245.逆説の生き方 外山滋比古

人と話していておもしろくないのは、相手が自慢話をするときである。

 

は実にたのしそうに、手柄話や、うまくいったことを話す。話しだすと、止まらない人もある。きいている人が退屈そうにしているのに、そんなことは目に入らない。こういう人はあまり人から好かれ

 

桃李不言、下自成蹊( 桃李 もの言わざれども、 下 自ら 蹊 を成す)

 

ことばがある。有徳の人のもとへは自然に人が集まることを言ったものである。桃や 李 は美味であるから、別に人を呼び集めようとしなくても、自然に人がやってきて、その歩いたところが道になるというのである。昔も自己宣伝して、人を集めようとした人が多かったのであろう。そういうのに対して、実力さえあれば、PRなどする必要のないことを教えたことばである(成蹊という学校がある。その心を 汲んだ命名であろ

 

そのように考えると、〝浜〟は〝死〟を暗示するように思われてくる。人間はいずれ死ぬ。どうせ死ぬのだから、よく生きる努力など空しいではないかと考えるのは、先を 見透しているようで、実は、考えが足りない。人生に、美しく生きる人生に、〝どうせ〟はない。よく考えもせず、さかしらに、タカをくくって、なすべきことをしないのは怠慢である。最後の最後まで、生きるために力をつくすのが美しい──そんなメッセージを引き出すことができる。〝どうせ〟という、すてばちな考えを 戒めていると解すると、この一句の味わいが

 

〝どうせ〟がいけないのは、年寄りだけではない。若い人でも同じことである。ロクに考えもしないで、先々のことをわかったような気になって、すべきことを怠る心は、年齢を問わず人間につきまとう。

 

逆に、敵によって人間が成長するのだとするならば、苦労のすくない、敵のないひとりっ子は、よほど危険、苦労、失敗などを経験しないと、もっている可能性も発揮できなくなってしまう。昔、山中 鹿 介 が「われに七難八苦を与え 給え」と、敵のあらわれることを祈ったのは、逆説ではなかった

ある。  

 

こどもはかわいい。存分にかわいがってやれば、りっぱに、つよい人間になると考えるのは短慮である。能力のある、しっかりした人間にするには、適当に不自由、不幸、苦労することが不可欠である。ひとりっ子は、

 

そういうネガティブなものに欠けやすい。もっと苦しめなくてはいけないのである。  

 

かつては最大の教育力をもつのは貧困であった。貧困は人間にとって大敵のひとつだ。しかし、別に珍しくもない。心ならずも貧しい家庭がどれほどあったかしれない。常識的に見れば、貧困は決してありがたいものではないが、人間を育てる経験としてはかけがえのない力をもっている。おそろしい敵でありながら、長い目で見れば、人間の力をのばしてくれる味方である。貧困を呪うのは誤っているかもしれない。好敵手としてこれに挑戦すれば、思いがけぬ人間力を身につけることができるので

 

世の中を敵と味方の二つに分けるのは粗雑な考え方である。敵はにくいもの、われに害を与えるものなりときめて、敵の効用ともいうべきものに思い至らないのは未熟である。たくさん敵があれば、それはむしろ天の配剤だと考えて感謝するくらいにならないと豊かな人生を送ったとは言えないだろう。若いうちは、ことに強敵、大敵が必要で、それに負けない意志と努力があれば、人生はそれだけ大きなものになる。夢にも敵がなければよい、などと考えないことだ。無敵を願うのは弱い心である。  XとYという雑誌はライバル関係にあると思われていたが、もともとY誌は強力なX誌の勢いをそぐための敵対誌であった。X誌が勢いを失った。Y誌にとってチャンスのはずである。どんどん読者がふえるかと思われていると、大方の予想に反して廃刊になってしまった。Y誌は敵のX誌によって力を出していたのである。  無敵はまさに大敵で

 

病気だと知ると病気になる。知らないでいれば病気ではない。そんなバカげたことがあってたまるか、と人は言うかもしれないが、人間はか弱いもので病気ということばで病気になり、病気だ病気だと気に病んでいると、

 

して、死んでしまうかもしれない。知らぬが仏、である。知るは災い、知らぬ方がいいというのが、案外、道理に近いのかもしれない。  

 

そこへいくと鈍いのはすぐれた才能であるとしてよい。いくら病気がシグナルを送っても鈍感な神経が相手にしなければ〝気〟を〝病〟む病気にはならない。そして自然治癒の力によって、疾患を駆逐する。医学のなかった

 

歴史の間、自然治癒力はもっとも活発に働いただろう。なまじ近代医学がクスリを飲ませたり、手術を急いだりするから、自然治癒の力はいちじるしく低下したと見ることもできる。  鋭敏なのがいけない。下手な知識があるのもいけない。これは死病である、などと医者に宣告されると、気弱く本当に死んでしまうのである。  

 

人間、敏感であるのは考えもので、つまらぬことにいちいち反応し、いつまでもそれにこだわって悩み苦しむのは賢明だとは言えないだろう。それに引きかえ、鈍根はよろしい。たいていのことには反応しない。くよくよ心配するなどということとは無縁である。感知しないものは知らないのと同じである。どんな大きな不幸でも、病苦でも、反応しなければ、かなり毒が消えるのである。  知は災いのもと。  不知はいのちの

 

日本の国内でも南国よりも北の気候のきびしい地方の人の方が、おおむね、勤勉で、努力型が多いと考えられている。ことに雪の深い北陸に働きものが多いとされてきた。典型的なのは新潟の人たちである。越後の人は黙々と働く。我慢づよい。それで他国の人から一目置かれる気質をつくっ

 

つらい境遇に耐えている間に、いわゆる幸せな人間が身につけることのできない多くの力を身につけることができる。なかでも目ざましいのが忍耐、我慢で、順調な生活の中では、身につけることが難しい。不幸の与える 福音 である。ぬるま湯に入っている人は、水風呂へ入る勇気がない。入れば悲鳴とともに飛び出してしまう。きたえた人は、寒中水泳をものともし

 

人間が成長していくには、多少の苦労、 不如意、逆境が必要である。大事に大事に、風にも当てないで育てるのは、弱い人間にすることにほかならない。親の子に対する愛情はしばしばこの道理を見えにくくするので

 

危ないもの、いやなもの、つらいことなどによって、人間は、それを克服しようという力を発揮し、人間力を身につける。「若いときの苦労は 買うてもせよ」という諺は、それを言ったもので

 

そう考えると、〝 望月(満月)の欠けたることもなしと思えば〟といった、マイナスのすくない人生はもっとも弱いものであるという逆説が成立する。我慢すべきことがなかったら、生きることができなくなる。進んでマイナスをもつ。そうすれば、自然に、それに負けないプラスの力がわいて

 

いわゆる恵まれない境遇にある人はとかく自分たちを不当に不幸と思うけれども、それは当たらない。真の不幸は、我慢すべきものがない、すくないことである。これを、教養のある人たちが知らずに一生を終えるのは、ちょっとした悲劇である。  我慢しなければならないものが多ければ多いほど、人間はよい方向へ向かってつよく進むことが

