達人みたいなのを目指して、いろんなものがバランス良く成り立っているのが、自分としてはハッピーです

 

これはスーパーだけじゃなくて、どんな仕事にも嫌な面や、大変な部分もたくさんありますよね。でも、そこを誰かがやらないと世の中は回らないんです。金融は取り立て屋がいないと成り立たないし、不動産は地上げ屋がいないと開発できない。そういったことについて無関係だ、自分たちは一流のことをやっているんだ、と思っている人たちもいるわけじゃないですか。  そこは、ちょっと違うんじゃないかな、と思うん

 

コミュニケーション能力を鍛えるという意味でも、人間関係に強くなるという意味でも、「ナナメの関係」を豊かにすることが大事なんですね。

 

実際、医学部受験に追い込んだ息子が親に報復を仕掛けてくる事件などもありました。小学校の高学年から中高生になったら、親が直接指導する局面を減らし、「ナナメの関係」からの指導に切り替えることをお勧めします。  塾が少子化にもかかわらず隆盛を極めるのには、こうした理由もあるのです。

 

幼児教育で著名な「花まる学習会」の高濱正伸代表は、はっきりと「缶蹴り」をやっていない子は空間認識が弱いから図形問題でつまづいてしまうと指摘しています。「木登り」と基地作りでも同じことがいえそうです。  あるものを自分の高さの目線から見るのと、木に登って見るのとどう違うか? 視点が高くなれば、視座が変わり、視野が開けることを体感しているかどうか。

 

タフな経験が一番の特効薬だ。居心地が良く便利で快適なほうではなく、むしろ居心地の悪いほう、不便なほうで、不利な戦いをするほうが、よほどためになる。親が条件整備をしすぎるとかえって逆効果なのだ。  だから、中学受験に子を追い立てて、親子が「共依存」状態(お互いを頼ってベッタリになること、親離れ、子離れできないくらいともに依存する

にまでなることはあまり勧められない。高校生になっても、大学生になっても、なかなか子離れできなくなるから

 

前章で書いたように、無理をしてでも自然に親しませ、親がしたような危ない遊びをさせることはできるだろう。サマーキャンプに参加させたり、第二の田舎をつくって預けてしまうようなこと

 

もう一度繰り返す。 10 歳までにいかに遊んだかが大人になってからの「情報編集力」の基盤を作るの

 

3つ目には、大人になってからならコミュニティに首を突っ込んで、名刺の通じない場所で会社や役所とは違う人間関係を築き、自分の居場所を確保するのがいいと思う。コミュニティで揉まれることも「情報編集力」を高める

 

僕自身は、三人の子(息子二人と娘一人)に対して高校まではスマホを持たせなかった。でも、それは 10 年前の状況だからできたことだと思う。  取材でも話していたが、ホリエモンは、今なら百科事典ではなくスマホにはりついていただろうと語ってい

 

最後に、できるのであれば、スマホは買い与えるのではなく、親が買って子どもに貸すほうが利口なやり方だと思う。  貸すのであれば、契約書や覚書を締結するかどうかは好き好きとはいえ、条件を設定したり、罰則規定をあらかじめ設定することも可能になる。いっぽう、買い与えてしまったら、管理不能になることは必定だから(

 

以前、ホリエモンから「親からほめられた記憶がない」という話を聞いたことがあるが、ソフトバンク孫正義さんは小さな頃から「おまえは天才だ」と褒められ続けた逸話が有名

 

これについてはLITALICOの長谷川敦弥代表ともよく話すのだが、どうやら共通の特色と言ってよさそうだ。ビル・ゲイツもそうだし、スティーブ・ジョブズもそうだった。勝手に決め付けて悪いが、イーロン・マスクもピーター・ティールもジェフ・ベゾスもそうにちがいない。  要は、突出してこだわれる者たちが、市場を根底から変えるような革命家として変態(メタモルフォーズ)する。

 

 

こだわりが強いから、試行錯誤を続ける根気があって、成功するまで諦めないからだ。昔、松下幸之助が成功の秘訣を問われて答えた言葉が蘇る。「成功するまでやめなけりゃあいいんですよ。途中でやめるから失敗と呼ばれて

 

この踏み出す勇気については、僕自身は母親が無条件に愛情を注いだ結果だと語ることが多いが、読者は4人のインタビューから何を感じただろう

 

