187.ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。 原田 まりる

誰だってより良く生きたいし、自分がより快適に生きるために、 蹴落とし合いが生まれることはごく自然なことなのだ。恥じることでもなんでもなく、ごくごく普通の 摂理 なのだ。 しかし、それにもかかわらず〝自己中なことは良くない〟という風潮がある。 私は、この風潮に不自然さを覚えるの


「不自然さを覚えるってどういうこと?」 「そうだな、つまりだな〝自己中ではいけないと思っている人が、多い方が都合がいい〟と考えた人たちによって、つくられた〝よい〟かもしれないということ


「それって、本当は自己中なことが悪いことではないのに、悪いとされていて、〝自己中なことは良くない〟っていう風潮は、つくられたものってこと?」 「そうだ、何が良くて、何が悪いかという基準は、あるようでないからな。 奴隷 を持つことが良いとされていた時代もあれば、戦争でより多くの人を 殺めることが正しいとされていた時代もある。 善悪 の基準は 普遍的 ではないのだ。 みんながいいと言っているものがよく思えてくるという経験はアリサにもあるのではない


「そうだ。習慣的に周囲に合わせていると、自分で考える能力を徐々に 衰えさせてしまうことにも 繋がるのだ。『すべての習慣は、我々の手先を器用にし、我々の才知を不器用にする』これ、メモしてもいい


「欲しかったものの価値を低く見るっていうのはどういうこと?」 「例えば、権威やお金だとわかりやすいぞ。権威やお金が欲しい。けれども、手に入りそうにない。 そういう場合に人はどうすると思う? 〝お金よりももっと価値のあるものがあるから、お金ばかり追い求めている人は愚かだ、お金を追い求めすぎない生き方がよいのだ〟と金持ちを見下しにかかるの


「そうだ。お金を追い求めている人は〝利己的な人〟だから、お金よりももっとよいものを追い求める〝非利己的な人〟を〝よい〟とすること

自分を慰めているのだ。 自分自身の人生が価値のないものだと、思いたくない。しかし、現実で価値があるとされているお金も権威もない。 だからこそ、自分の手の届くものに価値を見出し、よいとしているの


「達観しているというよりも、欲がありながらも、無欲であることの方が〝よい〟として我慢しながら、生きている人をイメージするといいだろう。 〝お金や成功を追い求める気持ち〟は汚れている、よくないと、思いこんで自分の欲望を押し殺し、〝お金や成功が手に入らなくても頑張っている自分〟に満足しようとする。一般的によいとされていることが当たり前だと思いこみ、疑問を持たずに、大衆に流される。


〝お金や成功を追い求めること、強いこと、利己的なこと〟が悪いとされ、〝お金に執着しないこと、弱いこと、自己中ではないこと〟をよいこととするのがルサンチマン的発想


「考えてもみろ、アリサ。人間が、生きることに執着し、より強者であろうとすることが、悪いこと、かっこわるいことで、弱者であること、非利己的であることがよいこととされている風潮は〝奴隷道徳〟なのだ」


「そうだ、例えばだ。人間は利己的な生き物だ。しかし、利己的な自分を悪いものだと否定しつづけると、どうなるだろ


「うーん、あんまりガツガツしちゃいけないというか、ガツガツしている自分をかっこわるいとも思ってしまうかな」 「ああ。生きることに執着する気持ち、自分自身の欲求を否定することになる。 〝こういう風に利己的に考える自分はだめだな〟とか〝欲張っちゃいけないな〟とか。人が利己的になるのは自然なことだ。 〝生存したい!〟という欲求は、生まれながら生物に備わっているものだ。教えられなくても、呼吸をしたり、ミルクを飲むことを我々は生まれながらにして知っているのだ。道徳に振り回されて、生きることや自分を否定する必要はないの


「まあ、何が言いたいかというと〝 永劫回帰〟を受け入れられるか、

られないかで大きく人は変わるということ


いまの私は毎日を楽しく生きたいけれど、なるべく苦労はしたくないというのが本音であった。

それは、いつのまにか、楽に生きることが目的になっているのであって、より喜びを感じる生き方というのとは違うということは、私も薄々わかっていた。 「いま


永劫回帰は、さっきも言ったとおり、時間が無限にあるのならば、同じことが繰り返されるということだ」


「羨ましいものや、妬ましいものを〝悪〟だと思うことで、自分のしていることは正しいんだ、善いことをしているんだ! と自分で自分を納得させるのが人間というものだ。 例えば〝金儲けばっかり考えているやつはだめだ、汚い〟と思う人間は、〝金儲けばかりを考えていない自分の考えは、人として正しい〟という主張の裏返しでもある。 〝ガツガツして人に配慮ないやつはクズだ〟と思う人間は、〝ガツガツせず、人のことも考えられる自分は、人として正しい〟という意見を持っているものだ。 人が何かを悪だと思う時には、悪の反対に、自分を置いている。