 

ほかの人より劣ったところがあって、若きキケロは大きなコンプレックスをいだいていたに違いない。なんとかそれをはねのけようと もがいて いるうちに、常人をはるかに 凌ぐ技能を身につけることができた。禍が福に転じたので

 

〝売り家と 唐様 で書く三代目〟  昔の人は、うまいことを言ったものである。三代目がみんな失敗するのではない。努力しない三代目がいけないのだが、恵まれた育ち方をする三代目はとにかく苦労が不足する。人間を教えるのは人間ではない。苦労、貧困、病苦など、おそろしい経験によってのみ、人間は人間らしく

 

イギリスの哲人、トマス・カーライルは言った。 「経験は最上の教師である。ただし、月謝が滅法高い」  蝶よ、花よと大事にされて育った人間は、多く経験というこわい先生にめぐりあわないで、不幸によってうちのめされる。

 

幸いなるかな不幸せなる

 

ここだけの話、さしさわりのある話、人の名誉にかかわるような話は、きいても他言しない、ということができれば、出世はまず間違いがないのは、この章のはじめに出てくる老教授の言う通りで

 

口が堅い、というようなことは、情報化社会では、かつてと比べものにならない大きなメリットをともなう。そのために健康を害するおそれもあるのだから、大げさに言えば、命がけであるが、他人のプライバシーを大切にし、ゴシップまがいの話を広めないことができれば、社会的競争におくれをとることは

 

すこし年をとり、世間の風に当たると、すこしずつまわりが見えるようになる。自分のほかにも人間がいる、ということがわかる。その人たちは多く自分よりすぐれているのではないかと悟るのは、才能のひとつである。人間的成長が、ぼんやりひとりよがりを言っている連中よりはるかに早い。  力のないのに限って自分はえらいと思い込む。まわりの人を大切にすることで自分が高まる、などということは夢にも考えないだろう。自分のまわりでもっとも弱いものに目をつけ、それと自分をひき比べて、自分はえらいといい気になる。  それではいけない。昔の人がそう考えた。自己中心、思い上がって傲慢になってはいけない、というのが、大事なしつけになる。

 

こういう時代に、やわらかく、やさしいリズムで生きることのできる人は、おのずから存在を明らかにするようになるであろう。まわりや相手を大切にすれば、自分を高めることになるという逆説は死にかけて

 

ノーベル賞を受賞した田中耕一氏は、こどものとき富山県の小学校で学んだ。担任は 澤 柿 教 誠 先生であった。あるとき、理科の時間に、先生は児童にめいめい実験をさせ、自分は机間を歩きまわった。田中少年のところへまわってきた先生に、少年は実験のことで質問した。するどいというか、おもしろい質問だった。先生がびっくりして、 「キミ、そんなことに気がついてスゴイねえ。先生でも気がつかなかったよ」  と答えた。  このひとことが田中少年の科学志望を決定したという。ノーベル賞

て帰国すると、空港から、まっすぐ澤柿先生のところへ直行して感謝したという美談が

 

こういうようにいわばでたらめにほめても、効果がある。これをピグマリオン効果と呼ぶので

 

ピグマリオンギリシア神話の王である。この王は彫刻の名手でもあった。あるとき刻んだ女性像があまりにも美しく、王は本気でこの彫刻の女性を愛し、ついに結婚するのを熱望するまでになった。まわりがそれは 叶わぬことと 諫 めたがきき入れず、ひたすら結ばれることを祈念していて、とうとう願いが叶って彫像が人間となり、その女性と結婚したという。そのピグマリオンの名に 因んだのが、ピグマリオン効果である。口で言っていると、不可能なことが可能になるというところが眼目である。  山本五十六 元帥は、すぐれた教育者でもあったと言われるが、名言をのこしている──。

 

シテミセテ イツテキカセテ サセテミテ ホメテヤラネバ ヒトハウゴカジ  ある老教師はこれに蛇足をつけた。 ホメテヤラネバ ヒトハウゴカジ ホメレバ

 

人間は生まれてしばらくの間のことは何も覚えていないが、たいへんな苦しみを経験しているはずである。なにも知らずに未知の世界へ飛び出してくるのである。不快なこと、苦しいことの連続で、泣いてばかりいなければならない。しかし、やがてそういう環境と折り合いをつけて、笑うことができるようになる。おどろくべき生命力である。  生まれたばかりのこどもの〝苦労〟はなまやさしいものではないマイナスのはずである。それをごく短い期間に乗り越えてプラスにしてしまう。例外なく、そうなるのはおどろくべきことのように思われる。しかも、そのことをあとかたもなく忘れてしまうことができるのもすばらしい。人間の一生はマイナスに始まりプラスに転じていくのである。

 

社会に出て、逆境、不幸に見舞われたら、この新生児のときの、忘れた苦難の道を考え、みずからをはげますことができる。すべてのこどもが乗り越えたマイナスである。再び三たびできないわけがない。そう考えるだけで、おのずから、勇気がわいてくる。マイナスのあとにプラスあり、そう考えれば、すこしくらいのマイナスはなんでもなくなる。マイナス思考は、実はプラス思考に通じるのである。  この本は構想を立ててから

 

 

244.決断=実行 落合博満

野球は私の仕事で、球団が来年も契約したいと思う結果を残せなければクビになってしまうのだから、翌年もプレーできる結果を残すことに集中した。そのためには、 24 時間365日、野球のことだけを考える生活が必要だから、そうしたまでだ。

 

格好をつけた表現になってしまうが、選手の時も監督の時も、ただ野球という仕事に取り 憑かれた。認めてもらいたいと人に取り憑かれたのではなく、ただ野球という仕事に取り憑かれた。 そうすれば、何も迷うことはなかった。 これをやってみたい。けれど、周りはなんと言うだろう。そんな不安は抱かなくて

 

また、今だから明かせば、広島、西武、福岡ダイエーで監督を務め、編成部門の責任者としても手腕を振るった根本陸夫さんから、こんな話を聞かされていた。 「常勝軍団と言われた西武のチーム作りについては、すべて教えてある。

 

で現役を退いたが、実は指導者の資質を備えていると感じた私が早めにやめさせたんだ。おまえが監督になったら、絶対に使ってみろ。必ずおまえの役に立つし、おまえを助けるから」 根本さんの言葉に、森繁和なら間違いないという確信もあっ

 

また、私には現役時代の経験も含めて、プロ野球人としての信念がある。長いペナントレースでは、勝つこともあれば負けることもある。その勝負事を最後に左右するものは何かと問われれば、「諦めた者が負け、諦めさせ

が勝ち残る」ということだと思って

 

「チームを強くするには、どうすればいいですか?」 そんな質問をされた時、私が具体的な練習法を説明し始めれば、聞き耳を立てたり、熱心にメモを取り、大半の指導者が日を置かずに取り組んでみるのだろう。 しかし、私はその質問を本気で聞かれれば聞かれるほど、こう答える。 「何だかんだと言っても、しっかり食事をとり、十分に睡眠をとることでしょう」 それを