それが母親でなくてもいいのだが、誰かに無条件に愛された経験は、わからない世界に向かっていく「根拠のない自信」の基盤になっているような気がしてならない。普通の人からすれば、かなり不幸な体験をした前田さんでさえ、お兄さんから無条件に愛されたから、なんとかお兄さんを喜ばそうと努力した。  とすれば、親にできることは二つしかない。

 

子どもが何かに没入し、集中して向かっていくときに邪魔しないこと。できたら、その突進を応援してあげること。  それと、条件をつけずに(私立の中高一貫校に受かったらとか、東大に受かったらとか、財務省に入省したらというような条件をつけずに)無条件に子どもの成長を見守ること。それが「根拠のない自信」の基盤を

 

キミの存在そのものが自分にとっての喜びなんだ。生きて、世の中の常識と戦ってあがいてくれているだけでいい。そんなふうにドーンと構えていること。  

 

これからの子どもたちは、自らを希少性のあるものに育てなければならない。  僕は彼らに直接メッセージを伝えられるときには、「自分自身をレアカード化しろ!」とエールを贈る。本当は、親たちにも同じ試練が襲ってくる。学歴が高いことにあぐらをかいて情報処理力だけを高めても、やがてすべての処理仕事はAI武装したロボットかクラウドに奪われる。みんな一緒でいい時代は終わったの

 

だから、みんな一緒に大きなことをやる夢より、それぞれ一人一人の希少性を大切にして、主体的に思いついたことがあればネットで脳を繋げながら、協働的に成し遂げていけばいい。その意味でも「希少性」を磨くことこそが、ネット社会からあなたの子どもとあなた自身が他者からアクセスされ、味方を増やす条件になるだろ

 

つまり、人間が信用されるためには、皆と同じの「上質な普通」が保証にならない時代に入ったということ。逆に、信用されるためには、集団から浮いてもいいから「希少性」を高めなければならないという理屈だ。勉強するのも仕事をするのもこの「信用(クレジット)」を蓄積するためなのだから、親の仕事だって「希少性」を追う方向へのモードチェンジが必要

 

 

264.ブチ抜く力 与沢翼

本日夕方に届き、いっきに読了。

改めて凄い。

GWBSで学んだ事ばかりだが徹底復習が必要だ。

GWBSを長期中心にもう一周しよう。

 

自分の目標をもう一段上に設定することにした。

 

 

 

人と群れるな。

センターピン設定して3週間続ける。

ほどほどの結果を目指すな。ブチ抜いた存在を目指してこそうまくいく。

10年後を輝かせる事に意識をシフトすべき。

 

 

262.僕たちはもう働かなくていい 堀江貴文

子供にペット飼う代わりにロボット飼おうかな。

IT革命とグローバリズムにより、経済格差や情報格差、教育格差など、あらゆる分野で格差がどんどん拡大している。  今後はAIやロボットを使いこなす人と、そうでない人との格差の拡大が始まる。  使いこなす側が受けられる恩恵と、使いこなせない側の不利益は、これまでの格差とは比べものにならないほど、大きくなるだろう。

 

この意見には同意できない。国にお金を集めても、ロクなことがないからだ。  もうこれ以上、変な税収で国家を焼け太りさせるべきではないだろう。  そんなお金があったら、アマゾンやグーグルにもっと稼がせてほしい。 先進的なIT企業にお金が集まる方が、よほど世の中のイノベーションの助けとなる だろう。

 

カーツワイルは、脳に電極を刺すことを厭わないと語った。  それは、いずれ世の多くの人々が、「脳に電極を刺しますか?」と問われるだろう、そう遠くはない未来 を示唆している。  AI研究の権威は、すでに「人とAIが同期する姿」を、見据えているのだ。

 

AIの画像認識の能力は飛躍的にスピードアップした。  現在は画像認識の技術を応用した写真加工アプリが大流行していて、街の警備カメラでの犯罪者の管理に用いられている。

 

そう遠くないうち、秋葉原連続通り魔殺傷事件を起こした加藤智大のような、街にうろついている怪しい挙動の奴を、画像でとらえ、事前に凶行を防ぐことも、技術的には可能になるだろう。

 

「手」のおかげで、人は文明を継承できたとも言える。  筆記具を持ち、文字を書き残せた。人に近い知能を持つと言われるクジラが、なぜあの姿で進化を止めてしまったのか。 「手」がないから、文明を書き残せず、次の世代への継承と、クジラの知性体としての進化の機会を放棄してしまったからだ。