その事実にあまり気づいていなかったりする。 悪を決め付けることで、自分を正当化しているのだ。これは日常的に行われていること


例えば音楽の趣味もそうだ。 〝最近流行っているアーティストってダサいよな〟という人は〝流行りに流されない自分は利口でまとも〟だと考えているだろう。 何かを否定するということは、否定するものの反対にある〝自分〟を正しいと主張するひとつの手段でもあるからな。 何かを否定したり、何かを悪と決めつけることは、 自尊心 を高める行いでもあるの


自然界では、弱肉強食は当たり前のごくごく自然なことだが、人間界
強い者が生き残り、弱い者が朽ちることは理不尽だとされることがある。 〝弱い人の気持ちを考えろ〟だとか〝人としてそれはどうなのか〟とか。 弱者にも優しいのが人間界だ。 例えば、人間界では、人を傷つけることは悪いことだ。 しかし、自然界では弱者が強者に食われてしまうなど、日常茶飯事だ。 ではなぜ、人間界では人を傷つけてはいけないのか? 現代的に考えるとおそらく一番の要因は、人間が社会に参加しているからだ。 私たちは生まれた時から社会に参加している。社会に参加しているとは 秩序 やルールを保つことだ。秩序を保つと、メリットがある。秩序や

によって、安全が確保されるので、自然界のような弱肉強食とは一線を画すの


つまり、弱肉強食の世界にいるよりも、自分の身の安全を保つことが出来るのだ。 逆に言えば、自分の身の安全を保つためには、一人ひとりがルールを守らなければいけないということになる。 しかし、人間も生物である。生物には、〝力への意志〟がある。生物に限らず、自然界にある万物


「バカにする人は、自分の人生ではなく、他人の人生を妬むことに時間を費やしてしまっているのです。つまり『情熱をもって生きないと、自分の世界は妬みに支配されてしまう』と言えるでしょ


自分の人生ではなく、他人の人生を妬むことに時間を費やしてしまっている。情熱をもって生きないと、自分の人生は妬みに支配されて


つまり人間は、退屈をしのぐために欲望を持ち、欲望が満たされるとまた退屈になるという、いたちごっこから逃れられないの


「まあそうだな、例えば親が亡くなり莫大な遺産を相続したぼんぼんがいたとしよう。宝くじが当たったとかでもいいぞ。精神性が伴っていないと、たとえ大金が舞いこんできたとしてもすぐに使い切ってしまうだろう……そして、それには理由がある」 「理由があるんですか? どうしてですか?」 「精神の乏しさと、むなしさから起こる退屈によってだ。むなしさを埋めるために、短絡的な快楽を追い求めるのだ。酒の席や、虚栄心を埋める買い物に、泡のごとく消えていくといった感じ


「お金を上手に使うには、精神性が必要となってくる、ということですか」 「人間はわかりやすい外的なもの、つまり金や名声、贅沢品などを追い求めがちだが、精神性が伴っていないと結局それらによって身を滅ぼすこともある」 「身を


精神の乏しさは、外面的な貧しさを


「ああそうだ。それが先ほど話した〝実存は本質に先立つ〟といった意味だ。 道具は、理由あって、存在する。つまり、本質あって、実存するのだ。 しかし人間は違う。


理由があらかじめ用意されていて、存在しているのではない。まず、生きている、存在しているという事実があるのだ。 つまり理由が用意されていなくても、存在しているのが人間なのだ」 そう言うと、サルトルは再びパイプに火をつけ、ぷかぷかと煙を浮かべた。


「存在している、というのは、ただそこに偶然的に発生しているわけであって、必然ではないということだ」 「というのは?」 「つまり、必然的に存在しなければいけない理由などなく、ただ偶然に存在しているだけということだ。