 

考えてみてほしい。チームを強くするには、理に適った練習を他のどのチームよりも多く反復することだ。そうした練習をやり切るには、どのチームと比べても圧倒的な体力が必要になる。体力がついていないのに猛練習をすれば、ケガや故障で選手は使い物にならなくなってしまう。 では、どうすれば圧倒的な体力が養えるのか。誰よりも食べ、しっかり休養をとるしかない。つまり、チームを強くするにも、選手の実力を高めてやるにも、基本の基本となるのは食事と睡眠だ。これは、拙著には繰り返し書いている。

 

プロでも、ドラフト下位指名で入団し、あまり注目されなかった投手が、ローテーションの谷間で先発させたら首尾よく初勝利を挙げ、そのまま 10 勝するようなケースがある。しかも、ストレートは140キロ出るか出ないかなのだが、コントロールがよく、100キロ台のチェンジアップに相手打線は手を焼いた。 翌年はいくつ勝てるだろうと楽しみに見ていると、やや豊かになった

 

から投げ込むストレートが140キロ台中盤になっている。変化球もチェンジアップだけでなく、スライダーも投げるようになっている。 「遅いストレートと、もっと遅いチェンジアップで勝てたのに、その武器を捨てるのか」 少しでも速いストレートを投げたいというのは投手の 性 かもしれないが、自分の持ち味は何だったのかを考えてほしい──そう思っていた投手は案の定、勝てなくなって、2年、3年と試行錯誤を繰り返してしまう。3年ほどたって気づいても、どうすれば 10 勝できた自分に戻れるのかわからなくなっている。 こうした

 

高校や大学までの野球は、同じ世代の選手で戦う。だから、素質に恵まれていると思われる選手を他のチームより多く集め、徹底した競争をさせれば、チーム力を高めることができる。 しかし、プロや社会人のように限られた人数の中で、しかも年齢に制限のない選手でチームを作るとなれば、なおさら基本的な練習を根気強く続けたほうが効果は

 

一方、環境の整ったチームは、手を変え品を変え、さまざまな練習に取り組んではいるが、その分、段階を踏んでコツコツと力を付ける基本的な練習が疎かになっているのではないか。最近の都市対抗野球大会の試合内容を見ていると、どうしてもそうした疑問を抱かずにはいられない。 昔から、寒冷地の人間はよく働き、温暖な地域の人はのんびり屋が多い

 

いわれる。それは、寒冷地では自らの手で作物を育てなければ食料がなくなるが、温暖な地では自然に育ったものを採って食べればいいからということらしい。温暖な地を恵まれた環境のチームに置き換えると、妙に納得してしまう。 話が少し脱線したかもしれないが、言いたいことは理解していただけたのではないか。若い選手にとってもチームにとっても、大切なのはいかに基本的な練習に根気強く取り組むかということ。 まだ基本をコツコツと積み上げていかなければいけない時期に、「同じことをしていたらダメだ」と目新しいものに飛びつく必要はない。しっかりと土台になる力を付け、ある程度の力をコンスタントに発揮できるようになったら、それをできるだけ長く続けるための方法を探していけばいい。

 

やられる前に自ら手を打つな。やられる前に手を打つから、反対にやられてしまうので

 

アドバイスを受けて試せば何でも身につくのなら、世の中は成功者ばかりになってしまう。成功する人間とは、素質に恵まれていたり、センスに

 

たりしているわけではない。何度失敗しても、「俺には野球しかないんだ」とあれこれ考え続け、時間をかけて成長してきた執念深い人間だ。それが個性的な投球フォーム、打撃フォームなのである。 それを理解し、野球についてあれこれ考えることが楽しいという人間、すなわち野球オタクになることが、自分の目標に近づく大切な第一歩になるのではないかと思っている。

 

芸術でもスポーツでも、自分を成長させ、感性を豊かにしてくれるのは好奇心

 

あくまで採用する側は、その若者の人生に責任を持ち、一緒にやっていこうと思える人材を選ぶべきだろう。 そうした意味で、野球チームの監督は、自分の専門分野である野球の技量で判断するしかないと思う。そこに性格などを加味して総合的に判断しようとすると、肝心なポイントがズレてしまう危険性が生まれるのではない

 

高校の野球部を7回も退部し、大学では野球部だけでなく、大学そのものも中途退学した私がドラフト指名され、のちに3回も三冠王を手にしたのだ。 どんな生き方をしても、どんな仕事に就いても、その世界で大成できるきっかけは必ず何回か訪れる。 そのきっかけに気づかないこともある。きっかけは訪れていないのに、

 

を全開にしてしまうこともある。だが、上司や先輩のアドバイスに素直に耳を傾け、常に試してみようという姿勢を持つ人は、そのきっかけに気づき、がむしゃらに努力して大成する可能性が高いと思う。 どんなに偉くなっても人生は一度きり。一夜明ければ、今日は過去になってしまう。ならば、後悔のないように生きていくのが幸せなのではないだろう

 

時代は変わり、スポーツの現場でも大きな変化が起きている。昔気質 の指導者の言動が批判されることが多いが、若い人たちには、これだけは理解しておいてほしい。 自分が生きていく道で、少し先を歩いてきた人たちの経験談やアドバイスは、そんなに捨てたものではない、ということ

 

私が一番大切にしているのは、自分の人生をいかに自分の思うがままに生きていくか、ということだ。そのために不可欠なのが、決断、実行だと考えて

 

 

234.1日ひとつだけ、強くなる。 梅原 大吾

自分から見てほとんどのプレイヤーは、ゲームを細分化された状況の積み重ねのみで考えている。各場面を分けて最適解を考え、その集積がひとつの結果を生むという考え方だ。  Aという場面では、Aで一番いい方法は何かを考える。Bに移ったら、またBで一番いい方法を考える。全部のシチュエーションで勝とうとする。小テストを積み重ねた合計点で競うようなやり方だ。

 

場面ごとに一番いい方法を考える。一見、正しいことのように思えるが、こういう発想をしていると当然「飛び道具を撃つ」という発想はどの場面においても出てはこないことに

 

勝負のとき、感情は動かないほうがいい。怖がったり、焦ったり、興奮

たり……。こういった感情は、すべて勝負には向いてい

 

人は圧倒的に優勢になると、「勝った」という気持ちになるものだ。まだ勝ってはいないけれど、どうしてもそういう気持ちになる瞬間がある。これも、人間の弱さのひとつかもしれない。

 

実力以上の結果が出たときに崩れたやり方をしていると、それが自分の基準になってしまう。これは危ない。誤った成功を基準にして成功を 目論むのだから、うまくいくわけがない。うまくいかないのにやり方を変えられない、変えようとし

 

無自覚な人が多いけれど、戦い方が崩れるというのはとても危険なことだ。良くない勝ちもあれば、良い負けもある。感情的になってやるべきことを誤らないこと。それが一時のことで済まなければ大変なことになるのだ

 

しかし、弱い人というのは目先の損が我慢できない。状況を考えず感情で前に出てしまい、自分のリズムを崩すきっかけを作ってしまう。当然、結果も出

 