 

人は「手」の獲得により、ほかの哺乳類に比べ、群を抜いた進化を遂げられた。偶然なのか、何かの遺伝信号なのかはわからないが、二足歩行すると決めた瞬間、人は「手」がフリーになった。  そのとき、いまの表現で言うなら、人は知性体としての最初のシンギュラリティを迎えたのだろう。  人ほど上手に、自由に「手」を使いこなしている動物は、ほかにいない。「手」によって、進化のジャンプを遂げた。

 

そういう高齢者の介護は無骨な形状のロボットに任せる手もあるだろう。実際、介護の現場にはすでにどんどんロボットが採用されている。  ロボットだったら無視されても、 罵詈雑言 を浴びせられても、まったくストレスを受けず介護の仕事を淡々と続けられる。介護士不足の現状に照らせば、ますますその価値は高まるだろう。

 

そう、AIロボットは、「分身ビジネス」 で大きな収益を上げられる。  松下幸之助本田宗一郎とか、伝説的な経営者のAIロボットをつくったらどうだろう? ヘンリー・フォードや、スティーブ・ジョブズもつくってほしい。

 

いずれ、ひとりに1台、何なら複数のアンドロイドを所有して、 面倒ごとはすべてロボット任せ、自分は好きなことだけやっている という時代になるかもしれない。  ここでも持つ者と持たざる者の格差は、とてつもないものになるだろう。

 

人がAIやロボットの研究を続けているのも、永遠の命を得たいという、本能的な希求によるものではないか。  肉体の耐用年数は150年ほどと言われるが、それでは短すぎる時代になったのだ。  医療の進歩で、寿命は延びている。その反面、温暖化など自然環境の変化で、人間の有機体としての肉体が持ちこたえられなくなるとの指摘もある。  あくまで可能性の話ではあるけれど、科学では想定のできないような変化に対応できるよう、私たちは〝身体拡張〟を進めなくてはいけないと考えている。

 

そう遠くない未来、私たちは宇宙移民を実現させるかもしれない。  そうなったとき、いまの人間の肉体では 脆 すぎる。宇宙線や低温、希薄な空気環境には耐えられない。しかし、機械化によって、私たちは宇宙でも生き抜くことができる。  宇宙に出なかったとしても、いつまでもやりたいことを続け、望むなら永遠に、この世界に存在できるかもしれないのだ。

 

「私には、人間は『心と身体と社会』からできているという信念があります。どんなに身体が元気でも、心が疲弊すると動きだせない。社会へ出て行こうという気持ちになれないんです。  でも、 心をワクワクさせてくれるパートナーがいれば、きっと意欲的に行動できる んじゃないか。カングーロには、心が少し疲れているような人たちの〝馬〟になってもらえたらいいと思いました」

 

人間は「心」と「身体」と「社会」からできているという考え方は、別の分野の専門家からも聞いた話だ。予防医療普及協会顧問の稲葉可奈子医師も、同じことを語っていた。  予防医療の世界でも、急速にAIの導入が進んでいる。  AI技術の研究に関わる、違う分野の専門家が、同時に「人間は心と身体と社会からできている」と論じているのは興味深い。

 

駅から駅への出勤通学、配達ぐらいは、パーソナルモビリティが難なくすべてこなせる時代はそう遠くないうちに来る。移動しながらスマホを見ていたり、スマートグラスでマンガを読んでいたりしてもいい。   移動時間をフルで有効に使える。それが理想の社会インフラ ではないだろうか。

 

日本は世界でもトップクラスに、高齢者が多い国だ。  そのため、高齢者の弱った身体を支える技術の研究開発が進んでいる。  例えば筑波大学発のベンチャー企業サイバーダインは、高齢者向けのパワードスーツをつくっている。加齢で弱ってしまった膝や腰をサポートして、若い頃と同じように動き回る手助けをしてくれる。こうした身体を拡張するような技術革新に、超高齢化社会を控える日本のメーカーは向いているのではないだろうか。  テクノロジーの力を借りられる道筋が立てば、人生100年時代だろうと、それ以上の超高齢化社会だろうと、まったく悲観するような話はでてこなくなるだろう。

 