しかし、人は〝生まれてきたのには何か意味があるはずだ〟、〝人には天命がある〟などと信じたがる。 こういった思想は、すべて 欺瞞 でしかないと私は考えるのだ」 「欺瞞……ですか」 「そうだ。生まれてきたことに理由がある。人には天命がある。そう思いこめば楽だろう。自分には存在理由があると、思いこめるからな。 しかし、私からしてみると、そういった必然性を信じるということは欺瞞であり、現実逃避でしかない。 人が本質……つまり生きている理由、存在している理由を持たないということは、人は何ものでもなく、自由な存在であると


「人は、よりよく死ぬということを 念頭 に置くと、生きることに 執着心 が湧いてくるものです。 しかし逆に、よりよく生きなければ! という 強迫観念 にとらわれすぎると、死んだ方が楽なのではないかという気持ちになることもあります」 「ああなんかそれわかります。気が病んでしまう時とか、たしかにそうかもしれません」 「はい、人が死ぬ方がいいのではないかと考える時は、〝現状よりもっと良く生きないといけない〟といった理想や強迫観念が心の奥にある場合がほとんどでしょう。


「そうですね、人は一人では生きていけないけど、人を蹴落として生きて


という矛盾も抱えているんです。他人を蹴落としてやろうと、 意図的 でなくてもね。 一人が好きな人もいますが、事実として人は他人と共に存在しています。他人がいるからこそ、自分という存在も認識できます。 僕が思うのは、他人と共にある世界の中で、自分の得のためだけに争うのではなく、他人との 共存 を 前提 とした〝愛しながらの闘争〟を心がけるべきだと、思うの


「そうだね。『愛はこの世における静かな 建設』です。互いの孤独を癒しながら、少しずつ育まれていきます。 しかし憎しみは、自己主義へと人を 没落 させます。自分のことだけを考えて、自分の権利を主張することは出来るけれど、僕たちが生きて行く


心を深く打つような感動は、人と人の間の実存的交わりによって得られるんじゃないでしょう

 

 漫画だと思って購入したが、漫画じゃなかった。無駄な話が多く、内容がわかりにくかった。

186.1440分の使い方 ──成功者たちの時間管理15の秘訣 ケビン・クルーズ

「一日の最初の時間帯は、自分の事業を構築するのに役立つ、最優先のタスクにつぎ込みなさい。それも一切中断せずに。メールや携帯を覗いたりしないで、世間が目覚める前にやってしまうことだ」 ――トム・ジグラー(ジグラー


「まずクリエイティブな仕事に取りかかれ。リアクションする仕事はその

だ」 ――ジョナサン・ミリガン(『The 15 Success Traits of Pro Bloggers』


そんな場合は、理想的な自分になったつもりで自分に語りかけるといい。声に出しても、頭の中だけでも構わない。風変わりではあるが、非常に有効な戦略だ。 「私は健康的な食生活をしている」 「私はジョギングを習慣にしている」 「私は社内トップの営業マンだ」 「私は几帳面な人間だ」 「私はベストセラー作家だ」

「私は起業家だ」  このように自分に語りかけると、自らの価値観がしっかりと心に刻まれる。もしあなたがすでにジョギングを習慣にしているなら、今日ジョギングをしなければ気持ちが悪いし、違和感を覚えるだろう。作家なら、今日はパソコンの前に座って原稿を書くはずだ。それが作家というものなのだから。健康的な人なら、もちろんピザではなくサラダを買うだろう。  ただなりたい人物になりきるだけでいい。そうすれば、たとえ先延ばしにしがちな課題であろうと、やらなければ気持ちが悪いし、違和感を覚えるはずだ。


ビジネス界で大成功を収めたリーダーたちの習慣を見てみよう。 ・フェイスブックCOOのシェリル・サンドバーグは、子どもたちと6時に夕飯を食べるために、毎日午後5時半に退社する。 ・インテルの元社長アンドリュー・グローブは毎日8時に出社し、6時に

していた。 ・ヴァージン・グループの創業者リチャード・ブランソンは、400社以上からなる複合企業を統括しているにもかかわらず、常に個人所有の島をぶらついたり、冒険家としてすばらしい世界記録を打ち立てたりしているようだ。  どうだろう、衝撃を受けたのではないだろうか? 一体どうして、こんなことができるのだろ


アンドリュー・グローブは、著書『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』のなかで、罪悪感なしにワークライフバランスを保つ究極の秘訣を明かしている。  私の一日が終わるのは、疲れて帰り出すときであり、仕事が片づいたときではない。私の仕事が片づくことなど、決してないからだ。主婦と同様、経営者の仕事には終わりがない。やらなくてはならないこと、やったほうがよいことが常に無限にあって、やりきれる量を常に超えているのである。  これこそが秘訣だ。つまり……