ここで気を取り直して地道に戦うことができれば、救いもあるかもしれない。しかし、ほとんどの打ち手は、より感情的になってさらに泥沼になってしまう。もうどうにもならない過ぎたことにこだわって、損を取り返そうとする。しかも、転んだのは自分のせいなのだから救いが

 

大切なのは、劣勢になったときだけではない。優勢になったときも姿勢を変えないことだ。  ゲームが始まっ

 

勝負の世界では「勝てそうだけど勝てない」と相手に思わせるのが強い勝ち方だとよく言われる。 90 対 10 で圧勝する必要はない。 60 対 40 で着実に勝つほうがいい。それぞれではあるが、僕はそう考えて

 

タイミングはともかく、こういうことはよくあるものだ。実力が伸びているのに結果が出ない。それでも根気よく続けていると、急に勝ち始める。貯金を一度におろすような感じだ。自分にもそういう経験は何度も

 

成長しながら力を付けることができれば、自分が楽しいし、いい結果も生まれやすい。だから、成長は義務などではなく、楽しく生きて、この時代にコースアウトしないためのツールとして考えればいいのではない

 

今は皆がディフェンシブにしている中で「こうしないといけないんだ」ということにいち早く気づき、積極的に切り込んでいく人が勝っている。麻雀なら「2着でいいや」と思っていると、ラスよりひどい支払いをさせられかねないというのが、今の時代なの

 

このように、本当はもっと前に出て戦わなければいけないところで、ディフェンシブに戦ってやられるという状況は、特に最近、いろいろなところで見るようになっ

 

コースアウトしないよう、安全に、安全にとやっていて、結局負けてしまう。多少なりともリスクを負わないと、最初から負けが保証されているような状態になってしまうのだ。

 

コースアウトする可能性があったとしても、より良い走りをしようと前に出て戦う。そのときは駄目だとしても、成長(変化)を続けて、次のレース、次の次のレースで良い成績を出すようにする。  このような姿勢でいることが、最終的に自分の身を守る。僕は、そう考えて

 

投資として、動くことのポジティブな面を考えるのが強いプレイヤー。  リスクとして、動くことをネガティブに考えるのが弱いプレイヤー。  こんなふうに言えるかもしれない。  その行為が得だから動くのではない。動くことで自分の能力がフルに発揮されることを、強いプレイヤーは知っている。

 

たとえば、相手がどう動くかを予測する「読み」でも、実際に行動に移さないと意味はない。 「こう来るかもしれない」と思うのは、誰だってできる。そこで何もしなかったのに「こうなるって、俺は分かってたんだよ」と後で言うのは弱いプレイヤーだ。 強いプレイヤーは逆で「こう来るかもしれない」と思った自分を信じて、行動に移すことが

 

行動力がないのは「相手の動きに応じることだけで闘おうとする」タイプだろう。相手の動きやミスを待って、それに反応して闘う。相手任せになるので後手後手になるし、投資がないので大きな収穫も

 

正しく成長するためには、正しい分析が必要だ。安心と不安。いずれも分析の対象とは無関係の感情でしかない。安心だからといって安全とは限らないし、不安だからといって危険だとも限らないということだ。安心や不安という感情が、正しい分析を曇らせる可能性がある。  勝負は客観的な理に、より近いほうが勝つと僕は考えている。そして理

 

ものは、不安や安心とまったく無関係に存在するものだ。理に近付くという目的において、不安や安心は単なる偏見となりうる。物事を見るときは、そういうことにも注意しておくと

 

疲れたときの頑張りが、苦労の割に役に立たないことは知っておいてほしい。疲れているときはきちんと休んで、体調を整えること。真剣に取り組むのであれば、正しく休むことも取り組みの大切な要素になる。長く安定して続けられるやり方なくして、継続的な成長はないのだ

 

僕にとってのモチベーション。それは成長を実感することによる喜びや楽しさにある。この成長の実感もできるだけ自力で感じ取れることが大切だ。自分で成長を実感できていれば、外的な刺激だけに頼ることがなくなるのでペースも安定する。

 

がやっている方法は「新しい発見を毎日メモして、成長を確認する」というもの。これは「最近自分に成長がないな」と思っている人にもお薦め

 

こういうときはとにかく行動することが一番いい。感情は行動で変わる

 

何か打ち込んでいることや、続けていることがあるのなら、成長のループを継続することを考えてほしい。毎日の歩みがいかにわずかであっても、安定した継続というのはそれだけで自信になるから

 

安定した成長を継続していると、こういった好循環がさまざまな場面で発生する。ある一線を越えると、勢いが勢いを呼ぶといった感じで、後ろから風が吹いているような感覚が得られるようになるはずだ。そうなればあとは自然に乗ってやればいい。  その好循環の始まりは、小さなモチベーションと小さな成果にある。それを忘れなければ、より楽で省エネなやり方をもって物事を進められるようになるだろ

 

僕は、どんなに大きな大会も目標にしないようにしている。勝負には終わりがないのに、目標を持つと「それに勝ったら終わり」ということになってしまう。一般的に、目標を立てて頑張るのは正しいことだとされている。しかし、継続という観点から見ると必ずしも正しいことばかりではない。かえって、マイナスになることさえ

 

僕は大きな大会で優勝しても特に喜ばないし、負けて悔しがることもない。そのせいか「梅原はクールだ」と言われたりもする。それは、大会を一番の目標にしていないから、ほとんど感情が動かないだけのことなの

 

僕が一番嫌いなのは、勝つ根拠を考えもせずに「勝てる」と思い込むこと。よく「『自分は勝てる』と思い込むといい」などと言われるけれど、それはちょっとどうかと思う。  勝てると思い込んだら、それ以上、努力をしなくなってしまう危険性がある。自分の中では勝つことになってしまっているからだ。勝つ根拠を

 

構築すれば、思い込みで誤魔化さずに「こうすれば勝てる」と自然に思えるようになる。それが勝負に臨むときの基本的な姿勢だと僕は

 

自信のあるという態度というものが、世間では誤解されている。本当に強い人は、いわゆるマニュアルにあるような、自信ありげな態度は取らない。虚勢や誤魔化しがない。そういうことをする必要がないのだ。極めて普通である。僕は、そういう人に凄みを

 

対戦でもそれは同じだ。自信がある人のプレイというのは、虚勢や誤魔化しがない。こういう人は強いし、自然に一目置くことになる。逆の言い方

 

できる。本当に強くなってくると、普段のプレイから気負いや色のようなものが消えて、平淡になっていく。  いわゆる成功者であっても、自信がない人は、自分がやってきたことをやたらと強調する傾向がある。話していてもそれほど魅力を感じないし「得意なことでたまたまうまくやってきたんだな」と感じてしまう。  要領良くやっているだけでは本当の自信が手に入らない。それは、劣等感のある苦手や弱みに対して、見て見ぬ振りをしているからだろ

 