現在、日本は少子高齢化で人手不足問題が深刻だと騒いでいる。  しかし、本当にそうだろうか?  本来、 人がやらなくてもいい仕事、人に任せなくていい仕事を人がやっているだけだという面も少なからずあるはず だ。外国人の労働者をアテにするより、各業界で

 

化を急いだ方が、よっぽど問題の根本的な解決につながるはずだ。  いま、国が新たに外国人労働者にやらせようとしている仕事のほとんどは、無人化だったり、ロボット化だったりできる。  例えばレストランの予約を取るのだって、まだ電話予約が中心だ。電話で話すことは決まりきっ

 

アマゾンやゾゾタウンの倉庫で働いている労働者の数はいまがピーク で、今後は急速に減っていくだろう。  そのアマゾンもゾゾも、人のかかる仕事の最後の 砦 となっているのが、配送だ。  膨大な商品を、決められた日程と時間で配送するのは難しく、配送会社に委託している状況だ。配送大手のヤマト運輸も佐川急便も、人手不足が深刻なことはご存じだろう。  ただし、この分野でも、ロボット化は着実に進んでいる。

 

ネットショッピングの急増により、現在、日本国内では年間約 35 億個以上の宅配便が運搬されており、パンク寸前だ。まだまだ需要は伸びており、人手を増やしたところで、焼け石に水でしかない。  特に地方では、人口の減少や高齢化も加わり、配達員への負担は増える一方だ。  運送業界の緊急的な問題である人手不足の解消、そして労働環境の改善、業務の効率化を実現するには、無人配送ロボットの普及が急務だ。

 

しかし、スマートスピーカーはとことんつき合う。子どもの方が飽きるまで、どこまでも無意味な会話につき合ってくれる。  そして「延々と会話を続ける」作業は、子どもの言語の認知発達においても、非常に効果が高いと言われている。  たくさん喋った子どもが賢く育つのは、発達心理学の面でも正しい。

 

その相手が人間である必要はなく、何なら飽きずにつき合ってくれる、しかも叱ったり否定的な言葉を返したりしない、AIロボットの方が優れているのかもしれない。

 

すでに世界の大物投資家たちは、例えば、航海中の石油タンカーを衛星画像で見つけ、海面に沈み込んでいる船体の加減から、石油の搭載量を分析しているらしい。  その情報を、運搬先の国の原油価格の先物取引に利用しているのだという。そこまでするか? と思うが、技術的にはあり得ない話ではない。  発掘も投資も、大きなリスクが伴うのが常だが、 AIがリスクヘッジに役立っている という話だ。

 

AIに勝ち方を学ばせてもらう! と考えた方がいい。  藤井くんのようにデジタルネイティブ世代は、完全にそちら側の思考でスマホを触っている。  いつの時代も、テクノロジーはいち早く使いこなしたものが有利となる。新しいテクノロジーに適応して、使い尽くす! と腹を決めた人が、常識外れの偉業を成し遂げるのだ。

 

私としては、AI教師を、活発に導入してほしいと思う。  教育現場だけではない。  スポーツやトレーニングの世界にも、AI技術は採用されていくだろう。  例えば野球のバッターのスイングを矯正するのだってAIの指導の方が細やかだ。ホームランから三振までのすべての打撃フォームをディープラーニングで解析し、「現在の振りから○ミリ、バットを寝かせればホームラン」「○ミリで三塁打」など、具体的かつ効果的な指導ができるだろう。  人間の見た感じの修正箇所と、コンピューターのとらえる確実な修正箇所を埋められれば、打率は間違いなく上がる。

 

いつかAIコーチが主流となり、元選手ではなく一度もボールを触ったことのないようなAIエンジニアがメジャーリーグの監督に就いたり、コーチングビジネスを展開したりするような時代になるかもしれない。  会社の経営者や上司、現場監督にだって、AI教師の活用が求められる。 「勘」とか「経験」とか、適当な基準で指導してくるような人間は、全体の士気や生産性を落とすだけの存在 だ。

 

組織づくりと言い換えてもいい。何かを成し遂げる、特にAIロボット開発のような高い専門性と技術、情報収集能力が問われる事業を手がけていくには、優れたチームが不可欠だ。  まあ、あらゆるビジネスは人材集めに尽きると言っても過言ではないが、移り変わりの激しい世界だけに、より高いスキルを持った即戦力が求められる。

 