今後も、やらなくてはならないこと、やったほうがよいことは常に無限にあるし、やりきれる量を常に超えて


「常に一定の時刻に退社する人は、夜中に『神経が張り詰めている』と感じる可能性が低い」(ザ・クルーズ・グループによる2015年の研究


しもすべてをやることはできない。いつだって、やろうと思えばやれることはいくらでもあるからだ。この事実を受け入れられたら、どれだけ心が軽くなること


富、実力、素養、健康、影響力、教養、個性といったものを本気で求めているなら、日記をつけなさい。  日記をつけることは大変重要だ。日記は次世代に残すべき3つの宝のうちの1つだと私は捉えている。(中略)  1つめの宝はあなたの写真だ。写真はたくさん撮りなさい。
2つめの宝はあなたの蔵書だ。あなたの教師となり、指導者となり、あなたの見解の後ろ盾となった、本棚にある数々の本のことだ。あなたが価値観を築く上でそうした本が役立った。あなたが裕福になり、実力者になり、健康になり、素養を身につけ、個性的になるのに、そうした本が役立った。(中略)  3つめの宝はあなたの日記だ。つまり、思いついた考えや、細心の注意を払って集めた情報のことだ。しかしこの3つの中で、私の教えをまじめに学んでいることがよくわかるものは、日記をつけるという行為で
「友人にノーと言おう。誘いを受けたらどんな結果が待っているか、自分にとってベストな判断とは何かを考慮すること。つまり、人を喜ばせようとしないこと。自分のことを最優先に考えよう。つきあう相手は慎重に選んで。友達であれば、ノーと言っても問題にはならないはず」 ――ヘイリー・シルバ(シエラ高校のオールAの


私は学校に通う多忙な子どもを3人抱えているが、娘たちの高校のテスト勉強を手伝うときは、最初に章のまとめと章末問題を読めばよいとわかっている。教科書の作者が最も重要だと考えているポイントを知った上で教科書を読み返し、章末問題の答えが書かれている箇所を探すほうが、章全体を通読するよりもずっと効率的だ。


「人に委託できるものを積極的に探す人のほうが、高い生産性、幸福感、気力を申告する。また、『過労で参っている』と感じる可能性が低い」(ザ・クルーズ・グループによる2015年の研究


「外部委託に使えるお金がほんの少しでもあるなら、それを惜しまず、人の時間を買う。ここがポイントだ。自分の168時間をしっかり設計したら、あとは他者から時間を 買って 増やしなさい」 ――シェーン・サムス/ジョセリン・サムス(何十万ドルもの売上を誇るデジタル・ポッドキャスト販売事業を構築、オンラインビジネスによって様々な家族の人生を逆転させるサイト「FlippedLifestyle.com」創設


・ヨガや有酸素運動の最中にオーディオブックやポッドキャストを聞いておくと、その日に何が起きようと、すでに勉強や娯楽といった自分の時間を多少は持てたとわかっているので、気分が


大成功者たちの朝の習慣  もちろん、成功した人々が全員まったく同じ習慣に従っているわけではない。しかし、ほぼ全員に共通するテーマを見つけるのは、驚くほど簡単


・成功者のほとんどは早起きである(午前6時以前に起きる)。 ・水をたくさん飲んで体を潤わせる。 ・健康的な朝食を取る。ただし、健康的の定義は人それぞれ(フルーツとオートミールグリーンスムージープロテイン、低GI食品など)。 ・運動をする。 ・瞑想や読書をしたり、日記をつけたりする人が


アンソニー・ロビンズは、自作のオーディオ教材『The Ultimate Edge』で、自らの「力の時間」を明かしている。ロビンズの朝は、呼吸法によるエクササイズから始まる。続いて、感謝していることすべてに思いを


人生で手に入れたいものをすべて思い浮かべる。その後15~30分、決まり文句を唱えながら、ある種のエクササイズを


毎朝起きた瞬間から、きちんと自分個人の成長のために時間を使う。これが『人生を変えるモーニングメソッド』の大前提だ。そうすれば、あるべき姿に達し、考え得るかぎり最高の人生を作り上げることができる。それもおそらく、現在想像しているよりもはるかに速いペースでできるはずだ。今より多くのことを成し遂げたいとなったら、ほとんどの人は「やる」ことを増やそうとする。それに対し、『人生を変えるモーニングメソッド』は、「なる」ことに焦点を置いているため、最初はやることを減らし、最終的には今より多くのことを達成できるようになっている。