結局、苦手なことから目を背けていると自信を持てない、ということだと思う。苦手に挑戦していれば、たとえうまくできなくても、挑戦していることで自分を肯定的に見られるようになる。それが自信になる。  生まれつき得意なことも苦手なこともあるけれど、それに縛られて生きていかなければならない、なんてルールはないの

 

得意なことや成功したことがあれば自信が付くというのは噓ではないけれど、正確な言い方ではない。外からの賞賛に頼っているだけでは、結局は本当の自信にならない。自ら支えることが必要になる。どんな成功をしたのか、という結果ではない。どんなふうにして成功をしていったのか、という過程が問われることに

 

そして、本当の自信というのは、考えられているよりも、ずっと柔らかくしなやかで強靭なものではないだろうか。それは一言で表すなら「普通」だということに

 

勝ち続けるためのひとつの鍵があるとしたら、それは自立心のようなことかもしれない。自分の内側にある基準で物事を判断し、その判断の責任を負う。いずれの考えも、そんな共通点を持っている。  そういった感覚を持って、日々の取り組みを続けた先に、ああいった「普通」に通ずる何かがあるのかもしれない。僕もまだまだ途上だな、と

 

 

242.むだ死にしない技術 堀江貴文

一般にがん細胞が生まれてから、がんとして見つかるまで 10 年ほどかかる という。いま 20 代、 30 代、 40 代の人こそ、症状がないうちに検診を受けて先手を打っておくべき

 

日本が地震大国であるという認識はあっても、「胃がん大国」という異名をも持っていて、そのことで海外から煙たがられている……ということを、知っている人は少ないだろう。日本人の胃がん発症率は欧米諸国の約5倍にものぼる。  一口に

 

たしかにピロリ菌を除去すると、逆流性食道炎になる人もいる。だが統計学的に有意になるほどではなく、よくなる人も変わらない人も多い。

 

繰り返しいうが、病気の予防を本気で考えるなら、やはり健康保険組合をすべて民営化すべきだと僕は思う。民間企業なら市場原理が働く。国や地方自治体など市場原理に関係ない人たちが健康保険を運営しているから、そこまで真剣に考えないのではないだろうか。  あるいは韓国のように国で一括し、国の対策としっかり結びつけておこなうべきであろ

 

もちろん、医療費を減らそうと頑張っている役人や医師はいるが、「減らしたら特別ボーナスが出る」とかはないだろうから、どれだけ真剣になれるのか疑問だ。まさに、そこが構造的な欠陥だと思う。僕はこれから、予防医療普及協会の活動としても、それを変える仕組みを作りたいと考えて

 

僕は、数年前から家を持たず、日本でも海外でもホテルに住まうノマド生活をしている。持ち物は少ないが、電動歯ブラシデンタルフロスや歯間ブラシ、洗口液はつねに携帯している。就寝中は専用の薬液を塗ったマウスピースを装着し、ホワイトニングをする。なぜ、これだけ歯を大切にするのか。それは、歯のケアは全身の疾病の「予防」の根幹にかかわるからである。 歯周病

 

近視の進行が落ち着く 20 代前半ぐらいで手術を受けておけば、老眼のはじまる 40 代までは眼鏡もコンタクトレンズもいらない。現在は、 両眼で 15 ~ 40 万円、ざっといって数年前の半額で施術できるようになっているそう

 

40 代以降で老眼が始まると、遅かれ早かれ白内障になるから、 先に白内障の手術を受けて、多焦点レンズを入れる人もいると聞く。これをやっておくと、老眼と白内障、両方が予防

 

福岡県の医療費が多い理由は、過剰に医療がおこなわれている可能性など、その他いろいろある。 長野県は医療費だけでなくて、平均寿命が全国でいちばん高い。 男性は 80・88 歳、女性は 87・18 歳(2013年調査)。なぜかというと、かつて佐久総合病院の若月俊一先生という方が、長野じゅうに予防医療活動をした。  長野では保健師さんが多く、高齢者への予防医療普及が発達している。長生きできるし、医療費も安い。医師と連携した保健師さんたちが生活習慣やそれぞれの病歴に応じ、地道な啓蒙をおこなった結果だ。これがいまの日本の理想型だといわれて

 

ストレスになることはやらない (嫌なことがあったら寝てすぐに忘れる。ネガティブなことを考える暇を作らず

 

【がんを防ぐための新 12 か条】

・タバコを吸わない

・他人のタバコの煙をできるだけ避ける

・お酒はほどほどに

・バランスのとれた食生活を

・塩辛い食品は控えめに

・野菜や果物は不足にならないように

・適度に運動

・適切な体重維持

・ウイルスや細菌の感染予防と治療

・定期的ながん検診を

・身体の異常に気がついたら、すぐに受診を

・正しいがん情報でがんを知ることから

 

これらについて、僕は正直、生活習慣や食事に関して何かを言える立場

 

 

241.ウシジマくんvs.ホリエモン 人生はカネじゃない! 堀江貴文

ホリエモンが主張する商売の4原則。

1.利益率の高いビジネス
2.在庫をできるだけ持たない
3.毎月の定額の収入が得られる
4.少ない資本で始められる

 

あなたの動向をチェックしている人は、職場では限りなくゼロに近い

 

240.バカとつき合うな 堀江貴文、西野亮廣

いきなりで悪いけど、はっきり言います。 環境や付き合う人間を選べないと考えてしまうのは、バカの思考です。

 

単に情報を持っていないことにすぎない。情報がないから、想像力もないんです。   情報を取りにいくことに消極的で、運任せで、その結果、想像力がない人。 ぼくはそういう人を、バカと呼び

 

ぼくの物事の進め方は、群れるよりもひとりの道、孤独な道を選べ、そのほうが得だということ。それに尽きます。 「孤独のススメ」というのは、これまでもいろんな人が何度も言ってきています。 そのひとりは堀江さん。意見は同じです。 ぼくは別に新しいことを言っていませ

 

「いやいや堀江さん。学歴は関係ない、やりたいことをあれもこれもやれっていうけど、それで成功できるのはあなたが非凡な天才だからでしょう。  私たちみたいな凡人は、ちゃんと学校を卒業して、会社に就職して、ひとつの仕事を一生勤め上げるしかないんです。それがどんなに平凡でも」  まったくわかってない。 完全に真逆 です。  

 

ひとつの仕事で一生を生き抜くなんて、天才にしかできない生き方

 

そんなストイックな生き方ができる人自体、何万人にひとりでしょう。圧倒的に非凡。 凡人のぼくには無理

 

つまり、 これがぼくの成り立ちです。ぼくのスペックは、実業家、プログラマー、ロケット開発者、著述家、服役経験者……とにかくたくさんです。  個別の能力それぞれで言えば、ぼくより優れた人なんていくらでもいます。でも、ぼくと同じだけ、能力や肩書きを同時に持つ人は、日本にはゼロでしょ

 

だからぼくは、電話はいっさいとらない。簡単に他人に電話をかけるという時点で、 そいつは他人の時間を奪っていることに無自覚なバカということ。そんな人間とは仕事をしたくありません。

 