アップルのセンスは、いろんな意味ですごい。ひとり1台というような規模での普及を目指すためには、 ネーミングは非常に重要 だ。  技術の優位性はあっという間に追いつかれてしまう時代だ。スマホに続く、自動

 

ロボットやパーソナルモビリティ、ヒューマノイドやアンドロイドなども、デザイン的な要素やネーミングがカギとなる可能性は高いだろう。  どれにだって、「iPhone」に匹敵する正解は、きっとあるはずだ。

 

2000年、米ゴールドマン・サックスでは600人いたトレーダーが株式売買の自動化システムに置き換わり、現在では数人がオフィスに残っているだけだという。  株式売買の業務における複雑な数学的判断は、AIのディープラーニングのお得意の領域で、人間の頭脳が敵うはずがない。  世界的投資家のジム・ロジャーズも「AIが進化すれば、証券ブローカーなど株式売買に関わるプロは消える」と断言していた。

 

投資だけでなく、専門性の高い分野にも、AIロボットの進出は進んでいる。  近い将来、一部の有能な医師が、世界中の患者の診断・手術を、遠隔ロボットを介して手がけることが予測されている。そしてヤブ医者は、きれいさっぱり消え去る。

 

第2章で紹介した石黒浩さんは、「膨大な試薬のデータ分析が必要な製薬業は、人間の研究者よりもAIの方が優れている。そのうちAIが、ノーベル生理学・医学賞を受賞するだろう」と予言している。私も同じ意見だ。

 

人が働く根源的なモチベーションは、楽しいから、好きだから。それが基本だろう。  楽しんでいるだけで暮らしていける環境が、AIやロボットなどのテクノロジーの進化のおかげで、到来しようとしている。  なのに、自分で苦しい道を選択している……俗世を捨てて山ごもりに入る、修行僧の発想だ。お金や生活に支配されて生きている人は、私からすれば逆の意味でストイックに思えてしまう。  どうして自ら、辛く苦しい、何も生みださない道を行こうとするのだろう?

 

これからの時代、生き残れるのは、安定した仕事を与えられた人でも、お金持ちでもない。 働かなくてもいい世界で、なおモチベーションを持ち、何かの行動を起こせる人が、生き残れる のだ。  AIやロボットは、そうした人たちをふるい出すツールでもある。

 

あと、ひとつ大きな勘違いを解いておく。  日本の経済は長引く不景気でひどいことになっているとか、アジアのなかで地位が急落しているとか、ネガティブな情報にばかり目を向けてはいけない。  IMFの調査によると、日本のGDPは1980年から基本的に右肩上がりを続けていて、ほとんど下落していないのだ。  2018年のGDPは550兆円を超えている。  数値は 30 年余りで、倍以上の増額だ。  こんなに 儲けまくり、稼ぎ倒している国に暮らしていて、「財が足りない」と嘆いているのは、ブラックユーモア でしかない。

 

人間にしかできない仕事はどんどん減っていき、自由な時間がますます増えていく。  ただそれだけの話だ。  それでは私たちは何をしていれば、いいのだろうか?  答えは簡単。 ただひたすら、好きなことをしていればいい のである。

 

ベーシックインカムより先に、働かなくても大量の野菜、穀物が好きなだけ各家庭に配布される時代が来るのかもしれない。

 

いま、AIやロボットはものすごい速さで、私たちの社会から「面倒くさい」「つらみしかない」という仕事や作業を奪っていってくれている。  同時に、お金がなくても暮らしていける社会制度と食料供給の体制も、整いつつある。  じゃあ、人間は何をすればいいのだろう?  遊べばいいのである。  繰り返しになるが、現代は好きなこと、楽しいことでお金が稼げる時代にもうなっているのだ。

 

とにかく、うまく遊びや、好きなことを仕事にできた人たちは、おしなべて「ひたすら好きなことに時間を割いた」のだ。  彼らはいわば、〝自分遊びのエキスパート〟 だと言い換えてもいい。

 

具体的には、人間のコミュニケーションが価値そのものであるような仕事だ。  ソムリエやパティシエ、カリスマ家電販売員やBOOKキュレーター、カウンセラーなどの需要はますます高まるだろう。マッサージ師や美容師、パフォーマンスで見せるアーティストやお笑い芸人、タレントの活躍の場も増える。

 