自身の研究と経験を通じて、エルロッドは「ライフセイバーズ(Life S.A.V.E.R.S.)」なる仕組みを開発した。 ・S(Silence):沈黙、静寂、感謝、瞑想、祈り ・A(Affirmation):目的、目標、優先事項(アファメーション) ・V(Visualization):目標や理想の人生をイメージする(ビジュアリゼーション) ・E(Exercise):運動 ・R(Reading):自己啓発書を読む ・S(Scribing):日記などの記録をつける


すでに成功していようと、毎朝最初の60分を自分のために投資すれば、より一層の成功を手に入れられることを、エルロッドの例は強く物語っている。 あなた


心身のエネルギーを総合的に高めたければ、健康に気を遣うのが最も効果的なことは言うまでもない。すでにご存じだと思うが、生産性の鍵として以下が挙げ


・十分な睡眠を取る ・アルコールを極力控える ・カフェインを最小限に抑える(夜遅い時間帯は特に) ・非加工食品を多めに取り、加工食品を減らす ・健康的な体重を維持する ・水をたくさん飲む ・毎日運動する(20分の早歩きが


大成功した人々は、睡眠を十分に取る。  大成功した人々は、栄養価の高い食品を食べ、運動を欠かさない。


大成功した人々は、朝の習慣を継続している(瞑想、日記、水分の摂取、ヨガなど)。それが、その日一日のエネルギーや明晰さ、集中力の元となっている。  大成功した人々は、最高のパフォーマンスを維持するために、終日にわたって「一波越えたら1回休む」を実践して


大成功した人々は、スケジュール表に基づき、先を見越して動く。メールやソーシャルメディアのような刺激に反応したり、即席の会議を要求したりはしない。  


ニールセンによると、平均的なアメリカ人は月に158時間もテレビを見ている! 1年に換算すると1896時間。なんてことだ。それだけの時間があれば、たいそうな本が書けるし、会社を立ち上げることだってできる。割れた腹筋を手に入れたいだって? それならテレビを見ていないで運動しろ。テレビをやめれば1年で2000時間近く稼げる。想像してみてほしい。2000時間あれば、どれだけのことができるか!


起業家たちに時間管理と生産性について尋ねたところ、計2万5000語もの回答が集まった。一言一句を載せるには多すぎる数である。  回答者も回答も非常に多様である以上、当然ながら、そこから生産性を


させるための「たったひとつの正解」を導き出すことは不可能だ。  しかし、起業家たちから戻ってきた回答を見て驚いたのは、朝の習慣の重要性を指摘する人が実に多かったことだ。この現象は、まったくもって自発的なものだ。「あなたの朝の習慣は?」とか「あなたには朝の習慣がありますか?」といった質問をこちらからしたわけではないのだ。だから、時間管理の秘訣に対する回答として、朝の習慣を挙げる人の多さには、本当にびっくりさせられた。  他にも、達成したいことをすべてスケジュール化することがどれほど重要か、メールを管理しきれなくなることがいかに危険か、集中がどれほど大事か、などのテーマが挙がった。

 

 

5.「愚か者が一番後回しにすることを、賢人はただちに実行する。どちらもやることは同じ。違うのはタイミングだけだ」―バルタサル・グラシアン(17世紀スペインの哲学者、神学者)[


18.「暦にだまされるな。1年の本当の日数とは、1年のうち自分が活用できる日数だ。1年で1週間分の価値しか得られない人がいる一方、1週間で丸1年分の価値を得る人もいる」――チャールズ・リチャーズ(カナダの


24.「たとえ正しい道にいたとしても、ただ座っているだけなら轢かれてしまう」―ウィル・ロジャース(アメリカの作家、社会評論家、コメディアン)[


68.「重要なのは、時間を費やすことではない。時間を投資することだ」――スティーブン・R・コヴィー(アメリカの経営コンサルタント、『7つの習慣』


73.「自分のやることを楽しむ者にとっての最悪の日は、楽しまない者にとっての最良の日よりもましである」―ジム・ローン[69・98・109] 74.「もともとやらなくてもよいものを効率よく行うことほど無駄なことはない」―ピーター・ドラッカー