あなたが本当にやりたいことをやって、自分の時間を生きていたら、それにふさわしい「自分の人間関係」は、自然とできてくるものです。もっとも、自分の時間を生きている人に、孤独を恐れている人なんて見たことがないですけどね。西野くんなんて明らかにそうでしょ。 でもそういう人にかぎって、その人を慕う仲間に囲まれて

 

落合くんは、「近代を脱せよ」 といつも言っています。  それになぞらえるなら、ぼくは、「過去~現在~未来」という近代の時間イメージを捨てる ことをオススメしたい。  過去や未来という 概念 は、人間がもともと生まれ持っていたものではありません。子どもを見てください。熱心に現在だけを生きているでしょ?   子どものように、真の現在を生きてください。それも、熱心

 

ただ、そういう姿を見ていて思うのは……子どものように純真なんですけど、それがある意味、子どものときにできなかったことを取り返しているようにも見えるんですよね。これは本人を目の前にしたらさすがに言い

ことです

 

自分自身が、社会によって、時間を無駄に奪われたという実感が強いんだと思います。だからこそ、後続の若者を同じようにさせたくない、気づいてほしい。その一心で、既存のシステムの批判を繰り返しているんじゃないかと思い

 

ぼくは宗教が嫌いです。  以前ぼくは「すべての宗教は危険である」とツイートして炎上しました。いまでも考えは変わらないし、 みなさんにはすべての宗教は警戒してほしいと思っています。  その最大の理由は、実は本書の中で西野くんが書いてくれています。「

 

の善意を疑わないバカ」。西野くんが書いている通り、 善や正義は恐ろしい。それは必ず思考停止を生むから。宗教は、善や正義を作り出すものです。そして思考停止が生まれ、場合によっては暴力さえをも肯定してしまう。歴史が証明している通り

 

なので、最新の技術を活用する一方で、 自分の身体で起こっていること を鋭敏に観察していかなきゃとも思っているんですね。  非科学的なことを言うようだけど、 やっぱ、タモリさんは直接会うと、身体からオーラが出ているんです。オカルトは警戒しなきゃいけないんです

 

そういうものの本質を知っていきたいです

 

堀江さんのツイッターの炎上は、大体が「おせっかい」です。  その文面から聞こえてくるのは、いつもこれです。 「諦めるなよ。その問題は、チョット勉強して、チョット工夫して、チョット踏み出せば、突破できるから」  堀江さんもぼくも、見たいんですよ。  面白い未来を。  だからこうして、

 

 

239.根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男 高橋安幸

叩かれ、教訓をもらった。 「まず言われたのは『プロになったとしても、いちばん大事なのは社会人として立派になるのがなによりで、野球は二の次だ』という

 

「はじめに言われた『野球選手である前に、ひとりの人間として、社会人として立派になれ』という言葉です。最初は半信半疑なところもあって、『社会人って、自分はもうプロで金を稼げているから社会人じゃないか』と思ったり。でもそれは違っていて、社会のなかでしっかり生きていける人間

 

なさいと。野球を辞めて社会に出ていったときに恥ずかしくないように、立ち居振る舞いも、生きていく 術 も覚えていかなきゃいけないと。 歳 を重ねるごとに、その意味の深さは自分でも理解してきたつもりですし、まだすべて理解しているとは思わないですけど、指導者という立場になって、より深く、重く感じられるようになってい

 

ただ、田代さんが辞任されたあと、楽天本社の株が2500円から1500円まで下がったんです。そういうことが起きるわけですよ、日本の社会は。だから大げさに言えば、僕は本社まで守りたくて辞めたんです。もちろん、チームの結果が出ないのに、のうのうと続ける気はなかったし、自分が辞めることで、コーチ、選手のダメだったものを水に流せるのなら潔く身を引こう

 

「今の日本球界で本当のGMになり得るのは、西武球団シニアディレクターの渡辺久信さんぐらいでしょう。選手として実績がある上に、他球団、他国での経験もあり、二軍の指導者から一軍監督になって結果も出しています。そしてなにより、根本のオヤジと同じく人望があって、人脈もありますから」

 

渡辺は 13 年オフから編成の仕事に就いた。肩書きは別にして、根本の〝遺伝子〟として期待が

 

「当時、ヤンキースのマイナーに『将来の4番候補』と言われている若手がいたんですけど、コーチは彼のバッティングをただ見ているだけなんです。なにをしているんだろうと思って、通訳を連れて聞きに行ったら、『アイツはオレが面倒を見てる。だけど、今はバッティングがおかしい』と言うんです。『おかしいのなら、すぐに行って直してやりなよ』と僕が言ったら、『ダメだ。今にアイツは、オレのところに助けを求めに来る。そのときに、アイツが理解しやすいように、今は彼にかける言葉を探しているところなんだ』と。『ここがおかしい』と言うのではなく、『ここをこうしたら

だ』という言葉を探してたんです

 

関根は帰国後、現地で経験したことをすべて根本に話した。その貴重な経験談がもとになったのかどうかは定かではないが、この巡回コーチの話は、監督・根本が新任のコーチを教育するときに、決まって伝えていた言葉を想起させる。特に、ファームの若手や新人を指導するコーチに対して命じていた、「なにも言わずに選手を見ておけ」という言葉である。親友である関根からの生きた情報だけに、対話のなかで吸収したものはあったのだろう。  そんなふたりが、4年後、再び同じユニフォームを着ることに

 

だから、弱小といわれるチームでも、浩二と衣笠みたいに楽しみな若手がいると、監督やコーチは夢を持てます。ただ夢を持つんじゃなくて、これでこうチームが組み立つなと、考えられる材料があるってこと

 

かく言う関根も、意図的ではないにせよ、根本と同様の「結果」を出している。 89 年限りでヤクルト監督を退任したあと、野村克也が監督に就任。チームは 92 年にリーグ優勝、 93 年に日本一となった。大黒柱を育てつつ、着々と勝つための土台作りをしていたのが関根だった、と言えるのではないか。 「それで僕も助かったところはあるんだけどね(笑)。ただ、勝負の監督、育成の監督という違いはあると思う。両方できれば本当の名監督だけれども、広岡、森ちゃん(森祇晶)、ノムさんなんかは勝負の監督。僕と根本みたいなのは育成の監督。だから巨人みたいに優勝する戦力を持ったら、オタオタしちゃうだろうね。大変だと思うもの、負けが許されないっていうのは」

 

しかし、それ以上に土井が忘れられないのは、根本の鉄拳だという。あるとき、根本はこう言って土井を叱った。 「ゲーム前は胃袋を空っぽにするぐらいじゃないと、脳に鮮明なものが出てこない!」  バットのグリップエンドでコーンと頭を叩かれ

 

「昔の人は『腹が減っては戦ができぬ』ということわざ通り、ゲーム前に

食べていたんです。僕も『そういうもんか』と思って丼飯を食べていたら、『お前、そんなことしてどうなると思ってんだ!』と根本さんに怒られて。殴り飛ばされるのもしょっちゅうでした

 