堀江さんは結局、フロントマンとして生きていたいのですね、目立ちたいだけなんですね、などとまだ言われた。  見ている世界が違いすぎる。  目立ちたいとか、フロントマンでいたいとか、そういう次元で、私は大事な時間を費やしたりしない。  いまこの瞬間を、最高に楽しく、輝いている仲間たちと一緒に、遊び尽くし、やりたいことをやって生きていきたいだけなのだ。  その姿を多くの人たちに見てもらい、私と同じ最高の時間を、共有したいだけだ。

 

21 世紀の人間は、「狩猟民族に学ぶべきだ」という。  狩猟民族は自分たちの願望に合うように環境を変えるのではなく、自分自身を環境に適応させてきた。  そして自分の身体や五感に対して、鋭敏であり続けた。  生き延びるために、目で見ること、耳で聞くこと、鼻で嗅ぐこと、すべてについて研ぎ澄ました。  それらは現代人が、いま失いかけているものだ。

 

261.マルクスもケインズも触れなかった 嘘まみれ世界金融の「超」最大タブー お金はどう作られ、どうなくなっていくのか 安部 芳裕

もともとは借金としてお金というものが生まれるわけです。だから今、財政規模がどんどん大きくなると債務が大きくなり、赤字まみれでどうするんだということで「債務を削減しろ」という話になりますが、債務のないお金なんてありえないんです。今のお金は、基本的に全て債務からできているわけですから。

債務をなくすということは=世の中からお金をなくすということになってしまう。

借金がたくさんあるということは、同時に世の中に沢山お金があるということでもあるし、お金が世の中にたくさんあるということは、同時に借金もたくさんあるということなんです。

銀行は融資によって「無」からお金を創り出す。コレが信用創造というものなんです。全てのお金は実は借金から成り立っている。そして、誰かの資産は誰かの借金です。

お金のしくみがもたらす問題点はたくさんあるが、その1つが利子は実態のないお金で、銀行のお金というのは基本的には元本プラス利子をつけて返さなければなりません。

でも銀行が貸し出しているお金は実際に元本の分しか貸出していないので、利子の文がどこにもない。どこにもないけれども、数字上にはあることになっている。だから必ず返せないところが出てきます。

銀行に借りたお金を全部返そうと思ったら、また新たに銀行からお金を借りて返さなければいけないので、無限に借金をし続けなければならないという、銀行からの無限の借金ループに陥るというのが、今のお金の特徴なんです。

今、貧富の格差というのはどんどん広まっているが、利益はどこから生まれてくるのかというと、これは格差から生まれるものなんです。格差があればあるほど利益は得やすい。

地球よ言うのは有限の世界ですから無限の成長というのはありえないです。かつては経済が成長すれば皆が豊かになると思っていたのですが、実際は経済格差が拡大するのみであって、貧しいものが増えれば経済成長が自動的に止まってしまいます。

経済成長が止まると皆困るので、じゃあ今度戦争でもして一度壊してから作り直そうかという話になってくるわけで。だから、経済成長が止まると戦争が起こるんです。

 

260.この時代に投資家になるということ 正田圭

現行の雇用制度は、労働者が働いて結果を出せば出すほど損をする矛盾をはらんでいます。

今の若手起業家たちは税理士のことを必要以上に崇めたりしませんし、取引銀行の支店長の名前も知りません。そんな人達の話を聞くより、成功した経営者の話やトレンドを参考にしたいと思っています。税理士や銀行の支店長に意見を求めるより、そのほうがよほど合理的です。

ハンガリーユダヤ人のジョージ・ソロスが、「良い投資とは退屈なものである」と言っています。この言葉は、投資の本質をうまく言い表している。

投資の意思決定をするためには、情報を集めてきて分析するという地道な作業の繰り返しが必要とされます。価値の上がったり下がったりに一喜一憂することなく、むしろ真面目にコツコツと、自分のやるべきことを積み重ねることが重視されるのです。

投資に必要なものは良質なコミュニティ形成です。今いるコミュニティで付加価値を出せない人が、自分のコミュニティは形成できません。

自分のコミュニティを作ることは、投資のチャンスを見つけることに直結します。

SNSはコミュニケーションサービスであると同時に、立派な投資プラットフォームなのです。

本来は価値のあるものなのに世間の価値が低いときに買い、高くなったら売る。これが投資の基本です。

世の中の値段の付け方は意外と間違っている可能性が高いという認識を持つこと。これが投資家のスタートラインなのです。