102.「私たちが先延ばしをしている間に、人生は私たちを置きざりにして突っ走る」――セネカ古代ローマの哲学者) 103.「仕事の量は、完成のために与えられた時間を満たすまで膨張し続ける」――シリル・パーキンソン(イギリスの歴史学者、政治

 

 

 思考は現実化する、7つの習慣など読み込めば足りる話。

185.若きウェルテルの悩み ゲーテ

僕らは皆みなぎる力を失ったまま永遠に閉じ込められ、人間の活動一切はただ自らの惨めな生存を延長させることと、無目的な欲望の満足しかない。

人は自らを捧げられる対象を、自分の魂の目標を見つけることなく、たかだか目先の飴やら人の鞭やらで動かされている。誰もその実情をわかっていないんだ。いや、わかりたがっていないと言うべきかな。

 

やはり人は本当に素晴らしいものの前だけで純粋になれる。

 

まずこの世では誰も他人のことを理解しないものらしいね。みなこの世で生きる自分自身の生活がすべてさ。

 

182.アンチクリスト ニーチェ

今我々が価値あると思っているもの、そのすべてが人間のデカダンスに過ぎないのだよ。

デカダンス=虚無的、退廃的な風潮、生活態度のこと。

 

弱気を助け続けたところで何になる?そのような輩は臆病であるがゆえに性にしがみつこうとしているだけだ!

キリスト教は生の誇るべき強さを否定し、劣悪な弱さを「理想」と称して掲げているのだ!

 

人間はその知恵によって本能を消し去ろうとまでしているのだから出来損ない。

 

やつらは強者に屈した自分たちのことを「弱者」とは言わず「善人」だと主張する。そして支配者たちを復讐の念を込めて「悪」とののしるのだ。この「悪」というものが実はやつらにとって大変都合の良い働きをする。なぜなら「悪魔」という恐ろしくて強い敵のために苦しんでいるのなら、特にそれを恥じる必要がない、と言う言い訳ができるのだからな。

 

かつて世界に栄えていた古代文明の殆どに身分制度が擁立されていた事実からもわかる。これは人間がよりよい社会をより良い形に高めていくために一番上に来る法則なのだ。

 弱肉教職、弱者は強者に利用、洗脳されている。これは今でも変わらないね。

181.人間的な、あまりに人間的な ニーチェ

そもそもなぜ「良心」というものが存在するのか。人々はあたかもそれが正義だの人間の本質だのと信じて疑わない。いやむしろ我々がより人間らしく生きるために不可欠なものだと主張する。

 

だが私はあえて公言したい。そんなものは人間が定めただけの上辺の理論に過ぎない!人間的な解釈に過ぎないと!我々はそれを知ってはじめて健全な魂を取り戻せるのだ!

 

健全な魂を持つ人間であるならば、誰しも自身の持つ自由精神と力の解放を望んでいるはずなのだ。

 

だがそうした生命本来の力強さで生きられる人間は驚くほど少数だ。言う慣ればそれらは選ばれし力を持つもののみに使うことを許された特権なのだ。

 

そして皮肉なことに人間社会はそうした力を持たざるものが大半を占めて成立している。

 

弱肉強食が自然の摂理であるのなら、持たざる者は持つものに依る強奪と捕食の対象となることが運命づけられている。そうこれが自然であるならば・・・だ。

 

だがこうした生存競争の中で持たざる者たちは生き残るために新たな生き方をあみだしたのだ。

 

それが隷従である。持たざる者たちは持つ者たちに生命を保護してもらう代償に服従を誓うのである。

 

こうして人間社会の支配階級は生まれたのだ。

 

一見するとこの取引は公正に見えるが、持たざる者たちが服従を誓った時、彼らは自らあることを放棄してしまったのだ。

 

それは自ら思考し行動する生存活動。生命の自由で自然な生きる喜びである。

 

彼らは生に執着するあまりに生に妥協してしまったのだ。そしてこの妥協は想像以上に人間の精神を蝕むものであった。

 

持つものはいわば人生の勝者である自らを「善」い者とし、持たざる者たちを劣っている「悪」と格付けした。持たざる者たちは自ら選んだ生き方にもかかわらず次第に持つものへの恨みを募らせずにいられなかった。

 

やがて持たざる者たちは恐るべき復習の方法を編み出した。

 

そうして作られたものが今我々を縛り付ける善悪の価値なのだ。

 

つづく