それにしても、今から半世紀以上前の日本球界に「脳」という言葉を使い、コンディショニング面も指導する人材がいた事実に驚かされる。土井は「それだけ先見の明があった人」と言うが、根本は1966年限りで近鉄を退団。 奇しくも、土井が初めて4番に固定された年だっ

 

とにかく「勉強しろ!」が口ぐせだった。事あるごとに「社会勉強しろ」「野球の勉強をしろ」と繰り返した。土井にとって、根本が発したこの言葉が特に印象に残っているという。 「社会勉強して大人になっとるか? 大人の考えにならんことには、いくら野球を考えてやろうとしたって無理だ。もっと大人になれ。一般常識人になれ。野球バカじゃダメなん

 

そのなかで一部の野球評論家は、「元はパ・リーグのドン尻チーム近鉄のコーチに何ができるか」と言って嘲笑した。口を開けば〝べらんめえ調〟で、一見、いい加減な人間に見える根本の一面だけを取り上げれば、そう評されても仕方なかった。  しかし、実際には知識欲旺盛で、経営からコンピュータ関係、文学と、あらゆるジャンルの書物を読んでいた根本は、当時、こう語っていた。 「私はいろんな人と付き合う。だから話題も幅が広い。こっちがいろんなものを読んで知識を持っていなければ、話にならない

 

クラウン球団が西武に買収されるとき、ライオンズ生え抜きの選手は全 63 人が在籍していた。それがどんどん減って2年後の 80 年には 12 人になるのだが、 78 年オフには9人が他球団に移籍している。西武の監督兼任GM

 

チーム作りに邁進した根本は、当時の野球雑誌のインタビューでこう言い切っていた。 「僕とすれば、ひとつのものが生まれる、新しく作る、というときには、『徐々に変わるのは不可能なんだ』という考え方なんです。やっぱり、極端に変えることによって変わるんだと思うし、極端に変わる方法として何があるかといえば、まず人ですね。人を入れ替えることによって、自然に雰囲気を変えることができる。極端にそれをやるためには、入れ替えるのは主力でなければいけ

 

野村克也 〈テスト生として球界に入った男です。翌年はずっと二軍暮らし。3年目に一軍にはい上がって、キャッチャーという故障の多いポジションにいながら、あの活躍です。8年間、監督もやりました。そこまで行った男が、また一選手にもどって、〝ボロボロになるまでやりたい〟という。  かつて日本の野球史に、これほど徹底して野球に取り組んだ男がいたでしょうか。自分が出した結果の前で、あれほど素直になれた選手がいた

 

うか。  西武は新しく生まれたばかりのチームです。プロ野球の何たるかを知らない新人を、どんどん獲得しなくちゃいけない。そんなとき、野村君が何も言わなくてもいい。新しい人たちと同居し、行動をともにしてくれるだけでいいんです。  若い子たちの、おのおのの感受性が野村君から何か学び取ってくれればいい。だから、野村君のいるうちに、もっともっと多く若手を獲りたい。それが僕の本音です〉  この

 

「言うなれば、根本陸夫広岡達朗の二人三脚。僕はその歩みによって、西武野球の基盤が作られたんだと思っています。根本さんは大きな器の人生設計、人間教育を考える人で、広岡さんはひたすら選手の技術を高めて勝つ野球を実践する人でした。僕の野球人生において、このふたりの野球人との出会いはとても大きな力になりました」  自分にとってどちらも欠かせない

 

人がする評価というのは、ときとして、窮屈なもんだ。大人というのは、そういう窮屈さを感じながら生きていくものなんだ。枠があって、制約があって、窮屈さを感じていくのが大人の社会。たぶん、お前はそれが嫌で、居心地悪いって言っているかもわからない。オレはお前の気持ちがわからんわけでもないけど、その考えはまだ幼いな。これからは、大人の考えを持って取り組んだらどう

 

「そうだなあ。野球人は温室の中に入っているから、外が暑いのか寒いのか、どんな風が吹いているのか、わかんねえだろ。シーズンオフはお前の同級生、仲間と一緒にメシを食え。お前の仲間は時代とともに生きていて、

 

どんな天気なのか、どんな風が吹いているのか、そうしたことをよくわかってるはずだから、たくさん話をしてこい」  

 

「要は、野球バカじゃダメなんだぞと。スーツを着て人と会う場に行ったら、野球とは違った視点で自分を見つめられるし、社会を見つめられる。そうやって、いろんなことを知りなさい、一般常識を知りなさい、社会の

 

知らないといかんのだ、ということをオヤジは言いたかったんじゃないですかね。でも、当時の自分は、まだ若すぎてわからなかった。時代を経て、オヤジから伝えられた言葉がだんだんと理解できて、何かあるたびに、ビクッ、ビクッと気づかされるようになりました」  その

 

「今、僕がいろいろな場で指導できるのも、常にオヤジに進むべき道を示してもらってきたからです。道を示されるときの言葉には必ず、『野球がちょっとぐらいうまくてなんぼのもんじゃい』という教訓が含まれてました。そして、野球を通じていかに自己の人間形成をするかなんだと常に言われていました。僕もその考えを伝え残していきたいですし、薫陶を受けたみんなにもそうであってほしいなと、強く思います

 

いざ西武に入団すると、他球団から移籍してきた実績十分のベテラン勢が目立っていた。トレードで加入した田淵幸一古沢憲司山崎裕之に加え、 44 歳になる野村克也もい

 

「自分がプロに入ったとき、すでに 25 歳でした。あの頃は今と違って、 35、 36 歳ぐらいで現役を終えたら『よくやった』と言われた時代。だから根本さんには『お前は 10 年間現役をやって、そのあとは指導者になれ』と言われていたんです。本当に現役生活は 10 年間で終わり、根本さんに言われた通り、すぐにコーチをすることになりました。しかも根本さんには、『 50 歳を過ぎたらネクタイを締めて、編成に入れ。チーム作りをしろ』っていう道筋まで立てられていたん

 

その後、落合が現役を引退し、評論家としてダイエーのキャンプを見に行ったとき、根本にこう話しかけられた。

 

「西武に森っていうのがいるだろ? あの野郎、面白いぞ。お前みたいなヤツが使うと結構、面白いと思うぞ」  すなわち、未来の「落合監督」に森を推薦したのが根本だったの

 

中日での森は、参謀として8年間、落合を支えた。チームはAクラスの

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を守り続け、4度のリーグ優勝、1度の日本一を達成し、指導者として確固たる実績が作られた。そのなかでコーチングスタッフには、小林誠二( 05 年~ 11 年)、辻発彦( 07 年~ 11 年、 14 年~ 16 年)、奈良原浩( 07 年~ 11 年)、笘篠誠治( 08 年~ 11 年)と、西武時代の同僚たちが加わっていった。じつは、森が直に呼び寄せた人材だっ

 

根本の思い出を語り合える野球人のことを、森は「根本一家」と表現する。語り合うこと自体、嬉しいのだという。 「今も野球界のいろんなところで根本一家が残ってる。大事なことは、根本さんをはじめ昔の人というのはすごくいいものを残されていて、それをオレたちがうまく利用するというか、しっかりと伝えて野球界に残していかなきゃいけないってこと。『そんなものダメだ。もう古い』って言う人はそれ

いい。でも、古いものがまた生きてくるときが必ずくると思うん

 

堤のもとに身売り話が来て、 急遽、クラウン球団を買うことになったのは 78 年の夏。買収に当たっては、まず西武が所有していた大洋ホエールズの株を売却する必要があった。球団運営と試合の公正を保つため、複数の球団の経営に携わることは野球協約で禁じられているためだ。

 

売却先はニッポン放送とTBSで、3億円で取得した株は十数億円になり、これがクラウン球団を買収する資金となっ

 

「甲子園のネット裏で巨人のスカウトたちを見たとき、『これは幼稚園か?』と思ってしまいました。スカウト部長に連れられて、みんなひとつに集まって、行儀よく見ていたからです。私は編成本部の人間として、『みっともないから、やめてくれ』と言わせてもらいました。なにしろ、西武のスカウトはバラバラです。外野から見る人もいれば、一塁側から見る人もいる。みんなそれぞれの場所から見ているんです。そもそも、選手の見方はそれぞれ違っていいわけです。みんながみんな、同じ角度から見ていたら得られる情報は少なくなる。だから当時、西武はドラフトがうまかったん

 

「そのときの根本さんの言い分は、『記者すべてが情報を分け合っていたら、野球を見る目が養えない』というものです。とにかくあの人は、みんなで一緒に、というのがダメ。『他と同じことを書くな!』というひと言

 

記者の私にとって、いちばん印象に残る言葉です。スカウトに対してもそうですよね。『絶対につるんで見るな。ひとりで見ろ!』と命じていましたから。あれは、見識があるんですよね」   80 歳

 

「毎日、毎日、球数を投げていくうちに、余計なものがどんどん削れていって、自分の体に合ったフォームになっていった。だから、300球投げても耐えられたんだと思います。あとはバッターに対して投げることで、ちょっとした変化でも打ち損じたりするのがわかる。バッターの反応を見ると、ああ、こんなときに打ち取れるんだ、というふうにすごく勉強になったんです。それから先は、ベテランになっても、調子悪くなったらずっとバッティングピッチャーをしていました

 

「お前はなにを考えてんだ? 試合で緊張するのは当たり前だ。誰だって、緊張するものなんだ。それをなぜお前は隠そうとする? 緊張して、青い顔して投げていたって、アウトを取った人間の勝ちなんだ。緊張してもいいからアウトを取って、チェンジになって帰ってくればいいんだよ」  緊張を隠そうとして強がるのは、下手に労力を使うのに等しい。そんなことに労力を使うのではなく、アウトを取るために全力になる。緊張している自分に正直に向き合い、アウトを取るために全力になっていくと、勝手に緊張が消えていく。後々、下柳はマウンド上でそのことを実感し

 

「ベテランになってからも、ピッチャーはマウンドに上がるまでは緊張するものなんですよ。でも、若い子にすれば、オレなんかは見た目的にもそう見えるんでしょうね。よく『緊張しないんですか?』って言われました。

 

オヤジの教えを思い出して、『するに決まっとるやないか。めちゃめちゃ緊張するわい。緊張せん奴がいたら会ってみたいわ』って話をするようにしてました」

 

常に野球のことしか考えていない様子で、野球に対する情熱がみなぎっていた根本のことを、下柳は「不死身だ」と思っていた。根本が逝去したときは、「あのオヤジも死ぬんや」と思ったという。それから 15 年以上が経った今も、怒鳴られ、叱られ、諭された記憶は鮮明に残る。 「オヤジに言われた、野球に役立ついろいろなこと。これは現役のときにずっと頭の中にあって、今でも頭の中に残っています。だから、オレがもし指導者になったとしたら、オヤジに言われたことをまた言うんだろうし、いつか、オヤジみたいな野球人になりたい。オレはそう思ってい

 

今後は、やる側からやらせる側、サポートする側になる。そのためには今まで以上に見聞を広げ、様々な角度から自分を見つめることが大事になる。ならば、パソコンを使って仕事をはかどらせて、より人に役立つ人間にならなきゃいけない。 「きっと根本さんはそう伝えたかったんだろうな、と受け取りました。ただ、もうひとつ『これからはパソコンでモノが買える時代になるからな』と言われたんです。この言葉は僕には受け取りようがなかった。今では当たり前のことですけど、当時は想像もできませんでした。イマジネーション能力が人とは違うのか、そうした将来的な情報を手に入れられるほどの

を持っておられたのか。そこは定かではありませんが、とにかく『モノが違う』という方でし

 

「組織っていうのは、常々、窮屈なものなんだ。窮屈ななかで、どれだけ仕事できるか、能力を発揮できるかを問われているんだ。そこでしっかり

 

をする者こそ、本当のプロの仕事人であって、窮屈さのあまり仕事ができないとなったら、それはアマチュアなんだよ」  また、

 

初対面で小学生だった馬目の長男は、 30 代になっても可愛がられた。根本家からは年賀状が毎年届き、贈られたスター選手たちのサインと根本自筆の色紙は馬目家の宝物になった。色紙にはこう書かれている。  現在を尽さずして 未来への到達は 有り得ない 根本陸夫    こうした個人、個人との付き合いの積み重ねと広がりが、日本全国に約6000人といわれた〝根本人脈〟を生んだのではないか。付き合いのなかには、きっといくつもの常識を超えた行動、普通とは違う行動があったはずで

 

根本家に招かれ、隆子の手料理を食べていた工藤公康大久保博元、いずれも監督を務めるだけの野球人になった。手料理のなかで工藤が敬遠し、大久保はおいしく食べた牛乳入りのすき焼きを、穣介は「それが当たり前」と思って食べてい

 

「なんにも変わりません、やっぱり。いいことがあったからといって、根本の気持ちがピーンと上がることはなかったです」  妻から見て、一貫して、感情の起伏というものが感じられない夫だった。息子から見てもそれはまったく同感だった。家で夕食後、寝転がってテレビに向かい、チャンバラ時代劇を 観 ているのが最も父らしい姿と思っていた。 「目的、目標としていたものが違っていたんでしょうね。別に父は稼ぎたい人ではなかったので。納税者番付にしても、税金の払い方を知らなかっただけで(

 

あらゆる手を尽くして常勝チームを作り、その結果として稼げても、稼ぐことが目的、目標ではなかった。とすれば、結果ではなくプロセスそのものに根本の目的、目標があったということになるのだろうか。

 

そのようにして西武、ダイエーで根本に指導された選手の多くが、現役引退後、各球団で監督・コーチになった。2015年にはソフトバンク工藤公康オリックス森脇浩司、ロッテ・伊東勤、西武・田辺徳雄楽天大久保博元と、パ・リーグ監督全6人中5人が根本に薫陶を受けている、という現象も起きた。結果が出なければ任を解かれるのが監督業ゆえ、 16 年は6人中3人となったものの、これは「今の野球界が〝根本遺産〟を必要としている証ではないか」と思え